次期当主
会場内に入ってからもノールは様々な人物らに声をかけられた。
先程の男性と同じく口々に当主には相応しくない、その器ではないと語っていく。
しかし、先程の男性のような侮蔑的表現を用いようとはしない。
ノールと先程の男性との対応を察知していたり、なんらかあったのを知っているようで誰一人として口にする者はいなかった。
「人に文句をつけるくせに、誰一人当主になりたいという奴はいないね。本当に嫌になってくるよ」
会場の廊下を歩みながら、愚痴を語るノールの口調は穏やかでない。
「こんにちは、ノール」
歩いている途中、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
ノールにとっては唯一まともに対応してもいいと思える人物の声。
「ん?」
声のする方へ視線を移す。
スーツ姿のクァールがいた。
おしゃれにパンツスーツの着こなしをしている。
「先程は大変だったようね。ああいった者が未だにいる事実を分かりやすく貴方に話しておくべきでした」
「降りかかる火の粉を蹴散らすのが本業なので対処は簡単です」
「流石は次期当主。R一族の当主は強者でなくては務まりません」
「ああ、クァールさんもあの人が嫌いだったんだ」
「自ら進んで敵対し出す相手を好きになれる者など誰もいませんよ。それはともかく……」
クァールはノールに近寄り、ノールの前に立つ。
そっと、ノールの頬へ手のひらをつけた。
「今日、貴方は一体どんなことを話すつもりなの?」
「話す?」
「渡してある文書に貴方の宣言を行うという記述があったはずよ、見ていなかったのかしら」
「見たけど、ボクが話す内容は貴方にも話したことだよ」
「ノール、貴方を信用しているからこそ言わせてもらうわ。もし、貴方がその内容を語れば私自らが直々に貴方を打ち倒さなくてはならない」
「ボクを殺すつもり?」
「次期当主を殺害だなんて前代未聞だわ。同じことを語れば、貴方は孤立無援。状況の悪さは次第に人の価値観を変えていく。貴方も同じこと。それが見えているから、少し焼きを入れるくらいで終わりにするつもり」
「ふうん」
クァールは一貫していた。
主張を変えなくとも殺すつもりもなく、次期当主であることも変えるつもりがない。
「それと、是非とも貴方の耳に入れておきたいことがあるの。今、貴方が他のR一族らにどう思われているかについてをね。端的に言えば、私の傀儡だと思われているわ。貴方が私に似ていたり、私が強いR一族に転生するということが皆に知れ渡っていたせいでね」
「別にどう思われても構わないよ。ただ、水人を侮辱する奴は絶対に許せない」
「?」
ノールが優良思想に囚われていることに、クァールは気づいていない。
「そう……それは良いとして、集会の時間までもう少しあるわ。貴方はこの奥にある部屋で休んでいるといいわ」
「そうさせてもらうよ」
「ノール……」
クァールはノールの名を呼んでから、押し黙ってしまう。
本当はノールに今すぐにでも考えを改めてほしかった。
それは、大事に至る前に。
「なに?」
「会場内では気をつけなさい。スキル・ポテンシャルの権利を扱えるR一族の誰しもが、自らの思い通りにならないと気が済まない者ばかりなのだから」
「とりあえず、貴方とボクは違うよね」
「自らを優先させる生き方をしていないからでしょうね」
クァールはノールの頬から手を離す。
先程言われた通り、ノールはクァールが指定した部屋へ向かっていく。
「ノール様」
とある部屋の前で、ノールに呼びかける男性がいた。
「私は、クァール様の同志の者です。こちらの部屋でノール様を休ませるように仰せつかりました」
「この部屋で? 教えてくれてありがとう」
とりあえず、ノールは休憩する部屋を見つけた。
室内は高級ホテルのような豪華な造りになっている。
「お時間になりましたら、お呼びしますのでゆっくりなさっていてください」
