第二十七章 泡沫夢幻(中編)
「どう言う積りか教えて貰おうか」
ルイが睨むのに構おうともせず、頭領は笑みを崩さない。
「言うまでもなくご存知では?」
頭領はあくまで笑顔。だが珍しく開いた目は怒気を孕み、当然一切笑って居ない。
「無様な格好ですね。貴方が払った犠牲はそれだけですか」
折れた左手に目をやり、ヴァキアが皮肉にせせら笑う。
「僕が眠っていた間、随分と勝手を働いてくれましたね。お陰で情報の要もリネラの信条も抹殺されてしまった」
「裏切り者は処刑が掟だ。貴様の発言だぞ」
「ええ。だから僕は、最優先でここへ来たのですよ。無論意味は分かりますよね?」
あからさまに不機嫌なルイを軽く去なし、頭領がまた笑う。
首を傾げる。明らかな挑発。
「聞くまでも無い。貴様こそ知って居るだろう」
「ええ。野暮でしたね、相手が相手ですから。───では、答え合わせをしましょうか。まずアークの裏切りについて、結論から言うと僕は黙認していました。あちら側とは言え二重間諜でしたから。どの道時が来れば『五本槍』に殺される身ですし、ならばそれまでは『五柱』最有力幹部とパイプを繋げておいた方が賢明でしょう。気づかないとはルイらしくありませんね。・・・ああ、後ろ暗いところがあるからでしたね。貴方にも」
「今日はベラベラと良く喋るな」
ルイが唇の片端を吊り上げる。ヴァキアはうっすらと嘲笑を浮かべた。
「シャルロット襲撃を急遽早めたのも、彼の配置を決めなかったのもそれゆえです。何を企んでいるか知りたかったので。そもそも今、シャルロットが死んでいない時点でおかしいんですよ。僕は彼女の左肩を、骨に至るまで斬りました。蛇毒の耐性などあるはずがない。あの状態でなら、即死だったとしてもおかしくありません。にも関わらず彼女は生きている」
頭領が息を吸う。
「ここまで来れば、どれほどの盆暗でも分かるでしょう。後は簡単です。内通によって、利を得る者を探せばいい」
切先が喉の柔らかい皮膚をごく僅か凹ませ、薄らと血が滲む。
だがルイは笑った。此れまで誰も聞いたことのないであろう、笑い声まで立てて。
「傍若無人は貴様だろう。俺に利など無い」
薄い唇を歪め、まだ笑う。
「本当に滑稽だな!俺に幾度も、理に囚われるなと説教したのは貴様だろうが!」
本来なら、頭領は此処で気付くべきだったのだ。彼が此れ程はっきりと感情を顕にした事に。その意味に。
「・・・利があらずとも」
頭領は低い声で言った。
「明白です。証拠は売るほどある」
其の口元は微塵も笑って居無い。
「本部、支部が同時に割れたこと。それぞれに待機している戦力まで、秘密警察が知っていたこと。内部からの情報なしに、特定するのはまず不可能です」
「ほう?」
吊り上がった唇から白い歯が覗いて居る。
「アリスに移動を指示したのは貴方でしょう?アーク一人で足りる仕事にわざわざアリスまで呼びつけて、二人でデマ拡散と緑翔草の交渉に当たらせた」
苦虫を噛み潰し、ヴァキアは続ける。
「そしてその先で、主戦力の二人に襲われ亡くなっています。───ご存じですよね?アリスが───」
言葉を切る。ルイを睨む。息を吸う。
そして───
***
諜報員に怪我をさせ、取り逃がした日を含めても、二日も経たぬうちに追手が掛かった。
死にたくない。見つかったら殺される。リネラに勝てる訳がない。
生きたい。何がなんでも生きたい。世界中から害虫みたいに扱われて、自分が人間だって信じられないまま、蝿の集る生ゴミになるなんて。
人でありたい。人らしく生きたい。
優しく、楽しく、笑って生きたい。
だから私は、その手を取った。彼と二人で生き延びられると思っていた。
甘かった。甘過ぎた。駆け引きも交渉も、何一つ分からないほど子どもだった。
突然現れて、助けてあげると言ったその女は、秘密警察の『拷問妃』だった。
彼を置き去りに、私一人拾われた。
彼はとうに死んだと思っていた。あの時リネラに処刑されたと思っていた。
