別れ
ライルがヴォルトに辛勝していた頃、ノールは魔導剣士修練場に連れ込まれていた。
不意を突かれ、身動きも取れずほとんど無抵抗のまま運ばれていた。
修練場の戦闘エリアに辿り着いた魔導剣士たちはエリア中央にノールを仰向けで置き去りにしていった。
「ようやく、お会いできましたね、母さん」
シスイの声が聞こえた。
「……シスイ君?」
わずかにノールがシスイの声に反応する。
「僕は母さんを諦めない。杏里さんたち、命に関わる程の怪我をさせて」
シスイの話が終わると、操られている杏里とミールの二人が仰向けのノールに近付く。
二人には、横たわるノールに対する反応らしいものが全くない。
無言で近付いたミールはノールの腹部を踏みつけた。
「うぅ……!」
あまりの痛みにノールは悲痛な声を発する。
ミールは痛みに悶えるノールを再び踏みつけた。
「痛いですよね、物理攻撃には水人化しましょう」
シスイの声を聞き、すがるようにノールは水人化する。
徐々にノールの身体は透け始め、水人化した。
しかし、それは今のノールにとって極度の負担となる変化。
普段の状態であっても身体を動かせなくなる程の高圧電流を受け、身体が帯電しているにもかかわらずの水人化。
通常の水人ならば水人化した瞬間に意識を永遠に失ってしまう。
「痛い……痛いよ……」
それでもノールは意識を保っていた。
しかし、痛みは致死量に匹敵する。
酷い苦痛に耐えられずノールはミールの足元にすがりつく。
すがりついたノールをミールは蹴り飛ばし、引き離した。
その後、ミールはなにか魔法の一節を唱える。
詠唱された魔法は、雷人魔法デススパークボルト。
瞬間、ノールに強力な雷が落ちる。
全身を電流が貫き、ノールの身体は生きるのを拒んだ。
ノールの身体からは水蒸気のようなものが放出される。
それは、水人にとっての死である“分解”であった。
魔力体は自身の身体を魔力へと変えている水人化などの変化中に死んでしまうと、完全に魔力そのものへと回帰してしまう。
こうなれば存在そのものの消失となり、復活の魔法リザレクでも蘇生が不可能となる。
魔力体の事実上の死と言っても過言ではない。
「………」
ミール、杏里ともに無反応のまま死に行くノールを眺めている。
操られている現状では自分の意思さえも表現できなかった。
そんな二人を尻目にシスイはノールの変化を待っていた。
「僕の“見た”母さんはこれから変わるはず。母さん、あれが本来の姿なのですか?」
身動き一つ取らなくなったノールをシスイも見つめる。
ノールの分解は止まらない。
「貴方は、シナリオという能力を知っていますね?」
「えっ?」
シスイは驚きを示す。
声は分解しているはずのノールから聞こえた。
なのに、ノールのものではない全く別の女性の声質をしていた。
「ノールの死は決まっていた。なのに、その死を早めさせるなんて。貴方の考えを聞かせてください」
「貴方は……母さんなのですか?」
「いいえ、ノールではありません。まだ、私の存在をノールも誰も、今は知る必要などないの」
ゆっくりとノールは立ち上がる。
既に分解は止まっていた。
その場にいるのはノールであって、ノールではない存在。
ノール自体の能力を遥かに凌駕する何者かだった。
「貴方も見たはず、ノールはネコ人のルインに殺害されると。母親の死を変えたかったのですか?」
「変えたかったです。分解での死なら、貴方が出てきてくれると知ったから」
「そう……貴方の行動でノールの未来に変化が生じるでしょう。この瞬間から貴方の見たシナリオは変わります。では、母親にも貴方の意思を伝えると良いでしょう。意味は分かりますね?」
「はい、母さんがどうなるか気付いた時から心を決めていました」
なにかの魔法を、シスイは詠唱する。
わずかに杏里、ミールに反応があった。
「これで彼らが僕を庇いに来ることはありません」
「でしたら、もうなにも言いません。私にできるのはこれくらいだから」
ノールはシスイに近付き、シスイの頭部を掴む。
「デススパークボルト」
一瞬で、シスイの全身を電流が貫く。
両膝をつき、シスイは動かなくなった。
先程のノールと同じようにシスイも分解が始まる。
それと略同時にノールにも変化が起きた。
「シスイ君……身体、どうしたの?」
次にノールから発せられた声は、ノールの声質だった。
ノールとは別の人物から人格が移り変わっていた。
「こ、これって……分解が起きているじゃない! どうして、シスイ君!」
シスイの身に起きている事態を悟ったノールは極度に取り乱す。
座った状態のシスイに強く抱きついた。
「母さんに戻ったのですね」
シスイはなにかをささやく。
「僕は最初からこうなることを望んでいたのです」
「シスイ君、生きてよ! 死なないでよ……」
「もうすぐ、僕は僕でなくなります。それまでに母さんに伝えておかなければならないことがあります。母さんは今後アーティさんたちと行動をともにしてはいけない。そして、なにがあっても“ルーメイア”の世界に行ってはなりません」
