第二十三章 水底
──例えば今日、殺されるとして。それも、暗殺されるのだとして。人は最期、どんな表情をするのだろう。
敵意を向けるか。
怯えを見せるか。
何も分かって居無い顔で事切れるか。
ひょっとしたら、人とはそう言うものかも知れ無い。
私が殺めて来た幾十もの人間は皆そんなだった。
私を呪い、怯えて泣き、或いは警戒となる寸前の疑問符を浮かべ、大動脈から赤い血を噴いて死んでいった。
だって生きたいと思うから。
そう願うのが普通だから。
ならば、私に微笑んだ賞金首は死にたかったのだろうか。
死にたがりが死を得る時、あれ程晴れやかな表情を見せるのだろうか。
遣り残す事など思いもつかないと、この上無く満足であると、そんな顔をするものだろうか。
もっと、救われたような、苦しみが終わると安堵した表情をするのでは無いだろうか。
あの人は生きたかった訳でも無いのか。
死にたがりで無いなら、命を渇望するなら、何故あのように。
私には眩し過ぎる。
あんな、夕焼け空のような、心が洗われる程の笑顔。
二十余年もの想い、経験、祈り、全て昇華したこれ以上無い輝き。
私には届かない。
焼き付いた胸がこれだけ痛むのだから。
赤黒く濁った心臓が、拒絶反応に泣き叫ぶのだから。
あの人は何故、あの澄み切った微笑みで、私にさえ笑い掛けたのだろう──
──今、この瞬間殺されるとして。私はあの人のように、胸を張って死ねるだろうか。
誰も呪わず、微塵も怯えず、己の死を全身全霊に受け止め。
暗殺者をさえ当然に許すような、そんな人間であれるのだろうか。
***
「アンタァ、相変わらず非力よねェ」
疲労でふらつくセラを笑い、リアンが髪を掻き上げる。
久方振りにリアンに捕まり、仕事も無いので稽古して居た訳だが、基本的に彼女は自己中である。
鍛錬に関しても例外では無く、己の基準を平然と課す。
縦寸五尺もあるか無いかのセラと、五尺半を超えるリアンとでは筋肉量も大幅に違うはずだが、甘えた所で不利になって行くだけだ。
筋力は兎も角、速度は私が上だと内心で強がっておくに止める。
「もうチョイ頑張んなァ、あんな薄いの、刀なんて呼べないわよォ。打ち合ッたら折れるンじゃない?」
「・・・・・・」
淡い空色の眉が、微かにひくついた。
──確かに、折れる。
あの仕込み杖は打ち合う物では無い。
紙のように薄い刃物など、刀ですら無いのかも知れ無い。
だがリアンの知ったことでは無い。
現実問題、セラは戦闘員では無い。
更に言えば、今現在最も多く任務を熟して居るのはセラである。
後方待機部隊にとやかく言われる筋合いも無い。
第一、半月振りの休みを潰しておいてその台詞はどうかと思う。休むどころか疲弊したのだ。
言わ無いが。口にした所で空気が悪くなるだけの不満など、おくびにも出さ無いが。
我慢。我慢。
胸元にまた一つ、どす黒いビー玉が落ちるのを感じ、呼吸を整えたセラは軽く伸びをする。
首元に下ろした覆面を上げる。
仕込み杖を持ち直す。
黒髪の美しいあの人を斬った杖。
「どこ行くのよォ」
「仕事」
「チョットは休みなよねェ」
──誰の台詞だ。
また一つ。ぶつかって嫌な音がする。
先程の一つが容れ物から溢れる。
つかえた硝子玉で喉が痛い。
呑み下す。
喉を、胸を削って落ちて行く。
──痛い。
湧き出しかける涙を呑む。
──彼の人に会いたい。
また彼の時の様に、容れ物ごとぶち撒けて楽になってしまいたい。
いけないと分かって居ても。
彼の人なら器の罅も治せるのだろうか。医術に長けた彼の人なら──
──駄目。
落ち着けるように息を吐き、歩を進める。
居る筈も無いその人を期待して。
***
シャルロット領。
入り口で手紙が来ているはずだと伝えると、人の良さそうな老爺は離れへとにこやかにセラを案内した。
──こんなに良い部屋じゃなくて良かったのに。
一礼して去って行く主人を見送り襖を開けると、藺草の匂いが胸に広がる。
言伝を受け取るためだけにわざわざ宿を取ったのは、彼の人なりの気遣いだろう。
『衝羽根朝顔』。
伝言と言え、一言の文も寄越されはしない。
手触りのよい薄桃色の紙に、小さな押し花が包まれていただけだ。
──恋文みたい。
ぶっきらぼうで少し口調もきついけれど、ああ見えてけっこうお茶目なところがある。
植物は毒にも薬になるからと、昔二人で勉強した。
あの時偶然知った花言葉まで、覚えてくれていた。
だから当然知っている。この花が毒をもつことも。
彼がこの花を贈った意味も。
懐に仕舞い、食事も摂らずに布団に潜る。
