決着
傍らを見れば先程と変わらず、可哀相なくらいに恐怖しているタルワールがいた。
この時点まで来て、ようやくジリオンはタルワールが恐怖する理由が分かった。
標的とされた者は恐ろしさゆえに震え上がる。
それ以外の者は無意識のうちに安堵し幸福まで感じ入る。
恐るべき化物が、なぜか自らへ対して殺意を抱いていない事実がそうさせているのだ。
もはや、異次元に閉じ込める他ない程の恐ろしい存在が目の前にいる。
最初から逃げるべきだった。
桜沢綾香が討ち取られ、狂気に全てを投じていたあの当時のルイン同様に、ノールは既に人では太刀打ちできなくなっていた。
自らが出し得る最高の実力をリミッターの解放さえも行わず、いともたやすく最大限に出し得るこの変化を極致化と呼ぶ。
今まさに、ノールはその段階に到達している。
「この世にアンタたちさえいなければ、ミールもエールもお父さんもお母さんも誰も死ななかったんだぞ。どうして殺してしまったの?」
ジリオンを見つめながら、ノールは語る。
封印障壁をふれているノールの手のひら辺りから、封印障壁にヒビが入り始めた。
魔力量が大幅に増強したノールが、ジリオンの魔力へ干渉し、封印障壁を手を押しつけるだけで破壊しようとしていた。
「タルワール!」
恐怖から自らを奮い立たせるようにジリオンは叫ぶ。
「オレが信じられないのか! 幾度もお前を守り通してきたオレが!」
再び大剣を振り上げ、渾身の力でジリオンは大剣を振り下ろす。
「意味がないよ」
封印障壁にふれていない方の手で、ノールは大剣を軽く受け止めた。
「お前は魔力を剣で斬れるとでも思っていたのか?」
「ノールさん……」
静かに震えながら、タルワールが尋ねる。
「貴方は復讐のために人であることを辞めたのですか?」
「なんのこと?」
ノールは不愉快そうにしている。
厳密にいえば、ノールは魔力体であるため、そもそも最初から人ではない。
タルワールが語る内容はそういう意味ではなく、その次元を超えてしまったことを語っている。
ただ、わずかな間を置いて、ノールは今の話に合点が行く。
「……そうか、そういうこと。自ら進んで殺戮を行っているくせに、それが自分の番になったら棚上げって話ね。でもそう、言っていることは正しいよ」
ついに、ノールは封印障壁を砕いた。
「ボクは鬼になった。だからこそ、この力を手にしたのかもしれない」
「待たないか!」
ノールが受け止め、微動もしなかった大剣をジリオンは強引に振り上げ、大剣から手を離させる。
「貴様の思うがままになどさせるわけにはいかん! さあ、オレが相手だ!」
両腕で大剣をジリオンは構える。
「お前がボクに勝てるとでも思っているのか!」
「当たり前だ、正義が屈するなど断じてあってはならない! オレが逃げれば貴様はタルワールを殺すだろう! それを許すわけにはいかん!」
再び、空気が変わる。
身体の震えが収まらぬ程の恐怖に加え、邪悪な念、強烈な殺意が混じる。
「正義面しやがって……アンタらのせいでボクの大事な人が沢山死んだんだぞ! 絶対に許さないからな!」
涙を流しながら、怒りを露にする。
ノールが怒りの声を発した瞬間、周囲に霧が立ち込めた。
ノール、ジリオンともに間合い。
どちらかのモーション一つで戦いが喫する場面でノールが最初に取った行動はそれだった。
対してジリオンは渾身の魔力を大剣へ込め、縦一直線に振り下ろし、ノールを両断する。
先程とは異なり、受け止めもしなかったノールはあっさりと真っ二つに斬られた。
だが斬られた瞬間、容器の中に入った水をぶちまけたように一気に爆ぜた。
「ボクの話を聞いていなかったのか? 魔力体が単なる剣に斬られるはずがないだろ」
ノールの声が響く。
声の刹那、ジリオンは胸を押さえ、無言のまま仰向けに倒れた。
直後、霧の中からノールが形成される。
霧に覆われた時点で周囲の制空権は、ノールに握られている。
ホームグラウンドと化した場で、ノールに勝つなど不可能だった。
「ジリオンさんは……」
「死んだよ」
無邪気にノールは笑う。
この時もジリオンは死した時に、スキル・ポテンシャルが発動するようにしていた。
しかしそれは、魔力を扱って初めて効果を発揮する。
魔力を自由自在に扱える圧倒的強者を前にして、発動の機会が訪れるはずなどない。
ジリオンの敗因は、極致化できる怪物との戦闘経験のなさ。
負けるべくして負けたといっても過言ではない。
「にしても、呆気ないな。正義面する連中はこっちが聞きたくもないのに馬鹿みたいに一人語りを披露してくれるよね。本当にさ、そこらの石を無為に眺めているような気分になるよ」
ノールは小馬鹿にしたように鼻で笑う。
ノールのなにかが壊れていた。
それを本人は気づかない。
「おい」
タルワールに呼びかけてから、ノールは接近する。
恐怖に震え怯えていたタルワールだったが、身体の震えを止めノールを見据えた。
「ノールさん」
「なんだい?」
タルワールの目前に立つ。
「ジリオンさんの復活が見込めない以上、抵抗する手段は全てなくなりました。オレは足掻きも命乞いもするつもりもありません。だからこそ、オレの話を聞いてくれませんか?」
