先見の明だけはありますので
また今日も教室の隅でピエール王子はアドリエンヌ男爵令嬢といちゃついている。
偶然、肩や髪にまで触れているところを目撃してしまった。
婚約者である私、フェリシアも同じ教室にいるというのに。
本人は自分は第二王子であって王太子じゃないからいいのだと思っているのかもしれないが、五男や六男ならともかく王太子と同腹の次男なのだから、もし王太子に何かあればピエール王子が次の王太子になる。
とにかく、礼節でも、立場でも、ありえない振る舞いだ。
「あら、フェリシアさん、また寂しそうにしているわね」
「いくら王子に嫁げるといっても、あれは可哀想よね」
「そうよね。勢威のある伯爵家だし、いっそ婚約破棄してもらえれば、いいお相手もいくらでも見つかるでしょうに」
「成績もとても優秀なのに、本当に人生ってうまくいかないものね」
そんなクラスの令嬢たちによる同情の声が聞こえてきたので、私は教室を後にした。
とても聞き続けてはいられないし、婚約者のはしたない振る舞いも見ていられなかった。
私の伯爵家は貴族全体でもとても力がある家だった。領地に内陸交易上の中心都市があって、税収で恵まれていたせいだ。
それに、我が家は三代前に侯爵家の分家として誕生した家なので伯爵家の中でも家格が高かった。いわば、准侯爵家と言っていい位置にいた。
だが、私にとってはそれが災いした。
私は出来の悪い第二王子のお目付け役として婚約者に選ばれた。
公爵家や侯爵家からはどこもピエール王子の婚約者を出してくれるところがおらず、私のところに話が下りてきたという噂だった。
真相はわからない。上級貴族は内々で婚約が可能かどうか話を進めるからだ。
あそこでダメでした、そこも断られました、なんて情報が表に出ることはない。
だが、私への婚約の話は多くの貴族が集まった中で打診された。
「そなたの娘のフェリシアはとても聡明だそうだな。ぜひ、ピエールの妻に迎えたい」
国王陛下は誰にも聞こえる声で、そうおっしゃったらしい。
「あ、あの……それは誤解です……。我が娘は十二歳まで田舎の領地で暮らしていたので、遊び相手もなく……それで仕方なく本ばかり読んでいて、本の虫になっていただけです。決して聡明などということは……」
お父様はこう弁解してどうにか乗り切ろうとしたという。
言葉をよく覚えているのは、お父様が私にも事の次第を詳しく伝えたからだ。
「これは王である私の願いだ。どうか、そなたの娘にピエールをしつけてもらいたい」
こう国王陛下に言われてしまっては、お父様も断れなかった。断れば、陛下の体面を傷つけることになる。伯爵家が許されるわけもない。
私は第二王子と婚約することになった。
3年前の私が14歳の時だ。
その時点で私の運命は決まってしまったようなものだった。
「せめて優秀と名高い第三王子の婚約者であればよかったのにな。フェリシア、お前には済まないことをした」
今でもよくお父様は私にこう言って、この婚約を嘆く。
「だいたい、あんな暗愚な第二王子とお前が話が合うわけがないのだ。暗愚なうえに愛すらないなんて……」
私も少しは婚約者の肩を持つべきだったのだろうけど、言葉が出なかった。
ピエール第二王子が私を好きでないことは明らかだったからだ。
小難しい故実の教育係である私が遊び人の彼に好かれるわけがない。ただの嫌な女にしか映ってないだろう。
◇◆◇◆◇
私は人気のない廊下の端のほうで窓からの景色を眺めていた。
勉強はしてきたつもりだが、それをどこでどう生かせばいいのだろう。発見されないように毒でも盛れと?
