第1話 バケツリレーの終焉 〜魔法で消せない大火災、現場の俺がポンプを回す〜
「火事よ!!西の大森林に火がついた!!」
家に飛び込んできたのは、ローブ姿の女魔法使い『アリエナ』
二日連続で|瀬戸 秋武は彼女に叩き起こされた。
「グラン!アキム!起きて!森が燃えてる!!」
窓から入り込んだ生ぬるく乾いた風が、喉の奥をちりつかせた。
焦げた木々の匂いだけじゃない。
生き物の悲鳴が混じる、重苦しく、粘り気のある熱気。
(あの匂い――ここは、風下か!?)
約20年間、現場で培ってきた危機管理能力が警鐘を鳴らす。
――ただの小火じゃない。
街を、そして自分たちの生活を根こそぎ奪い去る「本物の火災」の予感。
慌てて飛び起きたのは小柄なおじさん、ドワーフ『グラン』
「なんじゃアリエナ! 火事じゃと!?」
アキムも急いで服を身に付けながら起きてきた。
「どこで火事が?」
走ってきたアリエナは開け放った扉に寄りかかり、肩で息をしながら大きく空気を吸った。
「西の大森林! 城壁の哨兵が煙を見つけて、森に入ったら火事だった!」
「風向きは?」
「森からこっち! ここも街も、風下になってる!」
「なんじゃと!」
グランは外に駆け出した。アリエナとアキムもそれを追うように外へ出る。
風上、西の方角、大森林を見るグラン。
「確かに煙が見える……まだ広がりきってはおらんか」
「ええ、火元から森の外側に向かってるのが幸いしたけど、そのせいで街と、この工房が危ないの!」
「街ではもう動いておるのか?」
「ええ、みんなバケツをもって向かってる」
「バケツ?そんなもので火を消すのか?」
「何言ってるのアキム、それしかないじゃない!」
(――マジか……バケツ?)
「あとは燃えるものを取り除くしかないじゃろう。木や枝を切るしかない」
「アリエナの魔術でどうにかならないのか?」
「魔術の炎は魔術で消せる!でも自然の炎は無理!」
(――なんだよそれ、炎や水に違いがあるのかよ!)
「魔術師の近くに水があれば火を消す水魔法も飛ばせるけど……」
「そんな……」
(――止められなかったら……終わる……)
「グラン、どうしたらいい?」
「ここまで来るにはまだ時間があるじゃろう。森に行って火を食い止めるのが賢明じゃ」
「そうね、あたしは先に行って魔術師ギルドと合流するわ!」
そういうとアリエナは森へ向けて駆けていった。
「ギムレットは?」
「街に住んでおるからのう。おそらくそのまま現場に向かうじゃろう」
「とりあえずバケツリレーじゃ。わしらにはそれしかできん。森の入り口にある小川が近いか、城壁の堀の水が近いか、行ってみないことにはわからん」
「わかった。5分待ってくれ!」
そういうとアキムは工房へ向かい、
純白の塗装が施された鉄の塊――『ハイエース』のバックドアに手をかけた。
バックドアを跳ね上げると、そこにはアキムの人生そのものが詰まっていた。
丁寧に自作された木製の棚。そこにはサイズごとに仕切られたボルトナットとビスの小箱、使い込まれた電動工具の箱、そして現場で付いた傷の一つ一つ。
異世界の住人から見ればそれは『未知の武器庫』に映るだろう。だがアキムにとっては、二十年間苦楽を共にしてきた、世界で一番信頼できる『相棒』そのものだった。
真っ先に折り畳み式アルミリヤカーを下ろし、組み立てる。
異世界に舞い降りた異質、鈍色のアルミリヤカー。
シャキッ、シャキッとアルミ同士が精緻な音を立てて組み上がるその姿は、この世界の粗削りな鉄製品とは一線を画す『オーバーテクノロジー』の結晶だ。
鍛冶師であるグランの目が、信じられないものを見るように見開かれる。
魔術ではない。だが、極限まで磨き上げられた『機能美』という名の魔力が、そこには宿っていた。
「銀色のなんじゃそれは……板に車輪?」
アキムが慣れた手つきで折り畳んだ本体を組み立て、部品を差し込む。
