ハンター養成所 2
ノールたちが天使界から戻って数時間後の辺りが暗くなった頃、係員が入会したばかりの十人を先程と同じ一室に呼び集めた。
係員はこれからどのような指導を行うかが記されたシラバスなどを全員に配布する。
そして、今後についてを簡単に説明した後、係員は立ち去った。
「やっぱりなあ」
思った通りだと言わんばかりに、アーティは不満げ。
「この内容通りに日々を過ごして強くなれると思うか? オレは有り得ないと思う」
シラバスを見ながらアーティが何気なく語る。
確かにアーティの話した通り内容としてはイマイチ。
アーティたちの命を懸けた実戦の日々からすれば、この程度かと思わされるものばかりだった。
しかし、それは当然なこと。
時間をかけ、安定した強さをじっくりと身につけていくのがハンター養成所の指針。
「以前も話した通り、このハンター養成所には短期間だけ滞在する。金の割りには思ったよりも旨味が少ないからな、さっさと空間転移を覚えることだけに注力するように。あと、近代的な世界という例えだったか? この世界の機械などの使い方も各自率先して覚えろよ。いずれは役に立つはずだ」
アーティの話の後、各々自室へと解散した。
「このハンター養成所で習うものってさ、なんかつまらないよ」
自室へ戻ったノールはスケジュール内容に文句を語る。
「それだけボクたちが強くなっている証拠だよ。だからといって、ここでなにもしないわけにはいかないから頑張ろう」
「弱いからこそ日々の積み重ねで強くなれるのならまだしも、もう強いのにこんな低レベルなことをして頑張ろうだなんて君は殊勝だね」
正直、杏里になにか言われてもノールは考えを改めるつもりはない。
天使界でのグリードとの修行で、ノールのポテンシャルは開花。
あれ程の苛烈さで残虐非道な目に遭わされてようやく強くなれたノールにとっては、このハンター養成所での懇切丁寧に時間をかけて強くしていく指導スタンスには疑問符がつく。
なので、つまらないねと杏里が話を合わせてくれれば良かった。
「ボクはやる気が出ないよ。だって、面白くないもん」
再び、不満を語るとノールは浴室の方を見る。
「先にお風呂に入ってくる。体水を綺麗にしたいから」
「お風呂?」
今更ながら杏里は思い出す。
女性との共同生活が始まったのだと。
浴室へと向かうノールを杏里は少し赤らめた顔で見送った。
「タオルとかはあるみたいだね」
脱衣所で衣類を脱ぎつつ、どういった物が常備されているのかを確認する。
タオルや歯磨きセットなどの簡易的なアメニティグッズが置いてあった。
当然といえば当然だが、男性しか入会できない場所なのでシンプルな見た目の物しかない。
脱衣場で衣服を脱ぎ、浴室に入ったノールは普段との違いから困ってしまうことがあった。
「これって、どうやってお湯を張るの?」
湯の入っていない浴槽を眺めながら、ノールは思う。
ノールが暮らしていた世界では井戸や川から水を汲み、風呂で湯を沸かすのが一般的。
しかし、ここには井戸も湯を沸かす場所もない。
そもそも、この世界エリアースとノールが暮らしていた世界とでは文明の発展に歴然とした差があり過ぎる。
ノールが困ってしまうのも当然だった。
自分だけが入るのなら、水人能力で湯ではなく水を張って入るのだが、杏里もこの後に入るはず。
この状況でもこの時代ならなんとかできる方法があるのではと浴室内を見渡していると、あるものがノールの目に入る。
それはなにかのパネルで、何種類かのボタンが画面に映っている。
「そういえば、なにかを押すと変化が起きるよね?」
ふと、杏里がテレビをつけた時のことを思い出す。
なんとなく、ノールはその一つを押してみた。
すると蓋のついている噴射口からお湯が溢れ出す。
「水が……湯気が出ているからお湯か。凄いな、お湯が現れるなんて。どういう原理なんだろう?」
お湯が溢れ始めたその噴射口にノールははしゃぎながら触れる。
ボタンを押すだけで自動で勝手にお湯の量を調整してくれる仕組みにもノールは気付き、嬉しくて長風呂してしまった。
数十分後、浴室からノールは出てくる。
「凄いよ、ここのお風呂」
「ん? どうしたの?」
「杏里くんも入ってみたら? 水を汲まずに、薪も火も必要ないのに物をさわるだけで、お湯が沢山出てくるんだよ。こんなに凄いの見たことがないよ」