「フェリシア、こんなことでどうしているんだ?」
声をかけられて振り向くと、背の高い黒髪の殿方が立っていた。
ステファン様。我が家と同じく、有力は伯爵家の令息だ。一つ上の学年だから、こんなところで顔を合わせるのは久しぶりだった。
彼は私を呼び捨てで呼ぶ。というのも、私たちは幼い頃から何度か顔を合わせていたからだ。毎日遊んだなんてことはないが、一種の幼馴染なのだろう。
「ステファン様もよくご存じでしょう? あんな居心地の悪い教室も珍しいですよ」
「ああ、ピエール第二王子か。もしも、あんな破廉恥王子が王になったら、この国も終わりだな」
「その王子の婚約者である私の身にもなってください」
私は周囲に目をやった。
ステファン様と密会しているとでも噂を流されてはたまらない。
「その婚約者だが、いっそ破棄しないか?」
はっきりとステファン様は口にした。
「そ、それはどういうことです……? たしかに第二王子の不貞行為を理由にできなくはないかもしれませんが、私はほかの貴族の子女同様、家も背負っているのですよ」
聖人君子の貴族などほとんどいない。国王陛下の顔に泥を塗るようなことをすれば、小さなことを理由に領地を取り上げられるリスクは常にある。
「いいや、大丈夫だ。むしろ、アドリエンヌ男爵令嬢その他との乱れた関係が問題になって、あいつは完全に立場を失うはずだ」
「その可能性もありえるとは思います。ですが、あくまでも可能性です。私の家にお咎めが来る可能性も同じぐらい高いですよ」
これが庶民同士の婚約なら、不貞行為の証拠があれば慰謝料でも取れたのかもしれない。
しかし、相手は王家だ。国王陛下の不興を買うというリスクが大きすぎて動けない。
「少なくとも、フェリシアの面倒は見る」
「それはどういうことです? 家が没落しても資金援助をしてくださるということですか?」
「次の婚約者には俺を選んでくれ」
ステファン様は自分の顔を指差した。
ふざけているわけでもないらしい。いたって真剣な顔だった。
「なっ……。こんなところで……。誰かに聞かれたらどうするんです?」
「俺は必ずもっと上にのし上がる。お前にも何も不自由のない生活を約束する」
事実上の告白をしたからか、ステファン様は立て続けにしゃべった。
「なにせ、俺は第三王子の兄貴分だからな。もっと出世する」
とても大それたことを彼は堂々と語った。
たしかに同腹の第三王子はピエール第二王子よるはるかに教養があって、聡明だ。
まだ15歳のはずだが、故実などは第一王子などよりよほど詳しいという。
しかし、だからといって上に同腹の王子が二人もいるのだから、常識的に考えて、第三王子が王位を継承する目はない。
それがあるとするなら、政変が起きることが前提になる。
「ステファン様のご実家は第三王子を応援されているんですね」
「いずれ、お前の婚約者のピエール第二王子は失脚する。あれは羽目を外しすぎている。そろそろ王が決断するだろう。そうなったら、第一王子と第三王子の一騎打ちだ。勝算はある」
「申し訳ないですが、聞かなかったことにしておきます。いくら学生のたわごととはいえ、危なっかしいですから」
「それは別としても、どうせなら幼馴染を選ぶほうがフェリシアも幸せになれるぞ。お前は未来を見る目は確かだろう。だったら、選ぶ先は俺だ」
そうステファン様は言って、去っていった。
◇◆◇◆◇
放課後、私は広々とした裏庭に避難するように移動した。噴水の水の音が気持ちを落ち着けてくれる。
ステファン様は少し押しが強すぎる。おかげで少し疲れてしまった。
庭園の中でも奥のほうの東屋に銀髪の貴公子が本を読んでいる。
ここが彼のお決まりの場所だった。
「おや、フェリシアさんじゃないですか。こんにちは」
彼はわざわざ立ち上がって貴族の礼をとる。
隣の教室の生徒のアルチュール様。侯爵家の令息で、背はかなり高い。馬術や剣術も相当な腕前の方だが、学園ではだいたい本を読んでいる。
何度か図書館で本を借りに来た彼と顔を合わせたことがきっかけで、こうやってお知り合いになった。本の話題も合うし、私の親友と言っていい。
教室が一緒だったらと思いもするが、婚約者の第二王子がいる前で楽しげに話すわけにもいかないから、隣の教室だったのはちょうどよかったのだろう。
