夢をみるゴーレム
世界は美しいそうだ。
風という空気の流れ、雨という名の降り注ぐ水。
海という名の地平線まで広がる水溜まり、草原という名の植物の群生地。
森と呼ばれる暗い場所、山という名の隆起した大地。
街という名の人の多く集まる場所。
私はそれらを羨ましく思う。
私は、それらを見てみたいと願う。
しかし同時に、それは叶わないことを知っている。
私の機能には本来存在しない感情、それに揺り動かされるこの情は、いったい何という名なんだろうか。
きっとそれを私が知ることはない。
何度夢想したことだろうか、何度羨望したことだろうか。
見たことのない景色を見たいと、憧憬に思いをはせるのも、これで何千回目だろう。
私が人として生まれていれば、こんな気持ちにもならずに済んだのだろうか。
私は、ある魔術師によって作り出されたゴーレムだ。
私の役目は、創造主の所有する工房の守護。
だから、私に感情があるのは完全なるイレギュラーであり、声帯も持っていなければ、意思疎通の方法も知らない。
きっと、私を作り出した魔術師は、私に……岩と魔力の塊でしかないゴーレムに、感情や意識があるなんてことは知らないだろう。
高鳴る心の臓も、脈打つ血流もない、ただの無機物に感情があるなんて、信じる方がどうかしている。
もし私が人間だったとしても、そんな話は信じないだろう。
なぜ、私にこんな語彙があるのか、なぜこんなにも言葉を知っているのか。
その理由は単純だ、創造主が健在だった時に、話を聞いていたからだ。
もっとも、彼は私に話している気などなく、ただの独り言だっただろうが。
それに、この工房を守るにあたり、私は周囲の環境を把握する魔術を機能として仕込まれている。
それが私の目であり耳でもある。
そしてそれらは工房の周囲のみならず、外の人間の集落や、そこに住む人々の営みすらも見聞きすることができる。
鳥と呼ばれる生物の、小さい鳴き声や、夜の帳に響く歌のような音。
吟遊詩人の奏でるメロディーと、不思議な冒険の話。
はしゃぐ子供たちの声と喧嘩する夫婦の怒鳴り声。
仲間内と相談する冒険者達の話し声。
……冒険者?
心臓の無いはずの胸の内が熱くなる、魔石を使った動力源が動き出した証拠だ。
一度として自分から動いたことなんてなかったが、直感した。
———これは、防衛機構だ。
工房を守るゴーレムは私だけではない。
私のように感情を持っているわけではない、そういう意味では"正常"なゴーレム達も同じく動き出す。
各々が自身の体格に合った長杖や両手斧などを持って隊列を組む。
あぁ、そうか、私も……私たちも役割を果たす時が来たという事か。
"壊れている"のは私だけなんだろうと思いつつも、私は心の何処かで、片隅で、ほんの少しだけ、私以外のゴーレム達も感情を持っているのかもしれないと、そう思っていた。
だが、ほかのゴーレム達に触れてみても反応はない。
そのことに私は……きっと、この感情は落胆、というのだろう。
訂正しよう、少しだけなんて、そんなものでは無い、憧れや自問自答で忘れようとしていただけで、私はずっと……仲間が欲しかった。
この気持ちを分かち合える者を、共に過ごせる仲間を、この孤独を癒してくれる家族を。
私はずっと寂しかったんだ。
孤独に耐えかねて、自分の気持ちから逃げていただけだ。
だが、その気持ちに気付いたところで意味はない。
もし冒険者を撃退したとしても、この工房の事はすぐ知られることになる。
そして私は殺され………否、壊される。
そんなことになるのなら、いっそ……—————。
「―――こが―――か」
「油断――――何――」
「―――っても―――だろ」
「待て、何か―――――」
来た、か。
「これは………ゴーレム?」
あぁ、そうだとも、私はゴーレムだ。
そして、私の足元に転がっているものもな。
「かなり昔のものですね……おそらく、この工房を作った魔術師が仕掛けた防衛機構なのでしょう」
「しっかし立派なもんだなァ! こんな精巧な作りをしたゴーレム、俺は他に知らないぜ?」
私の創造主は、どうやらゴーレム制作に関しては、かなりの腕を持っていたようだ。
ゴーレムは通常、土塊から作られる捨て駒も同然のものなのだが、それを大事な工房の防衛に使うというのだから、それは相当な腕だったのだろう。
「だが、おかしいぞ、なぜここのゴーレムは一体を残して全てが壊れているんだ?」
「経年劣化って奴じゃねぇか? ゴーレムっつってもそう何百年も持つもんじゃねぇだろ。」
「可能性は……あります、しかし、ここまでのモノを作れる魔術師が、経年劣化を考慮しない作りにするでしょうか?」
的外れ、という他ないのだろう。
ここに倒れ伏しているゴーレム達は、他ならぬ私が手ずから壊したのだから。
何故なのかと聞かれたら、そう……私は、潔く壊されたいと願っているからだ。
本来の役割なんて、もうどうでもいい。
この場所が知られたのなら、いずれは訪れる終わり。
私は、死にたくない。
だが、私が生きながらえたとして、それで何が変わるというのか。
私が必死に抵抗したところで、戦いが長引き、人間が傷つくだけではないか。
私は、これまで見聞きするだけだったが、人間の営みを知っている。
そしてそれを尊いと思っている。
私は彼らに……、平和に過ごす村の人々や、ここにきた冒険者たちにも、不幸になって欲しくない。
そう……きっと、私は人間の事を愛しているのだろう。
同時に、世界の事も愛しているのだろう。
見たことのない、きっと美しい、この世界を。
「っ! 二人とも注意しろ!ゴーレムが動き出した!」
だからこそ、私を早く、終わらせてくれ。
あぁ、なぜ、私がこんな気持ちにならねばならないのだろう。
なぜ私だけこんな目に合わなければいけないのだろう。
思い焦がれても、決してたどり着けない。
こんなに苦しいのなら、いっそ意識なんて芽生えなければよかったのに。