恋愛下手のアリスちゃん8
それから学校では、亜梨子の噂話が途切れる事がなかった。
3年間、男子生徒を切りまくっていた亜梨子が、とうとう付き合う相手を決める。
どこの教室でも、その話題で持ち切りだった。
ただ、亜梨子のいる教室では、声は潜めてはいるが。
「広まっていますね」
芽依が亜梨子に言う。
「うん…」
「亜梨子、どうするか…決めた?」
「………」
「確かに、どれを選んでも最悪ではあるけどね」
「………」
亜梨子は、窓の外を見ているだけだ。
「思い切って告白したら?」
芽依は、耳元で囁く。
「…たぶん、無理だよ」
小さく亜梨子は答えた。
「あのねぇ、言う前から無理って」
【ガタン!】
亜梨子は立ちあがる。
「亜梨子?」
「もう下校時間だから帰るね」
そう言ってから鞄を持って教室を出る。
黒板には
【あと4日!がんばろう!!】
という文字が書かれてあった。
下駄箱で靴に履き替えて、ため息をつく。
あれから、例の3人はやってこない。それはそれで平穏でよいのだが、逆を返せば告白大会まで、おあずけにしている状態なのだ。
それを思うと憂鬱になる。
ため息をついた後、ふと外を見ると真之介と美雪が歩いている。何処かに向かっているようだ。
亜梨子の胸が締め付けられた。
(何をしにいくんだろ?)
生徒会の仕事だろうか?いや、向かっている方角に生徒会絡みの用事はない…ハズだ。
亜梨子は、思わず二人の後をつける。
後悔する事とも知らないで…
二人があまり人の寄りつかない旧校舎の裏に消えた時、亜梨子は思わず駆け足で追いかけた。
そして、亜梨子は見たくない光景に出くわしたのだ。
真之介と美雪が抱き合っていた。
そして、見つめあっていた。
亜梨子の頭の中は真っ白になり、目の前は真っ暗になった。
【ぱきっ】
亜梨子は、枯れ枝を踏んでしまった。
ハッとしたように、二人は亜梨子の方を見る。
「あ、亜梨子」
慌てたように真之介が言う。
亜梨子は、グッと拳を握り
「お熱いですねぇ」
冷やかに言った。
「亜梨子…これは…」
真之介が亜梨子の元に行こうとするが、美雪に腕を掴まれてしまっている。
亜梨子は、ふうっと息をついてから
「はいはい、お邪魔して申し訳ありませんでしたね。邪魔者は消えますから、どうぞごゆっくり」
そう言ってから、二人に背を向けて歩いて行く。
(泣くな!泣くな!泣くな!…)
必死に自分に言い聞かせていた。
やがて校門までたどり着くと、大きな絶望感が生まれた。
(追いかけてもくれないんだね)
心に大きな穴が空いたようだった。その後、どうやって家に帰ったのは覚えてない。
気がつくと、自分の部屋の中に入っていた。
【ドン】
ドアに寄りかかり
【ズルル…】
そのまま、座り込む。
その瞬間、涙が止まらなかった。
止めようとしても、涙は止まらない。
「…バカみたい…こんなに好きだった…なんて…」
膝を抱えて泣き出した。
どれだけ拭っても、後から後から涙が溢れてくる。
「こんなになるまで…好きになるとは…思わなかったな」
亜梨子は泣き続けた。
いつまでも、いつまでも…
それでも涙は枯れる事はなかった。
そして、泣き疲れて…眠っていた。
小さい亜梨子が泣いている。
『えーん』
大きな声で泣いている。
その近くでは、真之介が自分より一回りも大きい男の子と殴り合いのケンカをしていた。
『お、おぼえてろよ!』
男の子は捨て台詞を吐いて去っていく。
『あーちゃん、もうなかないで』
真之介が亜梨子の涙を拭いながら言う。
『でも、でも、しんちゃんが…』
『ぼくならだいじょうぶだよ』
ニカっと笑う。
『…うん』
そして、二人は手を繋いで家へと帰る。
『ねぇ、あーちゃん』
『なぁに?』
『あーちゃん、ぼくね、おっきくなったら、あーちゃんをまもれるおとこのこになるから、そしたら、あーちゃん…ぼくのおよめさんになってくれる?』
亜梨子はにっこりと笑い
『うん、いいよ』
『やくそくだよ』
『うん、やくそく』
夕焼けに二人の影が映っている。
「う…うぅん…」
目覚めた時、亜梨子には毛布が掛かっていた。
おそらく母だろう。
起き上った瞬間、クラっと目眩がする。
「…泣きすぎたかな」
自虐的に笑い、鏡の前に立つ。
泣きすぎたのか、目の周りは腫れている。
「美少女が台無しだ」
笑いながら、顔を洗いに部屋を出ようとするが…
クラっと再び目眩が襲ってくる。
何だか熱っぽい。
フラフラする体を引きずるように居間に行くと
「亜梨子?」
母が亜梨子の顔を覗き込んでから、額に手を置く。
「すごい熱だわ。早く、横になりなさい」
「でも…」
「大丈夫よ」
と言う紗緒里に連れられるように、亜梨子は部屋のベットで寝かされた。
体温計で熱を測ると38.5℃だった。
「あら、やっぱり熱が出ているわね。今日はもう学校休みなさい」
「でも…」
亜梨子は起き上ろうとするが
「はい、寝てる事」
紗緒里は、無理やり亜梨子を寝かせて布団をかける。
天井を見つめて、ふと窓を見る。
(真ちゃん…)
昨日の光景が頭の中によぎる。
(やっぱり、崎山さんがよかったんだ)
再び涙が出てくる。
(ばか!泣かない!泣いちゃダメ!)
