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神々のイデア  作者: 花都
ルイ編
53/70

第三十六章 胸中

 胸の内を偽るのは貴族のお家芸だが、シャルロットの場合は少し違う。屋敷そのものが物理的に、地上と地下の二重構造を持っているのだ。


 とは言え、大半は地下の存在すら知らないし、地上階と違い「裏」の階は迷路そのものだ。通路が複雑に折れ曲がっているだけでなく、道幅を徐々に変えたり、少しずつ傾斜をつけて深さが分からないようにしたりなど、人間の感覚を狂わせる工夫がなされている。

 リネラが襲撃の際に地下を使わず、「表」でばかり仕掛けたのも、その難解さを裏付けているだろう。

 

 そんな地下迷宮に守られた緊急用の医務室で、チアラは膝をついていた。

 見つめる先の青白い顔は、涙で滲んでしまっている。

 

 「…………『白刃』さん」

 もう何度目だろうか。打てる手はすべて施しきって、眠りつづける彼の名前を、崇高な祈りの言葉みたいに呟く。

 もちろん本名ではないけれど、チアラは他に呼び名を知らない。もともとは捨て子だったそうだから、名前自体がないのかもしれない。

「『白刃』さん」

 下瞼が支えきれなくなった涙がぼろぼろと落ちる。

 思えば、この人のことを何も知らない。ここに来る前は何をしていたのか、チアラたちが来るまでは誰が治療していたのか、屋敷にいないときはどんなふうに過ごしているのか。好き嫌いがないものだから、好物ですらいまだによく分からない。

 このまま目が覚めなければ、何も聞けないままになってしまう。はじめはびくともしなかった体も、次第に体重が落ち、いくらか軽くなってしまった。

「……起きて……おねがい、おきてよぉ……」

 突っ伏した体は冷たくて、どんなに泣いても慰めてすらくれない。自分の身をなげうってまで、叛逆者から侍女を守ってくれたんだって分かっているけど、張り倒したい思いでいっぱいだ。

 なんで無茶するのって。自分のこと、そんな簡単に捨てないでよって。侍女たちと同じくらい、いなくならないでほしい人なんだよって。


 ――ばか。


 目いっぱい伝えたつもり。でも、ひとつも伝わってなかったんだね。

「ひとの気も知らないで。大っ嫌い」

 ひとりでしょい込んで、犠牲になろうとするあなたなんて。



 涙を拭って、これからのことをぼんやりと思う。

 侍女頭として、凱旋のように戻ってくる奥方様を迎えなければならない。過労で倒れてしまったエリアナのことも、「裏」のことを気取られないように自然に。


 普段ならそれほど辛くもないのに、負担に思えてしょうがない。


 また潤んできた目元をハンカチでこすり、重い体で皺だらけのスカートを整えて「表」へ向かった。



    ***



「みなの者。大義であった」

 上座に座る奥方様へ向けて、集められた全員がひれ伏す。もちろんチアラも、侍女頭の印であるスカートを畳み、イジュン将軍の隣で平伏した。

「裏」にいると忘れそうになるが、侍女頭の身分は高い。屋敷の内に詰める中では最高位の地位にある。


 ――そんなのいただいたって、『白刃』さんが助かるわけでも、父様が優しくなるわけでもないけれど。


 貴族特有のこまごました口上や手続きを聞きながら、こんなこと思うなんて疲れているんだなあ、と他人事のように自覚する。


 ――でもとりあえず、ひと安心。奥方様や秘書さんたちの心配とか、しなくていいんだから。ここでやりきったら、チアラは『白刃』さんのことだけに集中できる。


 ――早く終わってほしいな。


 今はエリアナに見てもらっているけれど、病み上がりで無理はさせたくない。それに、彼女は料理や看護の担当で、医者ではない。あれだけひどい怪我なら、傷口から雑菌が入って厄介な病気になることもありうるし、エリアナだけで対応しきれるか分からない。


 考えるとどんどん怖くなってきて、そわそわしたつもりはなかったけれど、すぐに適当なお仕事を言いつけられて下がらされてしまった。


 ――奥方様だってお疲れなのに、お気を遣わせちゃった。


 ――チアラがだめな子だから、『白刃』さんも治らなくて、エリィも倒れちゃうのかなあ。もしも、チアラも父様くらい腕がよかったら、もう元気になってるのかなあ。


 父様の声が頭蓋骨に木霊して、自己嫌悪でめまいがしそう。


 ――また嫌なこと考えてる。


 両手でぱしんと頬をはたく。

 薬と消毒で、まだらに荒れた手のひら。

 


