第一話 アキオ死す
「今日も何も変わらない一日だったなー」
装置に部材を投入して、ボタンを押すだけの毎日に飽き飽きとしてつぶやく西嶋アキオ。
装置にトラブルが起きればラインリーダーであるアキオは対応しないといけないが、トラブルマニュアルに沿って対応するだけなので特殊なスキルとかが必要という事はない。
ラインリーダーである為、三十才のアキオは自分より年上にも指示を出さなくてはいけないし、ノルマを達成できなかった日はノルマを達成するまで残業するのが当たり前なのに、給料は他の作業員とそんなに変わらない。
なぜ残業しているのに他の作業員と給料が変わらないのか。
アキオは十二時間拘束の夜勤で働いているので日に二.五時間の強制残業がある。
それだけでも月にすると五十時間の残業になってしまうが、上司から五十時間を超える残業は認められていないため、一度タイムカードで退勤処理をしてから工程に戻り残務を処理するのが日課となっていたのだ。
今日も激務を終えたアキオは明日の休日はパチンコに行こうか。
帰りにいつものストロンガーゼロとから揚げ串を買って帰ろうかなど、趣向に思考を支配されたまま工場構内を歩いていた。
普段なら構内の横断歩道を渡る時は必ず指さし呼称で左右の確認をしてから、横断歩道を渡るのだが明日は給料日と休日が重なっており、アキオの中から安全確認なんてものはすっぽりと抜け落ちてしまっていた。
特に倉庫と道が面している場所は一番危険な所だとアキオも知っていたが、頭の中は給料の使い道と、どこの店にパチンコを打ちに行くかでいっぱいだった。
「ヨシ!」
フォークリフトが走っている音はアキオには聞こえていたが、フォークリフトの運転手も自分の事が目に入っているだろうから止まってくれる。
そんな甘い考えでアキオは左右の確認をしていないのにヨシとだけ声を発しながら立ち止まる事なく横断歩道を渡ろうとした。
横断歩道を渡ろうと二歩進んだアキオは、右方向から強烈な衝撃を受け体が宙に浮いた。
フォークリフトの運転手も歩行者がこちらに気づいて止まるだろう、と考え時間に余裕が無いのもあり最高速度のまま倉庫から道へ飛び出したのだった。
宙に浮きながらアキオはまるで世界がスローになったような感覚に襲われた。
そんなスローな世界の中でアキオは、この事案は教育訓練を行うにしても全社水平展開の案件だなぁとか、労働災害になるから後始末が大変だとか、そんな下らないことを考えていたら受け身も取る事もできずに、後頭部から地面へ落下してそのままアキオの意識はブラックアウトした。
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どれくらいの時間が経過したのかは分からないがアキオは目を覚ました。どうやら草の上にうつぶせで倒れこんでいたようだった。
工場に草なんかあったか? と思いながら右手で地面に手をつき両足に力を入れ、体を起こしたアキオは周囲を見渡した。
「いったいここは……」
周囲を見渡したアキオの眼前には水晶の様に透明な湖が広がっており、湖の周りはうっそうと茂った木々に囲まれている。
上を見上げると空は暗く、月と星が燦然と輝いているので今は夜だというのが分かった。月と星の光のみで照らされている森の中は神秘的で、その神々しさに面食らったアキオは自分が置かれている状況を確認するのに時間がかかってしまった。
「確かリフトに轢かれて……そうだ!」
アキオはおもむろに後頭部を触った。
宙に浮いて後頭部から落ちたのだから傷の一つや二つないとおかしいと思い、確かめるために後頭部周りを触ってみるがアキオが望んでいる感触は得られなかった。
体のあちこちを確認してみるが傷一つついておらず、着用している作業服にも事故による汚れなどは一切見受けられなかった。
「湖で顔を洗って少し落ち着こう……意味が分からなくて頭がパンクしそうだ」
湖の透明な水を両手ですくい顔を何度か洗う。
水晶の様に透明な水はひんやりと冷たくどこか優しさを感じさせるものだった。
水が冷たいという自分でもはっきりと分かる現象に心が落ち着いたのだろうか。
アキオはその美しい水面をじっと見つめているとある事に気が付いた。
「ん? 目の色が銀色になってる……」
水で反射する自分の姿はフォークリフトに轢かれた時となにも変わっていなかったが、瞳の色だけが銀色へと変化していた。
フォークリフトに轢かれたと思ったら目が覚めると森の中で、見たこともない美しい湖が目の前に広がっている。
轢かれたはずなのに傷一つなく、瞳だけが銀色へと変化している。
誰か今の状況を自分に説明してくれよと思うアキオだが、周りを見渡しても人の気配はなかった。
「こんな良く分からない事が起きるなら誰でも対処できるように、マニュアルなり作業基準書なり作るのが事務所の仕事だろうが。ってなに言ってんだ俺は」
誰にぶつけたらいいか分からない自分の胸の内の恨み言を吐いた直後に、アキオの脳内に鈴を転がすような女性の様な声が響いた。
「初めまして。私は作業基準書です。確定していない未来の事以外であれば、担当者様のご質問にお答えできると自負しております。今回はどのような事柄をお聞きになられたいのですか?」
