パラダイムシフト 1
日の光に照らされた眩しさを感じ、ノールは目覚める。
なにか寝過ごしてしまった時の倦怠感を覚える身体。
ゆっくり身体を起こし、目を擦ると周囲を見渡した。
広い室内には高級そうな家具、家財が置かれている。
他にも様々な宝飾品等の品々、花束等の見舞い品と思われる物が多々見受けられた。
しかし、ノールはそれらにほとんど感心を示さない。
寝ているベッドで寄り添うように杏里も寝ていたからだった。
「杏里くん?」
ノールは寝ている杏里の顔にふれる。
ビクッと身体を反応させ、杏里は目覚めた。
「……ノール?」
枕元にある眼鏡を取り、杏里は眼鏡をかけながら身体を起こす。
「やあ、杏里くん。ゴメンね、寝すぎちゃったみたい」
「ああ……本当に良かった……」
とても驚いたような、そしてとても安堵した表情をし、杏里は涙を流した。
「どうしたの?」
「………」
ノールの問いかけに対応できぬ程、杏里は泣いていた。
「杏里くん、泣かないで。ボクまで悲しくなっちゃうよ」
「う、うれしくて……」
「えっ?」
「ノールと……また話すことができて嬉しくて……」
「?」
随分大袈裟だなと、ノールは思う。
その時、扉をノックする音が聞こえた。
「杏里くん、入るよ」
やけに楽しげな声で扉を開く人物がいた。
それは、アクローマだった。
「ノールちゃんの着替えとか持ってきたから……」
室内に入ってきたアクローマもノールが目覚めたことに気づく。
「ウソ……」
口に手を当て、持ってきたものを落とす。
それ程にアクローマも驚きを隠せなかった。
「やあ、アクローマ。なんか落としたみたいだよ?」
「ノールちゃん、目が覚めたのね……」
杏里と同様に、アクローマの目からも涙が零れる。
「皆にも知らせてくるからね!」
空間転移を詠唱し、アクローマは消えた。
「あれさ、一体なんなの?」
床にものを落としたことを伝えたのに、拾いもせずどこかへ行ったアクローマに少し不満げ。
「ノール、君は消滅してから元の姿に復元されたの。それから、ずっと眠ったままだったんだよ」
そう言いながら杏里はベッドから出る。
「まだ、ゆっくりしていなよ」
上体を起こしたままのノールを優しく横に寝かせる。
「ありがとう」
ノールも身体の倦怠感から、横になっていたかった。
「ボク、消滅したの? あいつらになんて負けた記憶はないんだけど」
「違うの、ノールは聖帝……テリーさんの能力で消滅したの」
「でも、ボクは今こうして」
「それもテリーさんの能力でノールが復元されたからなの。でも、それからノールは植物人状態になって。綾香姉さんも水人には薬も効かないから、もう手の施しようがないって。実際に一ヶ月間も意識が戻らなかったし……」
「一ヶ月? 本当に? どういうことなの……」
「着替えは、ボクとエール、アクローマさんで分担して替えたからね」
「別に変えなくてもいいのに。ボクは汗も皮膚の移り変わりもしないの、魔力体だから。ボクが汚れるとしたら外的要因だけ」
「そんな気はしていた」
「多分、人として自らを起点に考えていたからだろうね。でも、ありがとうとは言わせてもらうよ」
二人が会話をしていると、再び扉がノックされる。
「どうぞ」
ノールが訪問者へ呼びかける。
室内にある人物が入ってきた。
ノールとよく似た人物が。
見た目には少し歳の差があり、年齢からの落ち着いた気品さが感じられる。
「貴方は……」
「私の名はR・クァールです。ノール、貴方が目覚めたとアクローマから伝えられ、急ぎやってきました。よくR一族のため、頑張ってくれました」
クァールは急いだ様子で、ノールの傍へ行き、ノールの手を両手で握る。
ノールの傍にいた杏里を差し置いて。
続けて、室内にアクローマも入ってくる。
