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推しとなり  作者: 亜瑠真白


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強制メンテナンス

「桐生、今日はなんか調子よさそうじゃない?」

 昼休み、会社近くのイタリアンで向かいに座った及川先輩が言った。

「そ、そうですかね…?」

「いつもより気合が入ってるというか、キラキラが滲みだしてるというか…もしかして!例の大学生とついに付き…」

「あってません!」

 及川先輩は楽しそうにこちらを見つめている。

 オタクを打ち明けたあの飲み会から先輩との距離はぐっと近づいた。それは嬉しいんだけど…

「何度も言っていますが、そういう関係じゃないんです。」

 こうして時々からかわれるのはちょっと困る。私が変に意識しちゃったら、私のわがままに付き合ってくれている斗真君に悪い。

「ごめん、あんまり可愛いからついからかいたくなっちゃうのよ。でも、その子が関係しているんでしょ。」

「今日はうちに来る日なんです。」

「そうだったの!もう、早く言ってよ。」

「言いませんよ!」

 声を上げる私とは対照的に、及川先輩は悠々とパスタを口へ運ぶ。

コスプレ(本番)はいつするの?」

 本番か…今日やろうと決めていたことが終われば、もう引き延ばす理由はない。

「来週…くらいでしょうか。」

「そう。じゃあ、可愛い彼の写真を楽しみにしてるわ。」

 きっと斗真君は完璧ならむねちゃんになると思う。それはもう可愛いの一言では表せないくらい。でも…だからこそ、独り占めして私だけのものにしたい。

「み、見せませんよ…」

 私の様子を見て、及川先輩は笑った。

「そうだね。こんなに顔を真っ赤にして想うくらいなんだから、他の人には見せられないか。」

「そんなんじゃないです!」

 私は熱くなった頬を押さえた。


 会社に戻ると、フロアはやけに騒がしかった。

「及川!この資料、誰が作ったか分かるか?」

 課長が及川先輩に声をかける。その手には見覚えのある紙の束があった。

「さっき先方から連絡があった。送られてきた資料がおかしいとな。」

 及川先輩が渡された資料をぱらぱらとめくる。

「そうですね…恐らくこのページのデータが間違っていて、それ以降の計算が合わなくなっているのではないかと思います。」

 私は体が冷たくなっていくのを感じた。

「すいません!その資料は私が作成しました!」

 勢いよく頭を下げる。どうしよう。冷汗がでる。先輩や課長の顔が見れない…

「すいません。私が最終チェックをするべきでした。すぐに作り直します。」

 隣で及川先輩も頭を下げた。そんな…私のせいで及川先輩まで…!

「じゃあ、次は確実に頼んだぞ。」

 そう言って課長は席へ戻っていった。

 こんなミスするなんて、気持ちが緩んでいた?きっと浮かれていたんだ。プライベートなことにばかり気を取られて、仕事に集中できていなかった。せっかくやりたかった仕事に就けたのに、自分が情けない…

「桐生。」

 そう言って私の肩をぽんと叩く。振り向くと、そこには最高に頼もしい先輩の顔があった。

「私も一緒にやるから大丈夫。すぐ始めよう。」

「…はい!」

 そうだ。反省は後から目いっぱいする。今は仕事に集中しないと。


 及川先輩の的確な指示のおかげで、資料の修正は定時までに終わった。でも、今日やるはずだった仕事が出来なかった分、残業になった。

 パソコンをシャットダウンして時計を見ると、21時半を指していた。

「すいません。先輩まで残業させてしまって…」

「いいのよ。うちの新人は優秀だから今まで手が掛かんなかったし、このくらいね。」

「すいません…」

 及川先輩は真剣な顔で私を見つめた。

「ミスは誰だってする。次からは私でもいいし、誰か上司にチェックをしてもらうこと。取引先相手の場合はなおさらね。今回の件で身に染みたでしょ。」

「はい…」

「よし、反省終わり!午後の働きは申し分なかったわ。今日は華の金曜日だし、パァーっと飲みに行くわよ!…って、今日はダメね。例の彼と会う日なんだから。遅くなるって連絡は入れたの?」

「…あ」

「忘れてたの!?じゃあ、ほら。さっさと連絡しなさい。」

「私…斗真君の連絡先、知らないです…」

「ええ!?それならなおさら早く帰った方がいいわね。私のことはいいから先に行きなさい。」

「…すいません!お先に失礼します!」

 及川先輩に頭を下げ、私は会社を飛び出した。


 なんで連絡先を聞いておかなかったんだろう。 

 金曜の21時くらいになると斗真君がうちのチャイムを鳴らす。今まではそれで問題なかった。

 夜の街をヒールで走る。全力を出せないのがもどかしい。

 今、斗真君はどう思っているかな。怒っている?心配している?それとも、失望している…

 早く会って謝りたいのに、電車は強風の影響だとかで止まっていて、結局バスで帰ることになった。

 アパートの前に着くころには23時を過ぎていた。

 斗真君はまだ起きているかな。せめて一言謝りたい。

 斗真君の部屋のチャイムを鳴らそうとしたとき、扉がゆっくりと開いた。

「斗真君…!」

「お仕事遅かったんですね。お疲れ様です。」

 斗真君の優しい言葉に胸が締め付けられた。

「ごめん!心配というか、迷惑というか、色々とかけたよね。本当にごめん。こんな、仕事もちゃんとできなくて、人に迷惑かけて、本当に…」

「ちょっと待ってください!僕は迷惑だなんて思っていませんし、謝らないでください。話はあとで聞きますから、まずは部屋に入りましょう。菜々子さんの部屋、上がってもいいですか?」

