第二十一章 鎮魂歌
縛られた手首が痛くて目が覚めた。
開いてすぐ目に入ったのは、黒く塗られた十字の刃。
「ごめんなさい・・・。あたし、また暴れたんだよね」
槍を向ける男に語り掛ける。
──なんでちゃんと出来ないの?
──もう二度と暴れないって、迷惑なんか掛けないんだって決めたのに。逆らえもせず暴れてばっかで、三年経ってもエミリアを抑え込めない。頭の中の声に、蓋すら出来ない。
──また、誰か傷つけたの?
ビオラがいない。
ジュノがいない。
シュヤがいない。
ルイは左手に包帯を巻いている。
──また、あたしが怪我させた?
狙撃手は両手が使えないと務まらないのに。ルイは左利きなのに。
「リリアとヌンチャクの使い手に攻められた。直ぐに鎮圧された故、エミリアによる怪我人は無い」
副頭領が話し掛けたのを見たイノスは縄を切り、彼に目配せして出て行く。
敵意に酷似した気配がしなくなると、ルイがふと口を開いた。
「リリアとエミリアは呼応して発現する性質を持つ。今回はシャルロット暗殺の時と異なり、リリアが完全に入れ替わった状態だった。人の意思で抵抗出来る代物では無い。・・・要するに不可抗力だ、気に病む必要は無い」
「え・・・?」
「聞こえなかったのか」
ルイが眉根を寄せて眇める。
「いや、聞こえたけど、そうじゃなくて」
──ルイってそんな事言う人だった?もっと冷え切って無かった?
「ルイって、好きな人いるの?」
「は?」
質問のあまりの突拍子の無さに、驚いたか、理解した上での反応か、眉頭が更に寄る。
と、数度瞬いて視線を外した。
「・・・・・・何処かで聞いたのか」
「ううん。その・・・なんて言うか、雰囲気がちょっと柔らかいから。ひょっとしたらって思っただけだよ」
──昔、クレア達と馴れ初めの話をした時に、誰かが言ったんだよね。あの頃クレアの旦那さんが急に丸くなったよね、って。
「なら良い」
「どんな人?」
じろりと睨まれたが、照れ笑いで誤魔化す。
視線が怒っていると言うより、恨めしげだった。
「・・・・・・第一に、教える義理が無い。抑もどんな、と言われても説明出来ない」
「──────そうなんだ」
冷たいと抗議されかねない反応だが、ルイの性格を知るマイは純粋に驚いた。
──ルイも人の子だったんだなぁ。もっと無機質な、数式の権化とかだと思ってた。
誰かを好きになるとか、大切に思うとか、そんな感情に縁があるとは思ってもみなかった。
まして、二人がリネラを壊滅の危機に追い込むなんて知る由もなかった。
***
「──っ!嘘だろ・・・っ!」
潰れた廃屋を前にジュノが顔を歪める。
手の甲に血管が浮いている。
──騒ぐな。取り乱すな。もう遅い。俺は間に合わなかった。
──何言っても伝わらないのに今更、何感じようと思おうと無駄だ。俺があいつらに出来る事なんか、今となっては謎解きしかない。
──何で襲われた?
何故秘密警察がリネラの行動拠点を把握しているのか。
割れた拠点が一つならば、分からない訳でもない。ふた昔前とは言え前例もあった。
だが全く別の筋で隠した二つが、よりによって同時に割れるか?
ごく普通の民家に紛れた拠点を、正確に割り出せるか?
傘下の家を掴んだとして、提供元まで絞り込むのは不可能だ。
その上、本拠を提供した人たちはここを知らない。
知る限り、遠い知り合いですらない。
──考えたくなかった。
だが考えなければ。可能性はただ一つ。
──もっと早く気付いて、疑ってかかれば良かったのか?そしたらアリスとアークは死ななかったのか?
──いや。
アークは良い。殺された───処刑された理由は理解している。
結果だけ見れば俺でもそうした。
だがアリスは。アリスは何故。
──十年前、俺がもっと戦えたら良かったのか?だったら死にかけることはなかった。アリスは先代達を押し切ってまで武器を取らなかった。そしたら派遣される事もなく、平穏無事とはいかなくとも、変わらず笑って生きていたのか?
