期待の大型新人は、サバンナから来たゾウでした
「今年の新入社員はどんな感じだ?」
明日入社式を予定している、飲料用自動販売機にある楕円形の購入ボタンの国内シェアNo. 1のメーカー。そのメーカーの社長は、ふと今年の新入社員の傾向が気になった。いや、正確には無性に事前確認をしなければいけないという衝動にかられ、その日の定時前に駆け足で人事部へ行き、デスクで書類の整理をしている人事部長に尋ねた。
「あ、社長。お疲れ様です。新入社員ですか? ちょうど彼らの書類を整理していたところなんですよ。今年はとっても豊作ですよ」
人事部長は有名私立、国立大学の名前をいくつか挙げた。どこも偏差値が高いのは調べるまでもない有名校ばかりだった。
「ほう、それはとっても楽しみだ。期待できそうな人材はいるか?」
「話題になりそうな人材が大勢いますよ。あれ、社長まだ聞かれていないんですか? 大型新人の話」
「ん? なんだそれは。すごい人材が来たのか?」
「そうですね、まずこちらです」
人事部長はそう言うと、手にした書類の束から一枚の履歴書を社長へ手渡す。それは一人の女性の履歴書だった。
「ん? この顔、どこかで見覚えが……この名前、もしかして……」
「はい、先日卒業コンサートを成功させたばかりの彼女です」
社長が手にする履歴書、それは国内だけでなく、海外でも活躍しビルボードチャートの常連入りを果たしたアイドルグループで、先月までセンターを務めていた女性だった。
「何故彼女がうちに?」
社長は有名人の入社に戸惑いが隠せなかった。もしかすると、彼女には何か思惑があるのかもしれない、そう思わずにはいられず、社長は人事部長に尋ねる。しかし、人事部長は社長と対照的な表情であっけらかんとしている。
「理由ですか? 彼女、実は自動販売機の購入ボタンマニアらしく、アイドルを引退したらうちで働きたいとずっと思っていたそうです」
「どんな理由だ! そんなわけがないだろう」
「私もそう思ったんですが、彼女が子どもの頃から撮影し続けた写真による、三十冊の自動販売機の購入ボタンの写真だけが収められたアルバムを見せられたら信じるしかなくて」
「なんやそれ怖すぎるわ! そんなもん狂人やんけ、なんで採用した?」
「少し悩んだんですが、広報部長が『是非うちに欲しい』と懇願してきましたので採用しました。まあ、学力試験も面接での応答も問題なかったので大丈夫ですよ」
自信満々で答える人事部長を見て、社長は少し頭痛を感じ軽く右手でこめかみを抑えた。社長は自分に知見がないことを理由に、これまでずっと採用の全権限を人事部長に委ねてきたのだが、この時初めてそのことを後悔した。今まで何の問題もなかったので、これからも大丈夫だと思っていた自分を恥じ、社長は今後は採用に必ず関わろうと決意した。
「じゃあ、今年の新入社員による代表挨拶は彼女なのか?」
この会社では、採用時に期待値の高い社員が、新入社員代表として全社員に向けてスピーチをすることになっている。そのため、人事部長の話を聞いて、社長は彼女がスピーチをするに違いないと思ったが、念のため履歴書を返しながら聞くことにした。
「いいえ、違います。彼女も期待の新人ですが、期待値でいくと真ん中ぐらいです」
「え? そうなのか? 他にも優秀な人材が?」
「はい、例えばこちらです」
人事部長はまた一枚の履歴書を社長へ渡す。
「……これは、あかんやん」
履歴書を見て、社長は目を見開くと人事部長に向かって履歴書を突き返した。
「はい?」
「これはあかんやろ! これミッキーマ…」
「それ以上は言っちゃダメです。まだプレスリリースも出してないんですから。それにまだ社内でもごく一部の社員しか知りません」
「まじかよ……」
社長は再び履歴書を見る。そこには、世界で一番有名な、夢の国に暮らす黒いネズミの写真があった。
