第八章 追憶
──頼まれたのは、あと包帯と消毒用の酒、それから──えっと・・・
「──いっ」
──あ、薬草だ。なんて名前だったっけ。痛み止めの、って言ったら分かるかなぁ・・・
「まーいっ」
──あと、甘味。アークに頼まれたんだった。
何がいいかなぁ。饅頭とか?
つぶあんとこしあん、どっちが好きなんだろう。
どっちも買えるほどお金渡されてないし、しっかり考えなきゃ。
「こーら!マイぃっ!」
「は、はいぃぃ!!」
「んもう!ぼーっとし過ぎ!」
いつの間にか、正面には茶髪を綺麗にカールした娘が立っていた。
背丈はマイより少し下、着物の袖口には可愛らしいフリルがついている。
「クレア・・・!」
「ぜーんっぜん気づいてくれないし!」
むーっと頰を膨らませる仕草は幼い子供そのものだが、これでもマイより年上の十八歳。
しかも既婚者だ。
彼女は、マイが村を出る前、近所に住んでいた幼馴染である。
片親だった上、年上の兄弟も働きに出ていたマイは、小さい頃よく彼女の家で面倒を見てもらっていた。
「ひ、久しぶり」
再会テンションについていけず、おずおずと挨拶すると、案の定クレアのお説教スイッチが入った。
「警戒心なさすぎだよー!最近危ないんだよ?街の中で槍持った人たちがケンカしてたしさ、人さらいもいるって聞くもの。この前なんて、ゼセロさんが攻めて来たんでしょ?大丈夫だったの?」
──確かに攻めて来た『白刃』と真っ先に戦ったし、お使いのついでに人攫い捕まえたこともあるし、攻めて来たゼセロの軍も命がけで止めたけど!
全部関わってるよ、とか言えない。殺気が無かったからクレア来てたのに気づきませんでした、とか言えない。
言えないよぉぉぉ!
「え、そんな大変だったの⁈騒がしいなぁ、くらいは思ってたけど・・・」
「もー、能天気すぎー!攫われてるのに気づいてない、とかないよね?ちゃんと毎日家に帰ってるー?旦那さん心配させたらダメだよ?」
村を出るとき、皆には町へ嫁ぐのだと伝えていた。実際のところ、人に嫁いではいないけれど。
「それは流石にあり得ないって!攫われたらちゃんと気づくよ!」
「怪しいなぁー。旦那さんは心配してないの?冷たくない?ちゃんと大事にされてる?浮気されてるんじゃないの?」
「それはないよー!嘘つけない人だし、女の勘が黙ってないから!」
「マイの勘ねぇ〜」
「なっ、何その顔ー!」
「だってねー、サナトスがマイのこと好きだったときもー、ぜーんっぜん気づいてなかったしねー」
「いつの事言ってるの・・・」
「んー?三年しか経ってないよー?」
「三年も!経ってるからね!ちょっと見ないうちにおばちゃんみたいになっちゃってるよ」
「だーれがおばちゃんだーっ!」
「お姐様っ!」
「よろしい〜っ!」
どちらからともなく笑い出して、止まらなくなる。二年振りの、普通の空気だ。
リネラに入った事は、一度も後悔していない。
しかし、それとは別に、普通の女の子の幸せに憧れる気持ちは昔より強くなっていた。
手の届かない場所に置いてきたから、あまりにも届かなすぎて、怖いくらいに輝いて見える。
欲しい訳ではないけれど、少しだけ羨ましかったりなんて。
エミリアなんて居なくて、紛争なんて無かったら、あたしも普通に結婚して、子供を産んで、家族と幸せに生きていたのかな、なんて考えることもしばしばだ。
***
「──あ」
ひとしきり笑うと、マイは自分の役目を思い出した。
「あたし買い物の途中だった」
──ビオラに怒られる・・・
「じゃあ、そろそろだねー。でも、ちょっとだけ待ってくれる?」
「・・・何?」
「えへへ」
両手を背中に隠して、にこやかに歩み寄る姿に違和感を覚えた。
「クレア?」
「渡したいものがあって」
鳩尾に衝撃。
赤い斑点が散る。
刹那遅れてやって来た激痛で、信じられないくらい何も見えない。
立たなきゃ、と思うのに、体が勝手に蹲る。
血を纏った短剣が辛うじて見えた。
「あんたが夫を殺したんでしょ!」
「あたし・・・が・・・?いつ」
「あんたゼセロの兵を皆殺しにしたでしょ。しかも、あんな酷いやり方で」
クレアは短剣を向け、泣き噦るように叫ぶ。
「わたしの夫はあんたに切り刻まれて!小指の先しか帰って来なかったのよ!あんなことして・・・っ、よくも生きてられるわね!」
「人を・・・殺して、幸せに・・・ゲホッ、っ・・・幸せに、老いるつもりなんてない」
「じゃあ今生きてるあんたは何なの?!生きないって言うんなら何で喋ってんのよ?!」
音波の如き激情。
体の中から、壊されそうで。
