敵の正体
数分程歩き、ある建物の前でリリアは立ち止まる。
建物は五階建てのビル。
至るところの外壁が崩れ、剥がれ落ち、窓ガラスもほとんどが割れていた。
「このあばら家の三階に件の下郎がおります」
「リリアは目が良いのねえ。私には全然見えなかった」
「彼の者たちは遠くから狙われぬよう自ら偽装しております。セシルさんが気づけなかったのも無理がありません」
「ああ、そういう。どっかの遊牧民みたいな視力をしているのかと思った」
「セシルさん、失礼ですよ」
王族である自らに対して遊牧民などという表現。
これを極めて侮辱だと、リリアは捉えている。
とはいえ、リリアの内でセシルが品のない発言をするのは今に始まったことではないので怒らずにいた。
「じゃあ、望遠鏡みたいな視力なのかと思った」
「?」
望遠鏡という存在を知らないリリアは、普通に発言をスルー。
ひとまず、二人は建物内に入っていく。
建物内も外と変わらず、荒廃していた。
それを気にせず、三階まで上がり、とある部屋の前でリリアは立ち止まる。
「おそらくこの部屋ですわ」
初めて入った場所でも、リリアは粗方狙撃手の居場所を把握している。
そこの階はオフィスとして使用されていたようで、意外にもまだ扉が残っている部屋。
率先してリリアは部屋の扉を開き、入っていく。
「ん?」
扉を開け、部屋へ立ち入った瞬間。
自らの身長よりも高い右斜め上から、なにかが迫っているのを感じた。
その方向を見上げたリリアは、鋭利なナイフが一直線に振り下ろされていると悟る。
リリアが開けた扉の傍で右手に逆手持ちでナイフを握った男性がいた。
そこまで気づいた時にはもうすでにリリアの右目から後頭部までナイフが貫いていた。
「本当になんなのですか」
男性のナイフを握った腕を裏拳で弾き、右目に突き刺さったナイフを引き抜く。
「なぜ死なない」
男性は素で一言だけ語り、表情が凍りついていく。
確かにリリアの頭部を突き抜ける形でナイフが突き刺さっていた。
だが、右目も後頭部も傷ついた形跡が一切ない。
魔力体のリリアを魔力の通わぬナイフ如きでダメージを与えるのは不可能。
「これは下郎のものですよ」
引き抜いたナイフを一回転させ、逆手持ちすると同じくリリアも恐怖で身動きが取れない男性の顔にナイフを振り下ろす。
「ああ、そうでした」
突き刺さる寸前でナイフを止める。
そして、ナイフを部屋の中央辺りに投げ捨て、男性の首根っこを掴んだ。
「所属と階級を言いなさい」
「……はっ?」
「所属と階級」
結構食い気味にそれだけ言う。
「所属は第三師団。シングカンパニーの傭兵だ、階級はない」
「シングカンパニー? なんですか、それは? セシルさん、分かりますか?」
「そんなことより頭大丈夫だった? さっきナイフが突き抜けていたよ? 気のせいだったかな?」
セシルはリリアの側頭部を擦っている。
「あんたらは一体なんなんだ。正規軍なのか? 第三師団なのか?」
「私たちは第三師団ですわ、今思えば下郎は残念ながら味方なのですね」
「味方なら離してくれないか?」
「ええ」
少し勢いをつけて、男性を床に投げ捨てる。
「味方とはいえ、この貴婦人の顔を傷つけようとする無頼漢を許す気はありません」
「いってえ……効いたよ」
床から男性が立ち上がる。
左手で右肩を抑えながら。
右肩が負傷しており、その怪我の出血具合から、リリアが先程投げた銃弾が男性の右肩へと被弾していた様子。
「あんたみたいな化物が貴婦人とかなんの冗談だよ」
「口を慎みなさい、下郎。私は弱者をいたぶるつもりはないのですから」
回復魔法の一節を口遊み、リリアは回復魔法のキュアを発動する。
男性の傷は癒え、問題なく腕を動かせるようになった。
「どうなってんだ……凄え。死にもせず、他人の怪我も治せるなんてあんただけでこの戦争は勝てるぞ」
「この程度、強き者は誰でもできますよ。私だけが例外ではありません」
「まあ、その。さっきは悪かったな。戦車からの砲撃を受けてから、エースの男からのコンタクトがまだないんだ。その男がいた場所からあんたらがやってきたから、つい敵だと」
「エース? もしかして、エヴァレットさんですか?」
「勿論そうだろ。すかした金髪の優男といえば、この辺の兵士は震え上がる。あいつ一人でこの激戦区の区画を前に進めているようなものだ。あいつは人間じゃないと思っていたが、あんたの方は本当に人間じゃなさそうだな」
「ええ、私は人間ではありません」
「話がややこしくなるからもうそれはいいでしょ。貴方、この辺でおかしな能力を使うような人を見なかった? おかしな現象でもいいの」
リリアの性格上、聞けば隠すことなくなんでも話してしまいそうなのが予測できたセシルが話に割って入る。
セシルも基本は能力者としての視点であるため、能力という常人が通常扱わない言葉をうっかり話している。
「そりゃもう」
男性はリリアを指差す。
「その子の話ではなくて、敵で」
「実は、あるんだ。一つだけな」
静かに男性は語り出す。
「多分、オレの勘違いかもしれないがそれにしては気になっていることがある。同じ男をオレは三回殺したかもしれない。こうして長い間傭兵稼業を行ってきた人生で初の経験だ。全く別の人間なはずなのに同じに見えてしまうのはこの戦争が初めてなんだ。もしかしたら、オレはそいつに憑りつかれているのかもしれない」
「それがおかしな現象?」
「他の仲間も同じようなことを話していた時期があったよ。でも誰も語らなくなった。自分が話して分かったが怖いんだな、得体の知れないものが。今の話はそういう意味で聞いたわけじゃないのなら忘れてくれ」
「リリア、今回の敵はお化けらしいよ」
「えっ? ええ?」
自らの発言になんの疑いも見せないセシルに、リリアは首を傾げる。
「さあ、敵の正体が分かったから行くわよ」
「あの一体どちらへ? そもそも敵の正体とは?」
「勿論お化けよ。こういうことをする輩は盤面を汚されるのを相当嫌がるはずだから結構簡単に終わるかも」
「あんたら、行くのか? せめて、武器くらいは持って行った方がいいんじゃないか?」
「そんなのは要らないわ、なくてもどうとでもできるし。貴方も気をつけなさいよ」
男性に軽く手を振り、セシルは部屋を出ていく。
疑問に思いながらもリリアもセシルへと続く。