「なんでおんねん、こんな大物が。絶対偽者やろ」
「それが本物のようです。その証拠に、彼が面接や学科試験を受けにきた日は、夢の国に彼の姿はなかったそうです」
「え、ほんまに本物なん? てか、なんでおんの? 夢の国に住んでるんやから働かんでええやん」
「それが『もう夢の中にはいられない』って言ってました」
「何があってん! 事件ちゃうんかそれ」
人事部長は目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振りながら「理由を聞いたのですが『黙秘させていただきます』の一点張りでした」と言った。
「絶対事件やん!」
「そんなことありませんよ、大丈夫です」
「ほんまか?」
「はい」
人事部長が「まあ、何かあれば夢の国がもみ消してくれるでしょう」と言って笑うので、社長も少し納得し、「そうか」と呟いた。しかし、夢の国の住民を雇うことを考えると、社長は勤務形態が気になり始めた。
「え、じゃあどないすんの? 彼は夢の国にはもう帰らんってことか?」
「いえ、この一年はダブルワークで夢の国でも働くみたいですよ。しばらくは半々ぐらいの比率で出社して、徐々に向こうの比率を下げていくと言ってました」
「許されんのかそんなこと……」
「ええ、もう園長には話をつけてきたとのことです」
「まじかよ、仕事が早えな。せやけど、園長もよく承認したな」
「夢の国の秘密を全部バラすぞって言ったら、一発だったそうです」
「脅迫やないか! なんでそんなやつ採用してん?」
「営業部長が、営業マンのホスピタリティ強化のために彼が必要だと懇願してきたので」
「夢の国の園長脅したやつに、ホスピタリティがあるわけないやろ!」
「でも、もう採用しちゃったので」
「あのなあ……」
明日の入社式に、夢の国の住人が新入社員として参加している光景を想像し、社長は何とも言えない気持ちになった。
「彼には新入社員の挨拶なんて絶対させるな。パニックになるのは目に見えているのだから」
「はい、もちろんです。スピーチの担当はこちらです」
また違う履歴書を人事部長が手渡してきたので、社長はネズミの履歴書を返しながら受け取った。そして、また目を見開くと少し間を空けてから口を開いた。
「ゾウやん……」
「はい、ゾウです」
自信満々に答える人事部。彼の顔には一切の曇りも迷いもない。
「いや、なんでやねん。ゾウなんて雇えるわけないやろ。そもそも新入社員がゾウってどういうことやねん」
「商品開発部が、新商品の開発にゾウの吸引力が必要だと言ってまして」
「何を開発する気やねん! そもそも、なんでゾウがうちに就活で来てんの? 既にそこからおかしいやろ」
「私がヘッドハンティングしました」
誇らしげに言う人事部長を見て、社長は頭に血が昇るの感じた。
「は? どこ就活市場にゾウがおんねん。ゾウが採用できる就活サイトなんて聞いたことないわ」
「サバンナで一番吸引力がありそうなゾウを探してきました」
「ほんま、お前なにしてんの!? サバンナて、お前それ密猟ちゃうの? 大丈夫なん?」
「ちゃんとご本人、失礼、ご本ゾウの意思で来てもらってます」
「ご本ゾウなんて言葉聞いたことないわ! わざわざ言い直さんでええねん」
「いやいや、社長、そこはちゃんとしないとハラスメントですよ」
ハラスメントというパワーワードが刺さり、社長は一気に我に返る。
「わかる。わかるが、それを君に言われてもだな……」
少し冷静になり、勢いで出てしまった関西弁を普段の口調に戻しながら、社長は不満そうに人事部長をじとりと見た。ゾウが社員になったら対応を迫られる課題が多いのは目に見えている。自社ビルの入り口やエレベーター、社員食堂といった施設面はもちろん、雇用制度も考えた方がいいだろう。
