凶星
この日、ノールは魔力体として再起した。
魔力邂逅となった魔力体が、再び人の世に現れるのは非常に稀なこと。
ノール自身、事情を飲み込めぬままにいたがすべきことは分かっていた。
今は衰弱した杏里を熱心に看病すること。
そんな日々が続いた。
看病の間、時間とともに自らに一体なにがあったのかを思い出し始める。
これから自らがしなくてはならないことも含め。
ある日の早朝。
窓からの明るい日の光が差す寝室にノールが入ってくる。
「杏里くん、体調はどう?」
寝室のベッドに寝ている杏里に声をかける。
「もう大丈夫だよ」
普段通りの優しい笑顔で返事をする。
当然、大丈夫であるはずがない。
肉体、精神ともに衰弱しきり、狂う寸前まで追い詰められた者がわずか数日で改善するなど決して起こり得ない。
「………」
一瞬、ノールは言葉に詰まる。
自らのせいで杏里がここまで衰弱したと、ノールは責任を感じていた。
それでも気遣いをかける杏里に申しわけない気持ちを抱いている。
「身体、動くようになった?」
ベッドにノールは腰かける。
「ううん、まだあんまり動かないんだ」
静かに語る。
「そう……」
「気を落とさないで、ノールのせいじゃないよ」
「ありがとう、今日も身体が動くようにリハビリ頑張ろうね」
できるだけ、明るく話す。
ノールは杏里の身体を起こし、身体を動かせるようにと日課のマッサージを始めた。
しかし、ノールはどこか心ここにあらずの状態とあまり身が入っていない。
それがなぜなのかを杏里自身、既に知っていたがノールにその事柄を伝えていない。
もし話せば、今のノールがどうするかなど容易に想像ができたから。
それは、ノールの反応を見るにただの先延ばしに過ぎないのだが。
「ノール、ボクのことはもう良いよ。君も休んで」
「ボクは大丈夫、疲れていないから。それよりも杏里くんは身体が動かせるようにリハビリ頑張ろうね」
「うん」
ゆっくりと時間をかけ、ノールは杏里とマッサージや歩行の練習を行っていた。
それが一通り終わり、杏里を再びベッドに寝かせるとノールは、あることを口にする。
「前々から聞きたかったことがあるの」
「どうしたの?」
つい、返事を返してしまった。
前々から聞きたかった内容を杏里は分かっていたのに。
「他の世界の様子がおかしい」
「………」
「知り合いを水人検索していっても、確認が取れない人がいるんだ」
それを口にし始めてから、ノールの雰囲気は徐々に変わっていく。
「他のR一族の位置がおかしい。やっぱり……あいつら、やったな?」
「ノール、あのね」
「杏里くんがなにも話してくれなかった理由は薄々と気づいていた。水人検索をしたからもうそれを見て見ぬ振りはできない」
怒りのせいか、ノールの瞳の色は銀色へと変わる。
無意識のうちに覚醒化していた。
「酷いものだね、ボクがいないからってやりたい放題だったのか。権利の使用範囲については事前に伝えていたのに」
視線を杏里に向ける。
「杏里くん、なにがあったのか説明して。現在状況の把握は水人検索で容易くできても、それまでの経緯はボクでも分からない」
「実は……よく分からないんだ。ボクはノールがいなくなって、ずっと部屋に閉じ籠っていたから」
「でも、君はボクを元に戻すためクロノスへ行ったんでしょ?」
「クロノスへ行ったのは綾香お姉さんがボクを連れ出してくれたからだよ。綾香お姉さんがノールを元に戻せる人がいるから一緒に行こうって」
「そういえばさ、なんかタルワールも生きていない?」
「ノールが生かしておいたんじゃないの?」
「そうだったっけ?」
「それにあの人は、ノールを元に戻すのに尽力してくれた人だよ」
「まさかあの人がねえ。R一族の復活なんて望んでいなかったのに」
ノールはベッドから立ち上がる。
「なら、タルワールは殺さないでおくか」
ふっと、杏里に頬笑みかける。
ここで杏里は気づく。
たった一人で、ノールはR一族を畳みかけるつもりだと。
今やノールの存在は生ける災害に匹敵する。
今ではもうできないことよりも、できることの方が多い。
「面白い話しているみたいじゃん」
寝室の扉を開けて、エールが室内に入ってくる。
ノールの覚醒化に気づき、やってきた。
「分かるよ、あいつらに仕返しするんでしょ、姉貴。アタシも姉貴と一緒に戦う」
「エールは屋敷に残って杏里くんと屋敷を守っていて」
「屋敷を? なにを言っているの、姉貴は。どうしてこの世界が他のR一族に侵略されていないかが分からないの? この世界をアタシが一人で守っていたからだよ」
これは紛れもない事実。
R一族同士の戦いの際、一番苦戦するのは権利を扱えるR一族が潜む本拠地の世界に乗り込む時。
なぜなら制圧のために送り込んだ自軍部隊が全て一瞬のうちに敵軍へと変貌する可能性が非常に高いからだ。
同じ権利というスキル・ポテンシャルが扱える能力者同士のミラーマッチ戦だからこそ起きる弊害といってもいい。