──俺も来れば良かったのか?俺が行けば、俺じゃなくてもあと一人付けば何か変わっていたか?
──アリスの代わりに、別の構成員が行けば良かったのか?そうすれば助かったのか?そいつなら秘密警察でも退けられたのか?
答えは出ない。出す必要もない。
・・・そんなもの、とっくの昔に知っている。
──「そこで、なにしてるの?」
黒髪の、幼い少女の無邪気な声。
二人は無念だっただろうか。
人々のために戦う事を選び、描いた絵の完成を見る事なく他者の絵具に混ざった二人は。
──「帰らないの?ボスにおこられるよ」
「ボス?」
「私のおばさん。あ、言うなって言われたんだった」
ほとんど忘れかけていた、十七年前のやり取りが鮮明に蘇る。
「いえ、ないの?だれもいないの?」
「いる!みんないる!・・・・・・でも、だれも、うごかないんだ」
「・・・?ねてるの?」
少女が首を傾ける。
傾けすぎて、真横を向くほどに。
「昨日も、今日も、ずっと。死んで、だれもへんじしない」
俺の家族は略奪に来たゼセロの兵士に殺された。
子供らしく、家族の事が大好きだった。
でも涙は出なかった。
壁に迸った地獄絵図が、八歳の子供だった俺から思考を奪って、脱力と叫び出したい困惑で埋め尽くしていた。
「私のいえ、きてもいいよ」
「いえ?」
「うん。みんないるよ。レンとシルラがね、ときどきあそんでくれるの。名前なに?」
「ジュノ」
「私、アリス!ジュノも、私のいえに住んだらいいじゃん。そしたらまいにち、あそべるもん」
子供らしい無邪気な無責任に引かれ、リネラに加入してシルラと言う槍使いに師事した。
俺の家があった辺りはその直後、跡形もなく焼き払われたのだと後で知った。
──済まない、アリス。不甲斐なくてごめん。助けてくれたのに助けられなかった。リネラ構成員として、師匠に誓った守るべき人を守れなかった。
──ごめん、ごめんな。もう叫んでも届かないよな。これから俺たちが何したって、この先何がどうなったって、もうお前には関係ないよな。
──子どもの頃、仲間外れにされてあれだけ嫌がってたのに。また真っ先に外してごめんな。
──この国を変えたいって武器を取ったこと、命懸けで戦ってきたこと、知ってて何も出来なかった。変わった世界を見せられなかった。
──ごめん。本当にごめん。
もうこの声も届かない。謝っても変わらない。
──ごめんな。志を無駄にはしない。必ず成し遂げる。無念は俺たちで晴らす。だから頼む、許してくれ。
手をついた、乾涸びかけた血溜まりが、滴る雫でまた湿る。
アリスの残影が波紋に消える。
握りしめた拳から、乾き残った血が溢れていった。
***
時は少し遡り、同日、夕刻。
リネラ所属の密偵らと口裏を合わせてデマを流し、拠点に戻っていたアリスは不意に、空気の流れが凍りつくのを感じた。
──刺客・・・!
だとしたら、拠点移動は罠か。
リネラ内部に、秘密警察に通じている者がいる。
──仲間に売られたって事じゃん。一番嫌な展開。
アークはまだ帰って来ていない。標的をアリスのみに絞り、彼の留守を狙ったのか。
あるいは──
ドンッ
「アーク⁈」
重いものがぶつかる音。
薄い戸板が割れ、赤い忍び装束の、かつての仲間が倒れ込む。
口唇から大量の血が溢れる。
──そんな、真逆。
「起きなって!ほらアーク!」
漣が伝わるように、足元から一度大きく痙攣する。
──駄目だ・・・。もう、とっくに手遅れ。
鼓動に合わせ、ドクドク流れ出る血が止まる。
──最悪。よりにもよって、あれの答えがアークなんて。
グレイブを構える。
アークの死因は、袈裟斬りの刀傷。つまり相手は剣豪、狭い建物内ではこちらが有利だ。誘い込んで守れば──
──え?