「ノールちゃん、本当にお風呂に入ったの?」
杏里には不思議に思うところがあった。
ノールの身体や髪の毛が一切濡れていないからだった。
「入ったよ? ああ、身体が濡れていないのが気になった? ボクら水人にとって身体についた水をどうこうするなんて簡単なこと」
それからノールは二段ベッドの前にいく。
「寝る前に決めるけどさ、上と下で君はどっちがいい?」
「上と下って?」
「この二段ベッドだよ。二段ベッドの上と下のどっちで寝たい?」
「ボクは上がいいな!」
「君はボクより年下だからそういうと思っていたよ。んじゃ、ボクはもう寝るね」
寝る場所も決まり、特に杏里と話すこともないで、ノールはさっさと就寝した。
杏里が男性だというのに、ノールにそれを気にする素振りが全くない。
その頃、ミールとジャスティンはあることを話していた。
内容は家電製品の説明。
この近代的な世界、エリアース出身者のジャスティンがいるため、スムーズに話が進んでいる。
「この薄くて開いたり閉じたりする物が、ノートパソコン。このキーボードを打って操作するの、分かった? それと、こっちの薄くて黒い物がテレビ。リモコンのボタンを押して、見たい番組を見るの。大抵、面白い番組なんて映らないけどね。それで、あれはエアコンと言って……ミールの世界には本当になんにもないの? 家電製品って」
現在、ジャスティンはミールに家電製品を目に映った物から順に簡易的な説明をしている。
だが、どれに対しても分からない様子のミールに教えていくのが次第に面倒になっていた。
「全然。見たこともないから分からないの」
とても興味がある様子でミールは電源の入っていないパソコンのキーボードをカチャカチャと触れる。
どうやって扱う物なのかを知ろうとしていた。
「住む世界が違うと、こうも文明レベルが違うんだね。でもここまでも差があったら、ミールの世界に一生住めないな。まるで土人みたい」
ミールの姿を見て妙に納得できたジャスティンは若干引いている。
「説明していてあれだけどさ、今日は色々あって僕はもう疲れちゃった。もう寝たいよ」
ふと、暗くなった窓の外を眺めたジャスティンが呟く。
「ねえ、ジャスティン君。ここには大浴場があるのって本当?」
「ああ、なんかあるらしいね」
興味も欠片もないジャスティンは適当に語る。
「僕、大浴場なんて大きなお風呂は初めてなんだ。今日は一緒に入ろうよ」
「はっ? 入るはずないじゃん!」
「ど、どうしたの?」
本気でジャスティンが怒ったのが、ミールには理解できない。
「ヴェイグの話を聞いていなかったの? 大浴場に入りたければ君だけで勝手にすればいいじゃん。僕が入るのはこの部屋のお風呂だけ。僕が入っている間はなにがあっても絶対に入らないでね」
明らかに怒っているジャスティンにミールはなにも反論できなかった。
翌日、ハンター養成所での指導を初日からサボったアーティは他の世界に行く方法を独自に調査していた。
前日に話した通り、この場所で無下に時間を消費したくない。
総世界で仕事をこなし、自他ともに認める程の強者としての名声を得て、裕福な暮らしがしたいとの考えに囚われている。
そんな中で、アーティが養成所の図書館で魔法に関する様々な書籍を調べていると偶然に異世界に行く魔法空間転移の記述を発見した。
「これだな、空間転移は。さて、この魔法の習得は簡単そうだ。全員が習得する期間は数日だろうな」
ペラペラとページを捲りながら、アーティはそう思った。
「………?」
しかし、ページを進めていくと専門的過ぎてなにがなにやら分からなくなった。
空間転移には原理が三つあった。
一つは指定型空間転移。
もう一つは座標指定型空間転移。
最後にゲート型空間転移である。
最初の指定型は単純明快。
武器を買いたいと指定すれば、ランダムに行き当たりばったりな感じで総世界のどこかの武器屋前に辿り着く。
以前訪れた場所へもう一度訪ねる際にも役に立つ能力となっている。
だが必ず指定した国だったり、施設だったりの前に出現することになり、戦闘や潜入などには向いていない。
座標指定型は完全に上級能力者向け。
魔力による空間認識に長けた猛者となって初めて理解できる能力。