シナリオで見た内容をシスイはなにも問題なく伝えきった。
通常ならば、言葉で伝えようとした瞬間に忘れてしまうはずなのに。
「やはり、そう……だったみたいです。僕はすでに死んでいるからシナリオを今でも忘れない。僕の試みも決して無駄ではなかった。杏里さんやミールさんを許してやってください。僕が操っていたから母さんに酷いことをしてしまいました」
シスイの身体は徐々に薄くなり、ノールの腕の中から消えてなくなった。
「母さんと出会い、母さんを愛せて僕はとても幸せでした。これから会えなくなってしまいますが、いつも母さんの傍に」
シスイの最後の声はとても嬉しそうに聞こえた。
シスイが消えてなくなった。
それを、ノールは受け入れられない。
胸の辺りが急に苦しくなり、目から涙が溢れた。
ノールは全身から力が抜け、放心状態のまま座り込む。
例え目の前で起きた現実を受け入れられなくとも理解はできた。
シスイは死んでしまったのだと。
「シスイ君……」
ただ、ノールは泣くしかできなかった。
泣いていれば、シスイが心配して戻ってくると思って。
「ノールちゃん」
ノールの背後から声が聞こえる。
振り返り、ノールは背後を確認する。
「元気を出して、ノールちゃん」
背後には杏里の姿があった。
シスイが死に、杏里は操作から解き放たれていた。
「………」
杏里の問いかけになにもノールは答えない。
ノールはずっと泣き続けている。
「一緒に帰ろ?」
「君は……シスイ君が死んじゃったのに、なんとも思わないの?」
「………」
「ゴメンね、もう大丈夫」
「ノールちゃん」
「帰ろっか、杏里くん。ここにいたって意味ないでしょ?」
二人が会話をしている間、ミールはただ二人を見つめていた。
操られていたせいで、姉のノールを酷く傷つけてしまった。
ミールには以前も操られ、ノールを傷つけた過去がある。
その後、姉を守るためにスロートで必死に積んだ鍛練も結局は姉を傷つけてしまう結果になった。
ミールの心境もまた複雑だった。
「ミール」
ノールがミールに声をかける。
「な、なに、姉さん?」
「ボクは魔力が少ないから空間転移を頼むよ」
「姉さんは僕を……」
「早くして」
「うん、ゴメンね」
俯いた様子でミールは答える。
「空間転移」
ミールの詠唱により、ノールたちはスロート城内の中庭に現われた。
仲間を対象に選択していたからか、一緒にテリー、ヴェイグ、ライルも同時に現われた。
「あれ? 部屋から出れた?」
ぼんやりとした様子で、テリーはつぶやく。
ヴェイグも似たような反応をしている。
テリーは他の者たちと異なり、ただ一人全く操られず個室に監禁されていた。
操られていたヴェイグはテリーが逃げられないようにと監視の役目をさせられていた。
そのせいか、話の展開に二人はついていけない。
「お、おい、ライル! 生きているか!」
ぼんやりしていたヴェイグだったが、ヴォルトとの戦いで満身創痍になり倒れているライルに気付き、呼びかける。
「ライルの身体に水人の致死量に匹敵する程の電気が帯電している。早急に治療を施さないと命に関わるぞ。テリー、肩を貸してくれ。名医橘綾香ならライルを救えるはずだ」
「綾香さんが名医? なんていうか、あの人ってヤブだろ?」
ヴェイグとともに内心不安そうなテリーがライルを背負うと中庭から離れた。
「ボクは部屋に戻る」
うつむき酷く落ち込んでいるノールも中庭から離れる。
「待って、ノールちゃん」
と、杏里が声をかけた時、杏里・ミールを呼ぶ声がした。
「杏里、ミール。そこにいたのか」
声をかけたのは、アーティだった。
「次の仕事についてを話したいからオレの部屋に集まってくれ」
「でも、姉さんが……」
「知っているよ、“見た”からな。勿論これからノールがすることも含めてね」
「えっ?」
「ノールなら心配するな」
疑問に思いつつ、アーティに二人がついていく。
アーティの部屋にはライル、綾香、ノール以外の全員がすでに集まっていた。
「一応、集まったな。これからの仕事についてを話そう。行う仕事は二つ、レオーネとルーメイアでの仕事だ。レオーネではエルフ対人間の戦争介入と、ルーメイアでは突如発生した幻人という怪物を排除する戦いだ」
「あっ、ルーメイアならオレ知っているわ」
アーティの説明中にテリーが答える。
「その世界は綾香さんの故郷だよ」
「ああ、オレもそう聞いていた。綾香さんはルーメイア班だ。知っている人がいたら行動が取りやすいからな」
「ルーメイア班って、もしかして」
「二つも同時に仕事が来たから、二つに班を分けて各自別々の世界に向かってもらう」
「アーティさん」
ジーニアスが尋ねる。
「レオーネではどちら側の味方をしますか? 僕がレオーネに行くとしたら、エルフ側を支援します」