「実は少し迷っていることがありまして。アルチュール様ならどうなさるか、意見だけ聞かせてくださいませんか?」
「あくまでも僕は自分に都合のいい答えしか出せませんよ。僕はフェリシアさんではないから、バイアスも混じってしまう。それでいいなら」
「それで構いません。実は私も答えは出ているんですが、それの答え合わせがしたいだけですから。だから、アルチュール様の意見を信じてひどい目にあったなんて責任転嫁は絶対にいたしませんよ」
私は第二王子の件とステファン様に婚約破棄を進められたことも話した。
さりげなく、ステファン様から婚約の話を持ち出されたことも添えて。おそらく、アルチュール様には通じるだろう。
私の話をアルチュール様はうなずきながら聞いていた。
「僕なら、今は動かないね。まだじっと待つ」
「ありがとうございます。私も同じ意見です」
「理由も用意してあるけど、聞くかい?」
「いえ、おそらく同じでしょうから大丈夫です。今、動くのは一番危険だと思いますかr」
◇◆◇◆◇
後日、私は学園の人気のない教室に呼び出された。
教室にはピエール王子とアドリエンヌ男爵令嬢がいた。
アドリエンヌ男爵令嬢はピエール王子に腕を巻き付けている。庶民の子女でも顔を赤らめる仕草だ。
ああ、言いがかりをつけて、私をなじる気だな。
どうせ私の弁明など聞くつもりもなく、アドリエンヌ男爵令嬢のことを信じるのだろう。
「フェリシア、どうやら近頃、お前を心配させてしまっているらしいな。それについては詫びさせてくれ」
「えっ……? お詫びだなんて……。いったい何のことですか?」
まさか、ピエール第二王子が謝罪することがあるなんて考えたこともなかった。
私も想定外のことで、たじろいでしまった。
「いや、お前のことだから、このままでは婚約もなかったことになるのではと気をもんだのではないかと思ってな」
「ああ……。そういう面がないとは言いませんが、私から何か申すことではありませんから」
「心配するな。お前との婚約を反故にするつもりはない」
本心では喜べなかった。まともな結婚生活が待っているとは思えなかったからだ。
もっとも、婚約者の言葉はもっと斜め上だった。
「お前がアドリエンヌを認めてくれさえすれば、それでいい」
「アドリエンヌ男爵令嬢を認める? 別に私は否定したことなどありませんが……」
「だが、お前は俺とアドリエンヌが仲良くしているのを嫉妬しているじゃないか。その嫉妬をなくして、俺が仲良くしているのを認めろと言っているのだ」
「えっ……。それは……本気で言っている……のですよね」
あぜんとしてしまった。
つまり、浮気を認めろとこの方は言っているのだ。
「あの、もちろん、社交の場でなごやかに会話することなどは問題ないと思いますし、教室での会話も度が過ぎない程度ならよいでしょう。ですが、今のお二人の振る舞いは非常識です」
「ああ! わたくし、悲しいです! フェリシア様にずっと嫌われたままだなんて!」
わざとらしくアドリエンヌ男爵令嬢が艶っぽい声を出した。
直後に彼女が私を睨んだことを、私は見逃さなかった。
「フェリシア、お前は心が狭すぎる。お前のような底意地の悪い女と婚約することはできないな。お前との婚約は破棄する!」
なんだ、結局こうなってしまったか。
「わかりました。それでは、婚約破棄の書類を私の実家にお送りください」
「最後に選択肢を与えてやったのに、それもあっさり断ったな」
「申し訳ありませんが、私には選択肢には見えませんでした」
アドリエンヌ男爵令嬢がピエール王子に顔を近づけた。
彼女は第二王子の婚約者となれば、大きく立身できると思っているのだろう。たしかに男爵家で婚約者になれば伯爵家の家格ぐらいに引き上げてもらえる可能性はある。
それは間違いではないかもしれないが、リスクも大きすぎる。
第二王子がこのままの地位を保てるかなんて本当にわからないのだから。
「殿下、わたくし、フェリシアさんが怖いですぅ!」
「大丈夫だ、俺が君を守ってやるからな」
そんなやりとりを見ている気にはなれなかったので、私はその教室を離れた。
それにしても意外だった。そうか、第二王子と婚約する選択肢も、私の人生には一応は用意されていたわけか。
この選択肢を選んではいけないことぐらい、先見の明がなくてもわかるけれど。
◇◆◇◆◇
