第五章 真相
若葉色のマイの目が、不意に底光りする。
イノスは反撃を諦め、間合いを切って中段に構え直したところだった。
小指が柄を握る。続いて薬指、中指、人差し指。
親指に力を入れる。
柄に巻き締めた紐がギチギチ鳴る。
──大丈夫。絶対やれる。
肘が拳が円を描き、鞭先の鋼が直線を走る。
さらにもう一歩踏み込もうとした敵は、咄嗟に首を捻って避けた。
日焼けた頰に赤い線が滲む。
その隙を十文字槍が突いた。
「・・・面白ぇ」
イノスの攻撃をぎりぎりで逸らし、距離を置いて構え直す。
マイの方をちらと見て笑った。
「纏めて相手してやりてぇが・・・五人とやる気はねぇな」
三人をさらに包囲する形で、シュヤ、ヴァキアが距離を詰めて来る。
──仕留める気だ。
ヴァキアの槍は上段の構え。防御を捨てた挑発で短期決戦に持ち込もうとしている。
状況から考えて、もう一人はルイ。
身を潜めた狙撃手まで勘付かれている。
──みんな、不意打ちを封じられて動けない。なら、あたしは!
派手に大振りに、鞭を振り回して走る。
中距離の鞭を無視など出来ない。
今のマイは弱くない。
必ず隙が出来る。前後の攻撃は同時に防げない!
槍の軌跡をくぐり抜け、しなる刃が首筋を指す。
──取った!
男が鉄籠手で鞭を払う。
袖が切れる。
白い煙が上がった。
むせかえるような臭い。
──危ない!
息を止める。恐らくは眠り薬。
吸い込んでは最期、意識を失って殺されてしまう。
上がり続ける煙で何も見えない。
気配も音も無い敵を相手に、頼れるのは勘だけだ。
立ち込める煙が揺れた。
横向きに突き出した短剣が欠けた。
『白刃の煌き』はマイの左手をすり抜けると、追撃を避け、狙い澄ましたルイの矢さえも速度を利用して躱し、街の奥へと姿を消した。
「・・・追うな」
マイの足が止まる。
振り返ってから、シュヤへの静止だったと知った。
「奴の思う壺だ」
「さっきの・・・『白刃の煌き』って人?が言ってた、『雷』ってどういう事?」
あからさまに不機嫌なシュヤに代わってマイが質問する。
「煩い」
イノスは血も凍るような視線をくれると、踵を返して行ってしまった。
「・・・一度解散しましょう。警戒を強めて下さい」
仕方なく指示を出した頭領が、それから、と付け足した。
「マイはここに残って下さい。話があります」
***
それぞれが散ると、頭領は口を開いた。
「伝えたいことは三つあります───ひとつめ。アリスについてですが」
ドクン。
心音。頬の血が冷えていく。
最悪の想像がよぎる。
アリスの怪我のことは知っていた。
脇腹に正面から短剣が刺さったことも、それがマイのものであることも。
「アリスは?アリスは、その───治る・・・?」
思わず身を乗り出したが、頭領は事務的に告げる。
「先程まで昏睡状態でした。幸い臓器に損傷はありませんが、暫くは絶対安静です。が・・・」
そう言って、諦めたように小さく笑う。
「大人しくはしていないでしょうね」
肩の力が少しだけ、抜けた。
大切な人。明るく、笑わせてくれた人。
あの人が見つけてくれなければ、あたしは今ごろ、食い詰めて物乞いでもやっていただろう。
「ふたつめ。エミリアの話です」
──エミリア。『白刃の煌き』とか言う男が、あたしをそう呼んだ。
正確には、もう一人のあたしをそう呼んだ。
あの男は、あたしの中に死神がいると本気で思っていた。
あたしも、あれがただ気が動転しただけとは到底思えない。
──それに、神話は完結していない。
あれじゃまるで、神々の死闘に続きがあるみたいじゃないか。あの話は一体、どこまで現実と繋がって──
「聞いていますか?」
「あ・・・ご、ごめん、何?」
「この国の神話はご存知ですか」
「少しは・・・」
──正直、初めの方うろ覚え。怖いんだもん、終わり方が。
「ざっくりと説明しますが」
頭領はやや面倒そうに口を開いた。
「その昔、地上が一面の荒地であった頃、このイデアの国には十一の神々のみが居ました」
敢えて間を置いているのは、エミリアとの関連を考えさせるためだろうか。