「ここを広げて、部品を差し込むと、ほら出来た!」
あっという間に出来上がったのはアルミ製の組み立て式リヤカー。
「これは移動が多い現場用。グランに簡単に説明すると……荷車か!」
「荷車ならわかるぞ。だが、こんな構造は初めてじゃ……」
グランは感心して細部を触っている。特に折り畳みの仕組みが気になるようだ。さすが鍛冶職人である。
「積み込むのは……腰道具に、使えそうなカッター、ニッパー、ペンチと……」
アキムは次々と小さめの工具袋に必要なものを入れ、リヤカーに積んでいく。いつもの作業準備と変わらない、手慣れた手つきで。
「そして水中泥水ポンプと、それを動かす発電機!」
「青い筒と、赤い箱……なんじゃそれは」
「この青いのがポンプ、水を押し出す装置。赤いのは発電機――これで動かす!」
「ふむ……井戸の水汲みポンプはわかる。王族や一部貴族の井戸にしかないがのう。しかしこんな小さな筒で、まさか……」
「そのポンプを動かす力がこの赤い箱から出ていくんですよ」
「ふむ、言ってることはわかる気がするが、この目で見ない事には信じがたいな」
「今は時間がありません!今度ゆっくり説明します」
アキムはもう一度ハイエースに乗り込み、中を物色し始める。
そしてポンプ用の排水用ホース、ポリ管、使えそうな継手をかき集める。それをリヤカーに乗せ、接続パーツを数種類、手づかみにして工具袋に入れた。
「今使えそうなものはこれくらいか! 悠長に選んでる暇はない!」
アキムは急いでもう一度荷室の中を見回す。そしてスコップ、脚立とVP管、PF配管の切れ端を取り出し、リヤカーに積み込んだ。
「グラン!このVP管……長いパイプを外までお願いします。俺はこのリヤカーを引いて行きます」
「なんじゃこのしなる灰色の棒は、どんな技術で作られておるんじゃ……」
ドワーフのグランが驚愕するのも無理はない。
この世界における「管」といえば、高価な鉛か、錆びる鉄、あるいは腐りやすい木製だ。
職人が手作業で一つずつ作るそれらに対し、この『VP管』は、狂いのない真円と平滑な内面を持ち、誰が繋いでも水漏れ一つしない。
近代建築の血液を運び続けてきた「塩化ビニル管」という奇跡を、グランはその無骨な指先で震えながら撫でていた。
「黒い梯子も……恐ろしい精度の金属加工じゃ」
「説明は置いておいて、今はとにかく急ぎましょう!」
アキムはリヤカーを引き外へ出た。グランも長いパイプを気にしながら外へ出てくる。
「グラン! そのままリヤカーに乗ってくれ!」
「おぬしが引くのか?」
「俺が引きます! 走るのには自信があります!」
グランの指示で煙が立ち上る火元の方角へ向かっていく、銀色のリヤカー。
積んだ荷物とそれを抑えるグランが揺れ、ガタガタと音を立てながら進んでいく。
しばらく進むと煙が濃くなり、沢山の人影が見えてきた。
「おお、見えてきたぞ!」
「はぁ、はぁ……あそこですか!」
少し先の森のでバケツリレーをする人たちが見える。森の中の方では燃えそうな草や枝をなぎ倒している衛兵団が見えた。
「城壁の堀から水を汲んで、ここまでバケツリレーしておる!」
「人海戦術しかないんですね……魔術師の人たちは?」
「その水を運んだ先で水魔法を使っておるじゃろう!」
アキムは森の入口に進みながら周囲を見回し水源を探していた。
「グラン! 火元の近くに川や池はないんですか!」
「水を汲める場所が近くにあるならば、そこからバケツリレーしとるはずじゃ。近くにはないから、あんな遠くからリレーしておるんじゃ」
(――くそっ、近くに水さえあれば)
森の入口に近づくにつれ足元の雑草が沈む。徐々に足場が悪くなる。湿気を含んだ土が多い。
「グラン! もしかして湿地が近くにあるのか?」
「おう、西の大森林は入口だけが湿地帯になっておる」
「それだ!湿地の水を使いましょう!」
「無理じゃアキム! 湿地の水は深さがない上に底は泥じゃ。バケツでは汲めん!」
