第十五章 秘密
ブーメランが風を切る。
若草色の模様硝子が割れ砕け、静止したかと思うと向きを百八十度変えて、マイに向かって突進する。
砕けた硝子片を撃ち落とすなんて出来っこない。
横っ跳びに避けて、必死で避けて、それでも浅く皮膚が切れる。滴る血はあっという間に魔方陣に消される。
リリアは血に宿る生命力を吸い上げている。僅かながらも回復するから、体力だって吸われているマイよりずっと保つ。
──エミリアは醜く、リリアは美しい。
一方はかつて、血の海に犠牲者の腸を沈め、そして他方はいま、体重を感じさせない動きで、翅の生えた妖精のように跳び廻りブーメランを嘲笑う。
だがその醜さは同時に命をも含み、その美しさは、色鮮やかな蛇が毒を持つ如く死の道を指し示す。
───勝てるかな、あたし。
弱気な声が呟く。
膝ががくりと抜けた。ここぞとばかり、リリアのいる斜め上から、割れた魔方陣が殺到する。
───死ぬ。
ズタズタに引き裂かれ、血塗れで息絶える自分が見えた。
そして、
もう何度目だろうか、親友の顔が浮かんだ。
───違う。弱気な事考えるな。絶対、止めてみせるから。二度と誰にも、そんな顔させないから。
ぎりぎりで体勢を立て直し、真横に跳ぶ。ブーメランを捕る。投げる。
ひどい裏切りをして、合わせる顔などあるはずがない。今更親友なんて身勝手が過ぎる。
だがそれでもマイにとって、クレアは大切なひとに変わりなかった。
ワイヤーを引く。直線だった軌道が大きく曲がり、ブーメランが魔方陣を抜けた。
チャクラムにも似た円形の刃が、リリアの脇腹を切り裂く。
鮮血の噴き出すのが、リリアが膝をつくのが、重い動画のように酷くゆっくりだった。
───畳み掛ける!
一歩踏み出そうと、片足を上げた時。
ぐにゃりと地面が歪む。身体が熱に浮かされたようにふわふわして、どこにも意識が届かない。
───倒さなきゃ。倒さなきゃ。
地面がどんどん近くなる。そのくせ体はとんでもなく鈍い。
───早く動け、あたしの体・・・!
硬質な衝撃が身体を抜ける。土の苦みがわっと広がる。
───動けない。駄目だ。リリアが起きたらリネラの負けだ。
首だけをどうにか回して様子を伺う。
幸いにも、リリアは膝をついたまま微動だにしない。出血も多く、かなり深手のはずだ。既に意識も無い。リリアでも無いかも知れない。
目だけを動かし、ふいと視線を上げる。
枯れ木の陰に黒いスラックスが見えた。
鈍り切った頭がはっとする。
───違う。ルイだ。ルイの矢が何本も刺さったんだ・・・!
ワンピースの胸が、背中が、脇腹が、赤く染まっていく。白かったことすら信じがたいほどに。
「終わりだ、良くやった!」
最後の矢を喉に貫き通して、ルイが叫ぶ。
華奢な喉の奥からこぽ、と血が溢れるのが、何故かはっきり聞こえた。
───致命傷だ。助かる訳ない。
シュヤに助け起こされルイに肩を借り、どうにか立ち上がってずるずると仲間の元へ向かった。
***
集合を指示された物置はてんやわんやだった。
アリスとビオラが治療に当たっており、勝手気ままなアークまでが忙しなく何かを運んでいる。
───頭領も医術を知ってるはずなのに。
姿が見えない。
「良かった、みんな戻って来られたのね」
薬箱を持ったビオラが笑顔で出迎える。
「ヴァキアは戻ってないの?」
「そろそろ戻って来るはずよ。さっきアークが見たって言ってたもの」
傷に薬草を擦り込み、元気が出るからと干した果物を押しつけて水を飲ませ終わると、ビオラはマイに目を合わせた。
「早速で悪いけれど、侍女たちの目がこっちに向かないように工作してもらえる?───ジュノ!」
さっきから何か妙だ。疑問形ではあるが、拒否権は無さそうだった。
「───分かった」
「よし、行くぞ新入りー」
右腕に包帯を巻いたジュノが立ち上がる。使い慣れた刀を佩いて、火種を入れた硝子瓶を抱えていた。
「放火するの?」
「そそ。こっちが油な。厨房だったら怪しまれないだろ」
「うん。厨房こっちだっけ?」
「逆だ。変な所まで師匠に似るな」
