天使界にて
異世界空間転移により、ノールと杏里はアクローマの宮殿前に現れた。
見渡す限り地平線の向こうまで続く、白く輝く雲の大地をノールはどこか楽しそうに眺めていた。
天使界は深夜のスロートと異なり、まだ日が高い。
「久しぶりの天使界だね。ボクはもうここには来ないと思っていた」
そっと、ノールはしゃがみ込み、雲の大地にふれる。
「ノール?」
「ふかふかしているよ」
「アクローマさんへ会いに行こうよ」
「少しだけ待って」
「そう?」
杏里は特になにも言わず、ノールの傍に立っている。
「そこでなにをしているんだ?」
宮殿内から聞き覚えのある声がした。
声の主は、大天使長のレティシア。
どこかへ出かけようとしていたところを偶然、二人に気づいたらしい。
「久しぶり」
ゆっくりと、ノールは立ち上がる。
「ノール、随分と大変なことを仕出かしたな」
「なんのこと?」
「シスイを知っているな?」
「ボクの……大事な子供だったよ」
「やはり、シスイはノールが創り出した者だったか。お前はあの世界でシスイが引き起こした事件を忘れているだろう? シスイは水人能力を駆使して無関係の多くの者たちを操った。他人の人権を損ない、価値観を狂わせ、支配したんだ」
「………」
静かにノールはレティシアの言葉を聞いている。
「こんなところで悠長にしてていいのか? ノール、まさかと思うが総世界政府クロノスを知っているか?」
「聞いたことがないよ?」
「総世界には、正義の観点から間接的に全ての世界を支配する総世界政府クロノスという組織が存在する」
「正義の観点?」
ノールは明らかに胡散臭い組織だと直感的に思った。
そういう、自らを正義と宣う手合いは自らの都合のいい観点からしか他を認めない崩れみたいな連中だろうと。
「その組織の一つ、暗部を取り扱う機関のジェノサイドが今回の件を重く見て、シスイを創ったR・ノールに全責任があると決定した。お前の罪はR一族でありながら外道に匹敵する忌まわしき過去を顧みず、再び支配行為を行ったという総世界協定違反だ」
「ボクに責任を取らせたいの? どうすればいいの?」
「当然、命で償う他ないだろうな。もし捕まれば徹底的になぶり殺され、遺体も辱められるだろう。二度とそのような者が現れぬようにな」
「……ところで、どうしてレティシアさんはそういう話を知っていたの?」
「先程話したジェノサイドに私も所属しているからだ。アクローマを含め、大天使長、熾天使、智天使の階級に位置する者は全て所属している。階級を持つ者で総世界政府を知らず、所属もしていなかったのは普段から天使界にいなかったお前だけ」
「………」
ノールの表情からは血の気が引き、レティシアから杏里へと視線を移す。
状況の不味さを杏里に伝え、即座に行動に移せるよう促していた。
この時、ノールは周囲から先程までにはなかった多数の視線を感じた。
注意を向けるべき者はレティシア以外にも存在していたのだ。
「ノールちゃん、ちょっと待って」
同じく大天使長の白瀬向日葵がノールの背後から、ノールの腕を掴んだ。
「ん?」
ノールは不思議そうに白瀬を見る。
レティシアの口振りとは異なり、白瀬からは全く敵意を感じず、逆に白瀬が背後にいると気づけなかった。
「レティシア様も言い方が悪いですよ。なにも変に伝える必要もないでしょうに」
「そうか? どちらにせよ、我々が同胞の天使を売るような真似などするはずがない」
なぜか不満げな態度でレティシアは語る。
「ボクをなぶり殺しにするんじゃなかったの?」
「なにを血迷いごとを。天使界に来たのなら、アクローマへ会いにいけ。最近、全く姿を見せなくてとても心配していたぞ」
「アクローマさんが?」
正直、アクローマが心配してくれていたのが意外だった。
