第十二章 逆襲Ⅳ
アークとイノスが作った屋敷の見取り図は頭に入っている。
イノスと『紅』の交戦地帯はこの辺りのはずだった。
耳に神経を集中させて物音を探るが、戦闘音らしきものは聴こえて来ない。
──真逆、敗けた?
だとしたら、予想よりかなり早い。
そして、被害は想定の数倍出る事になる。
『五本槍』の中でも戦闘に秀でた『紅』を無傷で逃したとなると、リネラとシャルロットは相討ちだろう。
──それはまずいなー・・・。
グレイブを握り気配を消して、そっと忍び寄る。
高級そうな畳が見事に血塗れだ。
アリスは深々と息を吐いた。
「警戒しすぎでしょ。私だっての」
部屋の隅に向かって声をかけると、影のような長身の男がぬっと現れた。
「貴様の方こそ少しは警戒すればどうだ。俺が刺客ならば一体どうするつもりなのか」
「その時はぶった斬る。ま、そんな状態で襲って来る奴なんかいないけどね」
赤黒く染まった黒装束を見て付け足したものの、イノスは聞いているのかいないのか。
それには答えず、十文字槍の穂先を手巾で拭った。
「毒は嫌いなのだがな」
「仕留めたの?あんたも死にかかってるけど」
「逃げられた。だが麻痺性の致死毒を使っている。
奴のことだ、恐らく死にはしないが、確実に動けない」
「ほぼ負け惜しみじゃん」
「・・・否定はしない」
痛々しく開いた腹の傷を縫い合わせながら口を動かす。麻酔は打てないので、話し続けるに限る。
「貴様の方こそどうだ。情報のひとつくらい引き出したのか?」
「からっきし。分かったのは秘書がすごい手練れってことぐらいだね。ぽんぽん投げられた」
「始末は?」
「・・・・・・」
黙り込んだアリスに、イノスが深々と嘆息した。
「相変わらず甘いな。呑気に茶飲み話でもしていたのか?
生半可にやると数倍になって返って来る。
態々説教するまでもなく身に染みているだろう」
「───それはそうだけどさ。
・・・そう、なんだけど、ね・・・・・・」
引きつった微笑は、もはや泣き顔にしか見えなかった。
「──貴様の境遇に関しては、全く同情しない訳ではないが」
優しさは戦場では仇にしかならない。横顔がそう語っている。
「優しさ捨てたら、唯の殺人鬼になっちゃうよ」
「殺人鬼は己の為に人を殺す者に使う言葉だ。リネラは違う」
「・・・村を焼いた兵士も捕虜を嬲った処刑人も、山ほど斬った殺し屋だって、殺人鬼じゃないね。主人の命令だから」
アリスが意味ありげに目を伏せる。
「・・・・・・・・・」
「───シュヤは、故郷を焼き払われたんだっけ。
それで捕虜になって、兵士になって、逃げて来たんだよね。シャルロットを殺す為に」
話を変えたように見せて、より核心を突いて来た。
「シャルロットは平民だよね。
頭が切れるから、参謀としてディエゴに娶られた。ご自慢の頭で段々頭角を現すようになって、『五柱』に登り詰める直前、ディエゴ以外の最高権力者がみんな手のひらを返した。・・・・・・運も実力のうち、とは言うけどね」
びらびら長い包帯をぐるぐる巻く。布の終わりはなかなかやってこない。
「『五本槍』はシャルロットの私設部隊だよね。護衛もするけど近衛兵じゃない。シュヤは分かってたのかな。引き入れた用心棒が──」
「黙れ!・・・───二度とその話はするな」
アリスは手元に視線を落とし、余った包帯を切り落として結んだ。
「──言いたくない秘密ぐらいあるよね、誰にでも」
***
同刻、庭園。
それはあまりに突然で、なんの気配も予兆もなく、実体さえ疑うほどに溶けていた。星明かりに、月の影に溶けていた。
──殺し屋・・・!
ほんの、瞬きより短い間まで。
胎児を庇いながら、赤く染まっていく左袖を、信じられない思いで見つめる。
日頃武人を見慣れている己さえ、何も──恐ろしいほど何ひとつ、感じなかった。
──どこにいる?
辺りに目を凝らす。
月明かりの中、茂みも高木もないのに隠れられる訳がない。それなのに、左脇を切って消えた。
──どうにか見つけないと。次こそ殺される。
煙に巻かれた恐怖から、勢いよく振り返る。
いない。
視線を戻す。
どこにもいない。
足先から消されるような恐怖に耐えられず、必死で脚を押し出す。
目と耳にばかり意識を向けたせいで逆に注意散漫になり、途中、何かに躓いて転びそうになった。
──縄?どうしてここに?
雨にでも降られたか、死体のように冷たい。
停止していたシャルロットの脳が再度回転を始めた。
石を運ぶような、かなり強度の高い縄だ。
半月ほど前ここを歩いた時には、こんなものはなかった。
半月の間にそれが必要になることもなかった。
つまり──
躓いてから瞬きするほどの間で顔を上げたシャルロットはしかし、それ以上進むことはなかった。
──来たか。
蒼い月光が人型を成した。
背の高い、洋装の華奢な男だ。
微かな風に前髪を揺らし、調度品のような細身の剣に、すらりとした手を掛けている。
こそりとも音を立てないさまは、浮かんでいるようにも、幻のようにも思えた。
──気配のぼかし方、誤魔化し方の絶妙さ。どう考えても、こいつは『闇夜』以上だね。
暗殺を得意とする彼ですら、ここまで周囲に溶け込むことはない。
素人目でも、流石に姿が見えれば周りとの違和感に気づく。
独特の気配の消し方、と言うべきだろうか、剣呑な何かを隠していると分かるのだ。
先程短剣使いの男を罠に掛けた時もそうだった。
となれば尚更、此奴が頭領で間違いない。
暗殺者の纏める組織、という情報にも合致する。
静かな声がした。
「幹部殿の襲撃を、部下に任せ切っては失礼に当たるかと思いまして」
「・・・わざと逃した上、姿まで見せてやったって言いたいのかい。『五柱』も見くびられたものだね」
男は答えず、月光と一体化したままで緩やかに笑う。
斬られた傷の痛み、じわじわと生命の抜けていく怖気がなければ、目の前の光景にあてられ魅入ったまま、呼吸すらも忘れていただろう。
──痛みがなければ、ね。悪いけど、あちこち痛いんだよ。あんた達のせいでさ。
「それより───」
唇の端を引く。
「良いのかい?人手不足の小規模組織が。頭領の首まで晒しちゃってさ」
言い終わる前に、完全武装の護衛官達がヴァキアを取り囲んだ。
「舐めて貰っちゃ困るね。知ってるだろ?自分は正真正銘の叩き上げだ。あっちには他の連中もいるんじゃないのかい?仲間と仲良く昼寝でもしてなよ」
シャルロットは油塗れの縄を掴み上げ、男には目もくれずに元来た道を振り返った。
向こうには狙撃手がいる。火矢なんか撃たれたら最悪だ。
「・・・僕の周囲に十五名、姿を隠して更に十名、うち狙撃手二名。うちの構成員にも負けず劣らずの手練れのようですが、他の手札は無し、ですか」
ぞわりと粟立つ。
「僕を殺せるとお思いですか?たったこの程度で」
空と空気が一気に落ちた。




