第4話 二十年の日常が、青空に溶けた日 〜名刺と魔法と添い寝の末路〜
ギイイ……
音と共に開く扉。隙間から差し込む朝日が扇状に広がっていく。そこに伸びる人影と共に現れたのは、紺色のレインコートのような物をまとった若い少女。手にした木の棒には、淡い光を放つ不思議な赤い石が埋め込まれていた。
目が合うアキムと少女――
(……!?)
「……あなた、そこで……何を」
「ええと、これは……ですね……」
シーツを手繰り寄せ肌を隠し、ゆっくりと隣のグランを見るアキム。その様子を少女はどう理解したのか。
――その答え。
「ぎゃあああ! へ・ん・た・い!」
咄嗟に床に木の棒を突き立て、早口に何かを呟く少女。足元の床板に、レーザー墨出し器で照射したような、精密で幾何学的な赤いラインが走り出した。
(LED? レーザー墨出し器? どこに光源があるんだ!?)
網膜を焼くような鮮烈な朱。それがボウッ!と質量を持った熱源へと変貌し、杖の先に宿る。
(杖型のライター……ええ?)
「ドワーフをたぶらかすとは、インキュバスめ! 地獄へ戻れぇ!」
そういって持ち直した木の棒を振ると、先から炎がほとばしりシーツに火をつけた。
「あーぢぢぢぢぢぢ!」
炎の熱さと派手な光に驚いたグランが目を覚ます。アキムも思わず燃えるシーツを放り投げ、両腕で肌を隠した。
「わしの、おろしたてのシーツがぁ!」
「何! 何? 火炎放射?」
(この地域は事故ると殺されるのか……え……まってここ……どこ?)
アキムは二日酔いの頭痛をこらえながら周囲を見回す。
「髭のおじさんは……グランさん!」
グランを指さし確認。
「この危ない人は……魔法使いのコスプレ少女……?」
少女は棒を構えたままアキムを睨みつけていた。
「羽根のないインキュバスだと?……新種か亜種か!」
「……インキュバス? ちがうちがう、こいつはアキムじゃ! 人間じゃ!」
あわてて2人の間に立つ半裸のグラン。
「じゃあ、なんで二人とも裸なのよ!」
「これは……その……イテテテ」
頭痛に顔を歪めるアキムに代わって、グランが説明する。
「昨日二人で盛大に酒盛りをしてな……暑くなって脱いでおったんじゃ」
「そういえば……お互い職人の筋肉自慢をして上着を脱いだような……」
二日酔いで記憶があいまいなアキム。一方のグランはピンピンしている。
「がははは。アキムもなかなかじゃが、わしの筋肉もまだまだいけるじゃろ?」
腕に力こぶを作って少女に見せるグラン。少女は目を覆った。確かに半裸のおじさん二人と少女がこの状況で一つの部屋にいるのは異常にみえる。
「二人裸でソファーに寝てるなんて紛らわしい!早く服を着て!」
(――紛らわしいって……おい、何がだ?)
アキムは脱ぎ捨ててあった服を急いで身に着ける。グランは着替えを取りに奥の部屋へトボトボ歩いて行った。残された面識のない二人の気まずい空気。耐えられずアキムが口を開く。
「なんかすみません、びっくりさせちゃって」
(――グランさんの知り合いみたいだし、ここは失礼がないように)
「わたくし、怪しいものではありません。こういう者です」
そう言ってアキムは胸ポケットから名刺入れを取り出し、両手で少女に差し出した。
「……上質な紙……それに何?この見たことない文字は……」
「瀬戸 秋武と申します。昨日グランさんの工房に車で突っ込んでしまって、どこにも連絡がつかない状況だったので、一晩泊めてもらったんです」
すると奥から上着を着ながらグランがでてきた。
「アキムはキャラバンなんじゃ、それでここでは見かけない格好をしておる。なんでも仕事でこの近くに来てたそうなんじゃ」
「まぁキャラバンっていうか、車はハイエースなんですけど……」
「白い馬車が工房に突っ込んでのう……しかしアキム、馬は雷に驚いて逃げたということじゃったが、キャラバンなら他の仲間はどうした?キャラバン隊はどこへ行った?」
「キャラバンたい?なかま?」
「ねぇねぇ、そのハイエースって、なに?」
三人の頭の上にそれぞれクエスチョンマークが浮かぶ。
キャラバン隊なのにアキムが一人でここにいるのが不思議なグラン。
乗ってる車はハイエースなのにキャラバンと勘違いするグランに困惑するアキム。
アキムからもらった上質な紙に書かれた、見たことのない文字。聞いたことのない”ハイエース”という言葉が不思議な少女。
「ちょっと……いいですか」
全員が困った顔をしているのを見かねてアキムが仕切り始める。
「まず、レイヤーさん……お名前を聞いても?」
彼女が腕組みをした瞬間、まとっている紺色のローブがうねった。上質な生地の光沢。
「私はスレイヤーじゃないわ! 宮廷魔術師・副師長 アリエナ・アシュリー!」
若さに似合わない、凛とした立ち居振る舞い。ぷいっと頬を膨らませたその横顔には、自分の力への絶対的な自負が滲んでいた。
「わしらはアリエナと呼んでおる。若くして宮廷魔術師の副師長を務める天才じゃ」
「”宮廷魔術師アリエナ”……わかった! ”オリキャラ”ってやつですね!」
「オリキャラ? わたしはアリアリエナ・アシュリー! 魔術師!!」
「なんじゃアキム、さっきから妙に噛み合わんのう……」
ほっぺを膨らませて腕組みする美少女魔術師。それをじっと見るアキム。
立派な髭をたくわえた小柄なおじさんグラン。それをじっと見るアキム。
そして、再確認するようにアンティークな部屋の中を見回すアキム。
しばしの沈黙――(何かがおかしい……?)
