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神々のイデア  作者: 花都
エミリア編
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第二章 死神乱舞

「肩の力抜きなよ。いくら何でも硬くなり過ぎ」


「そんな事言われても。アリスは怖くなかったの?」


 敵の大軍が押し寄せてくるというのに、笑っていられる師匠が不思議だ。


「私は嬉しかったけどなぁ。やっと戦えるー、って感じ?ずーっと引きこもっててもすることないもん」


「ま、まあ、それもそうなんだけど・・・」


「いや、こいつだって口で言ってるだけだからな?暇つぶしに戦う奴はそうそう居ないから安心しろ」


 色々な意味で不安げなマイの様子を察して、ジュノが注釈を入れる。


「引きこもってても暇なのは本当だし」


「武器持った理由は違うだろ。自分のせいで──」


「その話はいいでしょ」


 口を尖らせて、しかし有無を言わさぬ口調でアリスは話を終わらせた。

何か理由があるのかも知れない。

 


 彼等は今、山脈の麓の棄てられた街にて決戦の時を待っている。その領地を喰い物にしようと攻め寄せる軍勢から、領地と民を守るために。


 仕入れた情報によると、相手方はおよそ一千人。


対する此方は、総戦力を挙げても八人。まともにぶつかってはひとたまりもなく全滅させられてしまうだろう。



    ***



 ──彼等が全員ただの人間であれば、の話だが。



    ***



 攻めて来るのは、イデアのほぼ全てを手中に収める強大な組織、ゼセロである。


 ゼセロという単語は、神代の言語で「商い」という意味がある。が、彼らは何故か領地の民を徴兵して大軍を組織し、他組織を消滅させる事に精を出している。


 集められた軍団は、「五柱」と呼ばれる幹部達の意思によってのみ動く。

そしてゼセロは、イデア全土を手に入れる為にならどんな犠牲も惜しまない。

 

 マイは得物を──先端に刃を入れた特製の鞭を、固く握り締めた。既にアリスやジュノは作戦通りに持ち場へ移動し、此処には他に誰も居ない。


 鞭は間合いが広いため、下手をすると同士討ちになりかねないからだ。

 

 足音が視界を歪める。先頭を歩く者が、彼方に小さく見えた。


 ──あのメトロノームが狂ったとき、あたしは死ぬんだ。

 

 此方の姿を認めたらしい敵は、マイが一人だと侮ったのか、雪崩れをうって殺到する。


 ──やだ!まだ、死にたくなんかない!

 

 左脇の鞭を真一文字に振り抜く。

 切先が喉を引き裂いて、突進して来た兵士が崩れ落ちていく。

 


 全身の毛が逆立ち、脚に力が入らない。



 怖くて、怖くて。ただ逃げたくて、痺れた頭と震える脚を引き摺って、闇雲に鞭を振り回す。


 三方向から襲い掛かる敵が、瞬く間に血溜まりに変わっていく。



 一振り。断末魔、最前の人が何か叫ぶ。

 二振り。死体の山に血が注ぐ。

 三振り。辺りは血の海──



 もはや悲鳴も上げられない。


『たすけて』

『こわい』

 そんな言葉ばかり、頭の中で回っている。



 ──お願い助けて。お願いだから早く終わって。



 無意識下で祈った。


 視界から色が消えた。


 目頭で涙が弾けた。



    ***



 かつてはこの街の主要な交通路であっただろう大通りは今、死体が山と転がる地獄絵図。


 膨大な敵軍隊の流れを塞き止めているのは、多対多戦闘を得意とするアリスとジュノだ。


彼らは通りを塞ぐように立ち、次々と押し寄せる軍勢を足止めしつつ戦力を削っている。


 アリスの振るったグレイブが、敵の大動脈を正確に斬り裂いた。


「生きて帰れると思うなよ雑魚ども!」


「お前ストレス溜め過ぎだろ・・・」


 ふふん、どんなもんだいっと言わんばかりのその顔は、演技か否か。



 大雑把に纏められた黒髪にも、新雪のような肌にも残らず返り血を浴びた彼女は、見惚れるほどに怖ろしい。



 アリスは薙刀に似た武器グレイブの使い手、ジュノは剣豪である。


幼馴染で付き合いが長いせいか非常に仲が良く、戦闘時の息も合っている。



交互にきらめく赤と銀の吹雪は、悍ましさを通り越していっそ風情すら感じさせた。



    ***

 


 自分の中に、もうひとつ別の何かが居た。


 其奴はマイの奥底に忘れたはずの、闇の中にぽっかりと開いた沼から顔を出して、にやりと笑った。



決して許されない悪戯をした時のように。

 


 頭の血がすぅっと落ちて、頰が冷たい。


 靄がかかって、何も考えられない。



 必死でもがいているはずなのに、ぴくりとも動けない。マイの体はマイのものではない。



 ──嫌。


 捕まりたくない。捕まるわけにいかない。


 ──どうして?

