表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神々のイデア  作者: 花都
ルイ編
71/73

第五十二章 撫でし子

 刀傷は、そう簡単に塞がらない。同時に、明確な害意で付けられた刃物の傷と言うのは、他の比でないほど痛むのだ。

 セラは寝台に寝たまま、香蘭が置いてくれた鈴に手を伸ばして、すぐに引っ込める。やっぱり、耐えられない訳じゃない。対処法もないのに、呼び出すのは迷惑だろうか。

 音は出さずに、持ち上げるだけなら。本当に痛むときのために、少しだけ――

 言い訳だらけで決め切れないまま、そうっと摘み上げると、ちりりんと音がした。

「どうしたのー?」

 優しい声。

 

 ――ああ、来てくれるんだ。

 仕事だからとか、義務感じゃなく、下町の母親が子供に向けるような温かさで。転がり込んだだけの、厄介な他人なのに。


「どうしたの?旅人さん」

「な……でも、ない……です……っ」

 言葉を吐く喉が詰まって、白い枕が濡れていく。

 香蘭は穏やかに微笑んだ。

「ゆっくりで良いのよ」

 

 ――嘘じゃなかった。本当に、綺麗事で出来ている。

 こんなの人に見られたくないのに、涙が止まらない。

 

「良いのよ。泣きたいだけ泣きなさいな。……旅人さん、名前は?」

「……セラ……」

小春日和(セラ)か。いい名前だねえ。学のある、賢い人が付けたのね。神話時代の言葉なんて」

「ふゆの……陽光に、にてる、って」

 貧民街にいたとき、学者崩れに字を学び、言葉を知った。それでルイが、くれた名前。小春日和の他に、冬特有の透明な陽の光も意味するそうだ。

「柔らかくて、優しい光ね。ええ良く似てる」

 ルイという名は、私が贈った。大切な人に親愛を示すための呼び方、「セラ」と同じ時代の言葉。ほとんど唯一と言っていい、宝物の記憶。

 

 大切にしたかった。

 大切に出来なかった。


「……、が……」

「うん?」

「ルイが、死んじゃったらどうしよう……っ」

「大丈夫さ、疲れてるだけだから」

「わ、私の、せいでっ、無理ばっかりさせて……倒れて……っ。私――私が、こ……殺してなんて、言ったから」

「…………」

「あのひとの……人生、壊した……っ」

 ずっと頑張っていたのに。そんなところも、大事だったのに。いつも私は大事にできない。

「私さえ……いなければ。ルイは、上手くいったままで……っ。ら、ライダンも、死ななかったのに。あの、綺麗な……ひとも、きっと、生きてた」

 間違ってる。生き残る人はライダンや賞金首で、死ぬべきは私で。そのほうが、何倍も幸せだったのに。

「全部ぜんぶ、歯車、狂わせて……」

 私はもう、死ぬこともできない。あの高潔な人たちが、紛争終結のための、能動的な犠牲者たちが、私に託したものが分からない。分からないから捨てられない。捨てられないから自決もできない。無理やり死のうとしたから、大切な人が代償を払わされたのだ。

「…………あたしには想像もつかないくらい、苦しんできたんだねえ……」

 そうだ。もう綺麗事なんて信じられないんだ、香蘭(あなた)じゃ分からないほど苦しんで来たから。「貧困から助けてあげる」なんて綺麗事を信じて、加虐者(リアン)の手を取ってしまった。そうやってルイのことを見捨てた挙句に、壊されてまたあの人に助けられて――あの人をまた、蔑ろに。

 私を消す方法を考えて、綺麗に消えてしまう方法を考えて。答えは出なくて、いつしか雁字搦めで動けなくなって。

「…………セラやあの子がどんなところにいたとか、あんたがどんな事をしたのか知らないし、オバさんの独り言だけどさ」

 投げやりな言葉とは裏腹に、声も口調も思い遣りに溢れている。

「人はきっかけにしかなれないんだから、あんたを選んだのは本人の意思だよ。本当に狂わされただけだったらさ、何日も付ききりで看病するわけないだろう?それだけあんたのことを大切に思ってるんだよ。こんなに愛してくれる人なんて、そう滅多に出会えないのよ」

「なんで……?なんで、私なんか」

「それは本人に聞くしかないねえ。だけどあんたの背中、すっごく丁寧に縫ってあったよ。なるべく痛まないで治るように、跡が残らないようにってね。この子にとっては、あんたはそれだけの価値があるのよ。だからそんなこと言いなさんな。自分を卑下しないの」

「……死ぬなって、言ったの。ルイが……。……愛してるから、駄目だって」

「そりゃあ、そう言うんじゃないのかい?あたしなら、大事な人にはいつまでも生きてて欲しいけどねえ」

「私の……、こと、一番知ってるのに。全部、話して……。辛かったねって言ってくれて。でも過去のことじゃないの。今だって、今の方がずっと。……なのになんで?殺して(助けて)くれないの……?」