「だったら、レオーネに行くな。仕事を依頼したのは人間側だ」
「戦争が起きた理由はなんですか? ルーメイアでは幻人という怪物が人を襲っているから戦う理由は分かります。でも、エルフと人間が戦う理由が聞きたいです」
「理由は聞かずとも分かるだろう。お前も本当は理由が分かるはず。種族の違う者同士の戦いなんて、どちらが上か下かを比べたいだけの程度の低い価値観が行わせるものだ」
「やっぱりそうだったか、僕が目に物を見せてやる」
「止めろ、オレたちは仕事でやっているんだ。仕事に私情を持ち込んじゃいけないとオレは思っている」
「だったら僕はルーメイアに行きます。人間側について戦っている皆を戦場で見たら僕は裏切ってしまうような気がして……レオーネへ行くのは嫌です」
「それでいい、ジーニアス。仕事だと理解してくれて、ありがとう」
なんとも言えない表情をしているジーニアスの頭をアーティは撫でる。
その後、どの世界に行くかの割り振りを話し合っていると、アーティの部屋の扉を開く者がいた。
「アーティ……いる?」
物悲しい声で語りかけるノールには普段の彼女らしさがない。
「どうした、早く部屋に入れよ」
「ボクはギルドを抜けるよ、じゃあね」
それだけ言うとノールは扉を閉める。
「おい、ノール」
アーティが呼びかけたが、ノールは戻ってこない。
室内にいた者たちはざわつき始めたため、アーティはノールを追う。
恐らく自室にいると考えたアーティはノールの部屋まで向かった。
「ノール、いるか?」
アーティが室内へと入ると、ノールはテーブルの椅子に座っていた。
「なにか、あったんだな?」
「………」
ノールはなにも答えない。
ひとまず、アーティもテーブルの椅子に座る。
「皆と一緒にはもういられないの。シスイ君との約束だから……」
静かに、ノールは答えた。
「今はシスイ君だけを考えていたいの。もう出て行ってくれない?」
「足抜けについては言いたいことがあるが……今はとにかく休め、気をしっかり持つんだぞ」
「………」
ノールはなにも答えない。
「ギルドを抜けても、オレたちは仲間だからな。忘れるんじゃないぞ」
「アーティ」
「どうした?」
ゆっくりとノールは胸の辺りまで手のひらを掲げる。
手のひらの上に、強いオーラを放つ魔力の塊が現れた。
「な、なんだ、それ?」
「これは、ボクの魔力。アーティにあげるよ」
ノールの手のひらにある魔力は、ノールを形取っていたほぼ全て。
もうノールには搾りかす程度の魔力しか存在してしない。
「本当にいいのか?」
「………」
無言で、ノールは差し出す。
「ありがとう、ノール」
特に受け取りを拒むことなく、至って普通にアーティは魔力の塊を受け取る。
数分後、アーティは自室へと戻る。
「アーティ、ノールはどうだった? それにその手に持っているものは……」
テリーが呼びかける。
「これは、ノールから受け渡された魔力だ。オレたちが作り出す人工的な魔力とは異なり、高純度の魔力だ。この魔力を受け入れるだけで数倍魔力の質が向上し、さらにオレたちは強くなれる。これから皆に分配する」
「どうやって? それにノールからって……本当に抜けるのか?」
テリーの問いかけに答えず、アーティは魔力の塊を操作し、それは一気に散って全員に吸収されていった。
「姉さんをしっかり説得したんですか?」
「当然したさ、回復魔法も復活の魔法も扱えるノールに抜けられたら困るからな」
「それが、どうして魔力を奪うことに?」
普段のミールと雰囲気が変わっている。
魔力体も人もある程度なら自らの魔力を受け渡せる。
だが、それがほぼ全てになると魔力だけでできている魔力体は自らが強くなるために今まで培ってきた努力の結晶を平気で受け渡すのと同義となる。
人で例えるなら、知識・経験・技をただで受け渡し、自らはなにもできなくなるという通常では絶対に有り得ない行為。
二人の間でなにかがあったと、ミールは考えている。
「奪っていない。ノールはもうオレたちとはいられないんだ、それがシスイとの約束らしいからな。魔力を失えば、ギルドを抜けることも理解してもらえると考えたんだろう」
「アーティさん、僕もギルドを抜けます」
それだけ言うと、ミールは部屋から出て行った。
姉を支えられるのは自分しかいないと信じている。
「あっ、ボクもそうします」
杏里もそう言い残し、部屋を出て行こうとする。
「ちょっと待て、杏里」
アーティが杏里の腕を掴み引き寄せる。
そして、アーティは杏里の耳元であることを伝える。
「ノールを救えるのはお前だけだ。しっかりフォローしろよ」
そういうと、アーティは杏里から離れる。
「引き止めて悪かったな」
少しだけ杏里は頷き、アーティの部屋から出ていく。
結局、新たな仕事が始まる前に三人の離脱者が出た。
残された者たちは困惑していたが仕事に当たらなくてはならない。
それから残った者たちは別の世界へと向かう。
ただ、一名を除いて。