第四十八章 必要悪
マイが自ら謹慎している所へ、言伝を託された小者が駆け込んで来る。ヴァキアが使っている連絡役の一人だ。
「……ありがとう。すぐ行くね」
頭領の呼び出しなど、少し前なら歯牙にも掛けなかっただろう。だが今となっては、違う意味で無関心だった。
案内に立つ方でも、その辺りは承知しているらしい。その気になればいつでも殺せるような相手だが、変に警戒する様子もない。
「あの後どうなったか、聞いてる?」
マイよりも若いだろう少年は、はっきり知らないと答えた。たぶん本当に聞かされていないのだろう。
「そっか。ごめんね」
ヴァキアのことだから――いや、マイでも、彼に機密情報を伝えたりはしない。戻るべき場所に戻れなくなる事は、誰よりも承知している。
連れ立って暫く歩き、何の変哲もない町屋の前まで来ると、ふと少年は足を止めた。
「ここだ」
ヴァキアにとってマイが訳ありであることくらい察しているだろうが、一言も聞いて来ないし探る様子も無い。ヴァキアが好みそうな性質だ。
「入るね」
少年が離れて行く足音を聞き届けてから扉を開ける。内開きの扉に鍵は付いていない。その代わりなのか少し重く、手を離すと勝手に閉まる。
「マイです。呼ばれて――」
「なら用件もご存知ですよね」
耳横へサーベルが突き刺さった。
細い目が妖しく光っている。睨みつけて来るのは、剥き出しの敵意。それから、怒り。
「あたしも裏切り者なんだから、断罪者の好きにしたらいい」
「じゃあ抵抗しませんよね。させませんけど」
床が撓み剣が閃く。首筋に情け容赦ない衝撃を受け、目の前が真っ暗になった。
その間際まで、ヴァキアの残像が残っていた。
「寝てて下さい。邪魔なんですよ貴女。……不便極まりないエミリアですが、よい材料にはなりそうですね」
***
一刻ほど後、同じく呼び出されたジュノが目にしたのは、散乱する薬包紙と薬瓶の中に転がされたマイだった。それらに比べれば少ないが、注射器も複数落ちている。
――改めて見ると恐ろしいな。
理屈と感情がいつも一致するとは限らない。少なくとも、自分にとっては。
薬で意識を失わせておける事実も、むしろ嬉々としてその手段を取れてしまう頭領も。
増えていく空容器に凍っていると、しばらくしてヴァキアがくるりとこちらを向いた。
「遅かったですね。もう四半刻は早いと踏んでいたんですが」
「実験の邪魔する訳にも行かないだろ。何刻待たされたって逃げやしないよ」
「死罪にも出来ないものでして。この位は貢献して頂かないと……何せマイは強制参加ですから処罰になりません」
「例の作戦か。……王族の力を使わずに、死神を倒す」
この後の作戦は聞かされている。と言うより、裏切りによって変更される前の計画に限れば、ジュノ自身も立案者の一人だ。
宿主の自我が保てるギリギリのところで両者を引き合わせ、死神を食い合わせて相殺する。
連中は相手を喰って取り込み、神代に裂かれた力を取り戻そうと企んでいる。その性質をうまく使えば両者ともに喰い喰われて死神は封印され、二度と人間界に干渉出来ない。うまく行かなかった時は、リネラと秘密警察が死んでも阻止する。その保険に更なる保険を掛ける形で、ほとんど毒に近い眠り薬をヴァキアが作り上げたわけだ。
どう転ぶにせよ、エミリアであるマイは、死ぬ所までが確定事項だ。逆を言えば、そうでない面々はあくまで「死ぬかも知れない」だけである。
「俺にはそれが罰なんだな」
「ええ。死神共の封印を見届けて頂かねば」
ヴァキアお得意の嘘くさい微笑みだが、流石に腹は透けている。
「いい子ぶるなよ、裏切りは処刑だぞ?教え子殺したぐらいじゃお前は納得しないだろ」
「はははは、よくご存じで。我が身より重いものが何処にあるって言うんです」
「お前のそういう所が心底嫌いだよ」
こう言う時の笑い方が一番軽快なこともだ。
「よく堪えてくれましたねえ」
「先代がいた頃はそんなじゃなかったろ。それなりに素直で人間臭かったぞ」
「さあ?忘れました、そんな昔のこと」
たかだか五、六年、されどこいつにとっては、途方もない年月だったのだろうか。
知るすべなど初めからない。
「……秘密警察と殺し合え、だな?相手殺して俺も死ねって言うんだろ。死刑囚は有効活用しないとな」
妙な沈黙に耐えるくらいなら、切り出した方がいくぶん楽だ。
ところがヴァキアは困り顔を作った。
「うーん半分まで正解ですかねえ。そこにシュヤも引き込んで頂きたく」
「あいつは関係ないだろ?!」
「あっはは、何熱くなってるんです?ちょっと考えれば分かるじゃないですか。リネラは完全に危険人物ですよ?シュヤなんて腕は立つわ、半端に人望はあるわで恐ろしくて仕方ない。おまけに貴族を憎むとあれば、おちおち夜も眠れないでしょうねえ」
臓腑が妙な冷え方をした。
「……今ここでやっても良いんだぞ」
「あー変なの。本当に良いんですか?対死神の主力を叩き斬ってしまって。エミリアとリリアが食い合って、相殺出来なかったらどうするんです。ま、やりたきゃそれでも良いんですよ?どうせ死ぬのは貴方ですから」
許さないと感情が喚く。肚で獣が猛り狂う。
「…………………………」
だが、ジュノは馬鹿ではない。
「……はぁ………………」
分からないほど、馬鹿ではないのだ。
「……はー…………嫌な仕事だ」
「そりゃそうでしょう。何のための懲罰ですか」
「イノスは良いのか」
「彼は賢いですからね。自ら志願して下さいましたよ。地下牢に繋がれて餓死したい武辺者なんています?」
そうだ。権力とは、そういうものなのだ。それをシュヤはとりわけ嫌う。
「……転がってる薬片付けてくれよ。さすがに胸が悪い」
「昔から変な所でお行儀良いですよねえ」
「いくらお前でも人体実験はないだろ」
「また人聞きの悪い。エミリアは特別ですよ、何を打っても死にませんし」
「うわ……」
「しくじった後のことも考えておきませんと。殺せないなら、無力化する方法くらい作っておくのが責任でしょう?」
「……そうだな」
「ちょうど良い機会ですよ。僕も誰かさんに撃たれたもので、あまり立ったり走ったり出来ませんし。後はカルテ情報を公開してやれば、下準備はおおかた完了です。『五柱』辺りなら翌日にでも作って来るでしょう、毒草混ぜただけですし」
「…………本っ当に嫌な仕事だ…………」
「はっは、いいですねえ。僕、けっこう貴方のこと好きですよ、人間臭くて。この局面でまだ抵抗したがってるところとかね。ですけど、それが争いってものですよ。違います?」
「……いや。違いないな」
歴史的瞬間を作ろうとする今、選択肢は深々と溜息を吐くほかにないのだった。




