毒を食むⅠ (中編)
部屋の向こうに人の気配。
瞬く間に兵を屠り、手巾で槍を拭っていたイムルが勢いよく振り返る。
「───酷いな、上様から預かった大事な部下に。なんてことしてくれるんだ」
反対側の襖から顔を出すのは、背の高い金髪の男。抜き身の刀を利き手にぶら下げ、更に二振りの太刀を腰から下げている。
鮮やかに微笑む姿はただの美青年だが、かなり筋肉質なことは服の上からでも容易に分かる。
イムルが唇の端を引き伸ばす。捲れた口唇から尖った歯が覗く。
「何だ、ちゃんといるじゃねえか」
***
ここへ向かう途中、駆け抜けた茂みの端に潜む存在に、イムルは気付いていなかった。
***
「───ごめんね、嫌な仕事させて」
言いながら、巫女装束の袂から金貨を一枚取り出す。
ゴロツキの酒臭い息と煙草の煙に紛れ、体格の良い壮年の男と小柄な少女が肉料理を囲んでいる。
ヒムは煙草を離し、深く溜息を吐いた。
「足りんね、儂のいたいけな心に付いた傷はどうしてくれるんじゃい。・・・と言うか、あんたにそんな思考もあったんだのう。ごくごく普通の潔癖なお嬢さんだと思っておったが」
金貨一枚は銀貨の十枚分、銅貨に換算するなら二百五十枚分で、その額は一人の兵を一年食わせるための基準とされている。
「こう言うのは嫌だけど、師匠の仇だもん。本当なら、あたしが行って殺したかったんだけど、身元バラせないしそうも行かなくて」
マイが切り分けた鶏肉を口に運ぶ。
「段々発言まで物騒になってきたなぁ、あんた・・・。孫みたいな歳の華奢な女の子を殴るって言うのは、やっぱり気持ちのいいもんじゃないのう」
「ごめんね。奢るよ」
苦笑いしつつ、運ばれて来た伝票をぴらぴらさせる。
ヒムが微妙な顔をした。
あまり高価な店ではない。
「ま、子供に絡むのもこの辺にしようか。ありがたく奢られておこう」
「揺さぶっといて、どうせ初めから怒って無いんでしょ」
呆れ顔で頭を掻くと、ヒムは豪快に笑った。
「ははは、なかなか言うようになったわい。上客は大事にせんとなぁ。商売の基本じゃ」
「武器屋の鑑だね、本当に」
「あんたは服でも買えばどうじゃ。二年前から変わっとらんじゃろ」
溜息混じりに脚を組むと、見咎めたヒムがにやりと笑った。
十七にもなって色っ気も艶っ気も無いのは考えもの、だそうだ。
「別に着られるからいいよ、これ丈夫だし。見た目で敵がどうにかなる訳でも無いのに」
「にしても、年頃の娘には変わりあるまい。『拷問妃』のようになれとは言わんが、年頃の女が二年も三年も師匠のお下がりを着てると、なぁ?もうちょっとこう、体のラインを出して、スリットなんか入れてのう・・・」
「はいはい、まーた始まったよ変態。それ完全に『拷問妃』だし。色気が無いのは初めからでしょ」
『拷問妃』とは、秘密警察に長くいるフレイル使いの事だ。少し前、やけに物騒な渾名が気になって、調べてもらったことがある。
的確な報告はともかく、デレデレと鼻の下を伸ばしてエロジジイと化していたのは忘れない。
思わず飛ばしたくなる平手を止めるのに、これまでの人生で一番苦労した。
このおっさんと見た目の話はしない。色気の話はもっとしない。肝に銘じたマイである。
「無駄話は置いといて、本職の話。この間のあれ、またお願い」
添えられた硬い紙で口を拭うと、ヒムの無精髭がへの字に曲がった。
「無駄話とはなんじゃ、儂がせっかく心配してやってるのに。襲撃されて一度は死んだんじゃろ?なのになんでまた同じ服を着るかのぉ・・・。縁起も悪かろうに、どうせなら買いなされ」
「はー、ご老人は話が長いよ。無駄じゃない話はこのへんで」
「やれやれ全く。乗せられてやるとしようかの」
「はは、歳は取りたくないね。狡い言い回しばっか覚えるし」
「全くこやつは・・・」
頭を抱え、席を立つご老人。
「ごちそうさん、修理代金は別で貰うからの。人がせっかく丹精込めて磨いた刃を、そうしょっちゅう潰すでない」
「当たり前でしょ。あたしだって、心苦しくはあるよ」
「また連絡してやろう」
「うん。お願い」
部下の背中が消えた後も、マイは扉を見詰めていた。