「うん」
静かにノールは室内のソファーへ腰かける。
それから数十分後、再び同じクァール派の者が部屋を訪ねてきた。
「ノール様、お時間になられましたのでご準備をお願いします」
「うん、今行く」
クァール派の者が案内するために先を進み、ノールがついていく。
ホール内のスタッフが通れる通路を二人は歩んでいた。
「ノール様」
通路を歩んでいる間、クァール派の者はノールに声をかけた。
「どうしたの?」
「ノール様、私は貴方に心から強く感謝しております」
クァール派の者が発した言葉。
この場に来てから初めて聞いた感謝という言葉だった。
事実、ノールはR一族一派の者たちから心底感謝されるべき大業を成し遂げた。
だが、この場で一度も言われなかった言葉を急に発せられ、ノール自身が発言に対して逆に疑問を感じてしまう。
「貴方なくしては決してここまでの再興を成し遂げられなかったでしょう。どんなに秀でていたR一族の者も、私を含めたR一族一派の者も総世界政府クロノスのタルワール、ジリオン、ゲマらに成すすべなく倒されていきました」
「案外、皆でかかれば勝てたんじゃないのかな? 権利を扱えば、凄い人数で戦えるみたいじゃん」
「いいえ、貴方だからこそ勝利したのですよ。貴方以外には決してできない不可能なことだった」
「褒められると嬉しいよ。ボクは褒められると成長するタイプ」
普通にノールは嬉しそうにしている。
傭兵をしているせいか悪しざまに語られるのは慣れていても、褒められ慣れてはいない。
「でもね、クァールさんが聞いているかもしれない。こういうのは、心で思っていても言葉にしない方がいいよ」
「問題ありませんよ、クァール様がそれを許してくださいました」
「へえ、あの人も同じこと思っていたんだ」
特に会話をしたくはなかったが、他にも積極的に会話をしてくるクァール派の者の問いかけにノールは答えていく。
会場に辿り着くまでノールを退屈させないように話していたのか、単にご機嫌伺いのために話していたのかは知る由もなかったが、ノールは嫌な気がしなかった。
R一族一派の者たちに悪い者は存外いないのかも知れないとの考えも浮かんだ。
だとするのなら、やはりR一族の者たちをどうにかしなくては。
対処すべきは、やはりそちらだと考えた。
「ノール様、こちらから会場の壇上への入り口となっております」
壇上へと続く通路の前で、クァール派の男性は立ち止まる。
通路の先に何者かが歩いていく後ろ姿が見えた。
女性の姿だったので、なんとなくノールはクァールだと思った。
「案内ありがとうね」
「私には勿体ないお言葉です」
頬笑みながら、クァール派の者は頭を下げる。
ノールが進むと、そこは壇上への裏口にあたる場所であった。
「ここを通れば壇上へ出るのか……」
不安がノールを過る。
これからどうなるのかは自分でもよく分からない。
要は出たとこ勝負。
きっちり悪役になってやろうと心を決めた。
そして、ノールは壇上へ姿を現す。
壇上の演台では何者かの姿があった。
先に壇上へ上がっていたクァールの姿だった。
「さて、皆さん」
クァールが静かに語り出す。
「今回の主役が今、参りました。彼女が次期当主のR・ノールその人です」
すっと、手のひらをノールの方へ向ける。
瞬間、万雷の拍手によってノールは迎えられた。
一瞬にして目が覚める程の感覚がノールの全身を覆い尽くす。
壇上の隅の方で立ち止まり、会場に集まった人々を凝視していた。
会場は大きなシアターホールとなっており、数階席まで続く客席が作られ、その全てが人で埋め尽くされている。
このわずか2、3秒程の間に全身から吐きそうになる程の緊張が沸き起こりノールは頭が真っ白になった。
だが、同時にノールの頭に杏里の姿が浮かんだ。
すべきことがある。
考えを切り替え、ノールは緊張するのを止めた。
「さあ、ノール」
