発端
数日後のある日、この日は休養日として、ミール・シスイの二人は自室でのんびりしていた。
「ミールさん」
テーブルの椅子に座り、魔導書を読んでいたシスイがミールに呼びかける。
「貴方は好きな人がいますね?」
「へっ?」
床に座って魔法の杖の手入れをしていたミールは反射的にシスイの方を見る。
「心から愛している方がいらっしゃるのですね」
「だ、誰を? 僕の好きな人って?」
「いませんか……それはおかしいですね? 確かに“見た”はずなのに」
二人には理解に及ばないが、これはシナリオの発動だった。
本来ならば、アーティのように竜人化などの覚醒を経て、初めて発動できるはずの能力をシスイは容易く扱えていた。
これは、コピー元のノールにさえできないこと。
シスイは潜在的にノール以上の優れた能力者だった。
「もしかして、それって夢の話じゃないかな?」
「夢ですか?」
「そう、夢だよ」
「元々、魔力体は夢を見られない体質だと魔力体の書籍で読みましたよ?」
「そんな本があるんだ……ところで」
「はい、どうしました?」
「僕の好きな人は誰なの?」
「名前は“知りません”が容姿ならなんとか覚えています。確か、ショートカットでボーイッシュな服装をしたお金持ちの女の子でしたよ」
「一瞬、ジャスティン君かと思ったよ。僕の人生で思い当たるお金持ちは彼だけだし、これから出会う人なのかもしれないね」
「ジャスティン? そうですか、あの方でしたか。先程まで名前も経歴も鮮明な映像で“見た”かのように、はっきりとしていたのですが今ではまるで思い出せません。なぜでしょうか? 僕には分かりません」
少し、シスイは落ち込んだ様子を見せる。
「外れてくれた方がいいことだってあるから落ち込まなくていいよ」
「そうですか」
ミールはシスイの話をしっかりと聞くことはなかった。
それ以降もシスイはミールに再び“見た”ことを話す機会が増えた。
最初は面白いと思っていても次第にミールは聞こうとしなくなった。
その原因になったのは、ノールがネコ人という種族の者に酷い目に遭っていると言われたから。
確認のため、ノールに電話で連絡をしてみたが当然何事もなく日常を送っていた。
ノールと会いたくてそういう嘘をついていたのではと考えたミールはその話題を避けるようになった。
これが、シスイが引き起こす騒動の引き金となってしまった。
明くる日の夜中、ミールは廊下からの物音で目が覚めた。
「なんなの一体?」
ぶつぶつと愚痴を言いながら、身体を起こす。
その音でシスイも起きたかと思い、シスイが寝ているベッドの方を見たが姿はなかった。
しっかりとベッドメイキングしたかのように毛布などが整えられており、シスイの几帳面な性格が窺える。
そのようにぼんやりとシスイのベッドを眺めていると、自室の扉を開く。
「なんだ?」
シスイかと思いきや、見知らぬ男性が扉を開けたと知るとミールは急いでベッドから降りる。
「誰? ここは君の部屋じゃない」
事前に忠告をしたが、それでも構わずに男性は室内へと入り、ミールの腕を掴んで引っ張った。
「なっ、なにをしてんだ! 離せ!」
反射的に、その男性の顎付近を全力で殴る。
しかし、男性はまるで効いていないような様子。
「嘘だろ、普通なら失神してもおかしくない威力なはずなのに……」
ミールは抵抗をしたが男性に強引に腕を引っ張られ、闘技場にまで強制的に連行された。
闘技場には同じく連れられてきたであろうテリー、杏里、ヴェイグと彼らを連れてきたと思われる数名の男性たちがいた。
ミールを無言で闘技場まで連れてくるとようやく男性は手を離す。
「やっと離したか!」
腕を離され可動域が広がったミールは地面を蹴り、空中へ舞い上がると身体を捻り、男性の顔に廻し蹴りを与える。
男性はその威力によって弾き飛ばされたが、即座に立ち上がって無言でミールの方を見つめる。
「体術が効かないのか?」
「なんだ、お前も捕まったのか」
暇そうにそれを見ていたテリーが話しかける。
テリーは武器を携帯していなかった。
それは他の者も一緒で、ミールもまた魔法の杖を携帯していない。
「なんでか知らんが、こいつらには攻撃が効かないみたいだ。オレも部屋に入ってきた奴を全力で殴ったのに効いていないみたいだったし」
「テリーさん、こいつら一体なんなんですか? こいつらも魔導剣士?」
「ああ、そうだろうな」
「あの、ミール君。シスイ君は一緒じゃないの?」
不安そうに杏里がミールに尋ねる。
「シスイ君……そうだ。僕が起きた時にはもうシスイ君が部屋にいなかった」
「皆さん」
どこからか声が響いた。
全員が声のした方へ視線を向ける。
「夜分に突然連れ出してしまい、すみません。まだ上手く扱えず強引な方法になってしまいました」
闘技場の奥の方から、シスイが現れる。
「扱うって? もしかして、そこにいる人たちを……?」
