普通に戻る戦い
対エージ戦後。
ルインは死亡したエージを背負い、とある場所へ空間転移により移動していた。
向かう先は、R・クァールの支配地であるクロノスの都市。
エージと戦う前に綾香、杏里も同じくクロノスの都市へ桜沢一族との内乱に決着をつけに向かっていた。
ルインとエージは、なんとしてでも綾香、杏里の勝利で内乱を終結させるために今回の騒動を引き起こしていた。
「………」
ルインは静かに周囲を見渡す。
ルインの目前には、聖帝の力によって生き返され、一ヶ所に寄せ集められた桜沢一族たちが暮らす集落があった。
それを見るだけで、ルインの気持ちは物悲しくなる。
集落はとてもではないが、人が暮らすような場所ではない。
いわゆる、最貧民が暮らすような非常に粗末なスラム街が形成されている。
ここが、この場所こそがかつて栄華を誇っていた桜沢一族の終の棲家。
ぞんざいな扱いを受けていてもなお、桜沢一族の者たちはR・クァールに保護されていた。
もしも他のR一族らの管轄世界にいたら、根絶やしにされ尽くしてしまうのは誰の目から見ても明らか。
あまりにも無様な被害者感に満ち溢れた今の桜沢一族にクァールの気持ちは揺れ動き、恩赦が与えられていた。
幸福な桜沢一族たちは、クロノスの都市に今生住み続けられるという名誉ある移住権を獲得。
ただし、クロノスの端の方に突貫工事で造り上げられたスラム一区画へという条件付きで。
そして、桜沢一族に仕え支えていた桜沢一族派の者たちには、超がつくレベルで豪華な高級ホテルや、高層のマンションなどでの快適な生活が与えられた。
なにも不自由がないようにと彼らには多くの使用人が与えられ、至れり尽くせりの限りの暮らしができていた。
もしも仕える桜沢一族のためを思い、部下の者たちが現在の暮らしを拒絶すればどうなるか。
そのような行動は無礼千万であり、その愚行は全て桜沢一族への辛辣な当たりとなって帰っていく。
いつしか、スラムで悲惨な日々を送る桜沢一族と優雅な繁栄ある暮らしを送る桜沢一族派の部下たちの構図ができ上がっていた。
桜沢一族の部下たちは各々が、こう思う。
この優雅な暮らしを無償で心優しく与え尽くしてくれるのは誰なのか?
それは、クァールである。
桜沢一族が惨めな暮らしを送っているのは、なぜか?
それは、クァールに負けたからである。
この現状では、子供でも分かる程に簡単な問いを解けないはずがない。
誰もが落ち目の桜沢一族をさっさと見捨て、クァール派へとなりたがる。
クァール派ともなればクァールの恐るべき総世界支配の方法を目の当たりにし、一度桜沢一族派を離れれば戻る者など誰もいない。
桜沢一族に裏切者がいくらでも出てしまうのは至極簡単なことだった。
では、その落ち目の桜沢一族の者たちはどうしているのか?
悲惨な日々を送りながらも、桜沢一族の者たちは生き残られただけでも良かったと感じている。
その考えこそが桜沢一族の総意。
悲しい程に、もうなに一つとも奪われるのを極度に恐れている。
そこにはもう、なにもなくなったとしても。
今の彼らにとって、今の窮状を打開しようとする綾香、杏里は目の敵となっていた。
失うことを極度に恐れる者たちは、現在の状況を打開するよりも失敗した際の負の面ばかり指折り数えている。
同族を思い、同族を救おうとする行動も同族から抑え込まれていては、復帰の目など端から潰えていた。
この窮状ですらも同族同士で一致団結もできず、落ち目である現状を必死に維持させようとする愚行。
それがどうしても、心の奥底からルイン・エージの二人は嫌だった。
現在、桜沢一族に仕え、支えている者はこの二人しかいない。
ルインもエージもお互いに極致化であり、自らこそが徹底的に決まりきった今の総世界に起死回生の一撃を加える切り札だと強く感じている。
だが、いくら二人が強くともこの現状を打開するには至らない。
今の桜沢一族を率いるべきはスキル・ポテンシャル権利に次ぐ能力、スキル・ポテンシャル支配が扱える綾香や杏里でなくてはならない。
そんななか、ノールの意識が戻る。
ルイン、エージは運命ともいえるこの流れに身を投じたのは、それがきっかけだった。
ルインはスラム街を歩み、中心までやってきた。
スラムの中心には、全ての桜沢一族の者たちが集まっていた。
惨めにも、ぼろを着せられている桜沢一族の者たちは綾香に跪き、祈る姿勢をしている。
惨めな窮状で、ぼろまで着せられ、人生全てが終わったような者たちではあるが、そこはやはり桜沢一族。
皆、男性は全てが美男子揃いで、美しく可愛らしい格好良い者ばかり。
また、その者たちが選ぶ妻たちも同じように見栄えが良い。
彼らの子もまた血筋通り格好良い、美しい、可愛らしいのいずれかにしか属していない。
どんなに汚らしく見えても近寄れば、普通に良い匂いがした。