「大丈夫です!行きましょう!」
アキムたちは森の入口にたどり着いた。
そこでは街の住人たちが城壁の堀から大人数のバケツリレーで水を運んでいた。バケツが前へ送られ、魔術師が水を放つ。そして空のバケツが戻ってゆく。
「もう腕が上がらない……」
「いつまで続くの、この量で火が消えるの?」
「いくらやっても、どんどん燃え広がってないか?」
魔術師たちが放つ水は、ただの水よりも明らかに強く火を叩いていた。しかし火の勢いがまだ勝っており、予断を許さない状況だ。
「グラン、湿地の中で水深が一番深いところに向かいましょう!」
「深いといっても……深さは拳二つ分ほどしか無いぞ」
アキムがリヤカーを引き、グランが後ろを押して湿地の脇の通り道を進んで行く。しばらく進んで、湿地の中心、わずかに水が湧き出ている場所を見つけ止まった。
「して、どうするアキム?」
「まずはポンプを設置します!グランこの剣スコで湿地の水がある所に穴を掘ってください!」
「ケンスコ?……この鉄製スコップじゃな」
グランはなるべく水が多い場所を見つけ、スコップで穴を掘り始めた。
アキムはリヤカーからポンプを下ろし、電源コードを縛っている紐をほどく。そして排水用ホースを手早くホースバンドでポンプの口へ接続した。
「掘った穴にポンプを使います。グランはこのホースを伸ばして前線に送ってください!」
「この青い巻いてある奴を長く伸ばしていけばいいのじゃな!」
「はい!この中を水が通るんです!なるべくねじれないように、真っ直ぐ!」
「わかった!」
グランは腰を曲げ器用に排水ホースを転がしていく。体を動かして仕事をしている職人は理解が早い。
アキムは靴を脱ぎズボンをまくり上げ、グランが掘った穴にポンプを設置した。穴には予定通り周囲の水が集まってきている。足はぬかるむが水深自体はやはりさほどない。穴を掘って正解だった。
次にリヤカーから発電機を下ろし、なるべく水平な場所に置いた。グランはもうだいぶ先まで進んでいる。
(――排水ホースは工事で使った余りだ……前線まではすこし足りてない)
アキムはリヤカーを引いてグランのもとへ向かう。初めてにしては、手際よくホースを伸ばし終わったグランはそこで立ち止まっていた。
「アキム! ここで終わりじゃ。残念ながらまだ前線までは足らん」
「大丈夫、まだある。次はこれを繋ごう!」
アキムはリヤカーから積んできた青と赤の管を下ろした。
「これは水道用の管だ、抵抗が少ない! さっき引いたホースとつないでこれを伸ばしていこう!」
(――仕事で使ってた残りもの……多少は距離を稼げるか)
アキムはまたホースバンドを取り出し、排水ホースとポリ管を繋いだ。そして青と赤それぞれのポリ管をワンタッチ継手でカチっと繋ぐ。
「よし、グランまたこの管を先へ伸ばしていってくれ!」
グランは青と赤の大きな二つのパイプの輪を器用に転がしながら伸ばしていく。アキムはその横をリヤカーを引きながら進んだ。
「だいぶ近づいたが、少しだけ足らん! あともうちょっとじゃというのに!」
「まだ大丈夫! 最後にVP管、これを繋ぐ!」
グランとアキムが話していたその時、前線からこちらへ走ってくる人影。聞いたことのある声が森に響いた。
「グラン! アキム! 来てくれたのね!」
アリエナが手を振りながらアキムたちのもとへ駆け寄る。火事の煤で顔が真っ黒だ。前線の魔術師たちは皆、必死に消火に協力していたのだろう。ローブにも焦げ跡があった。
「ひどい有様じゃ……顔が煤で真っ黒じゃないか」
「水がもっとあれば派手に水魔法を撃てるのに、バケツの少ない水じゃそうもいかないの……」
「そう思って、助太刀に来た! アリエナ!」
アキムはアリエナに親指を立てる。リヤカーから取り出した継手を使い、ここまで伸ばした管にVP管をつないだ。総延長100m超。あり合わせで無理やり作った放水管。