「何で息してるの?!どの面下げてここにいるのよ!何で死なないの?!ズッタズタに切り刻まれて死ねばいいじゃない!」
「あたし、には・・・っ、しなきゃ、ならない、ことがある、から。それが───」
「それが何よ!何だって言うのよ!そんなもの誰にでもあるわ!そうよ誰にでも!」
罵声の合間に吸う息が、啜り泣きに酷く似ていて。
「殺された兵士には家族がいて!あんたなんかよりずっと死ねなかった!死ぬわけにいかなかった!妻や子供を路頭に迷わせて死ねるわけないでしょうが!」
「身の程をわきまえなさいよ!自分がどれだけ図々しいかわかってるの?さんざん殺して自分一人だけ死にたくないですって?」
「ふざけないでよ!!」
「それが終わるまで、何があっても、絶対、死ねない」
「終わって、・・・ケホッ、兵士がみんな、ちゃんとうちへ帰れたら・・・あたしはもう、いらない。そしたら楽に死ねるなんて、甘い事は思ってない」
「いつになるかわかんないこと言ってんじゃないわよ!ほんっと最低!わたしが見てきたマイはぜんぶ嘘だったんだね!」
「あんたなんか人じゃないわ!この快楽殺人鬼!今すぐ死んで!いいえ殺してやる!自殺なんて甘い事させるもんか!」
「そうだよ」
「は⁈」
「あたしは人じゃない。こんな傷くらいすぐ治せるよ。あなたに勝ち目はない」
「そんな話はしてないわ!勝てるかどうかなんて関係ない!わたしは勝たなきゃならないの!」
「誰にだって大切なものがあって人がいるのよ!それを鼻歌交じりに奪ってくような奴になんか!負けるわけにはいかないのよ!」
本当は、エミリアに頼ってなどいなかった。痛みを制御して話せるようにしただけだ。
──仲のいい夫婦だった。あたしの知る限り、二人からはいつも幸せな空気が漂っていた。
ふたりでひとつだと言っても過言でないくらい、互いのことが互いの一部になっていた。
──だから。
この傷の痛みは、消してはならない。
これさえ忘れてしまったら、本当に人で無くなってしまう気がするから。
クレアの言うような、本物の殺人鬼になってしまうから。
「死んで!──今すぐ、死ねっ!」
ヒステリーを起こして突進してきたクレアを躱し、その首に手刀を振り下ろす。
鈍い衝撃と共に、親友は糸の切れた操り人形みたいに倒れた。
「クレア──ごめんね──仲良くしてくれたのに・・・」
──許して貰おうなんて、思ってないよ。
命に代えても、二度と誰にもそんな思いはさせない。そのためにあたしは、平和が来るまで戦い続けるから。
──さよなら、クレア。
***
「要するに面が割れたんだな」
不在のヴァキアに代わって、マイの報告を聞いたルイが応えた。
「マイは外見も言動も普通過ぎて全く印象に残らないから、街に用がある時は重宝してたんだがな」
「凄い嫌な重宝のされ方・・・」
「変人ばっかりだから仕方ないわよ。アークなんて、一度行った店には二度と行けないみたいだし」
「一体何をやらかしているのか。第一、あんな派手な格好で隠密任務がこなせる訳が無い。覚えられるのも当然だ」
「服装がやらかしてるだけじゃないかしら」
「いやボロカスに言うのやめたげて。確かに色彩感覚おかしいと思うけど」
アークは原色に近い色が好きらしく、忍び装束こそ地味なものの普段は赤や橙の、しかも龍なんかの模様が入ったとびきり派手なものを着ている。
しかも、性格も大らかと言うか、雑だ。
そのせいだろう、以前、情報収集を兼ねて買い出しに出た事があったが、ことごとく出入り禁止令を喰らった。
──せめて服変えればいいのに。
***
「薬草がまだなのね。行ってくるわ」
「あ、待って──痛っ」
動いた拍子に、鳩尾の傷が痛んだ。
──また、刺されたみたい。
「包帯と、消毒薬、も、まだなの」
「分かったわ。ルイ、あとはよろしくね」
ビオラの言葉に無言で頷くと、治療道具を手元に引き寄せ、傷は、と短く問い掛けた。
「治さないで──大丈夫だから」
「エミリアを出さないのも、そういう事か」
頷くと、会話が途切れた。
道具を箱に仕舞う音だけが響く。
ルイは、本当に頭が良い。少し話しただけで全て察してしまう。
話す事が全くない。
尊敬してはいるけれど、二年間も同じ組織にいるのに、この人のことだけは何も分かった気がしない。
──何を考えているんだろう。何時もちょっと不機嫌そうだけど。
あと数週間で出撃する、その作戦だろうか。
アリスの怪我の具合だろうか。
それとも、他の誰かの事だろうか。
──あたしには、分かりそうにない。