「ノール様、今は分かりづらいかもしれませんが、クァール様のお話を聞いて頂けないでしょうか」
「なんなの?」
なにか、ノールは今の一言だけで嫌な気持ちになった。
「ノール、貴方にこそ頼みたい、貴方にこそ相応しい重大な務めがあります。私に代わり、貴方が次期R一族当主を務めてほしいのです」
「それは、私たちR一族派の願いでもあります。お願い致します、ノール様」
「アクローマさ」
先程から感じている不満をノールは口にする。
「様をつけるのはなんなの? それに、クァールさん。ボクを新たなR一族の当主にするって血迷ったの?」
クァール、アクローマの話す内容や態度にノールは不信感を抱いていた。
「いいえ、運命です」
真剣な表情で、クァールは語る。
「非常に強い魔力を秘め、一子相伝の能力を継承し、若いながらにも既に権利を扱える貴方こそが新たな当主に相応しい。私の後を継いでくれますね?」
「そんなこと急に言われても……」
不安そうに、ノールは杏里の方を見る。
状況のおかしさから、杏里に助けを求めていた。
「ノール様、桜沢一族の者は我々には到底及ばない地位低き下等な者たちなのです。そのような者の意見を聞き入れる必要性など皆無であり、意見を拾い上げるなど恥ずべき行為です」
アクローマは平然と語る。
事実を事実のまま語るレベルで。
あまりにも一般論過ぎて、ノールと杏里がどういう関係なのかなどさえ気にしていない。
「……そうだよ、ノール」
アクローマの言葉に反応した杏里は、ノールから床に視線を下ろし、明らかに落ち込んでいる。
先程クァールに押しのけられてから、ずっと杏里は部屋の隅にいた。
「君までなの?」
怠さが残る身体を、ノールは起こす。
「おいで」
杏里にノールは手招きする。
そして、ノールはクァールを見る。
「ちょっと退いてよ」
「ええ」
クァールは別段なんともなく、少しノールから離れた。
「杏里くん、おいで」
杏里を自らの傍へ来させた。
「杏里くんは、ボクの大事な人だ。貴方たちが蔑んでいい人ではない。分からないのなら、ボクも相応の対処をしないといけない」
「ノール様。今までの経緯からすれば、この反応はなにもかもがおかしくありません」
あえて強調するために発言したことを、アクローマは否定する。
「アクローマ、まずは様づけを止めてくれない?」
「なぜでしょうか? 物分かりが悪い私めに、ノール様の考えをどうか教えて頂けないでしょうか」
「本当にどうしたの? さっきから、ずっと変だよ。ボクは寂しいよ……」
「はあ……駄目だわ」
アクローマは自らの頬に音が出るくらい強く両手を当てた。
「今はお咎め上等で、今まで通りの普通な接し方をするわ、ノールちゃん」
いつもの、砕けた感じのアクローマになった。
「ノールちゃん、ごめんなさいね。貴方と距離を取りたいから、こんな話し方をしているのではないの。こういう扱いに慣れていない貴方が受け入れられないのはよく分かるわ。でも貴方は元々このように人々から敬意を受けるべき尊い存在なの。貴方はR一族であり、元々貴方は王族の一人なのだからね」
「ふーん……」
腑に落ちないのか微妙な雰囲気のノール。
「では、ノール。貴方を正式にR一族の次期当主として認めましょう」
「分かったよ」
「ありがとう、ノール」
クァールは優しく頬笑みかける。
「新たな当主となった貴方に熟してもらいたい一つの仕事があります」
「なんだい?」
「総世界史始まって以来の稀代の犯罪者集団クロノスを率いた首魁タルワールおよびジリオン。桜沢一族唯一の反逆者桜沢有紗の処遇です。貴方は彼らにどのような処置を下しますか?」
「それは分からない。実際に会ってみないと……」
「分かりました。彼らをここへ連れてきましょう」
ノールの話を受け入れ、クァールは空間転移を詠唱する。