レティシアと白瀬向日葵に連れられ、ノールたちは宮殿内へと入った。
宮殿内を歩いているとさっき感じた視線を再びノールは感じ取る。
背後からの視線に振り返り、ノールは複数の天使たちがついて来ているのに気づく。
「あの人たち、誰なの?」
「彼らは女神……つまり、女神化したノールを一目だけでも見たくて集まった天使たちだ」
謁見の間へと続く回廊をスタスタ歩きながら、ノールの方を見ずにレティシアは語る。
「百数十年振りに女神化できる天使が現われたのだから、彼らの行動も当然だろうな」
「なら、ボクは女神化した方がいい?」
ようやく天使の羽をノールは出現させる。
最初に現れた羽は二翼であったが、そこから女神化し六翼の羽を出現させた。
ノールの変化とともに沸き上がる歓声。
ノールたちについて来ていた天使たちは歓喜に満ち溢れていた。
「わあっ、有名人になったみたい」
気を良くしたのか、ノールは天使たちの方へと笑顔で手を振る。
天使たちはそれぞれの方法でノールを讃えていた。
拝む、聖歌を歌う、涙を流す、歓喜に震えるなど様々。
「ノール、立ち止まるな」
「あっ、ゴメンね」
再び、ノールは謁見の間へと歩を進める。
彼らのために女神化した状態のままで。
「気を遣わせてしまって悪いな、ノール。この天使界の者たちは神を等しく信じてはいない。だからこそ、現実に存在した神に対し、どのように対応して良いのか分からないんだ」
「ボクは神様なの?」
「そうでもあるし、そうでないとも言える。人それぞれ捉え方は様々に異なるからな」
「レティシアさんはどう思う?」
「優秀な仲間が現れてくれて、私は嬉しいよ」
ふわっと優しそうな笑みを浮かべた。
「だから、これからはノールも天使界に残り、大天使長の職務を果たそうな」
「ボクは今しないといけないことがあるから」
「話していなかったが、シスイの件でノールを総世界政府クロノスへ連れていけば懸賞金1兆をもらえるようになったそうだ」
「どうしてそういうことを言うの? ねえ?」
会話をしているうちに、アクローマがいる謁見の間へ辿り着いた。
「白瀬、お前は向こうからついて来ている天使たちを謁見の間へ入らせないようにしろ。そもそも、この宮殿内へ立ち入らせたこと自体が特例だ」
「分かりました」
白瀬はレティシアたちが謁見の間に入ったのを確認し、扉を閉める。
謁見の間には赤い絨毯が敷かれており、その絨毯が続く先に玉座に座るアクローマがいた。
「スターマイン!」
レティシアが神聖魔法をなぜか詠唱する。
すると、レティシアの真上に星のように輝く無数の光が出現し、それら全てがアクローマへと降り注ぐ。
アクローマの周囲で星のように輝く光は爆発していったが、アクローマにはダメージらしいダメージが全くない。
「魔法障壁を張っているな!」
とてつもなく、レティシアは怒っている。
アクローマはスターマインの爆発音に気づいたのか、玉座から立ち上がり欠伸をする。
つまり、いつものように玉座で寝ていたらしい。
「……あっ、ノールちゃんじゃない! 貴方を心配していたのよ!」
アクローマはノールに向かって走ってくる。
「どうして、私を頼ってくれないの? 色々とあったはずよ?」
「色々とあったけど、ボクの中ではもう決心がついたよ。この話にはどうか関わらないでいてほしいの」
「例えなにがあったとしても私は貴方の味方。貴方の身に降りかかる火の粉は私が振り払ってあげるわ」
「どうして、そんなにボクに優しいの?」
「貴方がR一族だからよ」
「ふうん……」
「ところで、今の話以外では私を頼りたいのよね?」
「実は魔界に行きたいの。ルミナスがどこにいるのか分かる?」
「ルミナスちゃんに会いたいの? あの子、なにかした?」
「ちょっとしたことがあってさ」