だから裏切り者だと己を呪った。感情を抱くなと罰し続けた。一番大切な人を売って拾った命など、人命ではないと戒め続けた。
己を呪って、壊して、憎んで、殺した。それでも未だ足りないはずだった。裏切られて殺される思いなど想像もつかない、分かるまで報いを受け続けなければ。そう決めた。
彼は死んだと思っていたから。
一人前になって幾らか経った頃、その人は既にリネラに名を連ねていると知った。
きっと、私より才があったんだ。昔から器用だったから。何でも上手に出来たから。私とは違うから。
もしあの人が私だったら、きっとこうはならなかった。私は本当に、どうしようもない卑劣な馬鹿。
生きているなら会いたい。あれだけの仕打ちをして合わせる顔がない、でも謝らなければ。恨まれているなら受け止めなければ。
ともあれやっと、清算出来る。
今思えば多分、この時私は死にたかったんだろう。
会えば殺されると思っていた。仮に違っても、密会が判明すれば死罪は免れない。
それで良い。逃げたかった。ただ他の選択肢を知らなかった。教えてもらった事がなかった。否、想像力が貧弱過ぎた。
秘密警察は抜けられない。前例などない。私をはるかに上回る使い手達を相手に、死ぬまで一人で逃げ続ける能力も、気概もない。
武器を調整すると嘘を吐いて、スアラに手を振って出掛けた。
***
「ご存知ですよね、アリスが生を司る神の末裔であったこと」
切先から血が一滴流れ落ちたが、ルイは普段通りの鉄面皮を崩さ無い。
「だから有罪か?六十余年前の王家討滅戦にて、血筋の無力は証明された筈だが?」
「相手に関わらず、身内殺しは大罪ですよ」
愚図る子供をあやす如くヴァキアが笑む。
「申し上げましたよね?僕は裏切り者を断罪するために来たのだと。そろそろ核心へ移行しましょう。貴方と秘密警察の暗殺屋は、古い知り合いだそうですね。彼女の名はセラと言う」
すらりと長い脚が左肩を蹴る。
壁に押し付けられた骨が軋み悲鳴を上げるが、ルイの纏う空気は寸分の揺らぎも無い。
「アリスとアークを殺害した、主戦力の片割れです」
「回りくどい話の進め方をするな。時間の無駄でしか無い」
「二人を殺したのは貴方ですよね?」
ルイが目を細める。眉根に皺が寄る。
「何故とでも言い───」
「理由など聞くまでもない!」
塗ったままの土壁に、赤い飛沫が散る。閃いたサーベルがまたルイを指す。
「・・・怒鳴るな。騒々しい」
首元の血を拭う。
ヴァキアが脚を下ろした。
「其れだけの為に来たのか、貴様は」
「ええ。───貴方の処刑のためだけに参りました」
訓練された暗殺者さえ隠し切れぬ殺気。
その息は荒い。
「阿呆か」
ルイがふっと笑う。
「少しは冷静になればどうだ?頭領が愚物では如何にも成らんぞ」
問の答えは澄んだ刃。
「俺が何の対策も採らずに居ると本気で思うのか?」
包帯で巻いた左手がサーベルを押し退ける。
「拠点の位置を暴露したのは俺では無い。二人の暗殺を命じたのも俺では無い」
ヴァキアに向き合ったまま、静かに移動して後ろ手に扉を開ける。
「処刑と言ったが、他の構成員は知って居るのか?」
カタン。
扉が閉まる。
追う手はない。確実な証拠もなしに、構成員を騒がせる訳に行かない。
ヴァキアは息を吐き、垂れる血液を手巾で拭う。
無論、処刑は脅しに過ぎない。会話の最後はほとんど茶番だ。しかし得たものはある。
アークが拠点の位置をルーアに流し、秘密警察に命令が出たとはっきりした。
と考えれば、シャルロットの屋敷内にもルーアの密偵が存在する。彼女にしてみれば、アークはシャルロットに入れ込みすぎたのだろう。リネラ総戦力による襲撃からシャルロットを守るため、彼はあまりに無茶をしすぎた。
ルーアは知ってしまったのだ。
ものの数秒でシュヤを都合よく動かしたアークの教唆力を。その恐ろしさを。そして震え上がった。貴重な人材も情報源も、惜しげもなく放棄するほどに。
ヴァキアはまた息をつく。
剣が鞘に収まった時には、普段通りの穏やかな頭領の顔に戻っていた。




