三人の極致化
ルインの空間転移発動後、二人の視界に入る光景は変わった。
スロート・ステイ間を横断する街道近くの草むら。
暖かい陽気の中、エージがぼーっとした様子で地べたにぺたん座りをしながら、樹木に実っている果実を見つめている。
尻尾をはたはたと振り、どこか楽しげ。
「ああ、ようやく来たの」
気づいたエージは立ち上がりながら語りかける。
「やっと、綾香も決心したの?」
「そういうところ」
「良かった、こういうのは早ければ早い方がいい。凄く落ち込んでいたから動いてくれるか心配だった」
エージはどこか安心している。
二人が語り合う内容は桜沢一族のこれから起きる内紛に関する話。
なぜ二人が落ち着き払っているのかが、ノールにとって疑問だった。
「なんの話をさっきから……」
「ノール、実は君が目覚めた時にこうしようってオレたち二人で前以て決めていたんだ。これは元々オレたちの、桜沢一族のためを思っての行動だしね」
微妙に説明口調のエージ。
「優しい君は絶対に他のR一族と同じ思考を辿らないと賭けていたんだ。そしてそれは思った通り正しかった。オレたちが行動に移せたのも全て君のおかげなんだ。ありがとう、本当に感謝するよ」
「感謝すると言われても……」
すっと、エージは人差し指をノールへ向ける。
「ただ、戦う相手はノール・ルイン対オレだ」
「武力だけが高いってのも厄介だった。点ではなく面で視点を捉えられる能力者たち相手に、嘘を吐くのだけでもこれ程の苦労とはね」
次にルインが語る。
その際、わずかにルインの視線がエージから逸れた。
ノールも無意識ながら目線が向く。
かなり遠方になにかがいるのを把握したが……
「こっちを見ろ、R一族!」
エージは声を張り上げる。
次の瞬間、非常に強力な覇気をエージはまとっていた。
あの一瞬だけで覚醒化を果たし、身長も約150cm程となっている。
子供の可愛らしさで満ちていたエージに、少しだけ大人びたような凛々しさが窺えた。
「不味い……」
絶望的に低い勝率がノールの脳裏に浮かぶ。
即座に構えの体勢へ移行したノール。
戦うと理解していたはずなのに、実際にその瞬間が訪れるまでノールは全く態勢が整っていなかった。
あのタルワールを倒した時点で、ノールにとっての戦いはもう終わっていた。
今もなお自らが渦中の人物となっていてもどこか他人事で、恐るべき強者と戦うには心構えがなさ過ぎた。
「………」
対して、エージは無言のまま闘気を漲らしている。
ノールが萎縮したのは、ノール自身のオーラを一目見て悟っていた。
「だったら、まずはお前だ!」
軽く地面を蹴り、まるで瞬間移動をしたかのようにルインの目前まで接近する。
ルイン、エージの身長差は約20センチ。
身長の低さから明らかにエージが不利となる。
殴りかかる形でルインに急接近したエージは空中を蹴り、ルインの足元へ着地。
瞬時に足払いをかけた。
「チッ」
舌打ちをして、少しだけ不機嫌そうにルインは軽く右足を上げ、エージの蹴りを簡単に止める。
エージの瞬間移動したような動き、通常では有り得ない空中を蹴るという動作。
どちらの行動も、ルインは簡単に目で追え対処も容易。
「ねえ、提案があるの」
止めた後、ルインが語る。
「なに?」
足払いをかける体勢で止まっていたエージも立ち上がった。
「こんな戦いをちんたらやっていては向こうにも気づかれる。いい加減にしなさいよ。先に言っておくけど、私たちは殺し合いをやってんの。やる気あるの?」
「そうだけど……仕方ないなあ……」
不服なのか文句を言いたげだったが、エージに変化の兆候が見られた。
先程のような甘さが消えている。
目つきに鋭さが増し、まとうオーラや覇気にも凄みが増している。
「これでようやく戦いが始まる」
変化を見ていて、ルインは面白味を感じていた。
ルイン・エージの会話からずっと感じていた違和感の正体にノールは気づく。
二人は誰かのために見世物を演じている。
それは紛れもなく、R一族へ。
「行くぞ、ノール!」
突然、強い口調でエージが言葉を発する。
隣にいるルインなどお構いなしに一気にノールへ飛びかかっていた。
同時に周囲一帯を円形の封印障壁が覆う。
ノールが生き残るには、エージを倒し切るほかない。
「………」
言葉もなく、ノールはエージ側に向かって腕を振る。
直後、封印障壁内が魔力の水で覆い尽くされた。
この円形の狭い空間はなにもエージだけが得をしているのではない。
封印障壁内を覆い尽くした水を、ノールは水人能力を駆使して操作し、一気にエージの体内にまで流し込もうとする。
