快復
魔力を一切感じない空間転移のゲートを通っている間、ノールは違和感を覚えていた。
今まで空間転移を何百回と発動し、ノールは様々な場所や世界へと移動している。
魔力によってのみ発動できるはずだった能力が、魔力を関与せず平然と発動された。
極めて不自然な状況をノールは強く危惧していた。
次の瞬間、ノールは何事もなく自室のリビングへと戻る。
リビングには相馬、アズラエル、ドレッドノートの三人が部屋で寛いでいた。
「お帰りですか、ノールさん」
ノールに気づいた相馬が声をかける。
「用事は終わったよ。変なことを言い出すようになったけど、やっぱりテリーはボクの大事な友達だなって思った。ボクがなにも語らずともテリーは初めからなにをすればいいか分かっていたみたい」
相馬に返答しつつ、水人能力を駆使して一瞬で腕の骨折を治す。
「お怪我をなされていたのですか? やはりまだ敵が……」
「ん? 違うよ、これはテリーに“やられた”」
自分から殴っておいて、ノールは普通に怒っている。
「あの世界は摂理が狂っている、魔力が扱えないだなんて絶対にありえない。レベル差にとても驚いたけど、ボクは対等になってもテリーには勝てないと思う」
自然とノールの脳内に対聖帝への対応策が浮かび始める。
それをなんとか打ち消して、別のことを考えた。
友人に対して戦う意思を持ちたくなかった。
「ノール様、なにか聖帝がなされたのですか?」
「腕を折られたのがムカつくだけだよ」
「ねえ、姉貴。そろそろ、相馬の話を聞いてやってよ」
相馬が待っていた理由を知っているエールはフォローを入れる。
別に腕が折れていたことを気にしていない。
ノールは魔力邂逅であり、戦闘で自らが心配をする程度の次元にいないことを理解している。
「しょうがないなあ」
とても嫌そうにノールは安物アウトレットソファーに寝そべる。
「姉貴、これから大事な話をするんだよ。一族の未来がかかっているの。どうしてそんなに興味なさそうなの? まるで教養がない人みたい」
「ないよ」
らしくない口調で、ノールは言う。
ノールにもコンプレックスがある。
アカデミーに通えなかったノールは学歴が全くない。
本を読むことを日課にして、そういった知識の差の埋め合わせをしていたがこの気持ちまではどうにもならない。
「ボクは今までアカデミーに通えなかった。幼小部の学歴さえもない。グラール帝国が襲撃を受けてから、スロートでの孤児院生活を経て、ボクはエールやミールのために働くしかなかった。当時はとっても貧乏で爪に火を点す生活を送るくらいひもじかったからね」
アウトレットソファーに寝そべりながら、ノールはくどくど語っている。
完全に悪い方向にスイッチが入っており、こうなったノールは面倒くさい。
「ボクの稼ぎが少なくて嫌だったでしょ、エールは。好きなものや欲しいもの、ほとんどなにも買ってやれなかったから。それでもエールもミールもアカデミーには通わせてやったじゃん。馬鹿なボクよりも賢い弟と妹がいてくれて頼もしいですよ、はい」
「そういう意味で言ったんじゃないよ! アタシは姉貴が必死で働いていてくれたから……」
「大体、教養がないからなんなの? どうせ、傭兵なんかやっている殺し屋のボクに学歴なんて必要ない」
ノールは仰向けで不貞寝を始める。
もう誰の話も聞く気がない。
「ノール様、そのままでお聞きください」
ノールの近くまで来た相馬が問いかける。
「本日は帰らせて頂きます。後日、また日を改めて伺います。ノール様を説得できるまで」
「………」
特になにも答えなかったが、ノールは手のひらを軽く振る。
それを見て、相馬は軽く会釈すると空間転移を発動させた。
相馬と同時にアズラエル、ドレッドノートもどこかへ消えた。
「嘘だろ、本当に帰るのかよ」
驚いたエールは追いかけるのか、自らも空間転移を発動し消える。
「………」
起き上がり、ノールは四人がいないことを確認した。
「ようやくうるさいのが帰ったか」
素早い動きで立ち上がり、杏里のいる寝室へと向かう。
ノールにとって他の者たちの大層な大義名分やら尊大な正義の行いも一切興味がない。
今の今までノールが大事にしていたのは、自らの家族と仲間との平穏な時間と暮らし。
皆がいて、仕事ができて、平和に暮らせるのならそれだけで良かった。
「元気にしていたかい、杏里くん」
寝ているかもと思い、そっと寝室の扉を開く。
ベッドに杏里の姿はなかった。
不思議に思ったノールは次に気配を感じたクローゼットの方へと視線を向ける。
そこには、窓の方を見つつ背を向ける形で着替えをしている“女性”がいた。
綺麗なブルーグレー色の長い髪、女性らしい艶めかしい背中、色白の素肌。
胸にちくちくする痛みを感じた。
ノールから見ても美しいと思わしめる姿に、嫉妬からか声をかけることを遅らせた。
「ノールかい?」
着替えの途中で、ゆっくりと女性は振り返る。
「良かった、やっぱり杏里くんか」
平らな胸部を見てから、ノールは杏里の顔へ視線を移す。
「ボク以外に誰だと思ったの?」
「嫉妬するぐらい綺麗な女性かと最初は思った」
「なにそれ?」
「杏里くん、立てるようになったんだ」
「うん」
着替えが終わり、寝室入口にいるノールに近づく。
「ノールが治してくれたんだよね」
「ボクが……?」
「ありがとう、ノール」
ノールを杏里は抱き締める。
実際のところ、テリーが聖帝の能力を扱ったおかげで杏里は身体を動かせるようになった。
ノールの魔力がいくら強大になっても、魔力体では人の病を治せない。
しかし、それは杏里にとってどうでもいいこと。
再び、ノールにふれられる。
それができるだけで杏里は幸せだった。
「よし、ノール」
少し身体を屈ませると、一気にノールをお姫様抱っこで持ち上げる。
体重20キロのノールは軽々と持ち上がった。
「なにやってんの?」
「ふふっ」
杏里は笑顔で寝室のベッドまで、ノールを連れていく。
その後、ゆっくりと杏里はノールをベッドに寝かせた。
「するの?」
「ゴメンね。ボクの身体も良くなったから、もう我慢ができないんだよ」
「そんな気分じゃないけど」
杏里との種族差をなくすため、天使化を行った。
「ボクもしたくないわけじゃないよ」
翌日の早朝6時頃、ノールは目覚める。
眠気を感じる中で、ノールは服を着ていないことに気づく。
またやってしまったと自らの失態を悟る。
思い当たる節が、ノールにはあった。
途中、休憩のために仮眠を取ったこと。
それが結局は普通に朝まで就寝していたのである。
ふと、ノールは隣で寝ている杏里を見る。
寝息を立て、静かに眠る杏里の姿があった。
杏里の体調が戻り、普通の生活ができるようになった嬉しさをノールは噛み締める。
杏里を起こさぬようにベッドから這い出て、ノールは浴室に向かう。
それからは朝の支度を整え、部屋の掃除などの日課を行っていった。
安心して日々の日課を行えるのが、ノールは嬉しかった。