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神々のイデア  作者: 花都
ルイ編
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第三十九章 影

 セラが医務室へやって来て、ものの半日で事件は起きた。

「セラ?なりません、まだ寝ていてくださいっ」

 無事とは言い難い状態で帰還した彼女が早速外出しようと言うのだから、スアラの叫びも当然だろう。第一に、彼女は休むと言って医務室へ来たはずだ。

「……大丈夫」

「駄目です、お待ちください!」

 

 ――息が苦しい。頭が痛い。


 暗殺屋として拾われ、初めて仕事をした時。二度目も、三度目も、賞金首を殺めた時も。

 ……ライダンが死んだ日も。

 何時の間にか気絶して、気付けば此処へ寝かされている。

 貧民街の学者崩れが飼っていた、実験用の溝鼠みたいだ。粗末な餌の代わりに、他の全てを失った。

 功績を積めば変わると思った、でも幻想だった。今でも此処はあの檻だ。

「お待ちください、お願いです!」

 伸ばされたスアラの手は、袖を掠めて空振った。

「てめえ良い加減にしろよ」

 こめかみに青筋を立てたイムルが出入り口を塞ぐ。すんでの所で出られず、苛立ったセラがじろりと睨み上げる。

「てめえのそれでライダン殺してんだろうが!」

「イムル様!」

 俯いた前髪の下でセラがどんな顔をしているのかなど、イムルは興味もないのだろう。セラは硬直した表情のまま、不意打ちを仕掛け突破しようとする。

 が、生憎イムルはそこまで甘くない。

「死んでろクソ女!」

「っ」

 欠片の躊躇なく蹴りが飛ぶ。受け切れずセラが吹き飛ぶが、やはりイムルは見向きもしない。

「限度というものが――!」

 知ってか知らずか、華奢な指先に魔方陣が灯る。

「は、やる気かよ?鉄火場も知らねえ甘ったれ貴族が!」

 鋼鉄のヌンチャクが風を起こす。増え続ける魔方陣は既に部屋の半分を占領しているが、消える気配は全くない。

 

 一呼吸で崩れる均衡。

 例えるなら、火薬樽に松明を立てるような。


「ちょっとごめんね」

 扉がすっと開く。燃え盛る火は水をかけられ、煙を残して消えた。

 焦げた匂いと静寂が辺りを覆う。

「イムル、ちょっと来てくれるかな?話したいことがあるんだよ。脅かしてごめんね、スアラ。頼んでばかりで申し訳ないけれど、目覚めたらセラにも伝えおいて欲しいんだ」

「チッ。……承知」

「分かりました」

「ありがとう」


    ***


「う……」

 意識が戻った途端痛みに襲われ、我知らずセラが呻く。間髪を容れず、少し冷たい手が身体を押し戻した。

「動かないでくださいね。気絶する以前の記憶はございますか?」

 いつもの質問。少し涙交じりの声はきっと、私が辛い目を見せたせい。

「……牢獄みたい……」

 一言吐くだけで、浅く呼吸をするだけで、痛みが響いて泣きそうになる。

 昔からこんな不調は茶飯事だ。何時からか怪我の具合で治る頃が分かるようになり、苦痛に慣れてしまった事を突き付けられているようで。

「ええ……牢獄、ですわ。こんな場所」

「外は、鮮やかなのかな」

「……ここよりはよいかも知れません。貴女にとっては」

 スアラにとって、外はここ以上に忌まわしい場所だったのだろうか。命の保障がされた貴族さえ不幸なら、この世は地獄以外の何でもない。

「……衣食住の心配がない時、幸せだった?」

「わたくしは、平民の方々の生活を知りません。贅沢ですけれど……、幸せ……とは、違うものでした。貴族令嬢は、鳥籠の鳥ですの。唄や羽を美しく磨かれ、それを鑑賞するために、飼われておりました」

「貴族さえ……灰色なんだ」

「わたくしがそうだった、というだけですわ。父より情報を制限されておりましたので、他の方は存じませんの」

 寝食与えられた籠から外を眺め続けるというのも、楽ではないのかも知れない。

「地獄だね。どこに行っても」

「……貴族とは申しましても、わたくしは医術師の一族に生まれましたので、少し違っているかも知れませんわ。そのおかげで、こうしてお役に立てておりますが」

「逃げたくても……何処に行けば良いの」

 じわりと涙が滲み出す。干上がった砂漠から逃げて、飛び出した先が荒野ならば、私はどうすればいいんだろう。

「――今はお休みください。お側におりますから」

 刹那の逡巡を挟んで、スアラは手を握ってくれる。半ば無理矢理に目を閉じたけれど、疲れた体はすぐに眠りへ落ちていった。


    ***


「――カーボ様」

 通りかかった首領へ、ベッド脇に腰掛けたままスアラが声を掛ける。顔色も、声音も等しく暗い。

「セラは、どうなるのですか?」

 続く言葉を飲み込んだスアラを見、何か察したらしい。彼はすぐには答えず、儚げな微笑みを浮かべた。

「すごく働いてくれたから、何度もチャンスをあげたんだけれどね」

「……ここへ来たときも、騙されるようにして入ったのでしょう?それではまるで、遊里へ売られる女性ですわ」

 優男風の容貌をした首領は、いくつか瞬いて言葉を継いだ。微笑みはどこか凄みを帯びている。

「なら、こうしようか。以降、私が指示を出すまで一切の外出を控え、療養に専念すること。さすがにこれ以上は庇えないからね」

「……ええ……妥当、ですわね」

 破れば追放、あるいは討つ。セラも分からないはずがないのに。


 ――それを望んでいるのでしょうか。


 全てを諦めたような瞳を思う。一度でも輝いたところを見ただろうか。何を得れば、あるいは手放せば、俯いてばかりのあの目は光を宿すだろうか。


 

 スアラが懸命に悩んだのは、優しさや親愛の情からだろう。けれど、現実は形のない思いを拾ってはくれない。

 

 消えたセラへの討手には、彼女の師であるリアンが選ばれた。

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