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神々のイデア  作者: 花都
ルイ編
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第三十七章 劣等 前編

 目が覚めたチアラがいちばんに聞いた言葉は、「医務官長のお呼び出し」だった。

 エリアナに聞けば、チアラは丸二日ちかくも眠っていたらしい。事情を聞いた奥方様が口裏を合わせて、適当にかばってくださったけれど、それだけ無視したら激怒していそうだ。遠慮のいらぬ身内だし、彼の性格なら、何をしでかしても不思議じゃない。

 襖二面くらいある大きな几帳の前で正座し、作法に従って来訪を告げる。

 予想通り、「入れ」の声は怖気立つほど冷たかった。

「……失礼いたします」

 息を整えて、語尾の調子に注意を払う。何年もかけて染みついた習慣だけれど、しばらく離れていたからすぐには勘が戻らないかもしれない。


 案の定、姿をみせたチアラに投げられたのは、優しさでもねぎらいでもなく、ガラスの薬瓶だった。


「奥様の寛容さに甘え、教育を忘れたようだな。半歩退いて再度礼を取れと何度言わせる」

「……はい、お父様」

「医務官長と呼べ。我が人生最大の汚点」

 茶褐色の破片を浴びた肩を払いもせず、何かを堪えるようにチアラは硬直している。

「……医務官長様」

「その医務官長様を二日も待たせるとは、いいご身分だな?」

「……申し訳……っ」

「誰が発言を許した。侍女頭?そんなものが理由になるか。修業の途中で逃げ出した癖に、お情けを傘に着て師を見下すのは、さぞや気分がよかろうな?」

「……」

「奥方様もお優しい方よ。頂いた地位に胡座を掻く泥人形より、その瓶の方がまだ役に立つというのに。割れてもガラスはガラス。相応に甲斐性がある」


 ――何の用があって呼んだの?

 

 ゆっくりと近づいてくる医務官長の気配を感じながら、怖さを紛らわすように畳の目を数える。平伏で表情は隠せている。泣きさえしなければ、どうにかやり過ごせるはずだ。

 尖ったガラスの欠片を肩に押し付けられ、唇を噛んで耐える。服があるから傷にはならない。痛みさえ耐えれば大したことはないと言い聞かせ、懸命に表情を殺す。

「……顔を上げろ」

 泣いてしまいそうで固まっていると、前髪を鷲掴みにして引き上げられた。

「何だ、その顔は」

 あれだけ必死に堪えた涙が、あっけなく零れ落ちていく。一度決壊したら、後はもう止めようがなかった。

「見下げ果てた奴だ」

 医務官長は吐き捨て、血が出るほど額を切り裂く。押し殺した細い悲鳴に顔を顰め、うるさいと一喝して横腹を蹴り倒す。

「いつまで泣いてる。いつまで赤子のままなんだ」

「――医務官長」

 ふいに外から掛けられた声は気合いにも似て、聞く者を圧倒する力があった。

「……チッ。――副侍女頭様。ご多忙のところ恐れ入りますが、このように取り込み中につき、お引き取り願います」

「侍女頭をお返し願いたい。至急参上せよと奥方様の仰せにより」

「……どうぞご勝手に」

 部屋の主が奥へ引っ込むのを待って、エリアナは一直線に親友へと歩み寄り、背負うようにして連れ出した。


    ***


 必死に涙を抑えていたチアラは、地下に戻るなり火がついたように泣き出した。

「あんの馬鹿!女の子の、しかも嫁入り前の娘の顔に傷?頭おかしいんじゃないの?!」

 怒りのあまり空中を殴りそうになりながら、額の傷を手当てしてやる。

 鋭いナイフなんかでついた綺麗な傷ならまだしも、ガラスの傷はギザギザで不揃いだから、痕が残りやすい。あんな目立つところに醜い傷痕が残れば、嫁ぎ先も限られてくるだろう。奥方様の庇護下はずいぶんましとは言え、貴族社会で外見は大事だ。

 医務官長は、実の娘を社会的に殺したも同然なのだ。

「ほんっと、何やってんのよ」

 

 ――あたしがついていながら……!

 

「チア、この傷縫うわよ。麻酔は何使う?――これね。ありがと」

 軟膏状の麻酔薬をしっかり塗りこんで、肉の薄い額を五針も縫った。

「本当にごめん。ずっと張りついとくべきだったわ……。間に合わないなんて」

 泣きじゃくるチアラを抱きしめて、不甲斐ない自分に唾を吐く。

 本当は今すぐ殴り込みにでも行きたいけれど、あいつは奥方様の専属医務官だから手出し出来ない。だいたい、奥方様が父子を引き離しているのに、なんで呼び出しなんかしたのか。このためだけに呼び出したなら、治療がいるのは誰より医務官長だ。

「『白刃』さん……、チアラじゃ、助けられないかも……っ」

 

 ――『白刃』も医務官長も、寄ってたかってチアをいじめないでよ。頼むからさっさと起きなさいよ『白刃』……!

 

「あたしたちが弱気になっちゃ駄目よ。ずっと安定してるじゃない。危険なこともなかったでしょ?」

「気がついたら、息、してない……気がして」

「大丈夫よ!あいつがチアと奥方様を放って死ぬわけないもの。今チアは気が滅入ってんのよ。考えてみなさい、前回だって、あんなに心配したのにケロッとして起き上がってきたじゃない」

「そう、だけど……っ」

 やっぱり、何を言っても不安は拭えそうにない。


 ――いい加減にしてよ。あんたじゃないと駄目なのよ、馬鹿野郎。

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