そう自分に言い聞かせても涙は止まらない。
(もう…やだ…もう…)
いつの間にか、深い眠りに入っていた。
『しんちゃん』
『あーちゃん』
幼い亜梨子と真之介が、はしゃいでいる。
(こんな時代もあったよね)
(戻りたい!あの頃に!素直だったあの頃に!)
ハッと目が覚める。
「夢?」
亜梨子は小さく呟く。
見なれた自分の部屋の天井。
「…夢か」
天井を見つめたまま呟いた。
ゆっくりと体を起こす。
思った以上にラクになっている。
時計を見ると夕方の6時を過ぎたくらいだ。
「こんな時間まで眠っていたんだ」
ゆっくりと立ち上がる。
立ち眩みはないようだ。
鏡の前に立ち、顔を覗き込む。
「朝より、マシな顔だ」
そう言うと同時にドアが開き、お盆を持った紗緒里が入ってくる。
「もう大丈夫?」
紗緒里の言葉に
「大丈夫よ」
亜梨子は、笑顔を作り答えた。
「そう…、さっきまでお祖母ちゃんが来ていてね。おかゆ、作っていってくれたの」
と、机の上にお盆を乗せる。小さな土鍋の蓋を取ると湯気が立ち上った。
「お祖母ちゃんが作ったのなら、安全ね」
そう言ってから、亜梨子はレンゲを取る。
「あら、まぁひどい」
否定はしない。事実だから。
「さっきね、芽依ちゃんがお見舞いに来てくれていたのよ」
「芽依が?」
「亜梨子、眠っているって言ったら『じゃあプリントを渡しておいてください』って、帰ってしまったわ」
「起こしてくれたらよかったのに」
「私も、そうしようとしたら『亜梨子、キツイだろうから』って言ったの」
「…ふうん」
「何かあったの?」
亜梨子は、黙ったままだ。
「そういえば、その後に真之介君が来たの。亜梨子に話があるとか言っていたけど」
【真之介】の名前が出た瞬間に、亜梨子の表情が強張る。
「でも、休んでいるからって、帰ってもらったわ」
「…そう」
「…真之介君と何かあったの?」
母の問いかけに、亜梨子はしばらく黙っていたが
「…ちょっとマズイ場面に出くわしちゃっただけ。口止めに来たのかな」
苦笑しながら言う。
「そう?そうには見えなかったけど」
「きっとそうだよ。まったく」
笑おうと思ったが、上手く笑えない。
紗緒里は、亜梨子の頭をコツンと叩いて
「こんな可愛い子を泣かせるなんて、ひどい男ね」
「お母さん!」
「昔から、亜梨子は真之介君ばかり見ていたものね」
亜梨子は、かぁっと赤くなる。
「あら、照れちゃって可愛いわね」
母がうれしそうに言う。
「からかわないでよ」
紗緒里は、亜梨子の頬を愛おしく撫でて
「いつの間にか、大きくなったわね」
嬉しさ半分寂しさ半分で言った。
「お母さん…」
「ねえ亜梨子、好きな人には、ちゃんと自分の気持ちを伝えないとダメよ」
「でも…」
「そうしないと、後悔する事になるんだからね」
母の言葉は、今の亜梨子には身に染みている。
自分の気持ちに正直になっていれば…真之介は…
「亜梨子は、まだ間に合うよ。きっと」
そう言って、紗緒里は部屋から出て行った。
亜梨子は、ふうっと息をついてから、窓を見る。
向こうにある真之介の部屋の灯りがついているのが分かる。
「亜梨子」
小さな声で真之介の声がした。
亜梨子の胸が高鳴る。
「亜梨子、起きてる?文化祭、ちゃんと出てきなよ」
亜梨子は、グッと布団を握りしめる。
行きたくもない文化祭…それに出てこいだなんて…
(ひどいよ…ひどすぎるよ)
亜梨子は、涙がぽろぽろ溢れていたが、ベットから降りて窓を開ける。
亜梨子の涙に気付いた真之介は
「亜梨子…あの…」
「…昨日は、お邪魔してごめんなさいね」
絞り出すように言う。
「亜梨子…」
「私、誰にも言わないから、崎山さんとお幸せに」
そう言ってから、窓を閉める。
「亜梨子?」
真之介がどんなに呼んでも、亜梨子が再び窓を開ける事はなかった。