 ねえ女将さん。

 呼ぶと目が合って、けれどすぐに涙でぼやけた。

「愛ってなんなの?……叩くこと?ことばで、縛ること?……私、生きれなくて、死ねないの」

 口には出さない、でもこれは、あの人の「愛」のせいだ。あの人が言葉で縛ったせい。暗殺屋という呪いを解いたあの人が、同じ口で呪いをかけた。

 ずっと求めてきた、見たことのない「愛」は、美しいはずの「愛」はこんな姿だった。

 ……私は、何を求めて、こんな所まで来てしまったんだろう。

「色んな愛があるのさ。あたしは、傷つけることは違うと思うけどねえ」

「誰のせいとか、もう分かんない。……お願い、殺して(助けて)…………」

 女将さんは、何も言わなかった。説教も、哀れみも、同情もしないで、そこにいるだけ。いきなり泣き出す奴なんて鬱陶しいだろうに、――リアンなら叩いて黙らせるか、目に入らない所に閉じ込めるのに。

 足りない頭でも、泣かせてくれている事くらい分かった。

「……女将さん、」

「どうしたの?」

 謝ろうとして、あの人が教えてくれた事を思い出す。

「…………ありがとう」

「いいのよ。ちょっとでも楽になってくれたんなら、それが一番嬉しいんだからさ」

「……ありがとう…………」

 もしも、もしも人を傷付けて来た私に、「もし」が許されるのなら。こんな綺麗事の世界に、ずっと留まっていたい。幸せは泡沫だと分かっていても、その後に必ず絶望があると分かっていても。

「ほら、また思い詰めた顔して」

 女将さんが、人差し指で私の頬を突く。

「あんた、暇だとダメみたいねえ。辛い方へ、辛い方へばっかり考えちゃう」

「……辛い方へ……?」

 当たり前の考えが、女将さんには違うみたいだ。

 それに、思った事が全部顔に出る隠密なんて笑えない。

「そりゃもう。ずーっと不幸な顔して、幸せが逃げるってのよ。あんた、花は好き?」

「……え?」

 話の流れが読めなくて呆ける。一拍遅れて、くるくると頭が回った。

「好き……です」

 花というか、食べられる植物にはかなりの恩がある。時々毒草にあたって酷い目に遭ったけれど、今なんとか生きていることを考えたら感謝の方が勝つ……たぶん。

「そうかい。主人が庭に凝っててね、色んな花が咲いてるのさ。何日かは寝てなきゃだめだけど、済んだら案内するよ。車椅子もあるし」

「……車、椅子?」

「ありゃ、知らないか。珍しいもんねえ。そんじゃ見てのお楽しみさ。今はこれで我慢しとくれ」

 サイドテーブルに置かれたのは紫色の花だった。摘み取られたたかが花、されど花器の上で咲く短い命を、胸を張って生きている。

「……花が、綺麗だって……気付かなかった」

 そう、生きているのだ。余りにも当然の事が、何故か深く胸を打った。

 本当の事は分からない。分からないけれど、「生きて欲しい」、とは、こう言う事なのだろうか。この綺麗な命が、枯れないで欲しいと願う事?

「生花の寿命は短いよ。それが、いっそう綺麗に見せるのさ」

「生きて欲しいってこと?」

「枯れるからこそ、咲いてる間が貴いんだよ」

「……なんでみんな。私、綺麗じゃ……花じゃないのに」

 命まで懸けたの。こんな(塵芥)のために。

「セラはまだ若葉なのさ。どんな色の、どんな花が咲くか、まだ誰にも分かりゃしないんだよ」

「…………咲かない、きっと……碌なものにならない」

「今はまだ、その時じゃないってことさ。花が咲くには時間がかかるんだ。草木の一生で見たら、短いものよ。あんたが考えてる以上に、ずっとずうっと大仕事なんだ。焦るんじゃないよ」

「生かされたから……やらなきゃいけない。何を……すべきか、分かんない」

「その時が来たら分かるさ。大丈夫。冬に桜は咲かないし、朝顔は夏にしか咲かない。それでいいのよ」

 こんなにほっとする「大丈夫」を、くれた人はいなかった。

「……いつ分かるの」

 ほとんど負け惜しみだ。無条件に受け入れてくれるなんて、懐が深すぎるから。身を委ねたら楽なのに、それが怖くて試してしまう。私を食い破った絶望で、女将さんが溢れないかどうか。

「焦らなくなったらさ。案外近いかも知れないよ」

 ――ああ、

 小揺るぎもしない。

 その手を取って、体重を乗せても……きっと支えてくれる。

「…………ありがとう」

 再び滲む涙を隠しながら、素直に救われるしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