第十七話 魔族、人間を知る
転移魔道具の目印が設置された魔王城の地下の一室から出た私は、マルラウラ様の執務室へと急いだ。
魔王様にとって——いや、魔界にとって一大事であるこの事態を、一刻も早くマルラウラ様に伝えねばならない。そう思ったからだ。
「すみません、マルラウラ様はいらっしゃいますか?」
執務室の扉の横には、常時二名の護衛が立っている。
マルラウラ様は参謀として魔王様に支えているお方だが、力を持たない訳ではない。むしろ、魔族の中でも上位に名を連ねられている。
そのため、執務室前に立つ魔族たちは護衛の名を冠してこそいるものの、どちらかといえば伝達役として動くことの方が多い。
つまり、この者らはマルラウラ様の所在を知る立場にある。
「中に居られます。少々お待ちください」
マルラウラ様が執務室に居なかったとしても、護衛に聞けば、どこに行けば良いのか知ることができるが、今回は運良くこちらにおられたようだ。
護衛の一方が執務室に入って少しして戻り、そのまま私が中へ通される。
「戻るのが随分と早かったな、転移魔道具の設置に問題でも起きたのか?」
「いえ、別件です」
「……魔王様に、何かあったか?」
瞬間、マルラウラ様の纏う空気が変わる。
私たち魔族にとって、魔王様に起こる問題は国にとっての問題、いや、私たち自身の問題と言っていい。魔王様の前に障害があれば、我々魔族はこの命を捨てる事になろうともそれを取り除く。
これは、魔王軍の一兵卒どころか、魔王国の国民から魔王様の幹部の方々まで、全ての魔族の考えである。
しかし、今回のことは魔王様に何かあったと言うよりは、魔界としてあまりよろしくない状況が判明したという事態だ。
「魔王様というより、我々魔族にとっての一大事ですね」
「……ふむ」
マルラウラ様が纏っていた重い空気が霧散し、その表情が先を話せと促す。
私は、勇者育成学園で起きたことと、そこで聞いた人間たちの現状について細かく報告していった。
「——と、いうことです」
「そうか、魔王様の討伐を諦めたか」
どこか納得した顔をされ、あまりにも平然としたマルラウラ様の返答に私は疑問を抱く。
「マルラウラ様はこのことをご存知だったのですか?」
「いや、そこまでの報告は受けていない。だが、長いこと人間との戦争を起こしていなかったから、なんとなく予想はしていた」
私も元は人間だからな、と続けたマルラウラ様は、執務室に取り付けられた窓へと視線を向けた。
「人間は弱いのだ」
「……はい」
魔族から見れば、人間の力など高が知れている。しかし、マルラウラ様が仰っているのはそういうことではないだろう。
「人間はな、体も、心も弱い。すぐに死ぬし、すぐに心が負ける」
「しかし、勇者ですよ?」
マルラウラ様が仰っていることは理解できる。だが、こと勇者に限って言えば簡単に納得できるものではない。
「あれは、我々魔族と戦うことを目的とした存在では?」
「魔族側からすればそうなのだろう。だが、人間からすれば違う」
人間からすれば……。
それは、マルラウラ様が人間だったからこその言葉ということなのだろう。
「勇者とて元はただの人間。神に選ばれた訳でも、特別な力を持って生まれた訳でもないのだ。死なずに済むなら、守るべき者に危険が及ばぬなら、ほとんどの勇者は望んで死地に赴かん」
「わかり……ません」
「だろうな。魔族は基本的に生まれた時から魔族だ。魔王様が生まれた時から魔王であられたように。私のような異例もいるがな」
我々魔族は魔族として生まれ、魔族として滅びる。
生きている間に立場などが変わることはあるが、己が望まないことは決してしない。
魔王国法に従うのも、魔王様や魔王国そのものを尊敬し、法に従いたいと望んでいるからだ。
「簡単に言ってしまえばな、魔族は争いを望む者が多く、人間は望まぬ者が多い。ただそれだけだ」
「……つまり、このことは解決する事ができないと?」
勇者が魔王様の討伐を諦めている事態は、もうどうしようもないということなのだろうか。
「いや、そうでもない。人間は弱いからこそ剣を持つのだからな。魔王様にはこうお伝えしなさい——」
——————
「『勇者は、倒せる相手と倒さなければならない相手には剣をとります』これがマルラウラ様からの伝言です」
「そうか」
カイレスは理解できないと言っていたが、我には、マル爺の話が簡単なものに聞こえた。
難しく考えることなどない。
「人間は魔族と違う。それだけのことだ」
「弱ければ滅ぶ。それが魔族ですからね」
「考え方も、環境も、全てが違うのだ。辿り着く結論も違って当然なのだろう」
確かに、人間の考えは複雑な部分が多い。欲しい物を得るのに苦心し、守るために策を練り、恨むべき相手に情をかけることすらある。
カイレスが理解し難いと感じるのも頷ける。
欲しければ殺して奪う、守りたければ相手を殺す、恨む者が目の前にいれば、無論、迷わず殺す。
むしろ、我ら魔族の考え方が単純すぎるのだ。
「まあ、結論が変わらぬのなら問題はない」
「そうですね。我々のやり方は変わりません」
暇を潰す。
その目的のために、邪魔ならば殺す。
そして——
「魔族との戦争のため、人間たちを鍛える。そう簡単には死なぬ戦士にしてやろう」
必要な者を死なせはしない。
魔族は単純なのだ。
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