青田買い
観客たちのざわめきを背に、リリアは入場ゲートまで戻った。
そこには、自らを待っていてくれたセシルの姿があった。
すっと、リリアは右手を上げる。
勝利を分かち合いたくて、セシルとハイタッチするつもりだった。
「リリア!」
セシルはリリアに抱きつく。
「………」
掲げた右手をゆっくり下ろし、セシルの背に回す。
「貴方が勝ってくれて本当に良かった」
「セシルさん、心配し過ぎですよ。あのように、なにもなっておらぬ者相手にこの私が負けるなどありえません」
「アイツがなにもなっていない? 一体どうやって勝ったの?」
「ですから、こうです」
説明するため、抱きついているセシルからリリアは離れた。
そして、以前やったようにリリアは右腕を自らの胸の位置まで掲げる。
「それが?」
「これをアッパーカットと言います」
そういえば、セシルが格闘技に興味がなかったとリリアは思い出し、細かく伝える。
「私はこれをジスの身体の表面に当てる気などさらさらありません。私が狙ったのは内部」
一度、腕を下ろして自らの腹部辺りまでゆっくり腕を掲げる。
「ジスは強力な魔力障壁を張り巡らせていました。何度か魔力体とも戦った結果なのでしょう。初動の対応としては悪くありません。なのに、守備があまりにもお粗末。なぜ、自らの攻撃だけが通るだろうと考えられたのでしょうか? 相手が魔力を操る魔力体だというのに」
ゆっくりと、リリアは腕を自らの胸の位置まで掲げていく。
「私はジスの魔力を解析し、まず魔力障壁を通過しました。通過してしまえばもう当てるだけ。腕が腹部についた時、腕を炎人化し、腹部を通過させ、通過させた腕の部分だけ内部で実体化。そこから一気に腸や心臓などの臓器をできるだけ多く破裂させ……どうしましたか?」
話している間、セシルは途中辺りからお腹を抑え、前屈みになり出していた。
「なんだか、凄く気分が悪くなってきたみたい……」
さも当然のように話しているが、人である者からすれば想像を絶する戦い方をしている。
さらにそれを一つ一つ分かりやすく説明され、容易に想像がしやすく本当にセシルは気分が悪くなっていた。
「………」
そっと、リリアは腕を炎人化させ、セシルの腹部に手を通過させる。
「わあっ!」
予期せぬ行動にセシルは驚き、入場ゲート通路の壁際まで下がった。
「ふふっ」
面白いものを見られたリリアは頬笑む。
「もう、止めてよね! そういうの!」
セシルは結構本気で怒っていた。
「この私がセシルさんに怪我をさせるとでも? それはいいとして、次の試合を申し込むため、一度受付まで行きましょう」
「……ええ」
今の行動でセシルはリリアが魔力体なんだと強く実感できた気がした。
「手! 手を出して!」
「手を? ええ」
言われた通り、リリアは手を差し出す。
セシルは差し出された手に恋人繋ぎをすると、自らの気持ちを落ち着かせる。
それからは二人で仲良く歩き出した。
コロシアムのロビーへ向かうため選手通用口を進み、ロビーへと続く扉を開いた時。
「あっ、来たぞ!」
選手通用口の出入り口付近に、リリアが現れるのを待っていた報道関連の者たちが大挙していた。
一斉にカメラのシャッターが切られ、リリアとセシルの動きが止まる。
「リリア選手、私はコロシアム専門記者の者です。いくつか質問をさせて頂きます」
そこへ、マイクを持った男性記者がリリアに近寄り、質問を強要した。
「リリア選手、なんと今回初参加でランキング100位の大物ジス選手を一撃のもとに粉砕しましたが、なにか勝利コメントを一つお願いします」
「?」
リリアは質問してきた者の顔をじっと見つめながら、不思議そうに首を傾げ様子を窺っている。
こういった対応をされたのが初めてで、どう対処すればいいのか考えている。
「なんなの、アンタたち。どっか行きなさい!」
あまりの対応の酷さに一瞬で切れたセシルがリリアの傍から記者を引き離す。
「この初めての勝利がとても喜ばしく、今は言葉もない。だからこそ、私たちにその嬉しさ、偉業を是非とも伝え広めてほしいと、そういうことですね。分かりました、では次の質問ですが……」
「はあ?」
ガン無視で身勝手に話を進めている記者に、セシルは手を出しそうになった。
「ここで、なにをしているのかな?」
誰かの声が響く。
報道関係者の者たちは声のする方を見た途端に急いで機材などの撤収を始める。
「このボクが取材を許可しましたか?」
声の主は、春川杏里だった。
純白のドレスをまとった姿ではなく、いつものボーイッシュな服装をしている。
杏里はR・ノールコロシアムの総支配人、
その本人から許可についてを問われれば取り止めねばならない。
また、杏里の傍らにもう一人女性がいた。
それは、ネコ人のルイン。