リネラ襲撃で疲れて居たが、ルーアへ直接の報告が言い渡されており寝る間も無かった。
五柱会議の最中、それも襲撃直後に深夜の屋敷へ忍び込むなど。
流石は貴族、としか言い様が無い。
ルーア腹心の警備隊は見逃してくれると言え、他は違う。
トラスが用意した屋敷、警備隊も当然配置されて居る。
軽く探った限り、どうやらあの男はルーアに最も多く見張りを付けて居るらしいが、あの女の性格上致し方あるまい。
お陰で此方は襤褸雑巾である。
現にライダンは増設分の見張り兵に捕まり、今頃取り調べの末本部へ護送されて居る筈だ。
己一人で侵入して居れば面倒は起き無かったものを、考え付きさえしなかった。
否、潜入したとして、あの時木立には入らず警護兵の気を引いておくべきだった。
ライダンならばさして怪しまれる事無く相手の懐に入り込む。
後で問題になったとて、報告さえ終わって居れば問題無かった。
取り調べがルーアで無いだけまだましと考えるべきかも知れ無いが、トラスも苛烈な筈。
秘密警察と事を構える訳に行かない以上、回復不能な怪我はさせ無いだろうが、ライダンはあの性格だ。
自我の肥大したトラスの矜持を傷つけ無いとも限ら無い。
ああ、またやってしまった。
肺が押し潰れる。
胃がしんと冷える。
内容物が氷になったように。
この世で一番、自分が嫌いだ。
どうして何時も何時も失敗ばかりするのだろう、ろくに役にも立てないで。
ちゃんとしなければ。
居場所が貰えたのだから、貢献しなければ。
迷惑をかけてはいけない。
やらなきゃ。ちゃんと、しっかりしなきゃ。
心臓が気管を潰す。
胃に針が刺さっていく。
腕を抱えても身体が慄える。
消えてしまいたい。
いっそ死んで仕舞いたい。途方も無く不出来で、周囲と馴染めず、仲間を見捨てる私など。
生まれなければ良かった。
親の顔も知らず、普通の暮らしなど夢見る事も出来ず、奪って継接いだ命で人命を奪う私など。
彼の人を裏切り、穢れを延ばして、許されて。
一体どれだけ狡いのか。
卑怯者には自害する権利も無い。
償い様の無い悪行に身を粉にし、擦り切れて灰になるだけ。
誰の記憶にも残らず、風化して消えるだけ。
それだけが、私の受けるべきせめてもの罰。
・・・本当はもっと、良い方策があると知っている。
でも私は馬鹿だから、効率の悪い不完全しか思い付か無い。
私は彼の人とは違う、天才じゃ無い。賢く無い。
間違っていると知っていて、それでも進む他に無い。
下らない悩みだと、分かっている。
折角生きているのだから精一杯楽しめ、なんて綺麗事の方が正しい事も。
過去は何も産ま無い、先を見ろ。
分かっている。
息が出来ないのは抱える荷物が重過ぎるせいだと。
誰もこんなもの背負ってはいないと。
私が独り、矢鱈に重くしているだけだと。
でも未来は過去から産まれる。
罪を刻んで生きる事、それがせめてもの罰。
私は、犯した幾十もの罪を放り捨てる訳には行か無い。
幸福など、生きる喜びなど善人の占有特許、罪人には資格も無い。
それなのに。
この髪を撫でた手の感触が消えない。
私にも価値があると、そう言った言葉が消えない。
心地よい彼の声が消えない。
消えない。
痛む頭でも抱えるように、こめかみを押さえ蹲る。
抑え切れない涙が、溢れて零れて止まらない。
彼の人はいつも、私のどこか深い場所に何かを刻んで行く。
嬉しかった。おかしくなるほど嬉しくて、本当に、そうかなって。
私、生きてて良いのかなって。
ならもう少し、棄てるのは見送ってみようなんて。
本当単純。
馬鹿だから。
きっと違う。私の命の重さはただ、背負う人々の恨みと重みによるものだ。
この価値は名刀のそれに同じ。彼の人の言う価値なんてない。
だから、舞い上がる積りは無い。棚に上げる積りも無い。
私が闇から出られ無い事。彼の人は違う事。
血塗れの両手を血で浄めて、救われたいと鈴を鳴らして。奪った命を賽銭だとか。
馬鹿馬鹿しい。
今更ハッピーエンドなんて望むべくも無い。それこそが私が、他でも無い私である事そのもの。
東の空が、日射しを予告して光り始める。
──やっと眠れる筈だったのに。
結局一睡も出来無かった。
知らず、溜息を吐く。
こう言う所も、嫌いだ。
眠りもせずに頭ばかり使った。
起き上がるには億劫が過ぎる。
明日辺りに支部へ移動すれば良いだけで、どの道今日は予定も無い。
医者の彼の人が気遣ってくれた休みだ。
──寝てしまおう。
脳まで疲れ切ってしまったらしい。
今度は自己嫌悪に襲われる事無く、目を閉じると引き摺り込まれて行った。