それとは別に、皆が一致していることがあった。
全てが綾香に忠誠を示していた。
「ん?」
綾香は、近づいてきたルインに気づき、ゆっくりと振り返る。
ゆっくりと振り返った綾香はルインの知っている弱気な女性ではなかった。
「わあっ、凄い!」
ルインは感嘆の声を上げる。
今までの綾香ではない。
普通とは異なる異質さをまとっていた。
異質さ、それはルイン自身も随分と久しぶりに感じた恐怖という概念。
本質的に“自ら”と同格となり得た唯一の桜沢一族の誕生にルインは歓喜した。
「………」
しかし、ルインの目から涙が流れる。
喜びと同時に、綾香が強さを手にした理由がルインには分かり、悲しさがあった。
綾香が自らと同格となり得る方法は、一つしかない。
霊体となっていた桜沢綾香が、橘綾香と同化したことになる。
肉体のある橘綾香がベースとなり、本質的には橘綾香なのだが、元々の彼女にはなかった部分がそこにはある。
男性の桜沢綾香らしさと、女性の橘綾香らしさ。
そこへさらに同化により生じた強力な意志や念、そして力。
桜沢綾香は、桜沢一族の全ての責任を取って自死したとあるが、正確には事実ではない。
本当は、桜沢一族が落ち目となるのを予見し、自らの命と引き換えに最後の秘策を残していたに過ぎなかった。
「ルイン、皆が私とともに行きたいと。私もそれでいいと感じている。勝ちましょう、この戦いを」
「ええ……勝ちましょう」
「……エージ君はどうしたの?」
ルインがエージを背負っていたため、綾香は尋ねる。
今の綾香になら、尋ねなくともエージの身になにが起きたのかは最初から分かっていた。
「エージは、死んだの」
「そうか、残念だ……」
そう語り、綾香は目元へ手を置く。
「えっ」
ふいに、桜沢綾香らしさが出てルインは言葉に詰まる。
「テリーちゃんに力を借りましょう。聖帝の力さえあれば、極致化さえも蘇生ができるはず」
「それもそうか。今は聖帝がいたんだった」
忘れていたことをルインは思い出す。
「でも、今の私たちに力を貸すことはしないでしょう。テリーちゃんが私たちにつくメリットなんて、これっぽっちもないのだから」
綾香は右手を掲げ、手を握り締める。
「だからこそ、勝つ。私がいて、杏里くんも有紗さんもいる。ルインやエージ君も。桜沢一族の皆も今までと変わらない平穏な暮らしが送れる。私たちが普通を取り戻すには勝つしかない」
気迫の籠った声で綾香は語った。
「さあ、皆さん。私とともに来なさい」
「どこへですか?」
一人の桜沢一族の男性が語る。
「まずは、洋服店へ行きましょう。次は、お風呂」
「それでは……」
全ての者がクロノスの都市部へ視線を移す。
各々の目に強い憎しみが籠っている。
自らをここまで落とした者たちに強い復讐心があった。
「ああ、そっちは駄目。別のR一族の支配地域にあるR一族の直轄店を狙いましょう」
「………?」
即座に断られ、多くの者が肩透かしを食らったが口答えはしない。
綾香が最後の希望なのだから。
綾香は、クァールの恐るべき性質を半分程だが見抜いていた。
クァールは別に桜沢一族を根絶やしにしたいとは考えていないとも。
もしそう考えていたのならば、ノールたち兄弟の庇護のもとにいた綾香や杏里しか存命していないからだ。
クァールの行動の理由は、桜沢一族の求心力を根こそぎ奪い、組織を瓦解させること。
普通に生かしているのは完全に牙が抜き切ってから、他の桜沢一族派の者たちと同じく部下として扱おうとしているのだと綾香は思っている。
だが、そこはR・クァール。
求心力を失い、惨めな生活を送る“可哀想な”桜沢一族を見れば、人々は自ら許していくだろうとクァールは考えていた。
当然、クァールのような考えを持つ者などR一族には存在しない。
安全な場所でのほほんとした安穏な日々を送る桜沢一族は処刑すべきとキレ散らかすのが一般的だった。
そのため、本当に唯一クァールのみが桜沢一族の味方。
他の桜沢一族の者たちには悪いが、敵として扱うのは不味かった。
「では、杏里くんが先に洋服店を制圧しているはずなので、そこへ空間転移をしましょう」
綾香が率先して空間転移を発動。
空間転移の指定対象は杏里。
とある世界の駅近くの一等地に立つデパート。
そこの洋服を取り扱う階のワンフロアを杏里が占拠していた。
とりあえず、ほぼ全ての服を奪っていき次に一つのホテルを占拠。
入浴や着替え、食事などを行い態勢の整った綾香たちはR一族らに宣戦布告する。
この後の戦いは桜沢一族始まって以来の最大の戦いとなる。
過去のクァールを当主とするR一族と桜沢綾香を当主とする桜沢一族との戦争とは大違い。
味方が桜沢一族の者たちとルインだけとなり、住む家すらもない。
それでも綾香には勝機があった。
綾香は自らの行動を別にしても、これから総世界の支配体制が一変していくのを読んでいた。