ルインが近くにいるせいか、リリアもセシルもなんだか自然と優しい気持ちになれた。
「………」
杏里の身に危険が及ばぬよう、ルインは杏里をエスコートしている。
「コロシアム総支配人のボクを無視して帰宅するのは構いませんが、今ここであったことを記事などにした場合は命の保証ができませんのでよろしくお願いします」
笑顔で丁寧な脅迫を行い、杏里は報道関係者が帰っていくのを眺めている。
そして、報道関係者たちが見えなくなってから杏里がリリアに目線を向ける。
「リリアさん、おめでとう。ボクの目に狂いはなかった」
「ええ、私はあのような者相手に負けようがございません」
「さっきはゴメンね。この世界の最も有名で人気のある娯楽がコロシアムの試合や選手なんだ。だからこそ、ジスさんに勝利した君のことを皆が伝えたがっているみたい」
「そうなのですか」
「今回のように君はまた無理やり取材を要求されるだろうから、その辺のマネジメントは自分でやってね。その辺までの責任はボクたちにはないから」
「はあ」
「次に戦う相手をまた指定してもいい?」
「構いませんよ、次はどなたが相手ですか?」
「この70位の人はどうかな?」
いつの間にか、対戦相手が記載された紙を杏里は持っていた。
その紙を受け取り、リリアは眺める。
「この方は?」
黒髪、褐色肌の美しいエルフ族の女性が描かれていた。
身長もリリアと同じくらい。
ただ、胸の大きさだけはリリアよりも上だった。
「綺麗な女の子でしょ? この子は、セフィーラというの。リリアさんと同じくノール流習得者の一人だよ」
「この方もですか。同じ流派の者ともなれば、本日戦った者とは話が大きく異なりますね。どのような戦いになるのか私には分かりません」
「やっぱり、怖い?」
少し楽しそうに杏里は話している。
「いえ」
紙から視線を移し、リリアは杏里を見る。
「次の対戦相手は貴方でも構いません」
「………」
白い歯を見せ、杏里は無言のまま頬笑む。
「その話は今必要かしら?」
ルインが声をかけた。
「杏里が貴方を気にかけていた理由が分かる? 貴方がとっても優秀で、それでいて強いから。そういう人材を私たちは探していたの」
「私に? なぜですか?」
「桜沢一族の者は貴方のような強者を求めているの。もし桜沢グループの一員となってくれれば、貴方には望むものをなんでも与えるわ」
「拒否します」
「えっ?」
即答で拒否され、ルインは素の反応をしている。
「私は大きな組織に組みしたいがために、この戦場へ赴いたのではありません」
「そうそう、そうなんだ……だとしたら、次の試合が私との戦いになっても構わないということかしら?」
ルインの反応がわずかに変わった。
その瞬間、リリアは優しい気持ちになれていた感情も同時に変わる。
わずかに身体に震えが起きていた。
「……ルインさんと?」
「これは、コロシアム内だけの話ではない。私が私の好きなように私の好きなタイミングで」
「私への脅しですか?」
リリアの声が若干震えている。
傭兵稼業をしているリリアも、ルインがどのような女かを知っていた。
総世界屈指の強さを誇るネコ人。
R・ノールや橘綾香が現れるまでは長年総世界最強の女性だった。
今ではそういった強者に見られる威圧感さえも感じさせない優しげな女性であったため、リリアは今現在の力量を見間違えた。
わずかに力量を垣間見せただけなのに震えが起きている。
このルインに目をつけられれば、生きては帰れないだろう。
それはリリアにも分かっていた。
「今の話の内容が事実脅しとなるかどうかは、むしろ貴方の返答次第となりそうだと思うの」
「私は……」
「今すぐに答えを出せというものでもないわ」
ルインは、次第にリリアから杏里へと視線を移している。
リリアの震えが止まり、以前のように優しい気持ちになっていった。
杏里は先程と変わらず、にこにこしながら笑顔で二人の話を聞いている。
「こんなことを言われてしまえば……」
ルインをリリアは見据える。
すでにリリアは心を決めていた。
「私を見くびらないでください!」
大声で、そう発していた。
「分かったわ……」
ルインは理解を示したように、すぐ引き下がる。
さり気なくルインの肩に杏里が手を置いていた。
先程からルインが杏里を気になり出していたのは、本人から発せられるオーラが関係していた。
味方同士に見えたが、実際はお互いに敵意が感じられた。
「そろそろ、ボクも話していいかな? さっきの話だけど、もし今でもボクと戦いたいのならコロシアムの順位で30位まで上がってきてくれないかな? そうすれば、リリアさんと無条件で戦うよ」
「本当ですか? でしたら、まず私は七十位の方と戦います」
「うん、約束だよ」
軽く手を振り、杏里は空間転移を発動し、ルインとともに消えた。