03 違う、そうじゃない
アイラスからのご厚意を賜り、一日の残り時間は休暇となった。
ちなみに、生命霊は全く使うことができず、今日は初歩的な気の張り方の特訓をした。
擬似的な感覚で言うなら、気を張ってアレを我慢するような……あの感覚を研ぎ澄ませた特訓をしたのである。
なんでも、感覚を研ぎ澄ませば生命霊は誰でも使えるようになるというのだ。
何にせよ、今日一日は肉体的に何も疲れるようなことはしていなかった。
それなのに、アイラスは初めての練習で身体が疲れただろうからという理由で休暇を与えてくれて——————
「可愛くて優しくて笑顔が可愛いとか、絶対に前世は女神だったでしょ……」
それが私の正直な感想であった。
寧ろ、これからアイラスの事を女神様とか女神ちゃんとか呼びたい。
どうしたら、もっと可愛くて愛おしい女神ちゃんに構ってもらえるだろうか……。
「……危ない、危ない。このまま頭のおかしな子になっちゃうところだった」
無事に我を取り戻せたことにホッと胸を撫で降ろす。
そして私は、部屋に備え付けてあったベッドにうつ伏せでダイブし、そのまま転生してからこれまでの一日一日を振り返り始めた。
特に深い理由はない。何となく頭の中に浮かんだのがそれだっただけだ。
治ることのない病に侵され苦しみ続けた少女が、不思議な体験をしたと共に異世界転生したという何とも現実味のない、まるで夢の世界に入り込んだかのような感覚。
それでもこれは、決して夢なんかではない。全てが現実である。
現にうつ伏せ状態で鼻と口を抑えつけていてちょっと息苦しい。
だが、その苦痛が今ではとても心地良く思える。
「こんな幸せが、ずっと続くといいな……」
そんなことを呟いていると、律義に扉が三回ノックされる。
誰が訪れてきたのかがすぐに分かった。
「めが……アイラス様? どうかされたのですか?」
危ない、危うく女神ちゃんと読んでしまうところだった。
頭をブンブンと横に振ってから、扉の向こうにいるであろう彼女の名を呼ぶ。
そして恐る恐るといった様子でアイラスが扉から顔を覗かせる。
「メーグル、今大丈夫かしら?」
「はい、大丈夫です。何かするべき仕事が出来ましたか? それなら直ちに——————」
「い、いや! 仕事の話をしに来たんじゃないよ!?」
慌てて否定するアイラスがなんとも可愛らしい。
もっと慌てたアイラスを見たいところだが、相手は次期女王となるお方だ。
これ以上余計な真似をしない方が良いのは誰の目からしても明白。
あくまで私とアイラスは従人と主人。一線は引いて然るべきだろう。
「それでは、アイラス様はどうしてここへ?」
「それがね、私気が付いちゃったの。メーグルがいないと退屈で退屈で仕方がないって。だから遊びに来ちゃった」
てへっと悪戯っぽく笑うアイラスを前に、思わず額に手を添えてしまった。
なんて……なんて可愛い生き物なのでしょうか。
こんなお願いの仕方をされたら私でなくても一発でノックアウトされること間違いない。
とりあえず、平静を装って対応することにしよう。
「なるほど、そうだったんですね……。なるほど、なるほど……」
これは本格的にまずい。女神が自分を特別視してくれている嬉しさが極まって「なるほど」以外の言葉が出てこない。
そんな何と戦っているのか分からない私に、アイラスは捨てられた子犬のような目で見つめてくる。
「め、迷惑……かな?」
「め、迷惑なわけないじゃないですかぁ……」
「やったっ!」
「くぅ……」
跳ねて喜ぶアイラスが可愛すぎて、思わず両手で顔を覆ってしまった。
「それで、これから何して遊ぶ?」
「そうですね、この部屋で遊ぶのはアイラス様に退屈な思いをさせてしまうので、とりあえず外に行きましょう」
そう言って立ち上がろうとする私の手を、アイラスが素早く取る。
「せっかくメーグルの部屋にいるのだからここで遊ばない? 外で遊ぶのは疲れちゃうし……。そうだ! ここでお話をするのはどう? それなら普通に遊ぶより疲れないと思う!」
「女神!?」
「え?」
私の意味不明な発言に、アイラスは困惑した様子だ。
正直、言った本人ですら困惑していた。
「え、えっと……。今のは何だったんですかね……」
「……い、今はスルーの方向でいいのかな? それともちゃんと追及した方が良い?」
「ち、違うんです! 私が勝手にアイラス様を女神だと思っていただけで、決してアイラス様を困らせようとか思っていたとかではなくて、ただ思ったことを口にしてしまったというか……」
いや、何も違うところ何一つなくない? むしろ全部暴露してない?
言いながらふと思った私だったが、すでに全てが手遅れだった。
「メーグル……ッ!」
肩をガシッと掴んできたアイラスが、深刻そうな表情を浮かべながらジッと目を見つめてくる。
「私、人間だよ? 女神じゃなくて人間だよ?」
「マジレスやめてください! 恥ずかしいですから!」
「ごめんなさい。まじれす……って何?」
「マジメに返答しないでくださいってことです!」
心の乱れを落ち着かせるため、私は深呼吸をした後に言葉を綴る。
「せっかくですから、もっと楽しい話をしましょ?」
「私は今でも十分に楽しいけど……」
「私が楽しくないので別の話題でお願いします」
「うーん、別の話題ねぇ……」
唸り声を上げながら首を傾げて考え込むアイラス。
ひょっとしなくても、やらかしたかもしれない。
話題を探すのは主人でなく従人の役割は常識だし、何より主人に話題を探させるのはあまりにも失礼過ぎる。
今からでも間に合う、そう思い至った私が話題を振ろうとした時にはすでに手遅れだった。
満足そうな笑みを浮かべるアイラスが、パンッと両手を合わせた後に口を開く。
「うん、良い話題思いついた!」
「申し訳ございません、本来なら私が考えるべきでした……」
「いいの、いいの! 今は身分とか忘れて一人の“友達”としてお話しよ?」
「アイラス様……」
アイラスの付き人になれて良かったと、私は改めて思った。
「それじゃあね、メーグルは好きな人ってできた?」
「……」
やっぱり話題は私が考えるべきだったと、私は数分前の自分の行いを深く呪った。
そもそも、人生で一度も異性を好きになったことのない私には、この手の話題はあまりにも難題すぎた。
「ア、アイラス様。私、好きな人は特には……」
「またまた冗談を~。隠しっこは無しだよ? だって私たちは今、“友達”なんだから!」
そんな都合の良い友達は欲しくなかった……。
人生で出来た初めての友達がこんなのは絶対に嫌だ。
とはいえ、好きな異性がいないと言ってもエンドレスでこのやり取りが続くのは目に見えて分かる。
だったらもう、好きな人の名前を言うしかないだろう。
「わ、私の好きな人は……アイラス様、です」
別に異性で好きな人とは言われていないわけだし、この回答でも問題ないはずだ。
そして、突然の発言に目を真ん丸と見開くアイラスは、次第に女神のような微笑みを浮かべ、そして静かに首を横に振った。
ちなみに、アイラスに好きな人はいないらしい。