残った者たち 1
時間を遡ること数ヶ月前。
アーティたちが次の仕事のために、一旦エリアースに空間転移していた頃、ミールと杏里の二人はノールの自室前にいた。
「姉さんは酷いことをされて魔力を奪われたんだ。僕は姉さんを元気づけられるかな?」
「きっと大丈夫だよ……」
なにか嫌な予感を二人は感じている。
ミールはノールの自室の扉を開けた。
室内に入ると、ノールは窓の近くに椅子を置き、腰かけて外の風景を眺めていた。
「姉さん、大丈夫だった?」
「気分が優れないの……」
「やっぱり、アーティに酷いことされたの?」
「酷いこと?」
窓の外から視線を移し、ノールはミールの方を見る。
「ボクはなにもされていないよ」
「そ、そうなんだ。でも、魔力を渡すなんて余程のことだから心配で……」
「ボクにはもう魔力なんて必要ないんだよ。今、ボクが存在できる量だけでいいの」
再び、ノールは窓の外に視線を移し、黙ってしまう。
ノールが窓の外を再び眺めたのを確認し、杏里はミールに耳打ちする。
「ここはボクに任せて」
「なにかするの?」
「なにもしないよ。ただ、ノールちゃんの隣に座ってお話をするだけ」
杏里もテーブルの椅子を手にし、ノールの隣に置く。
杏里は他愛のない話を始めた。
それはできるだけシスイとは関係のない話の内容。
ノールも話にぽつぽつと答えていく。
その姿を見て、ミールは初めて杏里を頼れる男だと思えた。
そして、もう姉には自分が必要ないのではないかと。
少し寂しさを覚えたミールは部屋から出て、自室へと戻る。
「あれ?」
扉を開き、入ろうとした瞬間、ミールは異変を感じた。
誰も居ないはずの室内から、何者かの気配を感じていた。
「誰かいるの?」
入口から室内に呼びかけると、室内に人影が見えた。
それはミールと今まで同室で生活していたジャスティンだった。
「やあ、ミール」
「アーティたちと一緒に行動するはずじゃなかったの?」
「全然、ヴェイグにスロートへ残ることを話しておいたから大丈夫」
「そうなんだ」
「そうなんだって、なんか他人事じゃない? 僕がスロートに残る理由が、ミールには分からないの?」
素っ気ないミールの反応が、ジャスティンをガッカリさせた。
「理由? なんだろう……」
理由が分からないのか、ミールは困った顔をする。
「分からないのかい? ほら、僕がこうしてミールを部屋で待っていたってことはさ、もう分かるじゃん」
「姉さんのことで待っていたの?」
「本当にミールはお姉さんのことばかりだね。ミールは鈍いよ、ミールがスロートに残るから僕も一緒にいたかったの。なんかさ、その、いつの間にか……君を好きになっていたっていうかあ」
緊張しているのか頬を少し赤く染め、髪をさわりながらジャスティンはミールから目線を逸らす。
誰かへの告白はジャスティンにとって初めてのこと。
今までのジャスティンにとって、告白とはすることではなくされることだった。
エリアースで五指に入る程の資産家の令嬢であるジャスティンは幼少の頃からプロポーズを何度も受けている。
それら全てを蹴っていたジャスティンは告白という行為自体を嫌っていた。
そんなジャスティンをミールは射止めた。
なんの背景もない、家もなんの資産もない素寒貧の男を好きになっている。
男性版のシンデレラストーリーがここに発生していた。
「僕を……かい?」
「なんかさ、嫌がっていない?」
ミールの一言にジャスティンは大きく溜め息を吐く。
「君が好きだよ、僕はこれから君と一緒に行動するからね。今頃、ヴェイグのところになんて戻れないし。あとでノールさんや杏里さんにも話すから」
「姉さんにも?」
「やっぱり嫌がっているでしょ? 僕にはミールがなにを勘違いしているかなんて大体分かるけど」
「勘違い?」
「前々から思っていたけど、僕をまだ勘違いしているだろ。また同じことを言うのは面倒だから、僕のことをあとでノールさんか杏里さんにでも聞いてみなよ。それでも僕に抵抗があるなら僕は待たないよ」
「……うん」
明らかにミールの反応は悪い。
ひとまず、ミールはノールと杏里の部屋へと向かう。
「姉さん、いるかい?」
焦ったように扉をノックしてから、ミールは部屋の中に入る。
「どうしたの、ミール君?」
ノールが寝ているベッドに腰かけている杏里が返事をした。
「姉さんは寝てるの?」
「ノールちゃん、気分が悪いみたいだったから」
杏里は寝ているノールの髪を優しく撫でている。
「凄く疲れていたんだね、もう僕がふれても起きないよ」
杏里の声は不安げでノールを心配しているようである。
