桜沢グループのリリア
「私にも彼の者のことはよく分かりませんが、今はともに総世界を見てみたいと思います。命を賭して戦った私だから分かるのです。決して悪い者ではありません」
「そう、ならいいの。リリアの好きなようにすると良いと思う」
そんなわけないだろうとセシルは内心思いながらも、リリアの意志を尊重する。
「では、私は行こうと思います」
「どこへ行くの?」
「R・ノールコロシアムですよ」
「ええ」
ベッドに寝そべりながらセシルはリリアの方に軽く手を上げる。
それを見たリリアは少しだけ頬笑み、空間転移を発動した。
一気にリリアの見る風景が切り替わり。
数ヶ月振りに見る、人でごった返すコロシアムのエントランスに……
は、ならなかった。
リリアの周囲には、どこかの社長室を思わせる広々とした風景が現れた。
「………?」
状況を理解できず、リリアは周囲を見渡す。
リリアは今、社長室と思われる部屋の一角。
テーブルを一対の椅子で挟んだ応接間としての役割を果たすと思われる、その椅子の片割れに腰かけた状態でいた。
少し離れた先には、社長室用の大きめな質の良いデスク。
一つのノートパソコンがデスク上に置かれており、何者かがデスクの椅子に座って操作している。
その背後には、大きな窓から遠目まで窺える景色の良い風景が見えた。
かなり高い位置に、この場所はあるらしい。
「どこですか……ここは?」
リリアの空間転移に間違いはない。
こんな場所に指定先を選んだ覚えなどない。
「だーれー?」
デスクに腰かけ、ノートパソコンを操作していた者が立ち上がる。
その人物はリリアにとっても見知った存在。
桜沢グループの取締役兼会長であり。
桜沢一族現当主の橘綾香だった。
「あっ! リリアちゃんじゃないの!」
驚いた様子で綾香は口元に手を置きながら、リリアを指差した。
それから急いでリリアの座る椅子と対面になる方の椅子へ腰かけた。
「リリアちゃん、嬉しいわ。貴方の方から私に会いに来てくれるだなんて」
とても嬉しそうな笑みを綾香は見せる。
「いえ、あの。ここは一体……?」
「ああ、ごめんなさいね。私自身を指定して来ちゃったからこの場所が分からないのよね? ここは桜沢グループ本社のビルにある私の社長室なの」
「そうなのですか……」
「にしても、リリアちゃん。貴方が無事で良かったわ。貴方はコロシアムでの戦いで死んだとされていた」
「……ええ」
情報はなにも間違っていない。
実際に自分は一度死んでいる。
「ですが、今ではこうして問題なく活動できています。これから私はR・ノールコロシアムへ向かおうとしていたのです。それがなぜか……ここに」
「どういうことなのかしら……」
深く考える素振りを綾香は見せる。
本当は理由など端から分かり切っている。
これは綾香自身が仕組んだことなのだから。
R・ノールコロシアムをデミスが訪れた際にクレイシアたちに語った内容。
リリア生存にまつわる情報は綾香のもとにも、とっくに伝わっていた。
今現在リリアがR・クァール・コミューン内で時を過ごしていることに関しても同じく。
そういった経緯から綾香は、リリアがR・クァール・コミューンを空間転移で離れた際に、この場に強制転移するよう細工していた。
「もしかしたら、リリアちゃんの潜在意識の中に私に対するなにかしらの強い思いがあったんじゃないのかな。例えば、以前私に桜沢グループ入りをお願いされたことがあったじゃない? それをリリアちゃんが覚えてくれていたとか」
「ああ、そういえば」
「思い出してくれた? やっぱり、そういうことだったのね。リリアちゃん、もし良かったら……桜沢グループに入らない?」
威圧など一切ない。
少し上目遣いでリリアを見ている。
「構いませんよ」
「本当!」
「以前と条件が同じならですが」
「条件? なにかしら?」
「私が望めば望むだけのものをできる限り提供する。忘れてはおりませんよね?」
「うん、良いわ。約束する」
とてもフランクに綾香は答える。
答えているにはいるが、綾香は以前のリリアとの約束事など端から全く覚えていない。
多くの者にスカウトをかけている時点で一人一人に対しての約束事など到底些末なもの。
綾香側からスカウトしているのに、もしお前が桜沢グループ内でなにかを成し遂げ、掴み取りたいのなら実績で示せと構えているからと言える。
「そうですか、私は桜沢グループに入りましょう」
特段なにも聞かず、リリアは受け入れる。
すっかり綾香は忘れているが、リリアが提案した条件とはたった一つ。
綾香との一騎打ち。
あの時は素直に口に出したせいで、露骨なフェイクニュースを作り出された。