「そっか。私はこれから職務があるから、智天使のリサか熾天使のクレアに連れていってもらいなさい。確か二人とも今なら宮殿内にいるはずだから」
「ありがとう。探してくるね」
要件を聞けたノールは謁見の間を出ていく。
杏里もノールに続いて謁見の間を出ていった。
謁見の間の外には、もう誰もいなかった。
白瀬の人払いが効き、集まってきた者たちと会わずに探しに行けた。
「ノール、リサさんとクレアさんの居場所を聞いていないよね?」
白い壁が続く回廊を歩きながら、杏里は尋ねる。
「多分、外でお茶でもしているんじゃないの? ひとまず、テラスに行ってみよう」
そのまま、二人は歩いていたが中々テラスに辿り着かなかった。
というよりも迷子になっていた。
「貴方たちが魔界に行きたい人?」
ふと、背後から声が聞こえた。
二人が反応し振り返ると、煌めく桃色の長い髪をし、すらっとした細身の身体に映える純白の鎧をまとう女性がいた。
「アクローマ様の命により、貴方たちと一緒に魔界へ行く智天使のリサよ。よろしくね」
淡々とした冷静な口調で語り、リサは右手を差し出す。
「ん?」
握手だと思い、ノールはリサの手を握った。
「私を覚えているかしら?」
「初対面だと思うよ」
「初めて天使界に来た時、貴方は白瀬様と一緒にいたでしょう? 白瀬様は相変わらず神聖魔法を放っていたけど……あの時、神聖魔法を受けた天使の傍にいたのが私よ」
「ああ、あの時の人だったんだ」
「思い出してくれた?」
「あの時は大変だったね」
「白瀬様はなにを考えているのか分からない方でもあるのよね。では、そろそろ」
握手していた手を離し、リサは異世界空間転移を発動する。
リサの魔法により、ノールたち三人の周囲は切り替わっていき、全く別の風景が現れる。
魔界の風景はなんら禍々しさを感じない。
空は蒼く、大地には青々とした草木が生え、普通の人界と大差がなかった。
「見たところ案外普通なんだね。ボクのイメージしていたのとは違うよ」
「どういうイメージを?」
「なんとなく禍々しい感じがするかなって。天使界があんな感じだったから、ここもそれらしい感じで」
「意外とそうでもないわ、ああいう天使界みたいな世界ばかりではないから」
「そうなんだ、少し期待したんだけど」
「それよりも、これからルミナスの屋敷まで案内すればいいのよね?」
「うん、お願いね」
「普通に天使界へ呼べば良かったのでは? 貴方は大天使長なのだから、熾天使階級のルミナスは呼びかけに応じるはず」
「できれば、一対一での方がいいから」
「それなら、ここから西へ進んだ先の綺麗な湖の畔に黒一色の悪趣味な大きい屋敷があるの。そこが、ルミナスの屋敷よ。でもその前にミネウスに忠誠を誓っていた天使たちへ会ってもいいかしら?」
「誰か裏切ったりした人がいるの?」
なんとなく、ノールは語る。
「意外とね。以前は貴方と同じく大天使長だった人とか」
「ボクが天使界に来た時、大天使長が欠員になっていたのはその人がミネウスの部下になったからか」
「ミネウスは行方不明になり、もういないから天使界へ戻ってきてくれるはず。もし、そうなった時は……」
リサはノールの顔を見ている。
「ん? なに?」
「いえ?」
簡単な話、リサはノールを大天使長などとは認めていなかった。
ノールの行動よりも先に体よく自らの行動を優先した上、しかもそれが過去の大天使長を迎え入れようという話。
なのに、ノールは大天使長でなくなる可能性があっても全く気にしていない。
元々、地位などには興味がなかった。
「さあ、行きましょう」
三人は翼を広げ、空へ舞い上がった。
登場人物紹介
リサ(年令76才、身長157cm、クールを装っているが実際は臆病な性格。桃色の髪をし、細身のリサは天使界でモテる方の女性。天使界の智天使階級者)