「姉さん、疲れているの? 魔力切れが近いのかな?」
ノールの肩にミールは手を置く。
そして、自身の魔力をノールに流し込んだ。
「杏里くん、姉さんは人じゃない、魔力体なんだ。疲れている時とか弱っている時は必ず魔力を与えてほしいの。魔力の欠乏や魔力の乱れもこれで治るはずだから」
「そうだよね、ノールちゃんは人じゃなかった。分かっているつもりだったけど、やっぱり全然対処法も違うんだね」
「勿論、姉さんにとっても同じだよ。杏里くんは魔力体ではなくて人なの。杏里くんが風邪をひいて弱っているところにいつも以上に姉さんが身体にふれてくるようになったら、人には意味がないけど魔力を分け与えているはずだから。そういう時は薬が必要だと教えてね」
「うん、分かった。ところでさ、ミール君はなにか用があったんじゃないの?」
杏里はベッドから立ち上がる。
「そ、そうなんだ。ジャスティン君が僕の部屋にいたの」
「ジャスティン君が? アーティさんたちと一緒に仕事をしに行ったんじゃないの?」
「そうじゃなかったの。それで、いきなり好きだって言われた」
「告白されたの? 良いなあ、ミール君。ボクもノールちゃんから言われてみたいよ」
杏里は自らのことのように喜ぶ。
「でも、ジャスティン君は男だし……」
「ジャスティン君は女の子だよ。ハンター養成所に入会する時にヴェイグさんがジャスティン君は女の子だって話していたじゃん」
ミールの問いかけに杏里は苦笑いをしてしまう。
正直、一緒に暮らしていたミールがそう言い出すとは思えなかったからだ。
「ジャスティン君は女の子だったの?」
「ヴェイグさんの話を聞いていなかったとしても、ジャスティン君と普段一緒に生活していたなら気付けたよね? 例えば着替えにお風呂、トイレの使い方とかで」
普段の生活を思い起こしながら、ミールはようやくジャスティンが女性だと理解した。
常人ならば相当早く気付けたはずだったが、異性を全く意識しないミールの価値観がジャスティンを女性だと気付かせなかった。
「ようやく僕を女性だと認識できたみたいだね」
呆れたような口調で言いながら、ジャスティンが部屋の中に入る。
扉の前で様子を窺っていたらしい。
「ジャスティン君」
ミールは戸惑いの反応を見せる。
「ノールさん、寝てるの?」
ノールが寝ているベッドにジャスティンは近寄る。
「体調が良くないみたいだから、今はゆっくり寝かせているの」
「薬は飲ませた?」
「飲ませていないよ。水人には薬が効かないから」
「それなら、このままで大丈夫かもしれないね。あと、杏里さん。僕は貴方たちとこれから行動しますね。ミールと離れたくないので」
「目を覚ましたらノールちゃんにも言っておくね」
「それじゃあ、ミール。一緒に部屋へ戻ろう」
ジャスティンはミールの腕を掴み、そっと手を握る。
「う、うん」
なんとも言えない表情をしながらミールはジャスティンとともに自室へ戻る。
「僕を女の子だと気付けなかったなんてね」
「気付けなくて、ゴメン」
「いくら気付けなくても僕が男の子じゃないと分かるタイミングが何度もあったよね?」
「今思えば、そうだね……」
ジャスティンとの会話中、ミールはどことなくぎこちなかった。
ミールの分かりやすい反応から、ジャスティンは自らを見る目が変わったと感じていた。
「あの、ジャスティン……君」
「今、呼び捨てしようとしたでしょ?」
「違うよ、女の子なのに“君”という敬称で呼ぶのはおかしいかなと思って」
「今まで通りでいいよ。だって、敬称をつける時は皆が僕を君づけで呼ぶから。女の子だと分かっているのに」
「そ、そう」
「うん」
ジャスティンの反応の後、ミールはなにも話さなくなった。
暫らくの間、ミールは沈黙し、ジャスティンと視線を合わそうとしない。
ジャスティンはしっかりとミールを見据えているのに、ミールはそわそわしながら視線を合わせられず戸惑うばかり。
「あ、あの……」
居た堪れなくなったミールはジャスティンから逃げるように部屋を出ていく。
「あっ、ちょっと」
ジャスティンは見つめることしかできなかった。
確かにミールのジャスティンを見る目は変えられた。
しかし、ミールのジャスティンへ接する態度も同じく変わった。
たった今、ミールが逃げ出した時に、それを強く感じていた。
翌日の朝になり、普段ノールが目覚める時間帯になっても目覚める気配はない。
ノールはうなされているのか、時折苦しそうな声を立てる。
杏里はノールを気遣い、一日中看病をしながら付き添っていた。
そんな日々が過ぎてから、ノールは目覚めた。
ノールが眠り続けてから四日が過ぎていた。