第一話「出会いと別れの道標」 その6
時は流れ、少年の教師生活も安定してきた頃、少年が少女と出会い、既に2年半が過ぎようとしていた。
冬が過ぎ、春が訪れた頃、少年は教材を手にしたまま、中庭の景色を眺めていた。
今日の授業も終えて、自分の業務室へと向かう途中、2階の廊下から見えた中庭の景色に目がとまったのだ。そこには、春の木々や草花が咲き、若いシスター達が和気藹々と春の暖かさを楽しんでいる。その中に、少年が見つめる少女もいた。
「もうすっかり普通の女の子だな」
口から零れた独り言に、思わず笑みを浮かべる。2年前まで、友達が居ないと悩んでいたことが嘘のように、若いシスター達と楽しげに話しているフィズ、そんな彼女の笑顔が酷く嬉しく感じた。
彼女と出会い2年半程が経つが、授業も順調で、学園の内容を終えて、今では学院の内容を学ぶ段階まで進んでいた。少年の教育能力も随分と上達したものだろう。
「フェルロ様、少しよろしいでしょうか?」
ふと後ろから呼ばれて振り返ると、そこにはラーセルが立っていた。
「ラーセル殿、どうされました?」
「いえ、大したことではないのですが、私めの考えもお伝えしておくべきかと思いまして・・・」
言っている意味を理解できず、思わず眉間にしわを寄せる少年だが、ラーセルは気にすることなくニッコリと微笑んで見せた。
「私めは、フェルロ様ならきっと良いご判断を頂けるものと信じております。そして、フェルロ様しか、お嬢様を導くことができる方はいらっしゃらないと考えております」
笑みを浮かべたまま、ラーセルはまっすぐな瞳で少年にそう告げた。しかし、それが何を意味するのかさっぱりわからない少年は、より一層怪訝そうな表情をすることしかできない。
「えっと、それはどういう話なんです、ラーセル殿?」
「いえいえ、これは私めの勝手な考えです。どうかお気になさらずに」
思わず、はぁ? と問い返してしまうが、ラーセルは嬉しそうな笑顔を見せて、その言葉の意味を詳しく話そうとはしない。そして、そのまま深々と頭を下げると、業務室とは逆方向へと歩いて行ってしまった。
「・・・えっ? なに?」
全く意味がわからない少年は、その後ろ姿を見送ると、とりあえず自分の業務室へと歩き出した。
まるでこれでお別れか何かのような言葉を残して去っていたラーセルだが、フィズの世話係が変わるという連絡も来ていないし、授業が終わってフィズが卒業するのもまだまだ先だ。何が言いたかったのか、少年も色々と思考を巡らせるが、それらしい答えが浮かんでこない。
そんな事を考えている間に、自分の業務室へと戻ってきた少年は、部屋へと入るとすぐに手にした教材を机に置いて、先週提出されたラーセルからの報告書を探す。一通り目を通したはずだが、もしかすると重大な事を見落としていたかもしれない、そう考えたのだ。
「えっと、これだこれ」
出てきた報告書をさっと流し読むが、いつも通り、フィズの日常や友人関係など、問題が無い内容ばかりが綴られていた。
「えっ、ラーセル殿、何があった?」
困惑する中、突然、ドアをノックする音が響く。
「フェルロ先生、いますか?」
聞き慣れた声に、思わずハイッと答えると、手にしたラーセルの報告書を書類の中に隠した。さすがに、本人に見られるのはマズいだろうと考えたのだ。
「フェルロ先生?」
扉が開かれると、フィズが部屋の中をのぞき込んできた。
「大丈夫です、どうしました?」
いつもなら普通に入ってくるフィズが、入ってこない、それを不思議に思った少年が尋ねると、フィズは視線をふらふらと泳がせている。
ラーセルもおかしな事を言っていたが、こっちも何か様子がおかしい、そう思ったところで、フィズが何か決意したかのような表情で部屋の中へと入ってきた。
「フェルロ先生・・・あのね」
元気が取り柄のフィズらしくない、なんともしおらしい様子に、また違和感を感じてしまう。そんな少年の疑問は、次の一言で全て消し飛んでしまった。
「好きです・・・これ読んで貰えませんか?」
顔を真っ赤にしながら差し出された可愛らしい手紙に、頭が真っ白になる。少年の辞書に無い、いや正確にはあるが、敢えて開かないようにしていたページにある言葉、それが目の前に差し出されている。
「答えは読んでくれた後で良いから」
そう告げたフィズの表情は、決死の覚悟と恥ずかしさと愛らしさが入り交じった、なんとも表現の難しいものだった。けれど、やっとの思いで渡せた手紙、その行為に満足した、やりきった戦士の顔だ。
「じゃあ、失礼します」
そそくさと部屋を出て行こうとするフィズだが、最後に振り返った顔は、今までで最高の笑顔だった。
そんなフィズを何も言えないまま見送ると、少年は呆然とした表情のまま、手渡された手紙を持ったまま立ち尽くしていた。全く予想していなかった事に、思考がついて行かない、というか頭が回らない、何が起きたのかも上手く理解できていなかった。
「手紙・・・」