入り口の両側、両断された柱が平行にずり落ちる。
天井から土混じりの埃が降り注ぐ。
──嘘過ぎでしょ。
断末魔の轟音を上げ、壁も柱も巻き込んで屋根が陥没。
山のように舞い上がる砂塵が辺りを埋め尽くす。
掃除しときゃ良かったなんて、能天気過ぎる後悔が浮かんだ。
──普通さ、出てこないからって建物ごと壊す?
「ふっ、あはははははっ!」
大量の砂埃で目も開けられぬ中、黒髪を束ねたグレイブ使いが建物から飛び出し、吹っ切って笑う。
「ははははっ!良いね、やるじゃん!楽しくなって来ちゃった!」
「それは良かった」
大太刀を担いだ男が満面の笑みで正面に立つ。
どうやら敵にも関わらず、褒められて本気で喜んでいるようだ。
──強い人ほどズレてるなぁ。
それはそうと。
「ねえもう一人いるでしょ?隠れてないで出て来れば良いじゃん、照れ屋さん?」
背後で切先のような気配がする。
暗殺屋らしく存在は分かるが、位置が恐ろしく掴みづらい。
この男と戦いながら警戒し続けるのはまず無理だ。
呼びかけたとて当然、返答もなければ張り詰めた気が揺らぐ事もない。
「無視か。つまんないじゃん。地味に傷付くし」
「オレが相手するぞ」
「それはどうも。もう一人の方──女の子かな──に相手して欲しかったけど、まあ良いや。あんたの方が強そうだし。名前何?」
「ライダン」
「そっか。もう知ってる気もするけど、私はアリス。殺す相手の名前なんだから、ちゃんと頭に叩き込んでよね」
「分かった、必ず墓場まで持って行くぞ」
ドヤ顔で胸を張るライダンに吹き出しそうになる。
「それ使い方おかしいから。別に秘密じゃないし」
敵対心は見事にゼロ。
こうなると、さっきからずっと変わらない暗殺屋が可哀想になってくる。
「言葉は難しいな」
眉尻がしゅんと下がっているのは、見間違いではなかろう。
息を吐き、担いでいた大太刀を構える。
威圧感に腹の底が重くなる。
──相手にとって不足なし。
グレイブが動き、不敵な笑みが浮かぶ。
戦闘は好きだ。
振り上げた太刀、攻めるグレイブが火花を散らす。
一度引き下がると見せ、地を蹴り斜めに跳躍。
空中で構え接地の瞬間に大腿部を突く。
「身軽だな。長物使いにしては珍しい」
「そう言うあんたは遅いよね」
挑発はしても、驕りや油断など僅かもない。
刹那でも気を緩めようものならアリスは真っ二つだろう。
──ライダンの間合いは普通の刀の一・三倍、長物の有利が通用しない。
側面からグレイブをぶつけ、斬り込む刀の軌道を変える。
脇腹が空き、長刀が突く。察知したライダンが横っ跳びに避ける。
──こんな刀、簡単には折れないか。
横薙ぎを受ける。刃が衝突、鳥肌の立つ音と共に潰れる。
と。
後頭部で雪風が疾る。
咄嗟に姿勢を屈めて避け、グレイブを思い切り滑らせる。
──手応えあり。
「う、っ」
突きを喰らった殺し屋の刀が空を切り、間髪入れずライダンが攻め来る。
間合いを取ろうと、グレイブを伸ばしたのがいけなかった。
ゆっくり、ゆっくり、大太刀が動く。
下段に構え直すグレイブも、斜めに後退するアリスもまた遅い。
──拙った・・・!
