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神々のイデア  作者: 花都
クーデター編
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第二十六章 黄泉比良坂

 何の気なしに、クレアは天井を見上げる。

 部屋の外では、忙しく立ち働く物音と、血だらけの服を洗う声がしている。

「・・・ごめんね、女将さん」

 貸してくれた着物を見下ろして、そっと呟いた。

 

 彼女が預けられているのは、襲撃現場に程近い宿だ。当然リネラの息が掛かっているが、今の彼女が気づいているかは分からない。彼女に以前通りの思考が戻るのはまだ先だ。

 

 今はただ、名も知らぬ男の言葉だけが、頭の中をぐるぐると巡っている。

 『お前の復讐は終わった』

 紫がかった、熱く燃える瞳。誠心誠意に真っ直ぐ、魂で見つめて来るあの目。

 気圧されて空っぽになって、それからやっと周りが見えた。

 全て失くしてしまったんだって。大好きな人を奪われて、妹みたいに思っていた人は化け物だった。

 あの人と住んだ家は焼いた。空っぽで、面影があまりに残酷で、わたしひとり、世界から見捨てられたようで。あまりの虚ろに目眩がして、涙が止まらなくて。

 そんな場所、とても居られなかった。


 今更実家になんて戻れない。腫れ物みたいに扱われるのは嫌。親戚じゅうに気を遣われて後ろ指差されて、まるで生きてちゃいけないみたいに、「未亡人」なんて言うに決まってる。

 一緒に死んでたらよかったなんて、言わないで。分かってるから。わたしが一番思ってるから。

 無責任すぎ。おんなじこと思ってから言いなさいよ馬鹿、だから死のうとしたってのに。


 マイを殺しても、あの人は戻って来ない。分かりきったこと。

 

 でもやめなかった。


 

 もし本当に化け物なら、[其れ]に殺されたらあの人に会えるかも知れない。

 

 こんな灰色の世界なんて、こんな状態のわたしなんて、生きてるだけ無駄だって見放してるよ。

 廃品も、不用品も、捨てるものでしょ?

 だからちゃんと、そうするわ。

 だからね、どうかどうかあの人に会いたい。

 

 会いたい。

 

 わたし、あの人がいなきゃ何にも出来なかった。

 兵役から戻るまで、一人でも生きていけるって思ってた、そう言った。

 気をつけて、って。

 

 笑って送り出した。すぐ戻るって言ったから。信じてたから。考えもしなかったから。

 

 出来るわけなかったのに。

 

 わたし、自分で思ってたよりずっとずっと役立たずだった。一人じゃ息も出来なかった。

 こんなことが分かっていたら、あの時笑ったりなんかしなかった。送り出したりしなかった。泣いて、喚いて、縋りついてでも止めた。不服従で追放されるなら、それでも良い。引っ越したって構わない。

 綺麗な着物も髪飾りもいらない。たとえ寒くても、お腹いっぱい食べられなくても、あの人がいればきっと笑えた。

 

 一緒にいられたら、それで良かったのに。


 

 知らず、頬が濡れる。

 こんなの、もう何度目だろう。最後に笑ったのは?

 

 笑ってたわたしなんて、夢で会った誰かみたいに遠くて、遠すぎて。

 

 泣きくらすわたしには、目頭が熱くなるなんて綺麗な言葉は似合わないでしょう?

 海も陸も見えず、ただ流れに呑まれて息も継げないわたしに、美しい字面は届かないわ。

 

 言葉って名前の容れ物からはみ出た思いが涙なら、初めから擦りきり一杯だったら、こんな不条理はないのに。

 感情が木の葉みたいなら。そんなふうに軽ければ。


 

 枕元の湯呑みから、白く湯気が立っている。

 ふと漂う香りが、あの子が淹れたお茶とよく似ていた。

 

 大人しくてあまり目立とうとしない子だったけど、料理も裁縫もすぐに覚えた。

 流行病で父も下のきょうだいも、果ては看病に疲れた母までも亡くして、姉や兄たちとの連絡もままならない身の上だったから、あの子なりに必死だったんだと思う。

 

 しっかりしてる子だけど、ときどき抜けてるところもあって心配だから、結婚してからもときどき様子を見に行ってた。

 

 見た目に無頓着なところがあって、ちゃんと手入れしたら綺麗な髪の毛もいつもぼさぼさで。ちょっとは見た目にも気をつけたらいいのにって、よく揃えてあげた。


 

 今はリネラに、髪を切ってくれる人がいるみたい。あの日のマイは、綺麗なつやつやした髪をしていた。


 

 わけわかんないよね。きれぎれの記憶しかないのに、そんなことだけ覚えてるなんて。

 

    ***

 