とりあえず、手にした手紙の封を開けてみる。中を見ると、フィズの書いたとわかる見慣れた筆跡で、彼女らしい言葉で思いが綴られていた。そして、その中身を全て読み終わると、少年は走り出していた。聖騎士クラスの強靱な脚力で、まるで疾風のように・・・
長い廊下を猛スピードで駆け抜け、曲がり角を信じられない速度で直角に曲がっていく。もはや闘気の無駄遣いのように思えるが、今の少年にその思考は残念ながら当てはまらない。とにかく、一刻でも早くその場所へと辿り着かなくてはならない、そう考えていた。そして、走りに走り、大神殿第六事務局を抜けて同じ敷地内に存在する中央政府管轄の建物の中を駆け抜け、辿り着いた目的の扉を思いっきり開いた。
「父上!」
大きく開かれた扉の向こうには、大きめな長机の前にアルベルトが座っていた。
「なっ、フェルロ?!」
そして、その周りには数名の紳士達が座っている。それは、中央政府の重鎮達が集まった会議であった。そこへ、ノックもなく割って入ったのだ。
思わず、あっ、と口にした後に血の気が引いていくのが少年にもわかった。ここに来るまでの道のりと扉を開くまでの記憶が無く、おそらく呼び止められたであろうことも、全く覚えていなかった。とりあえずやらかしたことだけは理解できた。
「馬鹿者! 今は会議中だ、ノックも無しに入るとは、何事だ!」
アルベルトの怒声が響くが、周りの紳士達は、少し笑みを零しながら、アルベルトをなだめに入った。重鎮達と言っても、少年のこともよく知った人物達だ。あの奇才と呼ばれた少年が、こんなに慌てて入ってきたかと思えば、血の気が引いてく姿を見て、思わず笑みがこぼれてしまう。
「大丈夫だよ、フェルロ君。どうしたんだい? アルベルトに何か話しでもあるのかい?」
微笑みながら少年に近づいてきたのは、中央政府の財務大臣を務める財務卿カルステン=ウォータルンドであった。アルベルトと比べると少し若い彼は、少年にとって信頼できる兄のような存在で、幼い頃から慕っている人物だ。
そんなカルステンが尋ねてくるが、内容を思い出すと、アルベルト以外に知られる事は少し気が引けてしまう。
「えっと・・・それは・・・」
思わず言葉を探すが、それらしい言葉が思い浮かばない。
「何を迷っている、派手に入ってきたんだ、どうしたか話してみなさい」
皆がいる前なので、アルベルトも少し威厳ある態度を見せようと、厳しく話してくるが、それが少年の逃げ道を完全に断ってしまった。
「父上にご相談がありまして」
そう小さな声で答えながら、アルベルトの側へと歩いて行く。カルステン達も見守る中、まるで公開処刑の様な状況に、思わず涙が出そうだった。
「これを・・・」
そして、少年は先ほど受け取ったばかりの可愛らしい手紙をアルベルトに差し出した。
「手紙か? どれどれ・・・」
アルベルトは、差し出された手紙を受け取ると、既に開いている封筒から手紙を取り出して、軽く目を通した。
「でかした!」
思わず大声で叫んでいた。
「いや、もしかしたらと考えていたが、まさか告白されるとは驚いた。お前も隅に置けないな、フェルロ!」
内容が全て丸わかりになるような言葉に、少年の顔が真っ赤に染まる。それと同時に、カルステン達がバタバタとアルベルトの元へ駆け寄り、少年が持ってきた手紙を取り合いながら確認している。
「ちょっ、ちょっと待ってください、それは私の!」
慌てて手紙を取り返そうとするも、大人達は中身を見ながら、わいわいと喜んでいる。
「よかったじゃないか、フェルロ君! フィズ様は可愛らしい子なんだろう、よかったね、これはめでたいぞ!」
そう言いながら、少年の肩をバンバンと強く叩いてくる財務卿カルステン。
「いや、そういうことではなくですね」
必死に少年が場を納めようとするが、大人達はわいわいと騒いでいる。そんな中、アルベルトが、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら、少年に尋ねてくる。
「それで、式はいつにするんだ?」
気が早い嫌な父親である。
「そうじゃありません! そもそも、フィズは僕の生徒ですよ?」
「普通の教師と生徒とは違うんだ、どうせ1歳しか違わないんだし関係ないだろう?」
少年がそう言うが、アルベルトは全く気にした様子もなく、サラッと言って返してきた。
「けれど、あくまで教師と生徒です!」
またもや正論を口にする少年だが・・・
「どうせ、お前は教師の資格はもっておらんし、非公式の教師だ。法律的にも問題は無いだろう」
こちらも正論で返してきた。確かに、アルベルトの言うとおり、少年は正式な教師ではないため、生徒と教師という法律的に問題がある部分もクリアしている。
「けれど!」
「フェルロ!」
さらに言葉をつなげようとしたとき、アルベルトが少年の名を呼んで、それを遮った。その表情は、さっきまでの少しからかうかのような笑顔ではなく、真面目な表情だ。