 

 分からない。でも本能が知っている。


 其奴は一層笑みを深め、埃にまみれたぼさぼさの髪を掻き払い、這うようにして近づいて来る。



 其奴はマイの足首を掴んで、囁いた。



 ──知ってるよ、貴女のこと、何千年の昔から、決まってたのだもの。


 

 ずるっと引き摺られ転んだまま、抵抗らしい抵抗も出来ず、沼の中へ、ぶくぶくと。


 恐怖心を、煽るように。貪るように。



 必死にもがいて、足掻いたはずなのに。


 汚泥に埋められ、何一つ変わらない。

 


 其奴の力は、マイの恐怖に食らって強くなるのかも知らなかった。


 

 初めて見たはずの其奴にも、この金縛、気が狂いそうな恐怖にも、何故だか妙な既視感があった。


 知っている確信があった。



 だがどうしても、思い出すことは出来なかった。

 


    ***

 


 背の高い黒尽くめの男が、湿気を吸って反った壁板の隙間から外を伺っている。



 常に無表情なイノスは思考も機嫌も分かりにくいことこの上ないが、愛用の十文字槍を手にしているあたり、戦意は上々。



 敵の動向から目を離さず、後ろ手に合図を送る。


 後方に待機しているのは、頭領のヴァキアである。


 詰襟のシャツを涼やかに着こなす、華奢な体躯の若い男だ。


 血生臭い戦闘などにはおよそ縁がなさそうな風貌だが、その実あらゆる武器を使いこなすスペシャリストなのだ。


 普段は影の薄い彼だが、戦場での存在感は類を見ない。



 二人が身をひそめるのは、街はずれの建物である。


 高い煉瓦壁に切られた門のうち、リネラ領に近い方の傍に据え付けてあり、かつては衛兵などが住んでいたのであろうと思わせる。


 埃にまみれて薄汚い屋内では、囲炉裏の灰や腐りかけた棚が、かつては此処が誰かの生活空間だったことを示していた。



 この街は、飢餓と疫病で滅びた。


 内乱の勃発とほぼ同時期に。


 自らの運命を呪いながら。



 ヴァキアは頭を振った。感傷に浸っている場合ではない。此処で止められなくては、領地が同じ目に遭ってしまう。



 イノスの合図。


 挙がる右手を見るが早いか、ヴァキアは勢いをつけて腐った扉を蹴り飛ばした。


 蝶番が引き裂かれ、身構えた兵士達が巻き添えを食う。


 十文字槍が素早く敵の横合いを薙ぎ払う。


 肋骨をも切断し、十字の穂先が半円を描く。



 同時に、城壁から飛び降りた人影がある。



 シュヤは飛び降りた勢いのままに一、二度回転し、そのまま膝頭を地面に叩きつけた。


 足下に地獄が広がっていようと、味方の間合いに入っていようと、この男には関係ないらしい。


「痛ってぇ・・・」


 槍囲みを作る敵をよそに、痺れた両手をぶんぶん振る。


「斬り殺すぞシュヤ。今すぐ離れろ」


「うるせーなー、怪我人は大事に扱えよ」


 ぶつぶつと文句を垂れるが、イノスは完全に無視。


 ちょっとむくれたシュヤは敵に向き直ると、腰板に収めた二刀に手を掛けた。


 真っ直ぐに向けられた敵意を、不敵な笑みで返す。

 

 赤い花が踊った。

 


    ***

 


 [其れ]は会心の笑みを浮かべた。

 修羅も羅刹も好まぬほどの悍ましい光景を創り出して。


 殺気は、全くない。あるのは、ただ狂気と流血のみ。


[其れ]は笑んだままに、鞭に絡んだ肉片を振り落とす。


 血の池に破れた臓物が浮かんでいる。



 今や、恐怖に震えているのはマイではなかった。

 暗い歓喜に高笑いしているのもマイではなかった。


 [其れ]は神であった。

 頗る非道な死神であった。

 人間を憎悪する残忍なモノであった。

 疲れも痛みも知らぬ怪物であった。



 [其れ]はゆっくりと歩む。


 笑い声を響かせ、虐殺を求め、血肉を浴び、大通りへ向かって。

 


