実力測定
再び、ノールとリリアは向かい合う。
即座に構えに移行したリリアと異なり、ノールは身構える素振りを見せない。
なにかあるのではと思い、リリアは警戒を怠らなかった。
「えっ?」
その瞬間だった。
リリアの顔面に張り手が飛んできた。
今までずっとノールを見ていたはずなのに、リリアは接近に対応できなかった。
顔面への強い衝撃に身体がふらつき、体勢を崩すリリア。
そのまま、顔から押され続け、リリアは地面に頭から押しつけられる形で倒れた。
「あ……う……」
呻き声を発するリリアの意識は混濁している。
なにが起きたのかなどと考える暇がない。
「リリア、君は戦術の基礎を忘れていないかい?」
リリアの顔の傍に、ノールは立っていた。
ノールが足を上げると、はっきりとしなかったリリアの視界が暗闇に包まれる。
ノールはリリアの目を潰しにかかっている。
靴の裏には、水人能力を扱いスパイク状の小さな氷柱がびっしりとついていた。
「急に五感を失うのは怖いかもしれないけど、落ち着いて聞いてね。なにがなんだか分からない状況なら、攻撃をされている箇所に魔力を集めるんだ。それから、炎人化。ダメージが残っていると怖いからね」
足を軽く上げ、失明させられたかを確認しつつ、さらに強く踏みにじる形でリリアの顔を踏みつける。
スパイク状についた氷柱でリリアの顔はぐちゃぐちゃになっていった。
「ああーー!」
リリアは絶叫を上げた。
顔全体に広がる激痛。
失明によりなにも見られず、頭部への衝撃により意識が混濁して身体も動かせない。
間近に迫る死の恐怖にリリアはもう耐えられなかった。
「ん?」
ぐいぐいと踏みつけていたノールだったが絶叫を聞き、間の抜けた声を発する。
それからノールは足を退かして、リリアの顔の傍にしゃがむ。
「リリア~? 炎人化してね、すぐでいいよ?」
リリアにも聞き取れるよう耳元近くで声をかけた。
それを聞き、リリアに変化が起きる。
リリアは炎人化し、身体の怪我は一瞬で治った。
そして、リリアは炎人化した状態から人間化した状態へと戻る。
「………」
上体を起こし、リリアは顔が今でもそこにあるのか確かめるように両手でふれている。
恐ろしい体験に無言で涙を流していた。
「そんなに怖かったの?」
「………」
「普通こういうのは死と隣合わせの死に物狂いで習得する心得だから、こんな形式的な形では認識できないんだけど……これで、リリアも分かったと思う。ボクら魔力体は、ダメージなんてものはなにも気にしなくてもいいんだ。回復するタイミングなんて実際いくらでもあるから」
「………」
「目や頭部、脳へのダメージもボクたちにとっては簡単に対処できる。これを知っているか知らないかでは大きく実戦に関わるの。それはいいとして、リリア聞いてる? 今とっても大事な話をしているの、ボクは」
「………」
呼びかけに答えられない程、リリアは心に傷を負っている。
あっさりとダメージは打ち消せても、精神的なものはどうにもならない。
「これは駄目かな……」
なにかを察したノールは、リリアを地面から立たせると背負う。
「リリアちゃん、お家に帰ろっか」
普段の子ども扱いした口調へと変化していた。
「世の中にはね、誰にでも向き不向きがあるんだよ。ボクにも、リリアちゃんにもね」
「ま、待ってください……」
「なに?」
震え声のリリアとは異なり、ノールの声は無機質に近い。
「リリアちゃんには無理だ。あれが我慢できなくて一体なんなの? 君にはボクが鬼に見えているかもしれないけど、君の仕事ってなんなの? 人殺しなんだよ? 攻撃をすれば相手も殺しにくるの。なのに、君はボクの敵意のない攻撃にも音を上げた。敵対する相手は君を必死に殺しにくる。文字通り、必死でね」
「嫌です、私にはどうしても勝たないといけない者が」
相当のショックを物理的、精神的に受け、リリアの記憶が戻りかけていた。
「なにそれ聞いてない」
「あの、私はもう大丈夫です。降ろしてくださいませんか?」
「リリアがそう言うなら……」
しゃがみ、言われた通りにリリアを降ろす。
ノールから降りたリリアは背後へ尻もちをついた。
腰が抜け、足元がおぼつかない。
そもそも精神的なダメージを深く負った者がまともに動けるはずがなかった。
「大丈夫じゃなさそうだね」
そういうと、リリアの方へ向き直る。
「でさ、その勝たないといけない相手は誰なの? 勿論、人なんだよね? 大体そういうふざけた奴は優劣が分かっていない。絶対に生かしてはおけない」