「うん…」

 斗真君に促されて私は部屋に入った。


「菜々子さん、夕ご飯は食べましたか?」

「そう言えば…」

 お昼に食べたイタリアンから何も食べていない。もう空腹さえ感じなかった。

「分かりました。じゃあ、僕が用意するので菜々子さんはお風呂入っていてください。作ってくるので、お風呂あがったら僕の家のピンポン押してくれますか?」

「うん…」

 てきぱきと動く斗真君を視界の端に映しながら、私はもたもたと着替えの準備をする。心が鉛のように重たくて、手足に上手く力が入らない。

 その時、スマホが鳴った。画面には「母」と表示されていた。

「もしもし。」

『やっと出た。あんた、何回も電話かけたのにずっと出ないから。』

「ごめん、仕事終わって家に帰ってきたとこ。」

『そう、誕生日なのに大変だったのね。』

「誕生日…」

『そうでしょ。23歳の誕生日おめでとう。』

 母とは少し話して電話を切った。

「菜々子さん、もしかして今日誕生日なんですか?」

 斗真君が驚いた顔で私を見ていた。

「うん…すっかり忘れてたけど、そうだった。」

 今日は人に迷惑をかけるばっかりで最悪な誕生日だ。今日の私にはおめでとうなんていわれる資格がない。

「菜々子さん、ゆっくりお風呂入っててくださいね!」

 そう言って斗真君は勢いよく玄関を飛び出していった。


 斗真君に言われた通り、浴槽にお湯を張ってゆっくり浸かることにした。

 斗真君はなんでこんな私に優しくしてくれるんだろう。年上なのに、社会人なのに、ちゃんとできない私に。

「あがろ…」

 ぐるぐると答えの出ない問いを考えているとのぼせてきて、私はお風呂を出た。


 斗真君の部屋のチャイムを鳴らす。しばらくしてバタバタと足音が聞こえた。

 ガチャリと扉が開く。

「焼きたてなので温かいうちに食べましょう!」

 そこには大きなホットケーキを持った斗真君がいた。

 私の部屋に入ると、斗真君はホットケーキにロウソクを刺した。

「僕のうちには4本しかなかったのでちょっと寂しいですが…菜々子さん、ライター持っていますか?」

「うちにはないや。」

「そうですか。さっきコンビニに行ったときに買い忘れたんです。でも、ホットケーキミックスが売っていてよかったです。」

 隣に座った斗真君は私の方を向きなおった。

「菜々子さん、誕生日おめでとうございます。」

 君は、どうして…

「とは言ってもショートケーキみたいなちゃんとしたのは用意できなかったんですけど…」

 そう言って斗真君は申し訳なさそうに笑う。

 どうして私に与えてくれるの?

「菜々子さん…?」

 斗真君が私を心配そうに見つめる。

 初めは推しそっくりの顔が拝める喜びを。次に好きなものの話が出来る楽しさを。そして今日は落ち込んだ心を温める優しさを。

 目のあたりが熱くなって、自分では止めることが出来なくなった。

「ちょっと!な、泣かないでください…僕、何か気に障ることしましたか?…あ、強引に家に入ったから!?すいません、僕…」

「違うの…今日、仕事で大きなミスをして…憧れの先輩にも迷惑をかけて…それに斗真君のことも…」

 自分の生活はいくら自堕落でも、仕事だったり周りの人に対しては出来る自分でいたいって思っていたし、今まで上手くやれていると思ってた。でも今日、自分の慢心を思い知った。悔しさと申し訳なさでいっぱいだった。しかも今日が誕生日なんて、惨めさも加わった。

「たくさんの人に迷惑をかけて最悪な誕生日だって思った。でも、斗真君がこんな風に祝ってくれて…そうしたら勝手に…」

 その時、斗真君が私の手に重ねた。

「僕は菜々子さんの誕生日をお祝いできて嬉しいです。菜々子さんが喜んでくれるならもっと嬉しい気持ちになります。」

「…すっごく嬉しい。ありがとう…!」

「よかったです。」

 斗真君は優しい笑顔を見せた。

「菜々子さんの誕生日ケーキ、一緒に食べましょう。」


 ホットケーキを食べ始めると段々お腹が空いてきて、鈍くなっていた感覚が取り戻されていくのを感じた。それと同時に鉛みたいだった心も軽くなっていった。

「菜々子さん、お腹いっぱいになりましたか?」

「うん!美味しかったよ。ありがとう。」

「いえいえ。」

 帰り支度を始める斗真君に私は声をかける。

「斗真君。」

「はい?」

「今更なんだけど、連絡先聞いてもいいかな。社会人として、報・連・相を怠るようなことはしないと誓いますので…」

 今日の後ろめたさから、変なことを口走った気がする。

「ほうれん草?」

「報告、連絡、相談のことだよ。」

「なるほど。」

 私達はようやく連絡先を交換した。

 玄関先まで見送ると、斗真君が私の方を振り向いた。

「菜々子さん、今日は夜更かししないですぐ寝るんですよ。ベッドに入ったら、僕に連絡してください。報連相です。」

 新しく覚えた言葉を使いたかったのかな。そういう時あるよね。…というか、

「今日の斗真君、なんか強引じゃない?」

 私は思っていたことを口にした。

「あっ…あの、すいません!いつも明るい菜々子さんなのに今日は元気がないから、僕が何とかしなくちゃって思って…ちょっと調子に乗り過ぎました…」

 そう言って斗真君はシュンと縮こまった。

「あ、違うの!言い方がよくなかったみたい。その…斗真君の違う一面が見えたかなって。」

 優しいのは知っていたけど、こんな風に他人を引っ張る一面もあるなんて。ちょっと意外。

「多分、菜々子さんだからですよ。」

 そう言って微笑む斗真君があまりに可愛くて、その言葉の意味は聞きそびれてしまった。

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