第十章 逆襲II
部屋の間を縫う板敷の狭い道を、急ぎ足に進む。
大変なことになった。早く皆を集めなくては。
***
ことの発端は、わずか四半刻前。
奥方様のお部屋から、密かに敵襲の合図があった。
奥方様の居場所を突き止めるため、侍女が狙われることもあり得る。
避難指示に沿った誘導も、侍女頭の仕事である。
何にせよ、今は固まっておかなければ危険だ。
御屋敷の内を任され、主人の片腕を務めている以上、彼女が一番危ない。
──急いで皆のところに行かなきゃ。捕まったら『皆』が負けちゃう。
バッドエンドなんて、考えたくもない。
びくびくしながら、あたりを見回す。
──よかった。誰もいない。
この廊下を真っ直ぐ行けば、もう台所だ。そこに行けば皆がいる。
そこに行けば、皆が──
チアラの足が止まった。
薄い金属が首に当たる。
──だれ?嘘でしょ・・・?
体の芯が震え上がる。
頭ばっかり倍速で動くのに、体はその場にへたり込む。
地面に膝がつくより先に、そいつの手がチアラの手首を掴んだ。
ようやく冷や汗が噴き出した。
──刃物だ。敵。リネラ。『五本槍』の皆が負けちゃう。チアラ、捕まっちゃった・・・!
「だ、誰?」
平然を装ったはずが、涙声になって。
「やー、ごめんね?びっくりさせちゃってさ」
意外にも女の声。
「シャルロットの居場所教えてくれない?護衛の配置とか」
「いやお前直球過ぎるだろ。もっと他に何か聞き方あるだろ例えば・・・あーっと例えば、例えばだな、何か条件出すとか」
「だって知らないもん脅迫とか!絶対ジュノも分かってないでしょ、やたら何かって言うし。例えば多過ぎだし。脅してんだからもうこれで良いじゃん」
・・・・・・あれ、平和?
***
「うぅ・・・」
地に足の着いていない奇妙な感覚に吐き気がする。
復元は無限だが、治癒する度に麻酔にかかったように体が重くなる。
エミリアが混じっているせいで痛みは無い。
けれど体力の限界はある。
この分では、先に動けなくなるのは確実にマイだ。
──強い。強過ぎる。
一呼吸に四連撃、受けた短剣の刃が欠ける。
避ける間も無く追撃が来る。
頸動脈が切れた。
必死の思いで繰り出した鞭は難なく躱され、槍の穂先が腹を狙う。
弾いた短剣の刃が折れ、跳ね返って脚を切った。
──「あんたなんか人じゃないわ!」
親友だった娘の言葉。
はっとした瞬間、白い金属が喉を突いた。
「なっ・・・!」
目の奥が黒々と塗り潰され、考えたくも無い恐ろしいものが、喉を貫通する。
『白刃』が梃のように槍を持ち上げ、爪先が宙に浮いた。
「口ばっかじゃねぇか。俺はてめぇを何回殺してると思ってる?」
「・・・・・・ーっ!!」
声帯を壊されて声が出ない。再生のし過ぎで体が重い。
──エミリア、助けて。
──「ズッタズタに切り刻まれて死ねばいいじゃない!」
──駄目、絶対そんなモノに頼っちゃいけない。また同じことをしてしまう。
喉笛で空気がひゅうひゅう漏れる。
──負けられない。此奴をシャルロットの元に行かせちゃいけない。
──エミリアは死なない。負けることは無い。エミリアさえいれば・・・
──「『其れ』を使いこなすことが出来れば、一人の構成員として認めましょう」
頭の奥で火花が弾けた。
──そうだ。あたしは。
振るった刃が鉄籠手を突き破る。
利き手から槍が滑った。
「あたしは死んでないっ!絶対お前なんかに負けないから!」
「口だけはいつまでも達者なよーで」
左手から血を滴らせ、怒りのあまり口元に笑みさえ浮かべた『白刃』が槍を構え直す。
修羅に見えた。
初めから、頭領もマイに勝ち目があるとは思っていない。
負けない程度の力があると踏んで、ここに置いただけのこと。
とは言え足止めは作戦の要。
任された以上は応えなければ。
相手が何段上だろうと、負けていられない。