「あの……」
ノールが積極的に味方になってくれるのはありがたく頼もしいが不自然な感覚がした。
そこには同じ魔力体同士でも感性の隔たりがあるからこそ。
幼い頃から水人の種族衣装を着込み、魔力体を第一にと捉える魔力体優位主義者のノール。
それに対して、つい最近自らを魔力体だと自覚したリリアでは認識に差があった。
「でさ、相手は誰なの?」
「相手はパラディンの……魔導人のデミスという者です」
「えっ?」
思い当たるのか、ノールは驚きの反応を見せる。
「あの、R・クァール・コミューンのとある世界になんか知らないけど封じ込められている変な魔導人ね」
「デミスを知っているのですか?」
「うん、一度会っている。十数年くらい前だったかな? 討伐依頼が出ていたのにどのギルドの連中も出向く気配がなかったから、ボクが行ったの。問題なのは、R・クァール・コミューン内であるということ。ボクの近くにずっとクァールがいたから気が散ってね」
「あの、デミスは……」
「デミスとは結局戦わなかったよ。せっかく封印を解いたのに、向こうには戦う気がなくてね」
「戦う気がない? いえ、そんなはずがありません。私たち一族に敵対し、私にも手を出す程でした」
「でも、ボクの時はそうだった。人が懇切丁寧にお前を殺すと順を追って説明しているのに、ずっと紳士的に同志としてパートナーとしてともにこれからの世界を変えていこうと説得してくるような人だった。もしも、七強の一人になっていなければ、ボクはそうしていたかもしれない。とはいえ、今では立場がある。それは丁重にお断りして、また封印されてもらったよ」
「どうして、その時に倒してくださらなかったのですか? そうしてくれれば私たちの国は安泰でしたのに……」
「そう言われても自ら封印にも応じる上、戦う気がないんだからしょうがないじゃん。どんなに力を有していてもそれだけを理由に誰彼構わず殺そうとする戦闘狂じゃないよ、ボクは。それに封印だって、手順良く交代すればなにも問題がないものだし」
「そういう問題では……」
「そういえば、エアルドフ、プリズム、セヴランは元気?」
「えっ」
「段々と思い出してきたけど、エアルドフ王国だったかな? その国から討伐依頼を出した魔力体たちだよ。リリアも同じ国の出身だったはずだよね?」
「三人とも私の家族です。プリズム様は……」
「あの三人と家族? そんなはずないじゃん、まずあの三人は家族とか親戚とかの繋がりがない」
「家族じゃない?」
リリアは固まった。
セヴランが家族ではないとなんとなく分かっていたが、エアルドフとプリズムが家族や親戚ではないと知って。
「あっ、あの、その時に私はなにをしていましたか?」
「………?」
話している意味が分からないのか、ノールは首を傾げる。
「十数年程前にエアルドフ王国に来ていたということは私がなにをしていたのかを知っていると思うのです」
「その時にリリアがいるはずないでしょ。そういうのは、ボクに聞くよりもエアルドフに聞くべきじゃないの? 家族なんだから」
そう言われ、なにがなんなのかリリアは分からなくなっていた。
自らの年令は20才と半年程。
しかし、十数年程前に自分はエアルドフ王国にいなかった。
またエアルドフたち三人は家族でも親戚でもない。
この理由は一体なんなのか?
聞いてはいけないことを聞いてしまっているのではないかと、リリアは怖くなった。
「にしても、エアルドフは王国が創れたんだなあ。相当頑張ったんだろうね。リリアもしっかりと立派な君主として彼の跡を継がないと駄目だよ」
「ええ……そうですわね」
王国を創れた?
さらにリリアは聞いてはならないことを聞いてしまった気がしていた。
確かエアルドフ王国は建国百数十年程のはず。
なのに、ノールは十数年かそこらでの話をしている。
「さあ、手につかまって」
「えっ? ええ」
ずっと、地面に尻もちをついた状態だったリリアの手を引き、ノールは一気にリリアを担ぎ上げ背負う。
「今日はもう無理しない方がいい。だから、明日から頑張ろう」
「はい……」
背負われているリリアは再び泣き出した。
緊張が解れたのか、また怖さが戻ってきたらしい。
「………」
ノールは心配になっていた。
いくらなんでも弱過ぎると。
単純に基礎が欠落しているだけだと考えを持ち直して、リリアを根本的に基礎から鍛え直そうと決意する。
まさにノール流とは、基礎中の基礎をその中心に添えた流派なのだから。