座標レベルで空間転移ができる範囲を細かく指定でき、例えば自らの手元に物を出現させたりができる。
それは、以前橘綾香が自らの手元にバッグを出現させたように。
最後の一つはゲート型空間転移。
こちらも上級者向けであり、他の空間転移と原理は変わらないが、いちいち空間転移を発動せずとも指定した場所と現在位置が繋がっているゲートを常設できる。
「こっちの二つはさっぱり分からんな。まっ、最初の空間転移だけで十分だろ」
アーティの判断になにも問題がなかった。
養成所だけでの期間内に座標指定型空間転移などを習得できた者は養成所始まって以来、片手で数えるだけ。
とりあえず、アーティは図書館に他の九人を呼び寄せる。
「皆、見てくれ。この魔導書に空間転移についての記述が記載されていた」
一冊の魔導書を見せる。
ついでに人数分のコピー用紙も。
「で、こっちが空間転移を覚えるための要点を写した紙だ。オレはもう覚えたから皆もできるだけ早く覚えてくれよ。ここにいたって、金になんかならないしさ」
魔導書の一部分だけをコピーした用紙をアーティは全員に配布する。
どうやって使い方を覚えたのかは知らないが、既にアーティは大抵の機械なら使いこなせる様子。
「………」
他の者たちが用紙を見ていると、綾香は笑顔を見せる。
次の瞬間には綾香の手元へバッグが出現し、部屋の隅を指差すと空間転移のゲートが出現した。
しかし、他の者たちの反応は薄い。
綾香が空間転移を発動できるのは知っていたので、自分たちもああいう風にできるようになるんだな程度の反応。
その後、各々自室へと戻る。
「どうしよう、こんなに簡単な内容だったんだ……」
覚えやすいようにと本当に要点だけが記してある用紙の内容に杏里は焦り出す。
「これじゃあ、すぐに他の世界に行くことになっちゃう。せっかく、ノールちゃんと二人きりになれたのに……」
自室へ戻る途中、用紙を見ながら杏里はノールと離れてしまうことだけを考えていた。
「杏里くん、どっちが早く魔法を覚えられるか競争ね」
魔力体のノールは魔法に関わる事柄はどうしても優位に立ちたかった。
杏里の抱くような感情は、ノールには皆無。
二人は自室に到着し、自室へと入った。
「そうだね……」
「どうしたの、元気がないみたいだけど?」
杏里のテンションの低さは、ノールにも読み取れた。
「ノールちゃんと同室になれたのにもう一緒に過ごせないのがね」
「仕方ないよ、元々短期間だけだし」
「あの、ノールちゃん」
「ん?」
一言で済ませるノールの反応は限りなく薄い。
別にノールは杏里と一緒でなくともなにも問題がない。
ノールの反応に今この場で言うべきか迷ったが杏里は決心をした。
「ノールちゃん、ボクと付き合って」
言葉にした瞬間、杏里は恥ずかしいとしか思えなかった。
この時のため前々から考えていた色々な告白の仕方があったのだが、言おうとした瞬間に忘れてしまっていた。
ノールが受け入れてくれるのを杏里は心から祈った。
「あっ、うん。別に良いよ」
ノールは特にリアクションをするわけでもなく、かなり素っ気なくOKを出した。
OKを出したからいって、杏里と今まで以上に親密な関係とはならず、先程の配布された用紙を手に、室内の椅子に座る。
そのあまりに素っ気なさ過ぎる態度に杏里は不安になった。
「本当に良いの? ボクと付き合っても?」
「良いけど?」
「本当!」
嬉しくてたまらないのか、両手を頬に当てて、杏里は喜んでいる。
なんなんだろう、この子?
その姿を見て、ノールが率直に思ったのはそれだった。
ノールには杏里のような恋愛感情など欠片もない。
ただ、言葉にしてはいないが内心ホッとしていた。
出自が分からず、両親もいない。
孤児院暮らしでアカデミーにさえ通えず、学歴もない。
なのに、弟と妹という家計の重しだけはあるノールに浮ついた話は今まで一切なかった。
杏里はノールの素性を理解した上で告白した初めての男。
「………」
嬉しそうにしている杏里からノールは目線を用紙へと戻した。
いずれはあの子と結婚し、二人で家計を支えるのだろうなとノールは一人思う。
そのようなことを考えているとは知らない杏里は相思相愛だと思い描き、ノールに大抵くっついて行動するようになった。