「構わないけど」
その一言の後、ノールはタルワールを殴り倒す。
「言葉には気をつけろ、立場と言うのを考えろ。お前の前にボクが立っている理由は簡単に分かるはずだろう?」
「ありがとうございます、ノールさん」
ふらふらとタルワールは立ち上がる。
手加減のされた威力での衝撃でさえ、タルワールは限界に近かった。
戦闘の基礎的な体力もタルワールには備わっていない。
「どうやって異次元から?」
「クァールが異次元に干渉し、ボクだけが通れた。クァールはその時に消滅したよ。あの時の叫びは、クァールが覚悟を決めた瞬間だったんだ」
「そう、でしたか……」
肩を落とし、タルワールは落ち込んだ様子を見せたが、再びノールを見る。
「最初からこうなるだろうとは予測していました。いずれはオレが抱いた使命を打ち崩す者が現われるだろうと。そして、それは残念ながら正しかった」
「チッ……」
怒りのせいか、ノールは舌打ちする。
「話したいってそういうことをか? アンタは狂っているよ。変な輩を従えて同族を皆殺しにするのが使命だなんてふざけるな。今になっても正義面して自分が正しいみたいに語るな!」
「していることを見れば、オレは相当に狂っているだろう。老若男女を問わず殺害していくのは間違いなく狂気の沙汰だ。しかし、人々がRの名のもとにひれ伏す。これが無条件に正しいと思い込まされる。自由も人権も無視した統制を容易く行えるR一族たちがこれでいなくなるなら生きている限り何度もオレは行動を起こすよ」
「もう話すな、異常者。さっさとミールの禁止令を解け」
「ミールさんの?」
タルワールは視線をテリーに移す。
「ミールさんは生き返りませんよ。勿論、一族全ての者たちもです。テリーさんにお願いして、彼らの存在を抹消してもらいましたので」
「ボクを舐めているのか? そんなことができるはずないだろ」
「聖帝には、それができるのです。ノールさんも聖帝の能力をテリーさんとともにいたのなら知っているのでは?」
「………」
嘘ではないと分かってしまった。
強力な魔力の流れを操作できるようになったノールには、タルワールが事実禁止令を扱っていないのに気づける。
なのに、ミールを復活の魔法リザレクの対象に取られない。
最初からミールなどという存在がいなかったかのように。
「すぐに気づけて良かったですね」
ノールの反応を見て、タルワールは語る。
「強くなった甲斐がありましたか、ノールさん。貴方の考えた通りです。こればかりはもう貴方にもオレにもどうすることもできません」
「いい加減にしろよ、そんなに死にたいのか?」
「死にたい? いいえ、なにも為せていない今、死にたいなど到底思えません。殺したいですか、このオレを。でしたら殺しなさい」
己の死を悟っているからか、タルワールに先程のような恐れはない。
その反応を見てか、少しずつノールは落ち着きを取り戻し始めた。
暫らくの間を置き、ノールは言葉を発する。
「いいよ……もう。お前を殺してもなんの意味もない。だったら、ミールを生き返らせる他の方法を探すよ」
「そうですか?」
意外な返答だったせいか、ノールをただ見つめた。
「オレから言わせてもらうなら、そのような方法が存在しないことを望みます」
タルワールは短剣程の大きさの魔法剣を作り出す。
「この長い年月をかけた戦いはオレの負けだったようです。本当にあと一歩のところだった……貴方で最後のR一族だった。数百年懸けましたが総世界はやはりRの血を望んでいるのかもしれません」
「はあ?」
語尾を強めに発する。
「貴方がいては寿命の期限が残り少ないオレが使命を全うするなど最早不可能でしょう。さよならです、ノールさん。貴方には力がある。誰よりも強力で圧倒的な力がです。その力を決して間違ったことには扱わないでください」
短剣を喉笛に突き立て、タルワールは地面に崩れ落ちた。
「どうして死のうとしてんの?」
崩れ落ちたタルワールを見下ろしながら語る。
しかし、返答はない。
「死ぬ意味もなかったくせに。死ねば、皆の償いができるとでも思っていたのか?」
タルワールから離れ、今まで地面を見下ろしたまま黙っていたテリーにノールは近づく。
「テリー、ミールがこうなったのは君のせいでもあるんだよ……とまあ、様子がおかしいところを見ると操られているのか」
なにも話さず、テリーは地面に視線を落としたまま。
そのテリーの姿に、ノールは溜息を吐く。
「まっ、いいか。ボクはボク自身が怖くなる程の強力な魔力を得たよ。この魔力さえあれば、ミールを再生させる能力も必ず見つけられるはず。でも、これからどうすればいいだろ。ボク……寂しいよ」
「………」
テリーからは、一切の返答がない。
目も虚ろで、ノールの問いかけが響いているのかも定かでない。
「テリー、帰ろう。こんなところにもういたくないよ」
受け入れ難く、泣き声になっていた。
そして、ノールがテリーの手を握ろうとした瞬間。
「私はR一族を……」
「えっ?」
ここで、ノールの意識は途絶えた。
この場にノールがいたと分かる程度の魔力を残したまま。
テリーの聖帝としてのスキル・ポテンシャルの一つ、事象を消滅させる能力が発動していた。