予期せぬできごと
ルミナス、ルークが同盟を結んでいた頃。
ノール、杏里、リサの三人は空間転移により、元大天使長であったルーシェという人物の屋敷前へ移動していた。
「へえ、ここがルーシェの家か」
ノールは意外そうな声を出す。
ルーシェの自宅は非常に大きな面積を誇る庭園の先にあった。
とても綺麗に整えられた木々や噴水や池なども見られ、随分豪華だとノールは思った。
「ルーシェ様の屋敷を訪ねるの、私は初めてなのよね」
リサは緊張しながら、庭園への門前に立っている守衛となにかを話す。
「暫し、お待ちください」
守衛は空間転移を発動し、姿を消した。
数分後、守衛は門前に現れる。
「どうぞ、ルーシェ様がお待ちしております」
守衛は門を開き、三人に頭を下げた。
「ありがとう」
リサは守衛に声をかけ、三人で庭園へ入っていく。
「リサ、この庭を見てさ、どう思う?」
「どうって……やっぱり、ルーシェ様だと思うの。あの方らしいというか、素敵ね」
「そういう意味じゃないんだよなあ」
正直、この庭園と屋敷を見た瞬間にノールにはある思いが浮かんでいた。
守衛がいる程の庭園、そして大きな屋敷。
おそらく地位も名誉も相当なもの。
これ程まで厚遇されている人物が果たして天使界へ帰るのだろうかと。
以前の印象ばかりに気を取られ、変に色眼鏡をかけたリサが二つ返事でルーシェに拒否される未来しか見えなかった。
とりあえず、三人は屋敷の前まで来た。
「お待ちしておりました、リサ様。どうぞ、こちらへ」
屋敷前に立っていた執事が、屋敷の扉を開く。
「ありがとう」
三人は屋敷へと入り、執事もそれに続く。
「では、応接室へお通しします」
笑顔で執事は語り、率先して三人を応接室まで連れていった。
屋敷の外見は勿論だが、屋敷内も装飾や煌びやかな内装が目に入る。
良い暮らしを日々を送っているのは明白。
「凄いわ、ルーシェ様……」
お上りさんのように周囲を見ながら、リサは感心している。
「………」
どうやって、リサを慰めるかをノールは考えていた。
「ノール、君はこういう屋敷に住みたいかい?」
同じく周囲をキョロキョロ見ていた杏里が尋ねる。
「別に。とはいえ、宿舎暮らしをずっと続けるのはなあ。そろそろ、小さいながらもボクたちだけの家が欲しいかな?」
「ボクも頑張るから」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。でも、ボクらは給仕だから難しいかもね」
「傭兵としても働けば意外と早く建てれるかもしれないよ?」
「そうかもね……」
「皆さん、こちらが応接室です」
話していると、三人は応接室へ辿り着く。
「ここで、我が主人ルーシェが参られるのを暫しの間、お待ちください」
「ええ、分かったわ」
リサが答え、執事は去っていく。
各々、応接室のソファーに座るなりして時間を過ごした。
それから数分程の時間が経ち、ルーシェが応接室へ現れた。
「やあ、皆さん。お待たせしてしまい、申し訳ありません」
司祭のような身なりをする、どことなく神聖な空気をまとう男性。
凜とした顔立ち、優雅な佇まいと容貌の美麗さを持ち合わせている。
女性から持てはやされそうなタイプであった。
「お久しぶりです、ルーシェ様」
ソファーから立ち上がり、リサはルーシェに礼をする。
「ところで、リサさん。そちらの方は?」
「ああ、ボクのこと? 自己紹介がまだでしたね、大天使長のR・ノールです」
さらっと、ノールは自己紹介を済ます。
「ボクは春川杏里です」
杏里もノールにならい簡単に済ます。
「そうでしたか。ノールさんに、杏里さん。以前、私が天使界にいた時は見なかった顔なのに、御二方はとても優秀なのですね」
優しい笑顔でルーシェは語る。
「あの、ルーシェ様」
「どうしましたか、リサさん?」
