口は禍の元
僕は矢張り臆病者の人間であり、出来るならばこちら側の人間として終わりたい。講義の始業ベルが鳴ったと同時に僕達は実技室に滑り込み、彼は実技室に入ってすぐにドアに鍵を掛けた。
呉羽はただの授業が始まったと、おそらく廊下で僕を待っていることだろう。
あんなに僕を慕ってくれる人に僕の遺骸を見つけさせるなんて酷いと考えながら、僕は僕達しかいない、それも防音仕様の教室を見回した。
「今朝お父さんを殺しちゃった。あいつは俺を自分の子供じゃないって言うからさ。」
腕に掛けていたコートを羽織った彼は、カタログに載っていたモデルのような格好良さはなかったが、死神のような雰囲気は醸し出すことには成功していた。
「君は僕のお父さんの子供でないでしょう。」
目の前の青年はけたたましく笑い出した。
「俺はお前のお兄さんなんだよ。母さんが結婚前に生んだ息子。武本家に無理矢理別れさせられて、生まれた俺は母の兄夫婦の養子になったけどね。弟は再会してからの子供。可哀相に、弟は母さんの旦那にぶち殺されちゃってさぁ。」
「違うでしょう。」
「違わないよ。あいつは最後まで俺を息子だと認めなかった。畜生!それどころか侮辱するなら警察に突き出すとまで言い放ちやがった。俺は母さんを捨てるなって言いに行っただけなのによ!」
がんっと、青年は近くの椅子を蹴り飛ばした。
椅子は僕の方に勢いよく転がり飛んだ。
すんでのところで僕にぶつからなかったが。
椅子の軌道を変えた沢山の白い生き物達が椅子の周りで二本足で立ちあがると、戦果を自慢するニヤッとした顔を僕に見せた。
「どうも、ありがとう。」
一斉に小首を傾げた。
撫でろと言うのか?この状況で!
「あとでね。」
一斉に反対側に頭を傾げて憎たらしい顔つきに変わった。
何なのこいつら。
「聞けよ!お前の母親が俺の弟をぶち殺したんだからな!」
僕は憤る青年の顔を見直した。
「僕のお母さんが、殺した?なぜ?え?どうやって。」
「奴に、母さんの旦那だった速見に、お前の育てている子供はお前の子じゃないって教えたんだよ。それで可哀相なあいつは、あの男に殴り殺されて。可哀相に。」
僕は詩織が母を突き飛ばす場面に立っていた。
第三者視点でなく僕自身が母で、僕を突き飛ばそうと両手を構える詩織が目の前にいた。
あの日のように憎しみを纏った彼女は、僕に対して叫んで両手を突き出す。
「隼の子供が死んだのはお前のせいだ!」
彼女の叫びの意味を理解した僕は、詩織の手を掴んで、彼女を押し留めた。
完全にではなかったけれど。
なぜなら僕を作業机に押し付ける人間は詩織ではなく成人男性で、そして僕は年齢的には成人だが、楊に言わせると僕の力は思春期の乙女並であるからだ。
机に片腕で僕を押し付けた男は、両目をぎらつかせながら右手で作業机近くの電動鋸の電源を入れた。
この一連の動きを見るに彼が僕を呼びにくる前に既に計画していたのだと、電鋸の嫌な機械音が断続的に部屋を響かせる中で僕は理解した。
彼は僕を確実に殺そうとしている。
彼の次の行動は、机に押し付けている僕を持ち上げ、きっとその電動鋸に押し付けて切り刻むつもりだ。
僕は出血多量で死ぬのであろう。
父と同じにナイフで刺し殺されるだけかと考えたが、電動鋸で切り刻まれるのはかなり痛そうで嫌な死に方だ。
いやいや、覚悟はしていたけれども、絶対にこんな死に方は嫌である。
青年が力を込める。
僕は必死で机から引き剥がされないように力を込め、しかし簡単に引き剥がされた。そして動き続ける電動鋸に今にも押し付けられんという状況だ。
「これは嫌だ!」
ガシュン。ギャウン。
僕の頬を切り刻むことなく電動鋸のコードはブチ切れ、本体は煙をもうもうと噴出して動きを止めた。
「畜生!」
「ねぇ、僕を殺してどうするの?」
「俺が武本物産の跡取りになる。俺は隼の子供だ。」
「なれないよ。君は僕の兄なんかじゃない。君には一滴も武本の血なんて入っていない。嘘つき女に騙されているんだよ。」
「ぎゃあ。」
僕は彼の拳に、殴られなかった。
僕に向かって振り下ろされた拳は、やはりすんでのところで白い生き物が彼の手を押さえて僕の顔の脇に拳を降ろさせたのだ。
それも動きが止まっているが、切れ味の良さそうな鋸の歯を掠めてだ。
かなりいい声で叫んでいた通り、ぱっくりと裂けた拳は物凄く痛かったらしく、僕を掴む方の彼の手が緩んだ。
今だと、僕は彼を押し退けて、ドアの所へと走った。
廊下には呉羽がいるのだ。
「ダイゴ!」
「てめぇ!」
ダン。
「ひゃあ。」
当たり前だがトロい僕は簡単に背中を蹴られ押し倒された。
ビタンと体の前面を床に強く打ち付けた僕は一瞬痛みで息が止まり、そして、後頭部の髪を後ろに引っ張られて持ち上げられた。
痛みでチカチカする視界の中、僕は鍵の掛かった無情のドアを見つめた。
あぁ、あの扉が開いたのならば。
「ダイゴ!助けて!」
こんな大声が出るのかという程に僕は叫んだ。
絶対にダイゴが助けてくれる、それは確実だ。
でもすぐに、口が災いの元だと身を持って知った。