少し考えただけでも課題がたくさん見受けられたが、社長は全て見なかったことにし、『面倒なことは全て総務部に任せればいいか』、などと考えていた。
「それぐらいだな? 大型新人というのは」
ゾウの履歴書を返しながら社長が聞くと、人事部長はそっとまた一枚の履歴書を差し出してきた。「まだあるのか……」と言いつつも、ゾウの履歴書を返しながら受け取る社長。ゾウの履歴書を見た後なので、もう何が来ても驚かない自信があった社長だが、またまた言葉を失い固まる。
「……バスやん」
「はい、バスです」
「はい、やあらへんねんて。なんでバスやねん! あとな、バスの履歴書って何!? 思いっきりフロントに観光バスて書いてるやん。もうばっちりバスやし他社の備品やん」
「是非うちで働きたいとエントリーしてきてくれました。ちなみに筆記試験は満点ですし、英語も堪能です」
「英語が堪能なバスてなんやねん!」
「海外旅行客を乗せ続けていた結果、英語が話せるようになったそうです。因みにバスですが、ちゃんと自我があるので備品と言うと彼女が傷つきます。くれぐれもお気をつけください。訴えられたら負けます」
「女性やったんか! いやいや、そんなことよりどんな採用しとんねんお前は。あとどこに配属する気や。バスやぞ?」
「営業部長が是非我が部にと言ってます。大勢で営業先に突撃する時に、バスがあると助かるとのことです」
「何人で行く気や!? 威圧やないかそんなもん」
「因みに、車検はつい先日終わっているのでしばらくは大丈夫です」
「車検代はうち負担なんか!?」
「当然でしょう、社員の健康管理も会社の責任ですので」
「そこまでせなあかんのか……」
「そうそう、彼女が社員旅行の際は社長に前から四、五列目に座っていただきたいとのことです」
「え? なんで? 何その座席指定」
「バスでの長距離移動は体に負担になります。なので、バスで最も酔いにくいと言われる真ん中の席でゆったりくつろいで欲しいとのことです」
「ホスピタリティが滲み出とるやないか!」
「ね? 営業部にぴったりでしょう?」
「なんでお前がドヤ顔するんや!」
どうしてこいつを人事部長にしたのだろう、社長は自分の過去の判断を後悔しながらバスの履歴書を人事部長に返した。ただ、この採用が意外と後々役に立つかもしれない、そう思う自分もいて、人事部長の進退を考えるのはもう少し先にしようとも考えていた。
「事前に話を聞きに来て正解だったよ。教えてくれてありがとう」
そう言って人事部を後にしようとした社長を、「あの、最後にこちらもご覧ください」と言って人事部長が呼び止める。社長が振り向くと、人事部長は履歴書ではなく、数十ページの厚みのある資料を差し出す。資料の表紙には、真ん中に明朝体で大きく『採用資料』とだけ書かれている。
社長が「なんだこれは?」と言いつつも、覚悟を決めて恐る恐る表紙をめくると、最初のページは履歴書だった。しかし、それはまた普通の履歴書ではなく、社長は内容を見て驚愕し、十秒ほど言葉を失う。
「……船やん。それも、貨物船やん」
「はい、最大18,000個のコンテナが積載可能です」
「あんな、それ履歴書の長所のところにも書いてあるけどな、なんで貨物船の履歴書があんねん! てか、バスの時も思ったけど貨物船の履歴書って何? あとなんでこれだけ分厚いん?」
社長がそう言いながらぺらぺらと資料をめくると、どれもこれもいかつい男たちの履歴書だった。
「え、怖いんやけど。誰なんこれ?」
「乗組員です」
「は? どういうことやねん」
「貨物船が乗組員を連れてエントリーしてきました」
「いやいや、意味がわからんし、乗組員て何者やねん」
「元々この貨物船に乗っていた乗組員と、海の男たちです」
「誰やねん海の男たちって! もっとまともな説明しろや」
