第四十九章 『メシア』
深い深い水の中から浮上するように、我知らずセラの目は開いた。まだ頭が覚めきっていなくて、何故仰向けに天井を見ているのか分からない。
寝ている間、……夢を見ていた、気がする。
どうか夢であって欲しい。
私が、ルイの人生を狂わせてしまった。……それを突き付けられた、現実以外であって欲しい出来事。
だが願う間もなく、痛む背中が浅はかな願望を斬り捨てた。
寝転がったまま、働かない頭でぼんやりと天井を眺める。靄が何重にも掛かったような鈍さで、どこかの宿だなあと思った。
……本当は多分、殆どを分かっているけれど。目覚めたばかりで、ぼんやりしている事にしておきたかった。
敵なのに気に掛け続けてくれて、連れ出してくれて、こうやって討手からも連れて逃げてくれて。静かな所で、柔らかい布団に寝かせてくれる人。
……副頭領の役職と責任を放棄させ、仲間に向かって弓を引かせ、命さえ危険に晒したこと。その上今も縛り付けてしまっていること。縛られてくれるのを、密かに喜んでしまうこと。何もかも全部、考えたくない。
この世へ呼び戻してくれたことを恨んでしまう。
助からなければ、意識ごと消えてなくなってしまえば。こんなことを考えなくて良かった。私は感情を死なせて、装置に成り下がるだけで終われた。
私は私の、一番醜い所を知らなくて良かった。
襖を開くかすかな音で、沈み掛けた思考が引き上げられる。足音のする方を目で探したけれど、死角になっていて何も見えない。
「…………ルイ……?」
「起きたか」
掠れて殆ど音にならなくても、耳の良い彼は聞き取ってくれたみたいだ。嬉しさと申し訳なさで胸が裂けそうになる。
「…………ごめ、」
「悪かった」
立ち位置を変えてくれたお陰で、ぱちりと目が合う。私が倒れたせいで血色が悪い。それでも、夜の色をした髪や瞳に白い肌、鼻筋の通った輪郭がとても綺麗。
「命に関わる怪我をさせた。読め無かった俺の責任だ。本当に済まない」
「……あやまらないで…………」
言葉を継ぎたいのに、息が上がって次が出せない。
「無理はしないでくれ」
楽なように、少し起こして支えてくれる。
背中に触れる大きな手と、横にいるだけで感じる温もり。私、寝起きで酷い状態なのに、髪が触れるくらい顔が近くて。こんなこと考えてる場合じゃないのに、そればっかり気になってしまう。
「大丈夫か?出来るだけ力を抜いて、俺に体を預けると良い。支えて居るから。……ゆっくり息を吸って、ゆっくり吐いて」
大丈夫……だけど、何にも大丈夫じゃない。
意識すればするほど緊張してしまって、息の仕方が分からない。生きるために動いてるはずの心臓がバクバク鳴って落ち着いてくれない。
私いま、本当にどうかしている。
……この人の人生を奪っておいて。
「リネラの追手が来たのを覚えて居るか?」
「……うん」
私がいたから、ルイは仲間に憎まれて殺され掛けた。忘れられる訳がない。
「あれからセラは三日間眠って居た。此処は計画に挙げた宿だ。三ヶ月は泊めて貰える」
「……敵には、ならない?」
「まず無いと考えて良い。捨てられた元構成員など、厄介者でしか無いからな。素知らぬ振りを決め込む方が遥かに得だ」
「でも……秘密警察とかの……情報は、欲しいはず」
「欲しいだろうな」
捕らわれて、拷問に掛けられる――あっさりと肯定され、ついそんなシナリオが浮かんだ。
「だが捕縛や拷問は考え辛い」
膨れ上がる恐怖に、ぷつっと穴が開く。
「単純だ。口を割る筈が無い。それに五柱始め、別の貴族の目が有る。俺達は表向き旅人だ。其れに怪我で動けない、正真正銘の弱者。迫害でもすれば、非難の的にされた挙句失脚するだろうな」
「……良かった」
「大怪我をさせた以上、良かったには程遠いがな。痛み止めが有るが、使うか?」
「……ん。お願い、します」
そうっと布団へ寝かされて、ルイが離れて行く。安堵するような、寂しいような、ぐちゃぐちゃの変な気持ち。どちらにしても、身勝手で下らないもの。痛み止めに浮かされて、頭がぼんやりして行くのが今は有り難かった。
「ルイ」
「ん?」
呼んだ瞬間に後悔でいっぱいになって、そうしたら何故か涙が溢れた。
「……私ね、」
貴方の人生を壊してしまった。
言わなきゃいけないのに、嗚咽する喉が言わせてくれない。
「あれだけの目に遭えば、当然だ」
柔らかな声で言って、そっと涙を拭いてくれて。
いっそ罵ってくれたら、どれだけ楽だろう。酷い言葉を吐いて、怒りのまま叩いてくれたら、耳も心も閉ざすだけでいい。ずっと蓋をして来た心のぬかるみに、鍵をかけて重石を乗せて、二度と開かなくしてしまえばいい。
緩んでしまった蓋から、押し込んだ以上の泥々が溢れ出て、泣いても泣いても減りそうにない。
もう、どうしたら良いの?
ずっと悲しくて、痛くて、苦しくて、……その一矢で、開けずに終わらせてくれたら。
ねえルイ、贅沢を言って良い?身の丈に合わない、自分のした事も、して貰った事も分かっていないような贅沢を。
私、消えてしまいたい。誰の記憶にも残らないようにして、誰も知らない透明人間になりたい。
ああ、ならば貴方に殺されたい。貴方だけの目を、心を、頭のなかを独り占めにして、その温かい腕の中で死んで行きたい。
……そして、どうか綺麗に、忘れてしまって。
私なんて、誰にも憶えられていなければいい。貴方の心の奥の奥、自覚出来ないほど深くてやわらかいところに傷をつけて、貴方の心にひっそり暮らす悪魔になればいい。ゆっくり、ゆっくり、貴方を蝕むから。貴方にも、分からないように。
そして、いつか貴方が向こうに行く時、私も一緒に連れて行って。
この世ならざる世界への道を、誰も教えてくれなかったんだ。分からなくてずっと彷徨ってる。聞こえない声で助けを求める亡霊になって、私、ずっと迷子で泣いているの。だから貴方が連れて行って。
……なんて、言えたら少しは楽になるの?楽になるなら、私の苦しみをルイに押し付けている事になるのでは?傷付ける事でしか救われないの?
本当に私が殺されたら、きっと長い間、この人は苦しめられてしまう。
そんな酷い事を考える私を抱き起こして、手巾をくれる。
このまま、私のちっぽけな胸から息が尽きてしまえばいい。貴方の腕の中で、温もりの中で。砂糖菓子みたいな優しさに包まれながら。
ねえルイお願い、愛してるよ。
……愛して。




