聖帝について
数分後、綾香が部屋に戻ってきた。
ノールとジャスティンと杏里の三人を連れて。
「なんか用なの? せっかく、ミールたちと話していたのに……」
ジャスティンが綾香に聞く。
特になにも聞かされずに連れてこられていた。
「テリーちゃんってさ、いつも男の子っぽい服を着ているじゃない? 多分、どういう風に着こなしたらいいか分からないのだと思うの。年の近い貴方たちにも評価してもらいたくてね」
「テリーさんの服を?」
「そうよお、戦いから離れている時くらい女の子らしくしてもいいと思ったのよ」
「テリーがねえ……」
二人の会話中、それは面白そうだとノールは思う。
いつも水人衣装をまとっているノールだが、買い物などの外出時は杏里に合わせて私服に着替えている。
もし今後、テリーも女性らしい服装をするなら、一緒に服選びの買い物に行けて楽だなと考えた。
ただ、それよりもノールは知りたいことがあった。
「あのさ、綾香さん」
「どうしたの?」
「綾香さんはお医者さんだよね?」
「ええ。けど、ノールちゃんは魔力体でしょう? 私の医療は人専門。でも、メンタルヘルスについてなら力になれると思う」
「病気についての話じゃないの。実は妊娠についての……」
「妊娠? なにを言っているの? 貴方の年令では不可能よ。もう少し時期を待ちなさい」
「不可能って大袈裟過ぎでしょ」
「綾香さん、服を着てみたんだけど。オレ、男装する前は大体ドレスくらいしか着たことがなくて」
テリーが浴室の脱衣所から若い女性らしい服を着用し出てきた。
テリーらしい快活な女の子風の服装だった。
「あっ」
テリーと部屋に来た三人の目が合う。
「………」
瞬時にノールは気付いたことがある。
てっきり、テリーが見てほしがっていたのかと思い込んでいたが、明らかにそうではないと。
ミールを探してくれた時から、友人関係になっていたノールだからこそ分かる。
この場に居続けるのは、テリーにとって傷になる。
斜め上の方を見て、そっとノールは部屋から出ていこうとした。
「ちょっと待ちなさいよ、ノールちゃん。似合っているかどうかの感想を言いなさい」
綾香はノールの腕を引っ張り、部屋から出ていかないようにする。
「お着替えをしていたのならボクは部屋から出た方がいいよね?」
不思議そうな表情で杏里が綾香に聞く。
「杏里ちゃんの意見も聞きたいじゃない。だって、貴方の服装が一番女の子らしいし」
「え~、ボクは男の子だよ」
「はいはい」
杏里が男性だと実際には知っているようで、微妙ににやけながら綾香は杏里の対応をしている。
その間に、ノールは部屋から姿を消した。
「なあ、ジャスティン。やっぱり、オレは男装が似合うか?」
テリーの声は沈んでいる。
ジャスティンは以前の戦闘で、テリーには恐怖の印象があった。
「テリーさん、元気出して。ちゃんと似合っているから……」
しかし、テリーの声が微妙に暗いのに気付いたジャスティンは慰める。
気を落しながらも再びテリーは綾香から服を借り、何着か着替える。
いつも男装をしていたせいか似合ってはいるが見た目に妙な違和感があった。
なにか綺麗な若い男性が女装をしている、そんな違和感が。
そして、いつの間にか室内に戻っていたノールはできるだけテリーを見ないようにしながら、杏里とジャスティンの手を引いている。
なにも言わずとも自らの考えを汲んでくれたノールに、テリーは感謝を感じつつも、逆にその反応にますます自信を失う。
「オレはこれからも男装するよ」
普段の男装した格好に戻り、気を落した様子でテリーはささやく。
ただ、落ち込むテリーはどうしても言っておかなくてはならないことがあった。
「ノール」
「ん?」
「お前さ、さっきから喧嘩売っているだろ?」
「………?」
「なにか言えよ」
イライラし始めていたテリーはノールの両肩に手を押しつけ背後に押し倒す。
「わあっ! いった……なにすんの?」
押し倒されたノールはゆっくり立ち上がるとテリーをにらみつける。
「謝ってよ!」
「嫌だね」
「どうして?」
「喧嘩を売ってんだろ?」
「ノールちゃん、テリーさん。喧嘩は駄目だよ……」
杏里はテリーとノールを止める。
「杏里、黙れ。ずっとオレの着替えを見やがって、お前はあとでぶっ飛ばす。ノール、お前は表に出ろ」
「もしかして、本当に喧嘩するの? 忘れていないよね、ボクは水人だよ。君とは格が違う」
険悪なムードのまま、ノールとテリーは部屋を出ていく。
「喧嘩ってさあ、二人ともなにを考えているのかしらね?」
急な展開に綾香は苦笑いを浮かべる。
端から止める気はない。
「止めに行くよ、杏里ちゃん」
「また杏里ちゃんって呼ばれた?」
ジャスティンが部屋を出ると、杏里はそう思いながらジャスティンについていく。
城の中庭へと移動したノールとテリーは、やはり戦う姿勢を変えなかった。
「ノール、謝るなら今のうちだ」
「ボクが謝らないといけない理由がないんだよね」
静かに水竜刀をノールは作り出す。
それを見たテリーは鞘から剣を抜く。
「ジャスティン君、止めないの?」
中庭まで来た杏里がジャスティンに聞く。
「ねえ、どっちが勝つか気にならない? あの二人はどちらも強いし」
「気にならないよ! 早く止めるよ!」
杏里が止めようとした、その時。
「ソレイユ!」
殺那的にノールは天使化し、神聖魔法ソレイユを放つ。
ソレイユの光の波動はテリーの足元を完全に捉え命中し、地面に転倒させた。
