第三十八章 寒風 前編
歩ける程に回復したから、と重い体を引き摺って本部へ戻ったセラに、声を掛ける人影があった。
元より積極的に人と交わろうとはしなかった彼女だが、ライダンの件以降、立ち位置は一層微妙なものになっている。
向けられる悪感情にはセラも知らぬ振りを決め込んでいるし、モンドの方でも従来通りに笑みかけてきた。
「ちょっと無茶をしすぎだよ。潰れてしまう前に休憩したほうが、結果として効率がいいと思わないかい?」
「……其れは、モンドがモンドだから言える事だよ」
ふらりと傾いだ体を、首領補佐官が流れるように支える。
敵わないと無意識が言った。
「まあ確かに、僕は美しくて完璧だからね。だけど、これはライダンが心配していたことなんだよ。むろん僕もだけどね。ちゃんと本部まで帰ってきてくれないと、もう薬師は君の横にいないんだよ?」
「…………私が、殺したから」
こうして見ると自分の身は、せいぜいモンドやライダンの肩までしか無い。体格も能力も遠く及ばなくて、……それで如何して、肩を並べられると思ったのだろう。
「違うよ。それは僕の親友が、身を犠牲にしてでも人を助けられる強い男だっただけのことさ。君が責任を感じるのはお門違いだ」
「なら尚の事。やらなきゃ」
「どうしてそうなるんだい?」
首を傾げたモンドは優しい目をしていて。こう言う人が、誰かを正しく導けるんだろう。
モンドや、ライダンみたいな立派な人が。
「其処まで追い込んだのは私だから。ライダンは優秀だった。……とても。失った穴は大きい」
「君を失くす損害も大きいよ。気付いていないのかい?自分がどれだけ仕事をこなしているか、どれくらい身を削っているかも」
「必要無い。所詮使い捨てだから」
「……そうか、常に出払っているということは。君は貴族と話す機会が多かったね。僕としたことが、忘れていたよ」
独り言のように口の中で呟いて、モンドは正面からセラを見据えた。
「いいかい?貴族は僕ら全員をそんなふうに思っているよ。こんなに美しい僕のことも、首領のことも、君も他の皆んなもね。どれだけ努力して、貢献していても、生まれ次第でごみ扱いさ」
蛆虫が湧き、蠅のたかった貧民街の死体を思い出し、表情が歪む。そんな様子を見て取ったモンドは、ひどいだろう?と笑みかけた。
「でも考えてみれば分かるはずさ。僕らがいなくなったとして、一番困るのは誰だい?」
「…………」
数秒の沈黙を、正解と取ったらしい。モンドはにっこりと微笑んだ。
「洗脳されたらダメなのさ。貴族のためなんてわけじゃない、輝かしい自分たちのためにね。プライドで雁字搦めになった貴族たちなんて、ツンデレの子猫ちゃんだとでも思っておけばいいのさ」
「……有難う。頑張る」
背中に浴びる溜息。君は、僕の話を全く聞いていなかったね?
そう聞こえた。
「ライダンの遺言だよ。セラは休もうとしないから、押さえつけてでも寝かせろ、だってさ。だからちょっとだけ、失礼するよ?」
「ライダンは貴方には、何か言ったの?」
見上げた顔が急にぼやけ、瞬きと共に涙が溢れる。
モンドは動きを止めて、微笑んでくれた。
「そんな時間はなかったさ、今となっては遺言というだけだよ。でもね、彼は君を心配していたんだよ。命をかけて平和のために戦った人だけれど、君が潰れていくのは見たくないんじゃないかな?」
「だから生きて欲しかった。そんなの、私に出来る訳ない」
「ライダンになる必要はないさ。彼は自分より、君に生き残ってもらいたいと判断したんだよ」
「意味分かんないよ、生まれた時から人殺しなのに……ずっと、卑怯な手で騙し討ちにして」
浮かぶのは、アリスと名乗った賞金首。あろうことか、自分の命を奪う相手へ、死の間際に笑いかけた。
今からすることも此れまでしたことも、あなたの全部を許すよ、と。
あの時と同じだ。絶対に間違っている。殺される人が、生き残る人が違う。
「生き残るのは……私じゃない」
「それはまだ分からないさ。ああ見えて、彼は人をよく見ていたからね。君の本質も、相棒には分かっていたんじゃないのかい?」
あの二人は分かっていた。だからあんなに迷いがなかった。
命がけのヒントを貰った自分だけが、何一つ見えていない。
「私じゃないよ」
こんな人間に託しちゃいけない。二人共、何であんなことしたの?
堂々巡りの疑問が回り疲れた頃、モンドが諭すように口を開いた。
「今は医務室に行って、休ませてもらうんだ。忙しいのも落ち着いてきたし、仕事のことは気にしなくていいさ。それよりも、疲れている時に考えごとをすべきじゃないよ」
「…………休む?」
「そうさ。誰も君を責めていないさ。立て続けに大きな出来事が起きて参っているんだよ。ゆっくりしておいで」
「……なら、寝る」
「それがいい。でも一つ、覚えておいてくれるかい?」
歳の離れた妹を愛でるようにしていたモンドが、すっと真剣な目をする。
「なに」
「次はないよ」
置かれた手の重みで、肩が軋みそうになる。
「……分かってる。ありがとう」