無理矢理連れてきた男性たちをミールは指差す。
「そうですよ」
「なにが目的なの? こんなことして」
「僕にはやらなくてはならないことがあります。でも、僕だけでは決してできない。誰かに協力してもらわないと駄目なんです」
「こいつらは、どうやって操っている?」
シスイの話を止め、テリーは聞く。
テリーはシスイの言動から嫌な予感以外していない。
「僕の水人能力を駆使しているからですよ。人は身体の約70%が水でできています。そして、ここの人たちは魔力も練度も低い。その二つで水人は人を操作する術を得られます。僕の水人能力でも操作は簡単でした。ミールさん、“シナリオ”を覚えていますね?」
テリーに話した後、再びシスイはミールに問いかける。
「シナリオ?」
「ミールさんが女性と付き合っていると伝えた。それを覚えていますね?」
「うん、覚えているよ」
「その未来予知をシナリオと言います。未来予知で見た結果をミールさんに伝えようとした。ですが、僕は見た結果の大半を忘れてしまっていた。自ら見たこの内容を伝えようとすれば忘れてしまう、それがこのシナリオの欠点。それでは僕自身が分からなくなってしまい、伝えたい事実を伝えられなくなってしまう。しかし、それは生物であればの話」
シスイは悲しげな表情を見せる。
「お前がなにを言いたいのかさっぱり分からんが、お前には予知能力があってその能力を悪用しようとしているんだな。こうなりゃ、こっちは力尽くだ」
テリーは戦闘の構えに移る。
「テリーさん、僕に操られていてください。理由をこの場で伝えては忘れてしまうので無条件でお願いします」
「なに言ってんだよ、お前は。当然だが断るよ。こっちとしてもこれ以上勝手な行動をされては困るからな」
「では、僕が彼らにしたように貴方たちも力尽くで操作させてもらいます。僕の“見た”通りに動いてもらわないと困ります」
「おい、杏里、ミール、ヴェイグ! 分かっているだろうな!」
テリーが叫んだ瞬間、四人は闘技場の出入口へと向かって一斉に駆け出す。
武術が効かない魔導剣士たちとそれらを操れるシスイでは分が悪過ぎた。
とにかく距離を取って、魔導剣士修練場の近くの街まで逃げることにした。
「シスイ君を説得した方が良かったんじゃないかって僕は思ったんだけど……」
逃げ出しながらもミールはそれを後悔していた。
「シスイの話を聞いただろ? 賛同を得られないのくらいは向こうも知っていたんだ。いくら説得しようともあの魔導剣士たち同様にオレたちを操って従わせる気だ」
「確かにそうかもしれないけど……」
「仕方ないからさ、一度スロートに戻ったらどうだ? ノールを連れてくるのが一番だろう」
最も効果的であろう案をヴェイグが提案する。
「それもそうだな」
頷くと、テリーが空間転移を詠唱する。
しかし、空間転移は発動しなかった。
「あれ? なにも起きない?」
「詠唱失敗ですか、テリーさん?」
「いや、そんなはずが……」
「もしかして、あれのせいだったりする?」
ミールは空を見上げる。
「空って?」
釣られるようにテリーも空を見上げた。
空には雲一つなく、星が煌めく綺麗な夜空が広がっている。
それは普段となんら変わらない風景だった。
ただ、見え方がいつもと違っていた。
「薄い膜のようなものが……あれは水か?」
テリーたちの遥か上空にはなにか薄い水の膜が覆っている。
少しだけ情景が濁っているのはそれが原因のようだった。
「とにかく、嫌な予感がする。急いでここから離れよう」
テリーが話したのち、その場から四人が離れようとする。
「ホワイトアウト」
瞬間、何者かの声が響く。
テリーたちが周囲を見渡すと、徐々に濃い霧が覆い始めた。
魔法なのか自然に発生する速度とは比較にならない早さで周囲を覆う濃霧に視界が完全に奪われていく。
「やっぱり、シスイ君なの?」
濃霧によって視界が奪われた状態でミールが彷徨っていると背後から気配がした。
「ミールさん」
「シスイ君……?」
ミールは背後へと振り返る。
「驚いてくれましたか? ほら、あの空に膜が見えるでしょう」
「あの水の膜は、一体?」
「あの水の膜の範囲内までが皆さんを操れる領域です。皆さんには本当に協力してもらわないと困るのです」
「協力って……」
「そうです、母さんのために」
「姉さんが?」
「これ以上、ミールさんに伝えられません。勿論、母さんにも。話そうとすれば、欠片程しか伝えたい記憶が僕には残りませんから。ただ、伝え方はまだ別にもあります。これが僕の最初で最後の母さんへの……」
悲しげにシスイは魔法を詠唱する。
危機感を覚え、反射的に構えの態勢へとミールは移ろうとする。
だが、身体は指一本動かすことさえも叶わなかった。
「全てが終われば解放します。僕がしたことを許してほしいとは言えません。ただ、僕を忘れないでほしいです」
直後、ミールの意識は途絶えた。