権利を扱うR一族自身が乗り込めば話は変わるが、自ら最前線で戦い抜く気概を持つR一族が一体どれだけいるか。
最前線に立ち、戦う意思を持つエールがいるこの世界は到底攻め込むなどできなかった。
「設定は、オートにしようかな?」
急激に魔力を高めて、エールは流体兵器を発動する。
五体程、半透明の人型が現れた。
「エール」
「……分かっているよ、アタシじゃ頼りないんだろ」
エールも本当はノールが次元の異なる領域にいるのを理解していた。
それでもエールも他のR一族が許せない気持ちが強かった。
「ふう……」
目を閉じ、息を吐いてノールは自らに魔力を集中させる。
ノールを中心に魔力はさらに増大し、魔力邂逅の魔力量までに変化を遂げる。
潤沢で膨大な魔力量に杏里もエールも圧倒され、言葉もない。
ふと、杏里は気づく。
以前よりも身体が軽く、命に関わるような圧迫感が一切ない。
近くにいる杏里やエールのために二人へ降り注ぐ魔力量をコントロールしていた。
「一時間でいい、一時間で終わらせる」
ふっと、空間転移によりノールはその場から消えた。
「帰ってくるのかな、あの姿で。アタシは嫌だよ、またあの時の姉貴みたくなってしまったら……」
あの日見せた、ノール本人とは思えない行動を思い出し、エールは目に涙を浮かべる。
「アタシの義兄になる男だから、杏里は姉貴が帰ってくるまでと同じで絶対にアタシが守るからな」
空間転移により、ノールはクァールの宮殿へと向かっていた。
あの日、自らの前に立ち塞がり死に至らしめようとしたクァールが全ての元凶だとノールは思っている。
実際のところ、クァール側の者たちは群雄割拠状態の現在のR一族たちを抑えつける役割を担っているのだが。
そのような事実をノールは知らない。
空間転移によって、ノールはクァールの宮殿前へと現れる。
丁度外出する途中だったのか、クァールはエントランスの傍にいた。
傍らには、護衛役としてアクローマの姿もあった。
二人のノールとの距離は約数メートル程。
「こんにちは、クァール」
「ノー……」
クァールが言葉を発した瞬間に、もうすでにノールはクァールの至近距離に腕を振り被った状態でいた。
目の色をかえ、襲いかかったノールはクァールを一撃のもと、殺害しようとした。
だが、それはクァールに当たることはなかった。
アクローマがノールの前に立ち塞がったから。
「危ないじゃない」
一歩、ノールは背後に下がる。
「………」
アクローマは真顔だった。
恐るべき速さで迫ったノールよりも第六感的な感覚で先手を取り、クァールの前に立てたようでアクローマ自身もよく認識していなかった。
しかし、徐々にアクローマの表情が強張り、汗がにじむ。
アクローマの右腕が肘付近から喪失している。
ノールの攻撃は止まっておらず、振り抜く形になっていた。
アクローマに当てるつもりがなかったノールは胴体に直撃する前に軌道を変えたが、腕には当たってしまった。
「ノール」
クァールが声をかける。
「一時休戦してほしいの」
「一時間後には、終戦予定だよ」
ノールは静かに語る。
それで、クァールはノールが会話に応じるのだと悟った。
「倒すべき本当の敵は他にいます」
「敵が誰なのかはとっくに知っているけど」
「私とともにR一族の者たちを倒してほしいの」
「へえ」
ノールは腕を組む。
「今日R一族を叩き潰しに行かないといけないんだ。一人目は」
クァールを指差す。
「もう止めて……止めてよお……」
残された左手を広げ、クァールの盾となっているアクローマが弱々しく語る。
顔が涙でくしゃくしゃになり、恐怖で身体の震えが一切止まらない。
なにがなんなのか全く分からない中で、自らとクァールは助からないと理解してしまっていた。
「ねえ、アクローマ」
普段となんら変わらない声で、ノールは問いかける。
「隠さず答えてほしいの。ボクがいなかった間、なにがあったのか」
「……ええ」
嗚咽を漏らしつつ、アクローマは答える。
「R一族の者たちは貴方とクァール様という抑止力を失い、身勝手な振舞いをするようになったの」
「ボクは権利を扱う基準について話していたよね? それとさ、クァールは……」
「クァール様が目覚めたのは、つい先日のことよ。決してクァール様は権利を扱っていないの。これは本当よ!」
「そうなんだ、それは意外だった。クァールをどうするかは今後考えようかな」
「………」
それを聞くと、アクローマはすがるようにクァールに抱きつき、再び泣き出す。
クァールもアクローマを気遣うように抱き締めた。
死ぬのはなにも怖くないようで、ノールを静かに見据えている。
「あっ、それと。これからボクは権利を扱ってふざけたことをしている連中をぶち殺してくる。今あるR一族の派閥はほぼ全てが崩壊するから後処理よろしくね」
ノールは空間転移を発動させ、水人検索により解析した現在権利を扱っているR一族のもとへと向かった。