「お前は、フィズ様の事が嫌いなのか?」
「フィズのこと・・・」
真剣に問われ、少年は言葉を詰まらせてしまう。考えていなかった、いや考えてこなかったと言うのが正しい答えだろう。フィズは優しく素直で素敵な女の子だというのは、少年が一番理解している。だからこそ、好意を寄せるのは問題だと線を引いてきたのだ。自分が教師であり、彼女が生徒であると。
「彼女は、真剣にこの手紙を書いたことだろう。当然、自分が生徒であるという事も理解し、本当の学院や学園の教師とであれば結ばれることはない、というのもわかっていることだろう」
手紙を手に、アルベルトは言葉を続ける。それは、少年もわかっていることだ。しかし、言われて改めて実感するのと同時に、何故自分がここまで動揺し、ここへやってきたのか理解した。
「それでも、もしかしたら違うかもしれない、この理の外側かもしれない、自分の立場もお前の立場も考え、わからない中で考え抜いた。その可能性を信じて、葛藤の上、書いた手紙だろう。それをお前は、真剣に受け取ってやれないのか?」
アルベルトの言葉に、少年は言い返せなかった。
フィズのことだ、色々と悩んだことだろう、あれでも真面目で正義感の強い子だ。これが間違っている、法に触れるような事だとわかっていれば、手紙にする事は無かっただろう。しかし、それがわからないギリギリのラインだからこそ、悩み抜いた結果がこの手紙だ。
そして、少年もまた、その答えを明確には持っていない。だからこそ、一番にアルベルトへと相談しにきたのだ、この手紙にどう答えれば良いのかを。
「フェルロ、これは先生であるお前に送られたものではない、目の前に立つ教師ではなく、隣に並び友人のように恋人のように寄り添って導いてくれたお前に宛てられたものだ。なら、寄り添ったお前が答えなさい」
少年が求めていた答えを告げたアルベルトは、ニッコリと微笑んで手紙を少年へと手渡した。その手紙へ視線を落とすと、所々、震えて字が乱れている事に気づいた。きっと、フィズの中にも色々な迷いがあり、それでも、精一杯の勇気を込めて書かれたのだろう。だからこそ・・・
「僕は・・・」
少年は、文面を読み返しながら、言葉を紡いでいく。
何度も何度も、迷惑でなければ、間違ってなければ、そう意図する言葉が付け加えられている、少女の必死な願いと思いが詰まっている、それを感じ取れる素晴らしい手紙を見つめながら・・・
「フィズが好きです」
そう呟いた少年の肩を、アルベルトはそっと抱きしめていた。少年は天才だった、引き取った後も父に甘えることなく、その実力を開花させていった。そんな彼が、初めて見せた心からの悩みとその答えを導いてやれたことに、ただひたすらに嬉しく感じながら、愛しい息子をただ抱きしめた。
「なら、きちんと答えてやりなさい。私の息子が、できる男だというところを見せてくれ」
アルベルトは、抱きしめたまま少年にそう告げると、そっと離れて彼の肩を軽く押した。それは、息子の背中を押すような、そんな優しい一押しだった。
「はい、行ってきます」
そう告げると、周りの大人達に深々と頭を下げると、会議室を飛び出していった。
そんな少年を、彼らは優しく見送ったのだが、その中の1人がボソリと小さく呟いた。
「大丈夫でしょうか、大神殿側が・・・」
心配事を呟くように、少し不安げな表情を見せた彼は、少し視線を細めた。そんな彼に、カルステンが首を横に振って彼に答えた。
「我々がどうにかするんです、それが大人の役目ですよ」
その瞳には、何か含むものがあったが、それに誰も答えることはなかった。
そして、大騒ぎして散らかった会議デスクの上を片付けながら・・・
「さて、さっさと済ませてしまおう。例の件も、これで上手く話が進められるかもしれん」
そう告げたアルベルトは、改めて椅子に座ると笑みを零していた。
少年は走った。さすがに、先ほどのように闘気を纏い猛スピードで、というわけではない。けれど、普通に全速力で走った。少しでも早く、フィズに話して安心させてあげたい、その気持ちを胸に走った。
「フィズ!」
そして、フィズの部屋の前の廊下へ出る、最後の角を曲がった時、そこには、少年が想像していたものとは別の風景が広がっていた。それは、フィズの部屋から荷物が運び出されている光景だった。
「何をしている?」
意味もわからず、少年は荷物を運び出している男に歩み寄ると不審げな表情をしたまま、彼に声をかけた。すると、男は少年へと視線を移すと、一言だけ口にする。
「フィズ様は大神殿へとお戻りになる」
状況がわからないまま、少年は呆然と立ち尽くした。
それは、突然の別れを意味していた。
こうして、少年の思いも、少女の思いも、全てを置き去りにして、物語はゆっくりと動き始める。それは、別れるための出会い、運命の始まりを示す道標・・・
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