「かつて、ひとつなぎの大秘宝を探し求めた男たちです」
「海賊やないか!」
「元海賊です。去年この貨物船は海賊だった彼らに襲われました。その時、乗組員たちは会社に助けを求めたんですが、あっさり切り捨てられたそうです」
「大事件やん! でも、そんなニュース聞いた覚えないで?」
「いろんな力が働き、襲われたことは揉み消されています」
「おいおい、もう話がディープ過ぎるやろ」
「会社に捨てられた乗組員と何故かそのタイミングで自我が芽生えた貨物船は怒り狂い、協力して戦った結果、海賊を打ち倒すことに成功、そして倒された海賊は改心したそうです」
「乗組員強すぎるやん。あと貨物船に自我が芽生えるって何?」
「その後、貨物船が乗組員を説得して海賊達を新しい乗組員として迎え入れたとのことでして、みんなで仕事を探していた時にうちを見つけたと聞いています」
「なんでうちやねん!」
「それが、船長の母親が占い師でして、彼女の占いによるとうちで働くと乗組員全員が幸せになれると出たそうです」
「志望動機が最弱すぎるやろ! どないすんねん、配属先は」
「海外事業部が手を挙げているので大丈夫です」
「まじかよ……」
「今後、うちの海路は彼らが主力になるでしょう」
「そうか……」
社長が目眩を我慢しながら履歴書の束を人事部長に返すと、人事部長は「取り急ぎ今年の大型新人はこれぐらいですね。他も見て行かれます?」と満面の笑みで尋ねた。
「いや、もう大丈夫だ……」
社長は顔を引きつらせながらそう言うと、人事部を後にした。
翌日、東京ドームで行われた入社式は、参加した全社員にかなりの衝撃を与える内容となった。
まず、数百人いる新入社員の中で、元アイドルの存在は悲しいほど埋もれていた。本来なら注目を浴びるはずだった彼女だが、夢の国から出てきたネズミや、サバンナから来たゾウの前では自分なんて他の社員と同じだとすぐに悟った。
会が進むにつれ、ドームの観覧席で入社式を見ていた大勢の先輩社員達は、元アイドルはまだしも、夢の国のネズミにゾウ、新入社員達の隣に並ぶバスまでもが新しい社員だと知り驚きを隠せなかった。
また、入社式が陸上での開催のため参加できなかった貨物船が、WEB会議システムを使用して海から自己紹介をした時は、新入社員を含め大半の社員が目と、採用に踏み切った経営層の頭を疑った。
『この会社、色々とやばいかもしれない』
元アイドルを、夢の国のネズミを、ゾウを、バスや貨物船の入社を熱望した各部長達も含め、多くの社員が会社に対して不信感を持ち、ドームに嫌な空気が充満する中、会は進みついにゾウによる新入社員代表挨拶が始まった。
サバンナから出てきたばかりのゾウ。当然ながら日本語はおろか人間の言葉すら話すことはできない。それでも、自分の言葉で熱い思いを精一杯叫び続けるゾウの姿は、その場にいた全員の心を打った。言葉はわからなくとも、ゾウの言葉が胸に響き、皆んな不思議とゾウの思いが理解できた。
「パ、パオーーーーーーン!!!!」
スピーチの最後、ゾウが大声で叫ぶとドーム内に割れんばかりの大きな拍手が起きる。拍手をしているうちに、社員達は思わず次々と立ち上がり、中には涙を流す者も現れた。そして、最終的にはゾウにスタンディングオベーションが送られることとなり、全社員の心が一つとなった。もうドーム内に会社に対して不信感を持つ者は、誰一人としていない。
「こ、これが、社会で求められる真の多様性というものなのか……」
自分の理解を超えた光景を見て、社長は意味不明なそれらしい台詞を吐きつつ涙を流した。そして、そんな社長の後ろで、いつも厄介なことを全て押し付けられる総務部長が、今後対応しなければならない課題の山を想像し、絶望に打ちひしがれていたのだが、残念ながらそれに気づく者は一人もいなかった。