マイは鞭を構え直した。いざとなれば、組み付いてでも止めてみせる。
音もなく忍び来る夕闇。
視線が絡む。その先には強敵。
──大丈夫だよ、頭領。
──絶対、負けないから。
***
床に押さえつけられたまま、歯を食いしばって必死に耐える。
絶対、言えない。
教えない。
チアラだって、護衛の『白刃』達がどういう作戦を立てているかなんて一切、知らない。
それでも、奥方様の最も側に仕える侍女として、大雑把な流れは聞いている。
奥方様は帰って来てと言うけれど、そんなもの吐いたら取り返しがつかない。
『五本槍』がいくら強くとも、敵だって『五柱』連合軍を退けるほどの精鋭。
口が裂けたって、そんなこと。
──痛くても、辛くても、絶対言っちゃダメ。
だれも助けてくれなくても、奥方様を売るなんて絶対ダメ。
『皆』が命がけで戦ってるんだから、絶対無駄になんてしない。
だれも助けてくれなくたって、戦わなきゃ。
大丈夫、お薬の瓶で殴られた時のほうが、ずっと辛かった──
押さえつける手がきつくなり、関節がミシミシと悲鳴を上げる。
「こういうの嫌だからさ。そろそろ教えてよ。侍女でしょ?腕折ったり筋痛めたりしたら仕事出来なくなっちゃうじゃん」
「いっ、言わない!」
「言っとくけど、まだ大したことしてないからね?これで揺らいでて大丈夫なの?」
腹が立つのに跳ね除けたいのに、何も言えなくて黙り込む。
今のところ、せいぜい肩が外れかけているくらいで全然拷問なんて呼べない。
それだけ相手に余裕があるのか、あるいはこのくらいでも吐くと思われているのか。
「自信無さそ。じゃ、次行くよ〜」
固められていた手首が緩み、代わりに小指がゆっくりとしなる。
微かに聞こえた嫌な音に、胃袋がぎゅっと縮む。
──折られる!
メリッともバキッともつかない音が、チアラの絶叫に掻き消えた。
***
「痛、いっ・・・やめて・・・!」
「教えてくれたら止めるってば。あ、今凄い悪党っぽいね私」
女がふっと笑う。
──怖い。なんでこんなことが出来るの。なんで人をいたぶって笑えるの。
「いや!言わない!絶対言わない!」
相手より、自分自身に宣言する。そうでもしないと潰れてしまいそう。
──チアラはもう、奥方様にお仕え出来なくなるのかも。もう『白刃』さん達に会えなくなっちゃうかも。
恐ろしくて恐ろしくて。
心の中で何度もあの人の名前を叫んで、言わない、言わない、と繰り返す。
本当なら、ジュノとか呼ばれていた男の方も、ここに留めておかなきゃならなかった。連絡役だったはずだから、何も喋っていなくても逃した時点で半分はチアラの負け。
でも、いくら後悔したって、済んだことはもうどうしようもない。奥方様と『皆』の作戦に、間違いなんてあるわけがない。チアラは信じて、戦うだけ。
──お願い『白刃』さん、もしもまた会えたら、いつもみたいに楽しく笑って。
チアラも一緒に、戦うから。
「──私の母親もね」
なんの前触れもなく女が言った。痛くて痛くて耳鳴りがするのに、何故かその言葉は耳に刺さった。
彼女の母親は賞金首だ。
「こうやって拷問されたんだってさ。それで、滅茶苦茶されて死んじゃったって。
損壊が酷過ぎて、姉でさえ誰か分かんなくなってたらしいよ」
腹を痛めて自分を産んだ母親の、凄惨な最期を語っているのに。
口調も感情も変化しない。まるで他人事。
むしろ、楽しんでいる風ですらある。
──なんで?なんで笑えるの?リネラは、血も涙もない悪鬼の集まりなの?
「っ、なら!」
溢れ出す疑問が、想像以上の勢いで迸る。
冷静に考えたら当たり前なのに、この時のチアラにはどうでも良かった。
言ってしまってから気づいたけれど、引きつった叫びは止められない。
「なんでこんなことするのよ!母様を痛めつけてるのとおんなじじゃない!
