第三十四章 膿 後編
語られぬ女王の悲劇から六十余年が経ち、現在。
トラス邸では、クーデター首謀者側と現『五柱』軍とが、血で血を洗う惨劇を繰り広げている。
無論シャルロットの身辺も例外ではない。むしろ彼女は狙われているため、屋敷の一角に用意された居館でも激しい防衛戦は続いていた。
怒号と断末魔が満ち、満身創痍の『闇夜』が起こした癇癪もすぐに埋もれる。それぞれが何を叫んだかなど知るすべもない。
「もういい下がれ『闇夜』」
指揮を執る『炎』は苦々しく笑い、傷を負った腕でなお槍を振るおうとする部下を呼び止めた。
「『紅』がどうにでもするわ」
仲間の背が消えた空間へ、赤い槍が躍り出る。
一陣の風が、吹き荒れた。
何処までも紅い霧を巻き上げ、一振りの笹穂槍、暴れ風が竜巻と化す。
風の唸りに、槍の飛び散らす血飛沫さえ鮮明に聞こえた。
あれほど苦戦した目先の反逆軍は、すでに紅い暴風へ変じている。
「なーオレどんだけ頑張ったよ?てか『紅』まだ無傷ぢゃねーか。一瞬とか病むんですけど」
「あいつはこれしか出番ないだろ。やさぐれてないでお前も働け」
「おーい人遣い荒すぎね?オレまだ疑われてんの?」
「言ってる場合か。俺もお前らも死ぬ気だ、動け!」
「っ、うぃ」
気力を振り絞り、限界を尻目に踵を返す。
程なくして、トラス軍は劣勢に転じた。
そして半刻が経つ頃には、トラス邸での騒ぎは現『五柱』によって完全に鎮圧されていた。
***
地獄絵図から数日後。
シャルロットは、戦火を免れた建物をどさくさに紛れて占領し、未だトラス邸に居座り続けていた。
それは特に隠してはいない。いないのだが、当然のようにルーアから届けられた書状を見ると溜息が出る。
「お断り致しましょうか。ルーア様の居城まで行かれては、お怪我にも障ります」
主の様子を察したミラフが眉を顰めるが、シャルロットは少し眉頭を下げただけで頭を振った。
「片腕失くしたって出たんだよ?どうせ首謀者連中の処分もすぐ下るし、あんなやつに好き勝手仕分けられちゃあ、詰まらないだろ」
「その話に同意する気は永劫ありませんが。仕置のことは……ルーア様ですから」
「ルーアなんだよねー」
「くれぐれも、ご無理はなさいませぬよう。私どもも精一杯、尽力して参ります」
「分かってる。ありがと」
美しい秘書官は黙礼を返した。
***
かくして、半月後。
案内されたルーア邸の大会議室へ入ると、シャルロットは次席に座した。定刻にほとんど遅れる事なく入ったせいか、ルーアとレオンしか来ていない。
――弾劾裁判だからね。遅刻ってわけじゃ、ないだろうけどさ。
「ダリアンが死んだ」
相変わらずルーアが無表情に報じる。
五柱会議のため設られたテーブルに、残っているのは三人のみ。
――ま、誰も哀愁なんか持ち合わせちゃいないけどね。
「ふーん、わりとセシルは優秀だね。あれを引きずり落とすなんてさ」
「シャルロット殿は、人の心をお持ちでないのかね。朋友に裏切られ、あろうことか実の息子の手に掛けられてしまったのですぞ。ダリアン殿の無念いかばかりか……。どうぞ楽殿へ、生まれ変われるよう」
長々と口上を述べて印を結ぶレオンだが、真意はまあお察しだ。
「はいはい殊勝なこった。アンタが作った概念だっけ?」
「ああ、憐れな民の救済など、シャルロット殿にとってはどうでもよいのですなあ。いやはや恐ろしいお方だ」
「あーあーいちいち長ったらしいねえ。ここは聖殿じゃないよ教祖殿」
芝居がかった仕草に辟易したらしく、建前そっちのけでシャルロットが息をつく。
「本題は別だろ?勿体ぶるのも大概にしな」
「言う必要もない」
氷雨色の目が睨むように動き、後ろ手に縛られ猿轡を咬まされたトラスが引いて来られた。
『五柱』の卓からやや離された椅子に縛られ、毅然と前を向いたままで口の縄を外される。
覗き込むようにルーアが目を合わせ、にやりと嗤った。
「釈明があるなら聞いてやる。――五柱裁判だ」
上機嫌で仕切るルーアに嫌気を覚えつつ、シャルロットは静かにトラスを睨む。
私怨で動く気はさらさらないが、狙われた以上、怨みは掃いて捨てるほどある。
……欲しい利権はその倍も。
「言い訳の余地もない。全ては、僕の行いが及ばなかっただけのこと」
「下らない。言い残すのはそれだけか」
「ああ。――『五柱』の長たる父上に比べ、あまりに不足だと思い知らされた。充分だ」
「反逆して権力者を滅ぼせば、その地位を確立できるとでもお思いだったのですかな。なんとも痛ましいお人だ、『五柱』ともあろうに、罪にその手を染めるとは」
トラスは噛み締めるように目を閉じ、伏し目がちに開く。
「…………五柱の長として、父上を継ぐ者として。僕は父上でなければならない。……ならなかった。僕は――」
ドスッ
「…………ぁ、ぁ……」
開きかけた口から思念が漏れる。
醜く重い執着。抱えれば最後、どんな堅牢な地面に居ようと沈んでしまうだろう。
「お前の父は殺されて死んだ」
白銀色のレイピアが左胸を貫通している。
泣き出しそうなトラスの口の動きを無視し、細剣が韓紅の堰を開けた。
「良かったな。お前はディエゴだ」
「……っこ、酷ですなあ。ルーア殿」
笑うレオンのこめかみを汗が伝う。
穢れを嫌う貴族の会合なのだ。
言うに及ばない。
「……世に名高いルーア殿の剣さばき、まさかこの目で見られるとはねぇ」
「アンコール。必要?」
血に濡れた愛刀を翳しルーアが微笑む。
その目はどこまでも空虚な氷雨色。
「奥方様に――!」
「ミラフ、退がりな」
激昂するミラフの前でレイピアが両断され、大理石で跳ね返る。
血を見ぬ剣が鞘に収まり、風を孕んだ外套が遅れて戻った。
「……件の私設部隊、目見えるとはこちらも光栄」
「はっ、アンタほど強けりゃ、護衛なんかいらないだろうさ。――ミラフ、帰るよ」
シャルロットを庇う位置に秘書が歩く。
『炎』は護衛と共に、やや遅れて退出した。