普通なら驚くべきことが起こったがアキオは意外と落ち着いていた。
作業基準書という自分が知っている単語がでてきたからだ。
それに意味が分からないのはそれだけじゃないし、もう何でもありだろうと考えアキオは聞きたい事を作業基準書に尋ねた。
作業基準書によるとアキオはフォークリフトによって命を落としたらしい。
この世界はアキオが生きてきた世界とは違うらしく、便宜上この世界の事は異世界と呼ぶそうだ。
異世界では天界、魔界、人間界の三界が存在しアキオは魔界の魔族、亜人として転生した。
亜人は交配にて産まれてくる訳ではなく、いつのまにかそこに存在するそうで、作業基準書は異世界の輪廻転生の理に基づくと言っていたが、はっきり言って作業基準書がなにを言っているのかアキオには全然分からなかった。
しかしあらかた聞きたいことは聞けたのでとりあえずヨシといった所だった。
「で、さっき言っていた俺の特異能力についてなんだけど、どうすれば発動できるんだ? それと能力の確認をしたいんだけど」
一呼吸置く間もなく作業基準書は答え始めた。
「はい。担当者様の特異能力についてですね。どの特異能力を発動するかによりますが例えば外観検査は脳内で発音頂ければ発動します。効果は担当者様の目に映っている対象の能力を確認する事が出来ます。他にも担当者様の上級特異能力の一つ5Sの中の1Sを使うのであれば指にて1Sとなぞって頂ければ発動します。担当者様の現在のレベルでは、上級特異能力は3Sまでしか使用できませんのでレベル上げに勤しんで下さいませ。では能力のご確認頂けます様、宜しくお願い致します」
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西嶋 アキオ Level:1 亜人種
Hp:1,5000
Mp:8,000
Atk:3,200
Def:2,540
Int:1,200
Res:870
Dex:2,030
Agl:1,840
Luk:540
使用可能特異能力
外観検査・安全確認・修復・クリアランス・原点復帰
使用可能上級特異能力
1S現任訓練・2S安全エリア・3Sベテラン召喚
ユニークスキル:工場作業員の矜持
KYT・作業の平準化・生産性向上
総合評価SS
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ステータス、レベルと言葉がでてきたが友達のいないアキオは、休日はほぼパチンコに行くかゲームをして過ごすかアニメを見て一日を潰すか、そんな日々を送っていたので前の世界での現実では聞く事のなかった言葉もすんなり受け入れる事が出来た。
ようするにアキオは良くある異世界転生をして特異能力を手に入れたのだ。
アキオが見ていたアニメとかでは、転生して手に入れた特異能力は物語を破綻させるぐらいに強い。
作業基準書から少しだけ自分の特異能力を聞いたがどれも絶対に強いと確信できた。
ユニークスキルの工場作業員の矜持も強烈で、様々なパッシブスキルを発動する事ができる。
前の世界では何も生み出さず何も行動せず、工場での仕事内容は同じルーチン作業を繰り返すだけの、自分にとって何のスキルにも繋がらない事を惰性で毎日続けてきた。
これでいいんだ、みんな一緒だと自分に言い訳を続ける日々。
職を探していると上司に言ってはいるものの一度だって他の会社に面接なんて行っていない。
自堕落で無気力で無意味な人生、アキオは生きていながら死んでいたのだ。
「この力があれば……この異世界なら!」
アキオの口元に笑みがこぼれる。才能なんてなかった。学校での勉強も中の下くらいしかできなかった。もちろん運動なんて下から数えた方が早い。
友達、恋人もいなかった。親からの愛情も感じた事もなかった。むしろ誰かに愛された事なんて一度だってありゃしない。
仕事中に俺はなぜこんな事をしているんだろう、自分の人生の意味ってなんなんだろうと考えなかった日はなかった。
でも、
「作業基準書、俺の特異能力はこの世界では強い方なのか?」
「担当者様の特異能力は他を超越しております」
これだ。これを待っていたんだ。この時の為に自分は生を受けたんだ。
アキオは喜びに打ちひしがれ身が震えた。
アキオは昔から思っていた。自分は選ばれし者だと、特別な力があると。
ただ周りの人間は自分を見下してくる、だが所詮一般人になんて思われようがなんと言われようがアキオは気にしていなかった、いや、気にしていないフリを続けてきた。
誰になんと言われても俺の実力を知らないくせに、本当の俺の力を知らないくせにと心の中で人を見下すことで優越感に浸っていた。
だがこれからはそんな卑屈な考えはしなくていい。
最高の力を手に入れたんだ。
アキオは手に入れた力を使ってのこれからの異世界ライフを妄想していた。
小一時間妄想にふけっているとアキオの後方の森の奥から女性の悲鳴の様なものが聞こえてきた。
声色から察するに誰かがなにものかに襲われたのだろうか。
「さっそくイベントか。ヨシ! これからだ! これからやっと自分の人生は始まるんだ!」
アキオは声が聞こえた方へと駆けていった。
これからの異世界ライフに胸をときめかせながら。
読んでくださりありがとうございます!