「どうか、私たちとともに天使界へ戻ってくださいませんか? お願いします」
「それは……できかねます」
「そんな、私たちにはルーシェ様が必要なのに……」
泣きそうな表情でリサは語る。
「私は今、為さねばならないことがあります。それが終わってからならば、天使界へ戻りましょう」
「ほ、本当ですか!」
先程とは打って変わり、とてもリサは嬉しそうにしていた。
「良かったね、リサ。それじゃあ、次はボクをルミナスのところに連れていって」
「えっ、で、でも今は……」
「ちょっと、待ってください」
ノールが言葉を発した直後から、ルーシェの反応が悪くなる。
「入りなさい」
応接室の外へルーシェは呼びかけた。
呼びかけに応じ、すらっとした体格の男性が入ってきた。
強い魔力を発し、髪も瞳も青い色をしているため、この男性は水人だった。
ただ、この男性はノールのような水人衣装は着ておらず、貴族らしい服装。
「おや、三人も可愛らしいお嬢ちゃんたちがいるじゃないか。なんだか嬉しくなっちまうな。まずは、自己紹介をしようか。オレは魔界将軍のブリザードって言うんだ。よろしくな」
「そうなの」
特に関心のないノールは一言だけ語る。
「あの、ルーシェ様。その方は?」
「リサさん、ノールさん、杏里さん。貴方たちはルミナスとなんらかの関係がおありの様子。それがどの程度か分からない現状では、この屋敷から帰すわけにはいかないのです」
「ああ、そうだ。お嬢ちゃんたち三人には今から牢に入ってもらうよ」
ルーシェ、ブリザードは淡々と語っていく。
この二人の行動は、ルミナスたちと一緒。
新たな魔界の最高権力者邪神になるため、二人は同盟を組んでいた。
「ルーシェ様、これはどういう……」
「聞こえなかったかい、リサ。君たちは私が魔界の最高権力者となることを妨害しに来たのだろう? ルミナスの名を口に出した辺り、詰めが甘かった」
「私は天使界に一緒に戻ってほしくて……」
「妨害をしに来たのでないのなら、素直に従ってくれますね?」
「は、はい」
落ち込んだ様子でリサは答える。
「あのさ」
ノールは怒った口調で話す。
「リサ、ボクの案内は? 牢へ入りたいのならどうぞご勝手に。でも、ボクの案内は先にして欲しいんだけど」
「ノールさんにも牢へ入ってもらいますよ?」
「さっきからふざけているのか? 杏里くん、ボクたちはもう先に行こう」
ノールの我慢も最早限界。
ルーシェ、ブリザードを無視して、ルミナスのもとまで行こうとしていた。
「それはいけませんね」
ルーシェはなにかの一節を滑らかに語る。
それは、ハルマゲドンという上級神聖魔法の詠唱。
凄まじい勢いの光の波動が突如空間に現われ、応接室の三人を襲う。
意識が混濁し視界もはっきりとしない中、杏里は立ち上がる。
立ち上がった杏里の身体には複数の裂傷痕があり、全身に酷い出血が目立つ。
「そうだ……ノールとリサさんは?」
周囲を確認すると、いつの間にか屋敷の外の庭園まで弾き飛ばされており、近くには自身と同じように弾き飛ばされたノールとリサの姿があった。
二人は抱き合うような格好で倒れていたが、明らかにノールの損傷が激しい。
魔法を放たれた際、ルーシェと至近距離にいたリサを瞬間的にノールが庇ったようである。
「ノール……」
リサの問いかけにノールは目を閉じたまま答えない。
また、リサも様子がおかしい。
信頼していたルーシェからの攻撃がリサを一種の錯乱状態にさせていた。
三人はたった一度の攻撃で満身創痍に陥っていた。
「生きていたのですか? 至近距離でなら同族の天使であっても上級の神聖魔法で仕留めきれると思っていましたが……」
満身創痍の状態に陥っている三人にルーシェとブリザードが接近する。
この瞬間、杏里は現在の状況がいかに最悪かを悟る。
目の前には自らよりもレベルが高そうな無傷の敵が二人。