ジュノが苦笑する。何とは言えないが、どうにも胸騒ぎがした。
「シャルロットと『五本槍』はどうなったの?あたし、『白刃』逃しちゃった」
ごめんなさい、と頭を下げると、ジュノは笑顔で首を振った。
「ほとんど計画通りだから気にするな。あ、お前そう言えば会議出てないよな。作戦も自分の所しか知らされてないだろ」
「早く構成員になりたい・・・」
「おう、精進しろ精進」
冗談めかして笑い、ジュノは作戦内容と今の状況を教えてくれた。
シャルロットの部屋へイノスが奇襲を掛け、『紅』と戦って負傷したこと。
彼はシャルロットの利き手指を切断したという。
地下の避難路の出口でマイが『白刃』を足止めし、その直後、シュヤが暗殺を試みたが上手くいかなかった。
結果、シュヤを嵌めた『闇夜』と戦闘になり、勝利したこと。
庭園に出たシャルロットをアークとジュノが襲撃、ルイが狙撃し、二人が護衛の『炎』と戦っている最中、先を急ぐシャルロットをヴァキアが襲うも、間一髪で逃してしまったこと。
その時にはもうリリアに襲撃されており、ルイはヴァキアの援護に回れなかったから、だそうだ。
シャルロットを逃したのは作戦の失敗を意味する。
けれどジュノが言うには、『五本槍』や殺戮の神とまで戦って、誰一人こちら側に死者が出なかっただけで奇跡なんだそうだ。
「ここで仕留められなかったのは失敗だが、爆薬喰らってるしイノスにもヴァキアにも斬られてるからな。まず死ぬと考えていい」
「あの二人、毒使いだっけ?」
「ま、そんなとこかな。ヴァキアのは俺も分からないんだが、イノスのは強烈だぞ。あいつは麻痺が十八番でな、今回は死ぬほどきついやつ仕込んでるはずだ。仕組みは知らないが、どうも塗ってるだけじゃないっぽいんだよな。毒牙みたいになってるのかも知れんし、間違ってもあの槍は勝手に触るなよ」
「触らないよ・・・」
───毒牙より怖いもんあの人。あたしにだけ当たりもきついし。やっぱり見習いだからなの?
「この辺りで良いだろ」
庭園から厨房へ回り込んだところで、マイが油を撒く。ジュノが瓶を放った。
床に着いた火が瞬く間に広がり、壁を駆け上がって天井をなめる。
これで簡単には消火出来ない。脱出までの時間が稼げる。
「おし、拠点戻るぞー」
「はぁーい」
重い体に引きずられ、転びそうになりながら帰路につく。
力を失って白けた月が、西の空で僅かに光っていた。
***
少し遡って、マイ達が撹乱に向かった直後。ビオラ達の診療所はまさに戦場と化していた。
「ルイ!こっち代わって!アリスもヴァキアの方に!イノスの傷はわたしが看るわ!」
身体中にねっとりと嫌な汗をかいて、ビオラが悲鳴を上げる。
傷など負っていないのに、両手が血塗れだ。
ルイの方はと言うと、呼ばれる前とっくに薬箱を開けていた。
鋭い視線が頭領を捉える。全身に爆風を浴びて意識は不明、誰ともつかない程の重傷を負った男を。
弱気な判断は封じ込めた。意地でも助ける。それしかない。
縫えるほど大きな傷もなく、治療と言えども出来るのは薬草を使ったり止血をしたりする程度で、殆ど本人の生命力に賭けるしかない。
体格に恵まれた方ではないが、ヴァキアとてリネラの頭領である。当然ながら体力はある。
しかし、これ程に疲弊した状態から瀕死の重傷を回復させられるかどうか。
その上、頭領の容態は組織の最重要機密。漏洩を防ぐため、構成員以外に知られる訳にはいかない。
つまりマイに勘付かれてはならない。
リネラを正常に機能させること自体は、副頭領でも全く問題ない。しかし姿の見えない頭領を不審に思わない筈がない。
頭領はある理由から、マイが加入してのち二年もの間、ずっとマイと同じ拠点を使い続けている。
その彼が突然拠点を分ければ、マイにだって怪しまれるに決まっている。
あの娘はアリスの弟子だ。その意味に気づかない程鈍くはない。
どうにかして、詮索される前に全快させなければならない。
「お願い、早く治って。お願い起きて・・・!」
ビオラが声を絞り出す。
皆同じ思いだった。