血が凍る。汗だくになって動いていたのに、寒くて寒くて仕方ない。
──終わりだ、やってしまった。
長い長い、永遠に終わらぬかのような一瞬間の後。
大太刀の厚い刃は、グレイブの柄部にしっかりと喰い込んでいた。
***
──私は、無力だ。
走馬灯が駆け巡る。
医術を習ったのに、十年前のあの時、私じゃジュノを助けられなかった。
それどころか、足手纏いにしかなってなかった。
懸賞首の私のせいで、大切な人が傷ついていくのが嫌で、それだけは、何歩譲ってもどうしても嫌で。
物心つく前に死んだ両親の命懸けの願いも、師匠達の必死の思いも無視して武器を取った。
何度も何度も反対され拒否されながら、先代の副頭領に頼み込んだ。
それなのに、結局自分の身でさえ守れない。
***
あの日からずっと、ジュノみたいになりたかった。
ジュノみたいに強くなって、私ではない誰かを守れるようになりたかった。
ジュノが私にしてくれたように、死にかけてでも誰かを守って、当たり前だって風に笑って、誰かの幸せを願って、本当にその力があって。
何が足りてないんだろう。
とっくにあの頃のジュノは超えたはずなのに、必死に鍛錬し続けてるのに、全然誰の、何の助けにもなれてない。
死神を野放しに出来なくて、暴れ出しても面倒を見よう、どうせ私が狙われるんだし、責任持って私が止めようって決めたのに。
結局私じゃ勝てなくて、何も出来ないで離脱して、仲間に迷惑ばっかり掛けた。
あれの暴走なんて絶対マイのせいじゃないのに、大事な弟子に、罪悪感なんか植え付けてしまって。
本当に何がしたいんだろう、ジュノなら上手くやれるのかなって、毎日毎日そればっかり。
いつまでも大人になれないで馬鹿みたい。
いつだってジュノははるか先を行ってて、もうずっとずーっと追いかけてるけど、背中だって見えそうになくて、ゴールがあるかも分かんない。
何度も泣いて、数えきれないほど心が砕けた。
私のせいで、埃を被った血筋だけの、何の力もない私のせいで、皆死んでく。
傷ついてく。
約束された幸せな未来が、私のせいで血塗られて壊れていく。
そんなの。
私は何処にでもいるただの人間で、王族の血、生の神の血なんか引いてたって、何の力も持ってないのに。
私が生きてたって誰も幸せにならないし、誰一人守れない。
私なんかより、そんな凄い力のある人に生きて欲しいのに。
街の人達みたいに私も武器を持って、自分で自分の身を守ったら、きっとそれが一番なんだって思って。
薄っぺらい理屈に、力をなくした神の血に、命を捧げて何になるって。
頑張った。私、自分でも信じられないくらい努力してきたと思う。
それでも結果は叶わなかった。
どれだけ努力したって、目眩のするくらい鍛錬を積んだって、千切れそうなくらいの苦難を耐え抜いたって、思った通りに行かなかった。
やっぱり、叶わないことだってある。
出自だって変えられない。
叶えられないことは、どうしたって叶わないのだ。諦めるしかない。
何も成せない人生かも知れない。
でも、無駄だったとは思わない。
自分の死に方を選べるって、人に許された最大の贅沢なんじゃないかな。
ペナルティ背負って生まれてきたけど、生の神は私を特別には愛さなかっただけだ。
見放してなんかいなかった。
生きなきゃ、なんて思わない。
私には賞金が掛かってる。生きていれば災いを呼ぶ。
リネラの皆に、私のせいで傷ついて欲しくない。
会ったことのない誰かにも、偽首狩りなんかのために死んで欲しくない。
相手は秘密警察。
金目当てで襲ってきている訳じゃないし、私が死んだこともちゃんと広めてくれるだろう。
刺客としてはこれ以上ない。難しいことは考えず、ただ笑っていればいい。
何も辛くなんかない。
この身に注ぐどんな惨劇も恐るるに足りない。
恐れるのはただ、人びとが理不尽に傷つけられる世界だけ。
──最後まで見てやれなくてごめん、マイ。後はよろしく。死神の片割れ、神の子の貴女に、この国を託すね。内乱は必ず私が終わらせる。だから後は任せるね。
長い長い一刹那が過ぎ去り、大太刀がグレイブを切断する。
背後で地を蹴り、風を裂く音がひどく鮮明で。
暗殺屋の長い外套がはためく。
赤銅色の夕陽が差した。
──今、この命を以て、六十年続いた紛争が終わる。この期に及んでは、微塵の後悔も無念もない。
──さようなら。今はこの身いっぱいに、晴れやかな思い。
アリスは振り返り、刃に向かって微笑んだ。
もう、誰の幸福も奪われないことを願って。