 記憶は曖昧だけれど、わたしは通りのど真ん中でマイを襲ったらしい。マイもわたしも、服が信じられないくらい真っ赤になってべとべとで、元の色なんて到底わからなくなっていた。

 辺り一帯、赤黒い泥で梅雨どきみたいに泥濘んでた。


 

 殺してしまった。

 そう思ったこと、はっきり覚えてる。二度と彼女に会えないなって、砂漠みたいになった心で思った。

 

 会いたくもない自分も、前みたいに笑い合いたい自分もいて、結局どうしたいかなんてわたしが一番知りたいけど、漠然とマイはあの人と同じところに行った気がして、泣きたくて、千切れそうで。

 

 わたしは行けない。行けないのに。

 

 夢ならいいのに。全部ぜんぶ泡沫で、うなされてたよって揺り起こしてくれたらいいのに。

 それできっと、何か飲む?って聞いてくれるでしょ?気分転換に、美味しいものでも食べに行こうって、誘ってくれるかな?

 あの人は何でもできたけど、料理と争いごとだけは苦手だった。頼りになるしっかりした、優しい人だった。そんな彼が大好きだった。

 

 倒れたマイが起き上がり、虚な目でわたしを睨む。恨みも喜びも何もない本当に空虚な目で、あの頃のわたしなら気持ち悪く思ったんだろうなって、頭の片隅に、言葉になる前の思いが湧いた。

 

 ───お願い。

 

 短刀を握りしめて、立ってられないほどの竜巻に、痛みと追憶の暴風に飛ばされまいと踏ん張って、ほつれた神経を張り詰めて振りかぶる。

 [其れ]が真っ直ぐ立つ。切先よりもはるかに速く、其の手が桃色の鞭に伸びる。

 

 ───死にたい。消えたい。あの日から、赤黒い指を叩きつけられたあの時から、それだけのために生きてきた。どうかどうか、お願い神様。

 

 ───あの人に会わせて。

 

 ずっと良い子にしてきたでしょ?貴方が撒いた種なんでしょ?貴方はこんな、下らない人間が大好きなんでしょ?

 

 ───殺してよ、死神さま。あの人のもとへおくって。

 

 わたしは固く目を瞑って、思いっきり笑った。引き攣って上手く笑えなくて、でもあの子と約束したから。だから笑い方も忘れた顔で、必死に歯を剥いた。

 

 ───さよなら。これでお別れだね。ずっとずっと大っ嫌いだよ。

 

    ***

 

 どれくらい間があったかわからない。刹那かもしれないし、永遠かもしれない。

 悲鳴が耳を突き刺した。続く絶叫、唸り声。極限状況で言葉を亡くした、かつて人だった者たち。

 

 地獄に来たんだと思った。

 

 わたしは親友を二度も襲って、刺して殺して、地獄へ堕ちた。

「おい、ねえちゃん!」

 紫色の目が覗き込んで、男の手が肩を乱暴に揺する。

「さっさと下がってろ、あぶねえだろうが!」

 

 小さい頃、地獄にいると聞いた鬼は、見目のいい若い男だった。

 

「だめ!だめよ!わたしは殺さなきゃいけないの!死にたいの!やらなきゃ、わたし───わたしは、あの人のために!」

 泣いてたかもしれない。刀を振り回したかもしれない。止められなくて死ねなくて、とにかく必死で何度も叫んだ。

「あれはマイじゃねえ、人ですらねえ化け物だ。そんな奴、お前の仇じゃねえんだよ」

 鞭を持った腕を斬って、本体を何尺も蹴り飛ばし、鬼はわたしに向き直った。

「お前の仇討ちは終わったんだ。後は好きに生きりゃいい」

「・・・‼︎」

 

 鋏で縄でも切ったみたいに、頭が思い切りバツンと鳴って。

 狭くなっていたらしい視界が横のほうまで広がって、太陽の光がぽかぽか降り注ぐ暖かい日だったんだって、初めて知った。

 あの人は今も太陽なんだって、初めて気づいた。

 

 膝をつく。絶望の味とお日様の匂い。

 

「起きろマイ!」

 男が[其れ]を殴り飛ばして、短剣を刺して回し蹴り。首が変な方に曲がってるけど、化け物はぜんぜん止まらない。

 鞭を握ったまま落ちていた手が、透き通って消える。男をブーメランで遠ざけ、その隙に鞭を拾おうとする[其れ]を男がまた蹴った。[其れ]は地面を跳ねて距離を取って、手負いの熊みたいに唸る。[其れ]は拾った鞭を振り上げ、男は[其れ]を殴る。

 

「───ありがとう」

 誰かに引きずられながら最後に見たのは、短剣で地面に磔にされた[其れ]の姿だった。

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