「そのうちの十の神々──火、水、土、戦、平和、生、智、光、愛、誠、の神は、この世の全てのモノを生み出しましたが、死の神だけがそれに反対し、生み出されたモノ全てに終わりを与えました。死の神を除く女神たちは激怒、そして団結し、それぞれの持てるモノを全て動員して壮絶な争いを繰り広げました。・・・終焉の呪いを取り消せと」
ぞっとする。
その戦いで、何もかも変わってしまったに違いない。
生み出した全ても、神々も、その間に満ちた感情も。
「その戦いで、神々は永遠の命と引き換えに死神のもつ神の力を二つに裂いて地下に封じ込めました。
十の神々は人間となり、引き裂かれた死神は殺戮の神リリア、混沌の神エミリアとなりました」
いちおう完結した神話に、更に不吉な一言を付け足す。
「それら二つの死神は、人間を介して地上に現れると言います」
「・・・それが、あたし?」
「はい」
ヴァキアは神妙に頷いた。
確かに、それ以外考えられないのだ。
死神が宿っていると考えれば、あの時の異常な状況にも説明がつく。
だが──
「どうしてエミリアなの?リリアじゃなく」
「殺戮の神は」
ヴァキアは束の間視線を落とすと、直ぐにマイと目を合わせた。
「硝子のような物質を操ると言います。少しでもそれに触れれば即座に死ぬ」
「だから、エミリア・・・」
「ええ。加えて、底無しの再生能力は、エミリアの最大の特徴です」
──あたしはやっぱり、人じゃないんだ。死と苦しみと憎しみと、混沌を愛す死神。
人を不幸にする恐ろしい化け物。生きることが許されない、孤独な孤独な悍ましいモノ──
「我々にとっては大した問題ではありません。切り替えて下さい」
暗い目をしたマイを気遣ってか、頭領は少し明るい声を出した。
「・・・うん」
──大した問題じゃないって事は。
「ひとつ、教えて。頭領はいつから、どこまで分かってたの?」
頭領は微笑む。
「初めからです。貴女が死神である事は、アリスが気づいていました」
──だから、あの時助けたんだ。あたしに桁外れの戦闘能力があると踏んだから。
「ゼセロが攻めて来た時もエミリアの力をを当てにしてたよね?当てが外れるとか、味方までやられるとかは考えなかったの?」
思わず眉を寄せたが、頭領は動じない。
「エミリアの性質については、大方分かっていました。数世代に一度現れて国を滅亡させようとするモノの伝説は山程あります。
防ぎ切れなければ所詮その程度のモノ、逆も然りです」
「リネラが無くなっても良い、ってこと?」
「リネラの任務は紛争の終結です。こんな組織は無い方が良い」
平和であればこんな組織は要らない、という意味だ。
「とはいえ勝算はありました。まあ、こうも上手く運ぶとは思っていませんでしたが」
何だか腑に落ちずに黙っていると、頭領は呆れたように笑った。
「そのくらいの予測も出来ないようでは生き残っていられません」
──ん?
「みっつめです。マイはまだ見習いでしたね?」
しれっと馬鹿にされた気がしたが、さっさと話題を変えられた。
「うん」
長かった。二年経っても見習いのままだった。
ついに認めてもらえるだろうか。
師匠と弟子でなく、一人の仲間、戦力として、扱ってもらえるのだろうか。
その一方で、確信に似た諦めがあった。
──馬鹿にされたばかりだし。
「エミリアに操られることなく、其れを使いこなすことが出来れば、一人の構成員として認めましょう」
「神を、使う?」
「理論上は出来てもおかしくありません。現に貴女はエミリアに抗っています」
エミリアの支配力に精神力で対抗せよ、という事。
確かに出来ない事ではない。
「これからエミリアは力をつけ、貴女を乗っ取ろうとするでしょう。実力のない者ほど取り込まれやすいと聞きます。・・・これ以上の説明は無用ですね」
頷いたその目には、覚悟と希望。
──絶対に、構成員になってやる。
読んでくださってありがとうございます。
作者の花都です。
投稿頻度を上げようと思っています。隔週金曜日に更新するので、楽しみにお待ちください。
では。