    ***



 ジュノは唇を噛んだ。

 相手の数が多過ぎる。

 ろくに訓練も受けていない初陣の兵士達に死を見せつけ、侵攻を不可能にする精神攻撃の予定だった。


 だが、相手はしぶとかった。



 仲間の屍を踏み越え、その血に濡れて突進した。


 農民に槍を持たせただけの雑兵といえど、短期決戦でなければ勝率は低い。


 ぐずぐずしていては、数に押し潰されてしまう。



 傍らのアリスは相変わらずだが、あちこち出血し、呼吸も少し荒い。


 今のところ深手はないが、それも時間の問題だろう。



 精鋭集団とはいえど、結局はただの人間だ。

 戦えば疲れ、斬られれば死ぬ。


 体力の限界は近づきつつあった。

 


    ***

    


 高笑いが響いた。

 

 それは余りにも醜く、余りにも鋭く、余りにも場にそぐわなかった。


 知っている声だった、見知った人影だった。

 


 知らないモノだった。

 


 声になる寸前の断末魔が耳を貫く。

 切断された手足がぼとぼと落ち、血飛沫が視界の下半分を覆い隠す。


「──あれは・・・」


 放心したアリスの、感情を失った声。



 ──まさか本当に。



 [其れ]は死にきれずに暴れる兵士を踏み越え、逃げる気力さえ失った哀れな人垣を瞬く間に刈り取った。



 今や、殺到していた筈の兵士は一人も立っていなかった。



 [其れ]は初めて二人に気付いたように、血管の絡みついた鞭を向けて戦闘態勢を取った。

 


 殺気が噴き出した。


 

 其処は戦場となった。


 

 武器を構える。神経が焼き切れるほどの集中と警戒をもって[其れ]に向き合う。



 ──こいつは人間じゃない。



 中段の構え。



 ──勘違いであって欲しかった。



 ジュノが斬り掛かるより速く。


 死神の鞭が閃いた──瞬間、グレイブがそれを弾き飛ばした。



 濁った金属音が響く。


 死神は勢いに抗わず、相手の足元を狙う。


 が、鞭を逸らしたとき既にアリスは間合いを詰めていた。



 鞭の間合いはグレイブより遥かに広い。


 ゆえに、近距離戦では殆ど使えない。



 グレイブが円弧を描いた。


 死神は獣のような動作で地を蹴って後退し、退がりざまに足元を薙ぐ。


 赤い泥が跳ねて、不協和音が泣く。



 黒髪の武芸者が飛ぶように駆ける。

 死神が退がるより速く、必殺の斬撃が唸る。

 

 体重を沈め、再び後退し避ける。



 避けたが、避けられなかった。



 死神が体勢を崩す。

 右足首に白銀の棒手裏剣が突き立っている。


 「甘いっ!」

 

 斜めに構えたグレイブが静かに閃く。



 それがマイであろうがなかろうが、刃を向ける者は全て敵。


 そして戦場に情けは無用。



 アリスは一切の躊躇いもなく頚動脈を切り裂いた。


 白い皮膚が裂けて、赤い肉が剥き出しになる。

 


 あきらかに致命傷だった。


 大動脈を切断されて、生きていられる人間などいない。


 

 だが、頽れたのはアリスの方だ。色白の端整な美貌を苦痛に歪め、左脇腹に深々と刺された短剣を掴む。

 

 死神が鞭を振り上げるが、アリスはありったけの殺意を込めて睨みつけるのみ。



 ジュノはその目を知っていた。


 

 ──限界だ。


 

 血塗れの太刀が素早く割り込み、右腕ごと鞭を切断。

 そのまま首筋に向かって剣が伸びる。


 死神は頭を振りつつ後退して躱し、予備の短剣を抜いた。

 


 手出しすれば激怒されることは分かっていたが、指をくわえて見ている訳にもいかない。


 間違いなくアリスは殺されてしまう。


 

 マイの姿をした天敵によって。


 

 死神の動きが止まった。

 透き通った、実体のない透明の腕が現れる。


 目を見張る間に、二、三度瞬く間に、腕は実体を増し、元のように、まるで傷など負っていないかのように、腕は完全に治癒した。


 落ちていた手は、新たな手に実体を奪われ、すぅっと透き通って消えてしまった。


 

 [其れ]は再生する。


 [其れ]が[其れ]である限り、永遠に壊せない。



 死神が薄笑みを浮かべた。

 

 次はお前の番だ、とでも言いたげに。


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