後日、ピエール第二王子は正式に父親である国王陛下に私との婚約破棄を伝えたようだ。
私の家にも破棄の書類が届いたので間違いない。
そして、ピエール第二王子は王から叱責を受けて、学園も休学になった。
だろうな。
王の了承を得ずにこんなことをして許されるわけがない。
逆に言えば、王も王太子の第一王子もわざと黙認していたんだろう。
大きな失態がなければ、具体的な罰を与えることもできないから。
アドリエンヌ男爵令嬢も無期限の謹慎ということになり、学園で見ることもなくなった。
ご実家も没落の危機にあるという噂だった。少なくとも、国王陛下から睨まれた貴族と交際したいと思う方などいないだろう。
第二王子が休学したという話が出た直後、ステファン様から屋敷でのお茶会に誘われた。
お茶会を断る理由はなかったので、私は出席した。
テーブルには私とステファン様だけが座っている。
給仕役のメイドさんが後ろで控えているだけだ。
「まさか、第二王子から婚約破棄をするとは思っていなかったぞ。本当に何もわかってない奴だな」
「まあ、恋は熱病のようなものですから。男爵令嬢との恋に落ちてしまったら、計画立案なんてできませんよ」
「そうだな。だが、これで邪魔者はいなくなった」
ステファン様はティーカップを丁寧に置いた。
「俺と婚約してくれ、フェリシア」
私は胸に手を置いた。
自分の胸に答えを聞きたかったのだ。
これは私の人生で最大の選択になるかもしれない。
結論は出た。
情勢から考えても、感情から考えても答えは揺らがなかった。
「お気持ちは大変ありがたく思います。ですが、申し訳ありませんが、婚約破棄をされたばかりでまだ心の整理がついていないのです」
「なっ……! 幼馴染だからというだけじゃダメということか」
どうやら彼は私が婚約をすぐに受け入れると思っていたらしい。
「そんなことは申していません。それとも、ステファン様は元婚約者が落ちぶれた途端、喜んで笑っているような女と婚約したいのですか?」
「そ、それは……」
「少しお時間をください。それでは失礼いたします」
「俺が偉くなってから、泣きついてきても知らないからな。第二王子が消えたんだ。第三王子と第一王子のどちらが後継者になるか、これから本格的な戦いになる」
なんで、そんな捨て台詞みたいなことを言うのだろう。
男のプライドでも傷ついたのだろうか。
「そういう問題ではないと申しているはずです。失礼いたします」
私は幼馴染だった方に失望しながら屋敷を辞去した。
◇◆◇◆◇
秋の風が吹き始めた頃、第三王子は公爵の地位と辺境の領地を賜って、地方へと去った。
事実上の失脚だ。
後継者争いで第三王子は敗北した。
そしてステファン様の実家も第三王子に肩入れしていたせいか、つまらない理由で一部の領地を取り上げられた。
そのせいか、学園で目にしたステファン様はやつれていた。縁談もうまくまとまらないようだ。
私は庭園の東屋を目指した。
アルチュール様はいつものように本を読んでいた。
「少し寒くなってきましたが、大丈夫ですか?」
「ここでずっと本を読んでいれば、政争に巻き込まれずに済みますからね。そして、実際に巻き込まれずに済んでいます。半年の間にいろいろとありましたね。まさか第二王子も第三王子もいなくなるなんて」
「私も動かなくて正解でした。元婚約者の第二王子が婚約破棄をすれば、第三王子もひどいことになるだろうとは思っていたんですが」
アルチュール様は本を閉じた。
「フェリシアさん、その理由、聞かせてくれますか? どうして第三王子まで失脚するとお思いに?」
すでに第三王子は失脚しているわけで、つまり、これは理由を推理する一種の知的ゲームだ。
教室ではこんな話ができる方はいないが、アルチュール様とならそれができる。
「第三王子が王太子だった第一王子にそこまで警戒されずに済んだのは、愚かな第二王子が間にいたからです。第三王子は王太子の座につくために二人も追い落とさないといけない。そんなことは不可能に近いですから、第一王子もまったく気にしていなかったでしょう」
「つまり、あなたの元婚約者の第二王子は無能だったけど、クッションとしては優秀だったということですね」
「そうです。もし、次男が長男より圧倒的に優秀なら、長男は恐ろしいはずです。次男のほうが後継者に向いていると思う人は必ず出てきますからね」