ノールは良しとせずほとんど扱わぬ手段だったが、水人であるならば窒息はまず行う常套手段。
だが、封印障壁の発動はエージ自身が行った行動。
狭い封印障壁内であるならば、このような行動を取るとエージは読んでいた。
封印障壁内が水に覆われたと悟った次の瞬間に、エージは雷人魔法を放つ。
凄まじい電流に、水人のノールは意識が飛びかけた。
「ふざけるな!」
痛みを堪えながら、ノールは絶叫する。
覆われていた水は一瞬にして消え去り、魔力の水を伝う通電を打ち消した。
意識が飛びかけたギリギリのところで極致化し、即死を免れたノールは明確な殺意を持ち、怒りを露にする。
両手に水竜刀を発現させ、飛びかかってくるエージに向かって剣を薙いだ。
エージは簡単に右肩から、左側の腰に向かい、真っ二つに両断される。
「えっ」
目の前の光景に驚いたのは、ノールだった。
手に残る感触に勝負が決したのを理解する。
だが、ノールの腹部に激しい衝撃が起きる。
なんの言葉も発せぬままに、ノールは崩れ落ち、仰向けに倒れた。
「倒したと思った? ダメージを気にせず戦えるのはなにも魔力体だけの専売特許じゃないよ」
確かに両断されたはずのエージが一切のダメージもなく普通に話している。
人の身でありながら、エージは回復魔法を要せずに瞬時に回復ができる能力を有していた。
「はっ?」
今の数秒の攻防を見て、ルインは一言発する。
ノールは目を薄っすら開いたまま、口から血を流し、わずかも動かない。
明らかに死んでいるようにルインには見えた。
エージは昔から実力を出したがらない性質があった。
本気になったエージは己の武力に憑りつかれ、前以て決めていた段取りさえも熟せなくなるから。
自らノールに損害なく済むよう仕向けていた当初の優しいエージはもういない。
「次はお前だな」
不意に、エージがルインに視線を移す。
元々の話ではエージが負ける側。
こうしてノールが倒されることもなかった。
「へえ、次は私か。嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
ルインは腕を組む。
「でも、アンタが倒される役目でしょ、馬鹿じゃないの?」
即座にルイン自身も極致化。
牙が生え、腕が鉤爪のように変化する。
ルインには、先程の水に覆われた際のダメージも電撃のダメージも見受けられない。
「今度は私が攻める番よ」
すうっと、ルインは息を吸い込む。
急激に魔力が集束し、ルインは凶悪な存在に変貌していく。
「覚悟を決めろ、エージ!」
闘志に満ちた声を上げる。
両手を広げ、異常な魔力量を誇る球体を両手に現した。
球体の存在、それは様々な魔法の集合体。
連続で魔法を発動し、効果が発揮される前に圧縮することで異常な魔力量を誇る球体を作り上げていた。
周囲を封印障壁で覆い、接近戦を行ったエージ同様にルインも接近戦が得意。
この狭い封印障壁内はルインにとっても戦い易い場であった。
「……ヤバいじゃん」
エージの表情に笑みが浮かぶ。
あの球体が直撃すれば、身体が木っ端微塵になるとイメージしてしまった。
それが分かってしまったエージは一も二もなくルインに向かって駆け出す。
死ぬと分かったから躊躇うなど、そういった平和な考え方はとうの昔にできなくなっていた。
「わざわざ死にに来たのか!」
ルインも楽しそうに笑っている。
仲間だと分かっていても殺し切るのに、躊躇いなど有り得ない。
ただ、エージが迫る地点を経験則から絞り、球体を振り抜く。
攻撃はエージにぶち当たり、異常な魔力量に一気にエージの身体は引き千切れていく。
左側面から球体を受けたエージは、この一撃で左身体を失った。
強力なダメージを受けたエージは想像絶する痛みを全身に受けているはずだが、なにも発することはない。
勝敗を決するため、ルインは左腕の球体で止めを刺そうとする。
だが、手負いになった極致化を相手に短期戦を仕掛けるなどそれはあまりにも時期尚早。
身体が引き千切れていてもエージがなんとか残していた右足で球体を蹴り上げる。
最もルインがやられてしまっては困ることをエージは知っていた。
そもそも連続魔法の発動後、急激にストックさせ球体に仕上げるなどの離れ業は軽く小突く程度で簡単に阻止できるのだ。
ただし、それは自殺行為。
制御されていたからこそ先程攻撃を当てた側のルインはノーダメージだった。
それが今度は魔力の暴走による大爆発で、互いにダメージを受けるに過ぎない。
エージの魔力が急激に弱まり封印障壁も立ち消え、互いに弾き飛ばされ地面に転がった。
エージ、ルインともに動きを見せなかった。