演台からクァールが離れ、ノールが演台で話しやすいようにする。
「………」
言葉もなく頷き、ノールは演台の前に立った。
演台の前に立ってもR・ノールは静かだった。
言葉を語らず、ただ同族のR一族やそれらのR一族一派の者たちを見つめている。
R・クァールを初め、自身よりも遥かに幼い新たな当主に誰もが注目を示していた。
新たな当主の言葉が、今まで当主だった者らのどの思想をもとに語られるのかを皆が知りたかった。
「縁あって、R・クァール様の後任としてR一族の新たな当主となりましたが、ボクはその務めを果たすに値する能力は大してありません。皆さんがご存知の通り、普通の女の子に過ぎないのです。皆さんの中には、ボクが一族を代表するのに不満を抱いている方も相当数いらっしゃるでしょう。ボク自身、一族の意志に答えられぬと誰よりも自覚しております」
開口一番からの己への否定。
ノールの言葉から、集まった者たちはノールがR一族当主としての権利を自ら辞退するのかと思った。
そう思えたのは無論、R・ノールという女をあまりにも知らなさ過ぎたのが原因。
当然の如く、ノールが続けた言葉は彼らの思い通りのものでは決してなかった。
「だからこそ、端的に意見を語らせてもらいます。ボクは貴方たちの、R一族の価値観が大嫌いだ。R一族だからという理由で人々の自由を奪い強制させるなど断じて許せません。今後スキル・ポテンシャルの権利をボクの許可なく扱うことを禁止します」
その衝撃的な発言に、一気に会場内はざわつく。
絶叫に近い大声でノールを罵倒する者もいた。
もはや意味不明過ぎてトチ狂っているとしかR一族たちは思えていない。
「続けて、桜沢一族の者たちおよび総世界政府クロノス関係者たちの地位をボクたちと同じにします。彼らを否定して虐げるのをボクは許しません」
次にノールが語った内容もまたR一族には到底受け入れ難いもの。
予想だにしなかった内容に対して再び会場内はざわつく。
会場内には変化が起き始めていた。
あるR一族の者が指示を出し、そのR一族の者の息がかかった数人の男性らが慌ただしく行動を始める。
ノールの物言いに対して相当不服だった男性らが、壇上のノールに襲いかかろうとしていた。
だが、すぐに男性らに異変が起きた。
全身から汗が噴き出し、ガタガタと身体を震わせながら、力なく床に座り込む。
恐怖の実態から目を背けられないかのように、男性らは震えながらノールから目も逸らせず凝視していた。
その間もノールはR一族だけでの独裁は止め、桜沢一族や総世界政府などの複数の組織の寄り合いで総世界をより良くしていく方針を語った。
「良い演説でしたよ、ノール」
壇上にいたクァールがノールへ拍手をする。
まだ会場内はざわついていたが、クァールは至って普通にしている。
クァールは一度会場内のR一族たちを屈服させた側の者。
タルワールに敗れたとはいえ、百戦錬磨の彼女だけは揺るがない。
「ありがとう」
「では、見なさい。周囲を」
「見ていたよ、話している間中」
「それならば良かった。これで、貴方とR一族は敵対しました。勝ち誇るか、名誉の死を遂げるのか。それは貴方の力量次第です」
「会場の収拾をつけた方がいい?」
「問題ありませんよ、もう帰っても構いません」
「うん」
それだけ語り、ノールはさっさと壇上を降り、人々がいる客席側の通路をわざわざ通っていく。
ノールから遠いところにいた者たちは騒ぎ立てていたが、近くを通られた者たちは皆一様に静かになっていた。
恐ろしい存在がいるのを、非常に高い能力から気づかずにはいられなかった。
一言で表現するなら、底が到底知れぬ化物。
極致化とはそれだけ生物としての立ち位置が異なっていた。
「さて、困ったものですね。次なる相手は極致化ですか。極致化を相手に私の勝利ですべてを収めなくてはなりません」
何者かに会話でもするかのようにR・クァールは語っていた。