気づいてしまう――
「俺……死んだのか?」
急に喉が渇く。息がうまく吸えない。立ち眩みのような眩暈。
「何を言っとるんじゃ唐突に」
「グラン、やっぱりこの人おかしくない?」
二人が怪訝そうな顔でアキムを見る。
「……別世界に、いや何かの間違いだ……」
そういいながらアキムはアリエナを押しのけ、ふらふらと扉へ歩き出す。
「ちょっと、大丈夫?」
そにこは――見たことのない景色。
ドアを開けた瞬間、暴力的なまでの色彩が目に飛び込んできた。 視界を埋め尽くすのは、彩度を極限まで上げたような深い森の緑と、排気ガスを知らない透き通った濃い青空。 そしてその遥か先、地平線を遮るように聳え立つ白亜の城郭。 排気ガスの匂いもしない。アスファルトの照り返しもない。自然そのものの空気と風。
――まさに、異世界。
今までの自分の現実が音を立てて崩れる。そのショックに呼吸が荒くなり、目が眩む。積み荷の検収、来週の工程表、会社に残した領収書の山。 二十年かけて積み上げてきた『瀬戸エンジニアリング』の日常が、この抜けるような青空の下では、まるで実体のない陽炎のように霧散していく。
「……て、ん、い、しちゃった……俺、どうなるの……」
膝の力が抜け、土の匂いが鼻をつく。アキムは知らぬ間に倒れていた。
「あ!アキム、大丈夫!?」
「アキム!どうしたんじゃ!」
――異世界転移のショックで倒れたアキム。
再びソファーで目を覚ますと、見慣れない天井と自分の顔を覗き込む美少女の顔。そしてその隣に小柄なおじさんの顔。
「うわっ!」
「よかったー死んだのかと思ったわ」
「いちいち倒れるんじゃない二日酔い程度で、情けない奴じゃ」
ほっとしたような、それでいてまだ夢の中の様な。不思議な感覚のままの自分を落ち着かせる。
「あの……順を追って話しましょうか」
アキムは体を起こし、ソファーに座りなおした。そして二人にゆっくりと説明を始める。自分は日本人の瀬戸せと 秋武あきら、41歳であること。日本はこの世界とは別の世界にある国だということ。雷で撃たれ、そのせいでここに転移したのかもしれないということ。そして壊れた車のことと、積んである工具一式を使って設備工事の仕事をしていたということ。
「アキムって、うそ……アトラシア大陸の人間じゃないの!?」
「おぬし、キャラバン隊の旅でクリスタニア王国に来たのではなかったのか!?」
アキムはまずアリエナに向かい合い、話し始めた。
「頭が痛い……一つ一つ解決していこう。まず俺はどう考えてもこの世界の人間ではない。転移とか転生とかいうやつだ、たぶん」
そしてグランに向き直る。
「なんかおかしいと思ってたんだ……俺は行商でもキャラバン隊でもない。仕事は俺一人。そして乗ってたのは荷馬車じゃなくて車。ハイエースっていう名前の車」
二日酔いの頭痛なのか別の意味で頭が痛いのか、アキムは頭を抱えた。それを不憫に思ったのか、グランがアキムの肩に手をのせ話し始める。
「別の世界から来たと?」
腕を組み、天井を見て、アキムを見て、一言。
「……まぁそんなこともあるじゃろ」
「え……グラン、随分軽く受け入れるわね」
「考えてみろ、この世界はわからないことばかりじゃ。精霊も魔物も我々にとっては未知の存在じゃろう」
「そういわれるとそうかもね。魔術は研究されてきたけど、悪魔も古竜種も謎だらけ。この大陸以外のことも実は全然分かっていないのよね」
「そうじゃ、アキムはこの大陸の外から魔術かなにかで飛ばされたのかもしれん」
アキムは耳から聞こえてくる二人の会話を必死に理解しようとしたが、異世界アニメや漫画でしか知らない世界のこと。いざ自分の身に起きると、混乱して受け入れがたかった。
「俺……これからどうすればいいんだ」
「なんじゃ、そんなことを心配しておったのか」
「旅人がここに一人増えたくらいで何も変わりはしないわよ、ね!」
「おぬし、しばらくここに住め。昨日の美味かった酒の礼じゃ」
「礼ってグランさん、俺はグランさんの工房壊しちゃったんですよ」
「気にするな。聞けばおぬしも設備とかいうモノづくりの仕事なのじゃろ? わしも鍛冶師、仲間みたいなもんじゃ。工房は一緒に直せばいい。そうじゃろ?」
「グランさん……ありがとうございます」
涙ぐむアキムにアリエナが声をかける。
「グランさんなんて呼ぶ人はこの辺にはいないわ! グ・ラ・ン! グラン工房の主はこの辺では”人助けのグラン”なんて呼ばれてるの。気にしないで」
人助けしているのはグランなのに、自分が胸を張って言い切るアリエナ。それをみてちょっとリラックスできたアキムだった。
「グラン、これからよろしくお願いします」
そういってアキムはグランの手を両手でつかみ握手をした。
「アリエナもよろしくお願いします」
アリエナはちょっと照れくさそうに横を向く。
「しかしレインコートかと思ったけど、そのローブと杖……本物?」
「は?……宮廷魔術師っていったわよね……今度はその服、燃やしてやろうかしら?」
「冗談! 冗談! 今度魔法見せて……」
「はっ! そういえばわしのシーツが!」
グランが焦げて穴が開いてしまったシーツに気づき、大声を出したその時、
ギイイ……
とドアが開き、元気な老人の声が部屋に響く。
「グラン工房が壊れておる! あれは何じゃ!」