魔族ではないテリーに神聖魔法ソレイユは大した威力を示さない。
どちらかというと、ノールはテリーに怪我をさせる気などなかった。
それに対し、ソレイユを受けたテリーは即座に体勢を立て直そうとする。
だが、テリーが体勢を立て直す前にノールは接近し、テリーの腕を蹴り上げ、持っていた剣を弾き跳ばす。
次の瞬間、ノールがテリーの首筋に水竜刀を突きつけた。
「はい、ボクの勝ちね」
「………」
テリーはノールを見上げる。
テリーの目には既に戦意がない。
「どうしてかな、オレはどうしてこんなに弱いんだろう?」
蹴られた腕を押さえながら、落とした剣を見つめ泣き始める。
「テリー、どうしたの?」
ノールの問いかけにテリーは俯いたまま泣き続ける。
「な、泣かないでよ、テリー。ボクが悪かったから」
水竜刀を昇華し、テリーに近寄るとノールはテリーの背中を優しく擦った。
「違うの、ノールが悪いんじゃない。今まで男装までして戦うためだけに生きてきたのに自分が弱くてなにもできないと分かったら……」
「いつものテリーらしくないよ、それじゃ」
「オレだって……女なんだよ。泣いてもいいじゃん」
「ゴメンね」
「オレこそ、ゴメンな。本当は、あの時オレに気遣ってくれていたのは知っていたんだ……」
「だから、ボクにああしたんだよね? テリーがボクを信用してくれていたから」
「えっ?」
テリーは顔を上げる。
「ボクは孤児院で色んな子たちと育ってきたから分かるの。テリーの考えていることも大体分かるよ。綾香さんからなにを吹き込まれたのか知らないけど、どうして着替えた格好を見せようとしたの?」
「そうしないと着させてくれないと思ったから……」
「もう……多分そんなつもりはなかったと思うよ。綾香さんのことだから。なら、次からはボクと一緒に似合う服を買いに行こうよ」
「ノールが? お前、その水人衣装の格好しかしていないじゃん。大丈夫か?」
「失礼な。ちゃんと買い物の時は私服を着ています」
二人が仲良く話しているのを見て、中庭まで来ていたジャスティンと杏里が話す。
「全然聞こえないけど、仲直りしたのかな?」
テリーとノールを眺めながらジャスティンが言う。
「多分ね。ノールちゃん、テリーさんを気遣っているみたいだったし、もうボクたちが止める必要はないよ」
仲直りしたと思い安心した杏里、ジャスティンは、テリーとノールから離れ、綾香の部屋に戻る。
それから数分後、綾香の部屋にノールとテリーも戻ってきた。
「二人で殴り合ったの? 青春なのね、貴方たち!」
綾香が二人を笑顔で迎える。
「殴り合いが青春なの?」
「違うよ、杏里くん。綾香さんは、そういうのが青春だと思っているだけだよ」
杏里の問いかけにジャスティンが答える。
戻ってくる途中に杏里から男性だと聞かされたので疑問に思いつつも敬称を変えていた。
「綾香さん、この服を返すよ」
室内に戻ったテリーは借りていた服を綾香に渡す。
「どうして~? 似合っていたのに残念だわ」
綾香は本当に似合っていたと思っていたらしく、ガッカリしている。
正直に言うと、綾香はテリーのセンスを自身と同等にさせ、服選びの連れ合いになって欲しかっただけ。
「ねえ、テリー。さっきはゴメン」
「謝るなよ、オレが悪いんだから」
仲直りはしたが、ついさっきの戦いでテリーはなにかを悟った様子。
これが変化すらできない普通の人間である自分と他種族の力の差だと。
すると突然、部屋のキッチン辺りから強力な魔力が発せられる。
強力な魔力の感じられた場所にルミナスが現れた。
空間転移により、どこからか移動していた。
ルミナスは一際豪華なドレスを着用し、日傘をさしている。
「お前は」
瞬間的にテリーは剣を構える。
「落ち着いて、皆さん。私は戦いに来たのではないよ」
ずかずかと室内を歩くルミナスは勝手にテーブルの椅子に座り、足を組むと再び話を続ける。
「テリーさん、貴方が魔族化できない理由は明確。貴方が“聖帝”だからです。私は本当に驚いてしまったよ。なにせ、この総世界でただ一人の存在なのだから」
「聖帝? なんだ、それは?」
「とぼけないで、私よりも貴方自身がよく理解しているはず。とにかく、聖帝以外には今後も一切なれません。ですから魔族になられるのをお諦め下さいね。お伝えしましたよ、それでは」
異世界空間転移を詠唱し、ルミナスは消えた。
「なんなんだよ、聖帝って。あいつ、肝心なことはなにも言わなかった」
「聖帝なんて種族、ボクも聞いたことないよ」
一緒に聞いていたノールも聞き覚えのない種族に興味があった。
「城の図書館でならなにか分かるかもしれないな。どうしてだろう、オレは聖帝というものが知りたくてたまらない」
宙に向かって構えていた剣を鞘にしまい、テリーは部屋を出ていく。
「ボクも行くよ」
ノールもテリーについていく。
それから、二人は図書館で一時間程度、聖帝に関する書籍を探す。
しかし、二人は聖帝に関する書物を見つけられなかった。
それはこの世界で人間以外の他種族に関しての情報自体が乏しいせいだった。
「テリー、もう諦めよ」
「いや、まだもう少し探すよ」
「もしかしたらだけど……聖帝に関してを天使界にいる人なら知っているかもしれないよ。今から行こうと思うの。テリーも一緒に行こうよ」
「オレは止めとく。知りたいけど、その天使界ってのにはなあ」
「そう?」
ただ黙々とテリーは聖帝に関する書籍を探し続ける。
一人、ノールは図書館を出た。