なんでそんなこと出来るの⁈悪鬼!化け物!人でなし!はやく、死んじゃえっ!」
ヒステリックに叫んでも、反応ひとつ返って来ない。
ただギリギリと絞め上げてくるだけ。
でも少し、ほんの少しだけ、その力がゆるくなった気がした。
「一級犯罪者ってわけで、その程度しょっちゅう言われるじゃんか。だから慣れちゃった。
何でって聞いたね?簡単だよ。私の母親を拷問したのは誰だと思う?」
チアラの緊張を煽るように、女はわざと、ゆっくり話している。
そしてたっぷり間を置いて、押しつぶすように答えを落とした。
「ゼセロだよ?さっきからぎゃあぎゃあ被害者ぶってさ、本当の被害者はどっちだって話。
ゼセロのせいで私も、母親も、その親もきょうだいもナナァも狙われて!
母親は私を隠すために死んだの!火傷と皮下出血でボロボロになって、指を切り落とされて目を潰されて!」
「そっ・・・んなの」
──負けられない。ここで黙っちゃダメ。
「チアラは関係ない!チアラは──」
「は?あんたどの口で言ってんの?侍女頭でしょ?
ゼセロ五柱の最有力者シャルロットの、侍女達の最高責任者でしょうが!」
「そんなこと言ったって、チアラまだ生まれてなかったもの!そんな昔のこと、チアラのせいじゃない!
ゼセロのことそんなに知ってて、なんでわざわざチアラを狙うの⁈」
「──ふふっ」
なぜか女は笑った。泣き叫ぶチアラを前に、腹の底から、さもおかしそうに。
「あんた揶揄い甲斐あるよね。まさか全部鵜呑みにしたの?まあ全部、本当のことだけどさ」
訳がわからず目が点になるチアラを置きざりに、女は勝手に話を戻した。
「──とまぁ、ここまでが理由の三割。残り七割は」
声から笑みが消える。
「組織のため、果ては人びとのため。
こう言う血筋で産まれちゃった以上、私は紛争を終わらさなきゃならない。
三代前からの責任があるからさ。放り出して逃げるとか無理じゃん。
誰も許さないし、私が許さない。敵前逃亡するくらいなら死んだ方がマシ」
「だったら死んでよ!一級犯罪者がいるから続くんでしょ⁈
あんたが死んだら全部終わるの!だれもつらい目にあわなくてすむじゃない!
戦いはもっと、ずっと早く終わってた!あんたさえ生まれてこなければ、皆幸せに暮らせてたんだから!」
結局、口先だけ。
良くするつもりがないんだ。今、自分は困ってないから。
だからずっと苦しかった。
「・・・最低」
「ふーん・・・」
あんなことを言うくせに、本当に何の興味もないみたいで。
本当に最低。
「やっぱそうなるんだ。貴族も結構馬鹿だね。そんな簡単にいかないに決まってんじゃん。
国のトップがそんなで、一体全体どうなることやら」
拷問している相手の、泣きながらの必死の訴えを茶化してしまえる神経が理解出来ない。
常識が通じない。こんなの親殺しと同じ。
親殺しの、薄汚い、穢れた野蛮人!
「このっ──」
「チアラさん?」
恐る恐る声を掛けてきたのは、新入りの、チアラよりもさらに若い侍女。
「ダメっ──来ちゃダメ!」
──嘘でしょ?この子、何でこんなところにいるの⁈
「リネラなの!一人にならないで!早く逃げて‼︎」
「で、でも、チアラさんは」
「来ないで!」
「まあまあ。そーんな怖い顔しなくても、取って食ったりしないって」
怯えた顔でチアラと女を見比べていた侍女は、女の持つグレイブに目を留めると、意を決して駆け出した。
「良いのー?行っちゃうんならこうするよ?」
女はこれ見よがしに、肩を極めている足を退け、代わりにグレイブの切っ先を当てた。
「止まらないで!早く行って!」
振り返りかけた侍女を押しとどめて、なんとか送り出す。
──見つけてもらえた。あの子は助けを呼びに行った。きっとすぐ、だれかが助けに来てくれる。
か細い一筋の光を頼りに、チアラはまた闇を掻いた。




