第四十三章 服喪
暗幕のような闇を、遠く儚い梟の声が震わせる。三日月は傾き切って、半ば沈み掛けていた。
町屋の一つで、剣士が休んでいる。と言っても刀は引き寄せたままで、怪しい気配でもあればすぐに覚醒して斬り掛かって来るだろう。
一応眠ってはいるが、頭の一部は起きている。そういう、夢を見やすい浅い眠りだ。
ジュノは実際に、夢を見ていた。
過ぎた時間の、幸せな夢だ。アリスと遊んだ、幼少期の幸福な夢。別に子ども時代が総じて幸せだった訳じゃない。かといって辛いことばかりだった訳でもない。何とはなくそこいらに転がっているキラキラしたものを、今よりずっと無邪気にキレイだと思っていただけだ。屈託のない少女の笑顔は、それこそ太陽みたいに眩しかった。
他愛ない日常を生きていることが楽しいと、いつだって全身で表現していた。両親が亡くなった時は幼すぎて、彼女はまだ知らなかったから。
賞金首として刃を向けられたことは、彼女に深々と傷を付けた。とりわけ俺が考えなしに飛び出して死にかけたせいで、アリスは自分の存在が周りの人間を傷つけると考えたようだった。半狂乱になって師匠に哀願し、武器を取った彼女はひどく思いつめた目をしていた。
根が明るい性格なので変わらずいつも笑っていたが、ほんの一瞬のぞく表情に背筋が震えた。悲壮な覚悟を決めた、そんな言葉がよく似合った。当事者には何の咎もない先人の怨みが彼女を変えてしまった。
夢の終わり、幼馴染は溶けるように霞んで消えていく。その眼差しが悲しいくらい張り詰めていて、俺はいつも我知らず泣いていた。
ふっと意識が浮かび上がり、目尻を払って身を起こす。
――ああ、またか。
繰り返し見た夢から覚め、自覚している以上に堪えているのだろうと当たりをつける。
それもそうかと他人事のように納得する。これも何度目か知れない。
先日ルイが出奔した。
アークが寝返り、ルイが裏切り、ヴァキアは冷徹さを隠さなくなった。マイはエミリアに人格を侵され、独断専行を繰り返している。リネラは今やバラバラだ。
どこかに、絵を描いた人間がいるはずだ。リネラが分裂して喜ぶ者。真っ先に思いつくのは貴族だが、彼らの悪知恵に上二人が気付かないとも、リネラの諜報機関が劣るとも思えない。やはりこれも、内部の仕業だろう。
――貴族の得になっている。といえば、アークだ。
何度思い返しても嫌な話だ。
アークが貴族に情報を流し、リネラにも貴族にも決定的な打撃がないようにした。一方で、紛争を終わらせようとアリスの居場所を吐いた。単身で貴族と渡り合う彼に、武器は情報しかない。リネラと貴族両方に黙認される絶妙なバランスで、身の安全を担保していた。
そんな危うい綱渡りを続ける彼を、排除するのは簡単だ。貴族にとってのメリットを、デメリットが上回ればいい。
そうして、ある意味有能すぎた彼は恐れられ、永遠に黙らされた。
――いや、おかしいな。あの時の拠点は襲われた二つしかなかった。明らかに狙われているアークが、自分の居所を吐く訳がない。
ならアリスを売ったのは、配置を決めたルイだ。あいつがアリスを殺した。身内を殺して、死神を残したまま組織を飛び出した。
仲間の命や信条を無視して形だけの終戦を取ったのだ。ルイは自分が出奔するために、アークは――
――自分の死は織り込み済みだったはずだ。時期はともかく、殺されるだけのことをしてる。
大前提、リネラに見切りを付けたんだ。有力貴族だけの治世を目指して、瓦解させる気でいてもおかしくない。ヴァキアはどこまで本気か知らないが、他のやつらは利用されたな。
そこまでぐるぐると考えて、ふと顔を上げる。違和感のせいだが、危険な感じではなかった。
開けた窓から、不意に犬が飛び込む。首輪に小さな入れ物が付けられており、伝書に使われたと分かる。
――賢そうな犬だ。俺の匂いを辿って来たな。
わざわざ犬を使ったのだから、人では運べない書ということだ。不穏に思いつつ取り出すと、マイの筆跡で暗号書が入っている。
書かれていたのは、師を奪った裏切り者を許さない意思。自らの手で息の根を止めるまで、謀反人を追い続けるという事だ。秘密警察の人間と手を組んでアリスを殺したと告発し、出奔したことを追及して、生かしていてはリネラが潰れるから組織のために奴を殺すと締めくくられている。
色々と正義を主張しているが、どんな理由があれ、構成員の私闘は厳罰だ。俺がヴァキアに告げ口すると思わないのか。
――エミリアめ、乗ることが分かってるのか。
かつてアリスを襲った天敵、エミリア。俺なんかより遥かに昔から存在し、人間よりも人間をよく知っている。神の創った人間を、何千年も見て来たのだ。人が何で動くかを知悉している。
――金だの愛だの正義だのって色々言うが、奥底にあるのは全部感情だ。結局のところ人間は、感情にしか命を賭けられない。
「……乗せられてやる」
俺は親友のために戦っていた。親友の忘形見も消えてしまった。
惜しむ命など、今更だ。
間もなく、先刻の犬が夜に紛れて走り出ていった。