「しかし、クッションは消えて、直接対決の構図になったと」
「そうです。第一王子とその即位を望む大多数の方にとって、第三王子は不気味な勢力になりました。アルチュール様が国王陛下ならどうなさいますか?」
「兄弟で殺し合いをされるぐらいなら、弟のほうに中央から離れてもらうかな」
「ですね。そして、実際にそうなりました」
本当に優秀なら、優秀であることを示して、仲間を集めることなどしてはいけなかった。無力であると振る舞うべきだった。
「第三王子を応援する人達は、以前から堂々と『第三王子が王太子にふさわしい』と口にされていました。それはほとんど可能性がない状況だから許されていたことです。本当に起こる可能性が高まったら、クーデターを警戒されます」
ぱちぱちとアルチュール様は拍手をしてくださった。
「完璧です。僕もそのように説明したと思います」
「ご期待にこたえられて光栄です。アルチュール様ならきっとこう考えると思っていました」
実のところ、実家からはステファン様と婚約してはど何度か持ち掛けられた。
でも、私は断った。
彼が軽率だと思ったのもあったし、彼が好きなのは私ではなくて、政治だったからだ。
私の立場に大きな影響が出るかもしれないのに、第二王子と婚約破棄しろと彼は平然と言った。
私がどうなろうときっと彼にはどうでもよかったのだ。
冷徹というのとも違う。単純に興味がないのだ。
そんな方と幸せになれるとは思えなかった。
「ああ、よかった、本当によかった」
アルチュール様は、ふぅっと息を吐いた。
思った以上に緊張されていたらしい。
「本当に正解でよかったです。前に質問をされた時、僕は自分に都合のいい答えしか出せないと言いましたよね。自分の都合で先読みを失敗しているんじゃないかと不安だったんです」
「そういえば、あの自分の都合というのは何だったんですか? アルチュール様の侯爵家はどこの党派にも属していなかったはずですよね?」
「そうですね。いいかげん、答えないと熟慮ではなくて、ただの意気地なしになってしまう」
アルチュール様は椅子から立ち上がると、座る私の前にひざまずいた。
そして片手をそっと私のほうに伸ばす。
「愛するあなたが誰のものにもならない選択を僕はしたかった。だから今は動かないほうがいいと君に言うしかなかった。――これが僕の都合です」
私はすぐには言葉を返せなかった。
「フェリシアさんは覚えてないかもしれませんが、図書館で初めて話した日から、君のことしか考えられなくなっていたんです。そんな僕がステファン君と婚約するべきだなんて言うわけないでしょう」
もう、ダメだ。
私は声を出して笑ってしまった。
「やっぱり、アルチュール様は先見の明がありますね」
「そうですか? 自分の都合になんとか整合性をつけていただけですよ。ひどい男だと叱られても文句は言えません」
「だって、私もアルチュール様と婚約できる選択肢を考えて、動いてきたんですから」
私はアルチュール様の手をとった。
アルチュール様の顔が赤くなった。
「まさか……僕の気持ちはバレていましたか? だとしたら、東屋で読書にふけっているのもとんだ道化ですね」
「何度かお会いした時から、もしかしたらとは思っていました。ですが、それはお互い様です。人生で初めて出会った私に好意を向けてくださる方に私もときめいていたんです」
「あなたには婚約者も次の婚約者候補もいたのに?」
「第二王子からは憎まれていましたし、ステファン様も私に一度も愛の言葉を囁いてはくださいませんでしたよ。婚約の話を持ち出してきた時だってそうでした」
逆らえない大きな力で婚約することが貴族にはある。
でも、自分から話を持ち出しておいて、好意を一度も口にしないなんて、礼節以前の問題だ。
アルチュール様が私の手を取る。
私たちはともに立ち上がる。
そういえば、手をつないだのはこれが初めてだ。
「私とアルチュール様とでは、どちらが先見の明がありますかね?」
「競う必要がない場面では競わないのが賢い人間のやり方ですよ。意味のない優劣をつけるより、お互いを尊敬し合うほうがずっと大切ですから」
「おっしゃるとおりです、アルチュール様」
婚約者とならいいか。
私たちは少しだけ抱擁して、すぐ離れた。
この選択の先にはきっと私とアルチュール様の笑顔があるはずだ。