今でも打倒桜沢グループが「私からすれば楽勝なんで」の新聞の一面見出しを根に持っている。
「だったら、リリアちゃん。私と一緒に記者会見を……いや、それは違うわね」
テーブルに両手をつき、綾香はリリアの方に身を乗り出す。
「リリアちゃん、今から私の右頬を思い切り殴って」
「……はっ?」
「なるはやでお願いね」
「全く持って意味が分かりかねますわ」
「貴方が考える必要などないの。社長命令よ、さっさとやりなさい」
「そういう言い方、大嫌いです」
イラっとしたリリアは言われた通りにぶん殴る。
とはいえ、ほとんど魔力を込めていない。
普通の能力者相手ならノーダメージに近いはず。
「いたっ……」
素の感じの声を上げ、綾香は顔を抑える。
リリアも手に残る感触がおかしいとは、すぐに気づいた。
「そうそう、良い感じじゃないの」
顔から手を離し、綾香は空間転移を発動させ、手元に手鏡を出現させる。
綾香の右頬は赤く腫れている。
「そんな……一体どうして」
声に出して、リリアは間もなく理解する。
もう少し威力を上げれば、綾香の首と胴が泣き別れとなっていた。
しかし、そうはならなかった。
あのわずかな一瞬で、リリアのまとう魔力量から発揮される威力を導き出し、どれだけの魔力量をその身に残せばいいのかを綾香は計算し尽くしていた。
「どうしてって、写真を撮るためよ?」
普通な感じで綾香は答える。
椅子から立ち上がり、綾香はリリアの隣に来た。
「さあ、リリアちゃんも」
「えっ? ええ」
よく分からなかったが、リリアは立ち上がった。
綾香は、そっとリリアの背に手をまわして肩を組む。
「リリアちゃん?」
「ええ」
もうなんとなくリリアは綾香の特徴というか、特性を理解した気がした。
リリアも綾香と肩を組む。
「じゃあ、早速」
いつの間にか、綾香は片手にスマホを持っていた。
スマホを自分たちに向け、自撮りする。
「先程から聞きたかったのですが、これは一体……?」
「ついに、あのリリアが桜沢グループ入りを果たす……いや、違うわね」
なにかを綾香はぶつぶつ語っている。
「私からすれば楽勝なんでと、いつものビッグマウス振りを遺憾なく発揮していたアウトローのリリアだったが、ついにはやり遂げる。一撃のもとで桜沢グループの綾香社長を撃破。桜沢グループの全権を譲位されるはずが、面倒臭いのは勘弁と受取拒否。代わりに非常任理事として役職を嫌々ながら受入れ、後日就任予定といったところかしら」
「流石にめちゃくちゃし過ぎですね……」
なんだその質の悪いフェイクニュースはと思わずにいられない。
「リリアちゃん? 貴方も桜沢グループ入りしたのなら、些末な嘘の一つくらいは演じてもらわないと駄目よ?」
「些末どころか、社長の貴方をぶん殴って倒したと吹聴されるじゃないですか」
「貴方なに言ってんのよ、実際にぶん殴って倒したことになるの。今日からその認識が皆のスタンダード」
「色々と整理させてください、私はなにかの役職にも就くのですか?」
「非常任理事よ、もしもあまり気が乗らないのなら顧問でも構わない。全部こっちで対応しておくから」
「しかし、私は会社勤めをしたことがありません」
「良いの良いの、なにも心配しなくとも。机に腰かけてなにかの作業をしろだなんて言わない。貴方には桜沢グループのリリアとして自覚を持ってできるだけ目立ってほしいの。地位も名誉もある者が我が社を間接的にも大々的にも宣伝する、これは途轍もない経済効果があるの。でも犯罪は絶対に駄目よ、ダークヒーロー的なものなら良いけど」
「はあ……」
「とはいえ、我が社にはもうダークヒーローはいるからねえ。もしなりたいなら貴方は二番煎じ」
「………?」
まず、リリアにはダークヒーローという言葉の意味が分からない。
すぐに興味をなくした。
「そういえば、リリアちゃん。貴方は私のもと以外にもどこかに行こうとしていたのよね?」
「ええ、R・ノールコロシアムです」
「桜沢グループのリリアとしての気概を胸に、しっかりと働くのよ」
「そんなもの、私の知ったことではないわ」
「ルインと同じことを言うのね。とても期待できる、貴方を信頼するわ」
リリアの威勢の良さに、逆に綾香は意気揚々としている。
綾香が真に求めているのは、自らに媚び諂い懐くだけのイエスマンではない。
自らの右腕に匹敵するレベルの恐るべき怪物。
ルイン同様に、リリアはそれに並び立つ者だと見ている。
リリアがリリアらしさを見せれば見せる程に、より綾香は安心していく。
「………」
特になにも語らず、リリアは空間転移を発動させる。
リリアの見る風景は再び切り替わっていった。