仕上げにリヤカーから脚立を下ろして地面に立てる。
「ほう、便利な折り畳み梯子……しかし森の地面が平らではない。不安定じゃ」
「大丈夫! このハセカワのブラックシリーズは足の長さを調整して――地面に食いつくように立つ」
アキムはレバーを操作して脚立のそれぞれの足を調整して延ばした。脚立は凹凸のある地面に対してまっすぐに安定して立った。
「まったくお前は凄いものを持っておるのう……これは画期的じゃ」
「グラン、これで放水の高さを稼げる! これに上ってくれ。ただ使い方として危ないから一番上の天板には登らないで」
「承知した! ここからアリエナの指示で放水すればよいのじゃな!」
「じゃあグラン、アリエナ! 俺はもどってポンプを動かす。水が流れてきたら後は頼んだ!」
アキムはポンプと発電機の元へ向けて走り出した。前線の魔術師たちが何とか少ない水で持ちこたえているが、このままではいつまでもつかわからない。
グランは脚立の中ほどまで登りしっかりパイプを支えていた。アリエナはその位置を確認しながら仲間の待つ前線へと向かう。
息を切らしながら急いでリヤカーを引き戻ってきたアキムは、ニホンダ製インバーター発電機の前にしゃがんで構えた。
「燃料キャップダイヤル『ON』、エンジンスイッチ『運転』、チョークを『始動』にあわせて……っと」
――始動グリップを勢いよく引いた。
ギュン!
――勢いよく紐が伸びるが、始動しない。
(――頼む、動け)
――二たび、引く。
ギュウン!……ヴヴヴヴ……
湿った大気を切り裂き、ニホンダ製エンジンの咆哮が響き渡った。低い振動音が、地面を伝う。
魔法の詠唱でも、精霊のささやきでもない。
化石燃料を爆発させ、ピストンが激しく精密に往復する、力強い機械の鼓動。
「かかった!」
震えるアキムの手。ポンプの電源プラグを発電機に差し込んだ瞬間、静止していた水中ポンプが「怪物」へと変貌した。
ゴオオオオオオ!
「よし、行けッ!」
ぺしゃんこだった青いホースが、凄まじい水圧を受けてパンパンに膨れ上がる。
それはまるで、枯れ果てた血管に熱い血が通った瞬間のような、圧倒的な生命の躍動だった。
「少し泥は吸い込んだが強い! さすがツルウミ製作所の泥水対応ポンプ!」
水面が浅く、底は泥の湿地だが掘った穴が功を奏した。
穴に集まってくる水をポンプはぐんぐん送っていく。
「よし! とどいてくれ!」
前線でバケツを受け取っていたアリエナの耳に、聞いたこともない『唸り』が届いた。
(……何!この地響き?)
それは魔獣の咆哮でも、大地の震えでもない。無機質で、一定の周期で空気を震わせる、暴力的な回転音。
魔力を一切感じさせないその異質な振動は、死に物狂いでバケツを運ぶ群衆のざわめきを、一瞬でかき消していった。
「アキム……まさか、本当に水が届くの!?」
アリエナが振り返った先、遥か後方の湿地で、青いポンプの傍らに立つ男の姿が見えた。
直後、足元の地面を這うように、ホースが生き物のように膨れ上がり、のたうち始める。
膨大な質量が、目に見えない速さでこちらへ向かって突き進んでくる予感――。
グランは脚立に登り、膨れて迫りくるホースを見ながら不安そうにパイプを握っている。
アキムは水の流れを追ってグランの元へ走った。
「グラン! 水がそっちに向かってる! パイプを支えてくれ!」
「大丈夫じゃ、しっかり持っておる!」
グランはアリエナのほうに向き直り、声をかけた。
「そっちでいいんじゃな! 来るぞアリエナ!」
手を振って、そのタイミングを待つアリエナ。
次の瞬間――
ホースが、波打った。地面を這う振動が一直線に迫る。
「来るぞ!!」
グランが脚立にしがみつく。
ドン!という衝撃――そして……
叩きつけるような水圧が、解き放たれた。
白い奔流が空気を裂き、一直線に舞い上がる。
アリエナに向かって――