「おかえり、チア」

 長い黒髪をまとめた女の子が、気配に気づいて扉を開けてくれる。

「ただいま。エリィ顔色、よくなってるね」

 嬉しいのに、口角がうまく上がらない。

「ありがとね。チアも寝不足でしょ、ちょっと寝てなさい」

「……でも、」

「無理してあんたが倒れたらどうすんのよ。ふらふらのままじゃ、こいつの世話も出来ないわよ」


 面倒見のいい親友は、口ごもる暇すら与えてくれない。

 それがこの子の優しさ。

「ちょっとだけだけど、血色はましよ。にしてもチアにこんな顔させるなんて、ほーんと最低よね、この唐変木。……ほら、そんなに不安がるなってことよ」

 しかも散々心配かけといて、こういう頭空っぽの馬鹿ほど長生きするんだから。


 エリアナは布団を敷きながら、目覚めたら一発殴ってやんなさい、なんてぶつくさ言い続けてる。

 いつも通り悪口言ってるのも、わざわざ襖をあけて隣の部屋とつなげてくれるのも、全部チアラのため。エリアナだって本調子じゃないのに、チアラが休めるように側にいてくれるつもりみたい。

「ありがとう」

「いいってことよ」

 勝気で過保護な戦友は、片目を閉じて微笑んだ。



 程なくして、チアラの眠る部屋とは反対の襖がするりと開いた。

「エリアナだけか」

 独特な足音の消し方と澄み渡るような声で、振り返らずとも『紅』と分かる。

「静かにしててね。チアが寝てるから」

 あんた一人じゃ心配ないでしょうけど、とぼやく声は暗い。

「チアのお呼び出しならあたしが行くわ。いい加減寝かせないとあの子が倒れるの」

「医務官長らしい。見習い医務官が探していた」

「医務官長……ね」

 苦々しく言ったエリアナに、勘のいい『紅』は首を傾げた。

「件の父親か?」

「そうよ。勝手な呼び出しなんてどうせ碌なもんじゃないわ」

「ならば、直々の御言い付けだと伝えておく。見習いが可哀そうだ」

 当然のような言い方に、エリアナは少し不思議そうな顔をした。

「助かるけど、あんたいちおう極秘事項でしょ?屋敷内で動けるの?」

「奥方様気に入りの武官ということにしている」

 真顔で頬に両手を当てる『紅』に、思わずエリアナは吹き出した。

「まあ、間違っちゃいないわね」

「『闇夜』の入れ知恵だな」

「あいつは通常運転として、しばらく『炎』も帰って来ないのよね?」

「諜報が一人減っている。女の口から伝わる情報は、『白刃』が一番強いのだが」

「おちおち寝てらんないわけね。にしても、改めて聞くと碌でもないわね……」

「その碌でなしは復活しそうなのか?」

 


 エリアナは吹き抜けた冷気に振り返り、眠るチアラを認めて目を伏せた。

 

「……踏ん張りどころかしら。きっとチアも分かってるわ」

「欠員を埋めた方がいいな」

 哀愁に応じる代わりに、『紅』は淡々と述べる。

「意外ね。仲間意識だとか、友情だとか、そんなのがあると思ってたわ」

「関係ない。奥方様は物を大切になさる方だが、私たちは武人とは違う」


 平民が吐いた貴族らしい主張に、上級貴族のエリアナは目を見張る。


「……あーあ、普段のあんたたちで平和ボケしたのかしら。ほんっと冷たい世界ね。そう言えばコードネームなんだっけ、今の名前も」

 迫る震えを押しのけるように、わざと声を張る。

 こういう所で聡い『紅』には、子どもの嘘にも等しいだろうけれど。

「……それにも法則がある、と聞いた」

 『紅』は黙って首肯すると、小首をかしげた。

 幼子のようなこの仕草は、口下手な彼が説明するときの癖だ。

「ひとつの戦場で何十も首をとるか、歴史を変える働きを複数すると、軍の上層部が渾名をつける。……警戒のため、と聞いた。私たちは独学なので、刃筋が変わっている。癖が強いと見分けやすいらしい」

 

「私たち」の範囲を探して、ダスティグリーンの瞳を覗いてしまうのは間違いだろうか。

 

「……チアが聞いたら泣くわよ」

「べつに秘密にもしてないが、誰も話していないのだろうか」

 案の定、勘違いした『紅』が、はて、と首を傾ける。

『五本槍』(あんたたち)で勝手にすればいいわ。あたしもチアも諦めないから。ま、何言っても聞かないんでしょうけど」

 『紅』はしばし空中を見つめ、やおら納得の声を漏らす。

「あの二人とは、すぐに連絡がつかない」

 だから返事を待たず準備を進める、との言外の言葉を、エリアナは肯定も否定もしない。

「大切な物どうしを天秤にのせる冷酷さがいる。何十年愛用した刀でも、刃が潰れたら替えた方がいい」

 俯くエリアナの表情は黒髪に隠れ、『紅』には見えない。

 やがて彼女は、細く長い溜息を吐いた。

「力説してくれなくたって、反対なんかやりっこないわ」

 消え入るような声で、あたしは武芸者じゃない、と付け足したエリアナの横顔は、どこか青ざめて見えた。

そろそろストックが切れてきました・・・

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