こちらは酷いダメージにより意識を失っているノール、裏切り行為により一種の錯乱状態に陥っているリサ。
まして自らも戦えるコンディションではなかった。
このままじゃ全滅する。
杏里の脳裏にはその言葉が浮かぶ。
「まずは、貴方から死んでもらいましょうか」
まだ戦えそうな杏里にルーシェが近寄る。
対して杏里は腰につけていたサイドパックからトンファーを取り出し、ある魔法を詠唱する。
杏里の詠唱は空間転移。
一瞬の早さでノールとリサは消えた。
追い込まれた杏里が行える全滅を免れる方法はそれしかなかった。
「貴方は残るのですか?」
一人残った杏里にルーシェは尋ねる。
「三人で逃げても貴方は追ってくるでしょう? 貴方なら高度な空間移転を発動でき、ボクらが逃げた座標を解析できるはず。手負いのボクじゃ、逃げながら二人を守れない」
「逃げられるよう時間稼ぎのつもりですか?」
「ボクは簡単に死なないよ」
トンファーを静かに構えると、杏里は微笑を浮かべる。
意識を取り戻し、ノールは地面から上体を起こす。
周囲を見ると、足の高さまである青々とした草原にノールは倒れていた。
この場所は魔界へ異世界空間転移で初めて現れた時の草原だった。
それを認識すると同時にノールの全身を激痛が襲い、態勢を崩した。
「痛いよう……」
「ノール、目が覚めたの?」
うずくまっているノールにリサが尋ねる。
リサはノールの傍に座り、震えている。
「リサ、どうしてここに?」
「し、知らないわ。何度か空間転移を使ったから……」
震えた口調でリサは答えた。
周囲がどのような場所だったのかを判断できない程に、リサは錯乱状態に陥っている。
「杏里くんは?」
「あの子は私たちを逃がすために……」
「なら、助けに行かないと」
「行っては駄目よ!」
立ち上がろうとしていたノールにリサは叫ぶ。
「戻ってしまったら、あの子が私や貴方を逃がした意味がなくなっちゃう! それに貴方だって酷い怪我だし、あの子は助からないわよ……」
「ボクは水人化すれば治るし、杏里くんもリザレクを使って生き返らせるよ」
「無理よ、ルーシェ様は禁止令という魔法の発動や行動を阻害させる能力を持っているから。ルーシェ様が敵を倒したら禁止令を使い、対象とする相手の蘇生を封じる場合があるの。今、私たちは誤解を受けているから杏里にも使っているはず」
「………」
どこかを見ているノールの雰囲気が変わっていく。
「今は天使界に戻り、対策を講じないとどうにもならないわ。だって、ルーシェ様が私たちを攻撃したなんて今でも信じられないもの」
リサの声の震えは変わらない。
今まで信頼していた者からの裏切り、それが彼女の気を動転させていた。
「とにかく、今は天使界に戻りましょう。アクローマ様たちに早く意見を仰がないと……」
震えながらノールを見たリサは、ノールの異変に気づく。
「空間転移発動」
ノールは空間転移を発動させた。
発動をしたが、どこかへ空間転移をすることなく不発に終わる。
「あの男……空間転移結界を張っているな」
ノールは歯を食いしばり、怒りで身体を震わせた。
「リサ、ボクがあの男に勝てないと思い違いをしていないか?」
ノールには歪んだ覇気が宿り始める。
殺意や怒りを孕んだおぞましいオーラが。
「天使である貴方にそんな歪んだ覇気が宿るなんて……」
「………」
無言になったノールからはプラズマのような光が発せられ、天使の羽も八翼へ分かれた。
それは天使の最上位の変化、光体化である。
非常に抑え難い殺意と怒りにより生じるこの変化は殺戮以外を生み出さない絶対悪に他ならない。
ノールは光体化した状態で水人化し、身体のダメージを一瞬で治癒する。
「リサ、君はもう天使界に帰りな。ボクはこれから少なくとも三人を殺さなくちゃいけない。君は足手まといだ」
「ま、待ってよ、ノール!」
リサに反応をほとんど示さないうちに、ノールは空へと舞い上がった。